■33


 予想通り、東側の城門は手薄で、それどころか城壁の上に誰もいない。ユッドは思わず苦笑いしていた。
 「マジかよ。防衛戦が苦手にしても、ここまでとは…。」
 「門の周囲に気配は…二つ。」
 「いけるか?」
頷いて、リュカは馬の背を蹴って城壁にとりついた。そのまま僅かな出っ張りを足がかりに、身軽に城壁を登りきって反対側に姿を消す。しばらく待っていると、僅かに城門が押し開かれた。
 「…ユッド」
 「ん?」
 「鎖が重たくて…。手伝ってください…。」
薄く開いた門の間に体を滑り込ませてみると、リュカが、扉と繋がっている鎖を巻き上げるハンドルにとりついて苦労しているところだった。
 「ほんと力無いな、このくらい…よっと」
 「妖精族ですからね」
リュカは言い訳のように呟く。ユッドが手をかけると、ハンドルは勢い良く回り始めた。鈍く軋む音をたてて門が開いていく。
 「…リュカ! 狼煙のほう、頼む」
 「もうやってます」
器用さではユッドより上な少年は、以前ユッドがやっているのを見覚えたまま、種火を籾殻の上に落として息を吹きかけ、火を大きくしていく。それから、取り出した煙玉を乗せた。赤っぽい、開門成功を知らせる狼煙がひとすじ、空に向かって上がっていく。
 「これで、よし」
いっぱいに開かれた城門を前に、ユッドは満足げに腰に手をやり、それから、振り返って町のほうを見た。妙に静かだ。侵入されたと気づいて直ぐにでもかけつけてくるかと思ったのに。
 外からは土盛りのように見えていた町の中は、思っていたよりも人間の町だった頃の名残が残っていた。周囲に土を盛り上げて不恰好な土の塔のようになった建物もあるが。幾つかはそのまま利用されているように見える。大通りにむかって張り巡らされた紐に揺れている布の意味に気づいて、ユッドは思わず口を押さえた。
 洗濯物だ。
 通りに転がっているかご、吊り下げられた肉のかたまり、縁の割れた水壷。人間の町だった名残が残っているように思えたのは、ここに、まだ生活の気配があるからだ。けれどそれは、人間の生活の痕跡ではない。
 「ユッド、後続来ます」
リュカの声で我に返って、彼は眼をこすった。そう、ここは竜人族の、敵の本拠地だ。ここに人間は暮らしていない。
 地を揺るがすような馬の足音がして、砂埃を上げながら味方が門を潜ってくる。同時に、門から真っ直ぐ正面にある第三の城門が開き、中から敵があふれ出してくるのが見えた。半数近くが人間と同じように武装している。雄たけびを上げながら武器を掲げると、甲冑がきらめいた。
 「…どっから手に入れたんだよ、あんなもん」
 「へえ、まるで騎士様じゃないか」
サニエルは面白がっている風だ。
 その時、中央の城門のほうでも大きな叫び声が上がった。土ぼこりをあげながら壁が崩れ落ちていく。カリムたちの攻撃がついに、城壁にとどめをさしたのだ。
 「突破するべき城門は、あとひとつ。」
 「ええ」
目の前を、ふわりと白い蝶が通り過ぎていく。リュカは、はっとした顔になり、それから、表情を引き締めた。
 「――妖精族と、人間の未来のために。」
 「いくぞ、あと少しだ!」
二つの種族の雄たけびが、空気を揺るがす。両者は通りの真ん中で激突した。竜人族が投げた斧が人の乗った馬に命中し、体を真っ二つにされた馬から投げ出された兵士を別の兵士が助け起こす。その後ろから、槍を構えて一列になった兵士が突撃していく。弓兵は土盛りをよじのぼって建物の上から、通りを埋め尽くす群れを狙う。
 「放て――!」
兜まで被って動きの鈍い竜人は四方から槍に串刺しにされ、防具はつけていない硬いうろこを持つ竜人は頭上からの攻撃を防ごうとして頭をかばったところを下から狙われる。誰もが、視界の端で追っていた。混戦状態のその中を駆け抜けようとしている二人組を。彼らを先に行かせることができれば、この戦いは必ず勝利できると確信していたからだ。
 最後の城門に取り付いたとき、行く手にはもう敵の姿はなかった。
 振り返ると、焼け落ちた城門を踏み越えてきた騎兵が、町の反対側でも戦闘しているのが見えた。
 「ユッド」
先に登ったリュカが手を差し出す。
 「無理すんなよ、オレは重いだろ」
笑いながらも、その手をとって少しだけ手伝ってもらう。
 城壁を登りきると、その内側は王宮の中庭だった。長いこと人が住んでいなかったにしては手入れされた、緑の庭が広がる。枯れた噴水、草に埋もれた大理石の女性像。飛び降りて音も無く着地したリュカは、水盤に近づいてしばらくじっと見つめていたあと、辺りの気配を探るように辺りを見回した。
 「…敵の気配は、ほとんどありません。まばらに十体ほど。戦えるものはほとんどが外に出ているようです」
 「さしづめ、さっきのが女王様の親衛隊ってところかもな。残りは、側近と護衛兵」
 「わかるんですか、ユッド」
 「お決まりのパターンさ、奴らが人間を真似て軍隊を編成したのなら、だいたいそんな感じだろ」
抜いた剣を肩にかけながら、彼は口の端をつりあげた。「ま、真似で来たのは形だけだ。あいつらは集団戦ってやつを理解してない。中身は似ても似つかないよ。」
 「…時々、人間のほうが竜人族より恐ろしく思えますよ。」
 「そうかもな。オレも、人間との戦争なんてやりたくない。絶対勝てないから」
中庭から続く階段の先は、宮殿のようだ。高台から見えていた、特徴的な丸い屋根の真下。建物の中に入ると、ひんやりとした空気が漂ってきた。慌てて出て行ったのか、床に肉片や、飲みかけの杯が中身を散らして転がっている。壁にかけられていた絵はどこかへ消えてしまったらしく、四角い跡だけが残されて、床の絨毯は剥ぎ取られて毛布代わりにされた跡がある。装飾地彫刻で飾られた柱も、立派な高い天井も、こうなってしまっては台無しだ。竜人族の住居に独特の匂いが辺りに漂っている。武器を手に、二人は用心深く宮殿の奥へと進んでいった。
 どこを目指せばよいのかは、最初から判っていた。――玉座のある場所だ。
 広間のような場所に出た。高い天井から、昼の日差しが斜めに振り降りている。玉座には、人間用の豪華なマントを身につけ、冠を被った竜人族が一人、立っている。あの竜人――ザインだ。
 「動くな」
ユッドたちが駆け寄ろうとするのを見て、男は足元の、鎖に繋がれて転がっている男の体を足で蹴った。隣でリュカの気配が変わるのが判った。
 「まさか…」
乱暴に足で蹴り上げられたとき、一瞬だけ顔が見えた。腫れ上がって潰されたようになった片目、陥没した頬。力なく体が落ちて、ざんばらになった髪が散らばる。二人の表情を見て、ザインは、嗜虐的な笑みを浮かべた。
 「いい顔だ。こいつの首が離れるところが見たくないのなら、そのまま、じっとしていてもらおう」
ばらばらと足音が響いて、広間を取り囲む中二階のテラスに弓兵が並ぶ。リュカの跳躍力でも、一気には上がれない高さだ。最初から、ここに誘い込んでしとめるつもりだったのだろう。
 ユッドは溜息まじりに剣を投げ捨て、両手を挙げた。リュカも、足元に剣を落とす。
 「ロクでもないところが人間に似ちまったな。で? 女王様はどこだ」
 「譲位の儀は終わった。今の王は、このおれだ。」
ザインは、頭上の冠をひけらかす。
 「その王国が落ちようって時に、余裕かましてる場合かよ」
 「なあに、我らは人間よりも増えるのが早い。お前たちの首をここに掲げて、続きを始めるとするさ」
その言い方には、かすかな違和感があった。ここで全滅するなら次はないはずだ。
 「では、お別れだ」
もったいぶった言い方で、ザインが片手を上げた。引き絞られた弓弦から、矢がまさに放たれようとしていた、その時だった。
 目の前で、床が裂けた。
 足元から水の柱が飛び出してくる。リュカが手を振るのが見えた。水が生き物のようにうねって、勢い良く竜人たちをなぎ倒していく。避けようとしたザインも、それに巻き込まれている。はっとして、ユッドはとっさに、目の前に転がっている剣に飛びついた。そして、降り注ぐ水しぶきをかいくぐって敵の背後に飛び込み、ローブの上から思い切り、突きたてた。
 ずぶり、と人間のような、嫌な肉の感触があった。
 「ギャアアア!」
耳障りな悲鳴を上げながら身をよじり、――二つの種族のはざまの姿をしたその生き物は、濁った目でユッドを見下ろした。
 「貴様…家畜…ごとき…ガッ」
リュカの一閃が首をはねて、それきり、耳障りな声は途切れた。一息つく間もなく、彼は、玉座の下に転がったままの体に飛びついた。
 「ラーメド!」
名を呼びながら、手足を束縛している鎖を断ち切って、助け起こそうとする。ぐったりとした力のない体を両手で抱え上げたとき、リュカの顔に驚きの表情が浮かび、それから、目尻に涙が浮かんだ。
 「…生きてる…。」
ほっとして、ユッドは大きく息をついた。リュカの呼び出した水の柱は、まだ半ば勢いを失わず、床下から湧き出し続けている。地下水の流れを変えたのだ。さっき水盤のあたりで何かしていたのは、このためだったのか。
 勝利を告げる鬨の声が、外から響いてくる。どうやら、通りのほうも終わったようだ。
 だが、まだ終わっていない。ザインの言い残したことが引っ掛かっていた。この状況でも、まだ逃げられると思っていたのだ。強がりなどではない。それが出来るという確証があったから。
 彼は、玉座の広間から奥へ続いている廊下のほうに視線をやった。
 「奥を見てくる。」
胸騒ぎがした。女王ギメルとやらは、一体どこにいる? 始まりとなった、人間と竜人族との間に生まれた存在。あのザインをはじめとする、人間に良く似た子供たちの母親。死に掛けているとは聞いたが、もしもう死んでいるのだとしても、何か痕跡は残っているはずだ。
 廊下の先には、開け放たれたままの扉があった。そして、その先には裏門への道が、続いていた。
 はっとして、ユッドは地面に残るまだ真新しい踏み跡を見た。
 「逃げた?!」
大急ぎで、近くに見える塔に駆け上る。螺旋階段をもつ、丸い屋根の塔のてっぺんまで一気に駆け上がった彼は、肩で息をしながら手すり越しに身を乗り出して目を凝らす。――点々と、足跡が残っていた。そして、まさに今、ソルナレイクの都から離れていこうとする先頭に輿を掲げた竜人族の集団が、その先にあった。
 「くそっ、三つめの門!」拳を手すりに叩きつける。「完全に裏をかかれた。追いかけないと――」だが、今から馬をかきあつめていたのでは、とうてい間に合わない。
 「仕切りなおし、か…」
女王ギメルは、まんまと逃げ延びたのだ。あと一歩だったというのに。
 (けど、あの輿みたいなやつじゃ、そう遠くまではいけないはずだ。この先は砂漠――逃げ場も無い)
必ず追い詰められるはずだ。
 下の方で、ユッドを探す呼び声がする。手すりから体を起こすと、彼は、遠ざかる竜人族の列から視線を引き剥がした。


 宮殿の敷地内を、ランプや焚き火の明かりが照らしている。逃げた馬の回収、負傷者の収容。この町に竜人族の姿はもうない。あちこちで勝利を祝う声が響き、酒もご馳走も無いのに兵糧と水で勝手に盛り上がっている連中もいる。――けれど、その宴に参加出来なかった者も、少なくは無かった。
 予定した作戦通りの進行で、犠牲を最小に抑えられたとはいえ、その"最小"は、率いてきた兵力の半数近くにも及ぶ。無傷の者は、ほとんどいない。命を落とした兵士たちの遺体は、ここで埋葬していくために城壁の近くに並べられていた。
 少しだけ、一人になりたかった。
 中庭を見下ろすベランダの端に腰をおろしてぼんやり町を眺めていると、膝の上に干し肉と硬焼きパンの包みが落ちてきた。振り返ると、サニエルが立っている。
 「何をしけた顔で考え込んでいる。」
 「いや…」ユッドは、日暮れの薄暗がりに落ちていく町のほうに視線をやった。「なんかさ、オレ、こういうの向いてないんだなぁと思ってさ」
 「は?」
サニエルは、呆れ顔になる。「勝利の立役者が、何をバカなことを。」
 「いや…自分が突っ込んでいくのは楽でいい、失敗すれば自分が死ぬだけだ。けど、…大勢の命を預かるのは…気が重い」
はあ、とわざとらしく大きく溜息をついて、またいつものように皮肉を言うのかと思っていたら、男は、思いもかけなかったことを口にした。
 「…かつては"英雄"オウルのようになりたくて、志願してリオネス砦に行った」
 「え?」
それは、ユッドと同じ理由だった。かつて憧れた武勇伝。まるで、おとぎばなしのような。
 「だが――近くにいるうちに、私にはそれは無理なのだと悟った。"英雄"なんてものは損を抱えこむような役割なんだと。そう呼ばれるようになるのは、お前のようなバカな奴だけだ」
 「ちょ、こら! バカって何だよ、バカって」
 「じゃあな」
 「おい! ったく、途中までいい話してたのに――」
サニエルが残していった包みを上着のポケットに仕舞いこみながら、ユッドは、肩をすくめた。相変わらず口は悪いが、それなりに励まされた気分だ。
 宮殿内の部屋には、手当ての必要な怪我人が収容されている。医療班は大忙しだ。今夜は徹夜だろう。フィリメイアも、魔法で少しは手伝っているようだった。だが、リュカとフィルダーナの姿はどこにもない。
 (リュカ…あれから、どうしただろう)
死んだと思っていたラーメドと再会はできたものの、その時点で既に、生きているのが不思議なくらいの状態になっていた。姿が見えないのは、どこかで治療しているからなのか。
 「お、ユッド。そこにいたのか」
ひと仕事終えた風のカリムが、ぶらぶらと廊下の向こうから歩いてくる。
 「カリム、リュカを見かけなかったか?」
 「ん? そこの裏の、塔の上におったぞ」
 「塔?」
まさか、そんなところまでラーメドを運んでいったはずがない。慌てて、彼は外に飛び出した。
 螺旋階段塔の上には、確かにリュカがいた。
 「おい!」
呼ばれて、蝶を飛ばしていたリュカが振り返る。
 「どうしました?」
きょとん、とした顔だ。
 「どうしましたじゃなくて…、ラーメドさんは?」
 「フィルダーナに任せて来ましたよ。」
 「任せた? 心配じゃないのか」
 「死にませんよ。しぶといんですから、あの人は」
笑みを浮かべながら、リュカは視線を、西の砂漠の方へと向けた。
 「言いたいことがあるんです。それまでは…死んでもらっては困る」
竜人族の列が残した足跡は、夕方になって出てきた風に散らされて砂に隠れようとしている。月明かりの照らす丘の向こう、地平線のどこかに、竜人族の女王が隠れている。
 「まだ、追いつける距離だよな」
リュカは、頷いた。
 「あと少し」
ふわり、と蝶が舞い上がる。
 「それで、全部終わる」
眼下の町にあかあかと燃える人間たちの焚き火も、勝利の歌声も、二人にはまだ、遠いものに思えた。


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