■31


 隘路を抜けるとき、入り口で見張りに立つ兵士が敬礼して送り出してくれた。手を振って応えながら、三頭の馬が走りぬけていく。先頭を走るのはベースの馬。その後ろに続くのはユッド。最後にリュカとフィリメイア。
 「あああ、揺れるー」
フィリメイアは初めて乗る馬の尻のあたりで、鞍に座るでもなく器用にしがみつきながら喚いている。
 「こん、な、生き物に…よ、良く乗ってられますね?!」
 「もう少しちゃんと座ったほうがいいと思うけど」
リュカだけは冷静だ。先発の斥候部隊、とは言うものの、実質この四人のうち二人は、主戦力でもある。
 「良かったのかい? 本当に」
ベースが、苦笑しながらちらりと後ろを見る。
 「何が?」
 「あんたが倒されちまったら、後ろの連中は誰が引っ張るんだ、って話さ」
 「ああ。そんなの誰かやりますよ。オレは何も出来ない、ただの新兵。兵士長なんて大層な肩書きも、この戦いが終わるまでの話だ。ベースさんのほうこそ、何かあったら自分の商隊はどうするんです?」
 「そんなもん、誰か適当にやってくれるさあ」
にやりと笑って、男は髭面に風を受ける。「ああ、この道。懐かしいなあ、最後に通ったのはガキの頃だ。親父がまだ健在だった。あの頃は、沢山の商隊が砂漠を越えていった…」
 「そして私のオアシスに無作法な馬の首を突っ込ませ、糞を撒き散らしていった」
不機嫌そうにフィリメイアが言う。
 「ははは、そいつはすまんな。砂漠の水場は貴重なんだ。オアシスがあれば、人が立ち寄る。そういうもんだ」
 「お前たちのために水を湧かせていたわけではないからな! …ったく」
小さな声でぶつぶつ言うフィリメイアを後ろに乗せて馬を走らせながら、リュカは、行く手に視線を巡らせている。敵の気配を察知したら、すぐに反応できるようにだ。間もなく、荒れた道の脇に廃墟の町が見えてきた。人は居なくなっても、緑の木だけは変わらずそよいでいる。
 「かつての宿場町だ。井戸がある、寄っていこう」
ベースが言い、馬の向きを変えた。ユッドはちらと後続の馬を見、リュカたちが敵の気配を察知していないのを確かめてから後に続く。
 町は荒れ果てて、建物は崩れかけていたが、最近だれかが訪れたような跡がある。馬を降りて焚き火の燃えカスを確かめたあと、ベースは、中心の広場にある井戸に近づいていった。井戸の前にそなえつけられた桶の底にはわずかに水が残っている。
 「竜人族だろうな」
近づいてきたユッドのほうを振り返って言う。「ここにいたんだ。つい最近まで」
 「オレたちが進軍してくるのを察知して、引き上げたのかな?」
 「かもしれん。水は…」
 「無害だ」
井戸の縁から、ひょっこりとフィルダーナが顔を出す。ぎょっとして二人は身を引いた。
 「なんだ、この顔は。わざわざ潜って確かめてやったというのに」
 「いや…その、妖精族ってのは、思いもよらん動きをするもんだな…。」
白い蝶が目の前を過ぎっていく。リュカが飛ばしているのだ。後続の本隊にいるフィルダーナがそれを受け取って伝言を皆に伝える。本隊の出発はユッドたちより二日遅れの予定だから、今はまだ、エルム湖の側で準備しながら待機しているはずだ。
 「とりあえず、ここまでは進軍できそうだな。次の水場は?」
 「急げば夕方には着ける距離だ。枯れ谷のすぐ側でな。塩の集積所があった」
 「塩?」
 「西の、海の国からの交易品の一つだ。岩塩じゃないぞ、海から採れる塩だ。」
馬に飛び乗りながら、ベースは懐かしそうに喋り続ける。「ソルナレイクには、東西と南北どの方向からの商品も届いた。海の国の塩と織物、真珠…貝から採れる宝石と…。南の国からは珍しい果物や香木。北方からは毛皮と金属」
 「ルナリアやグロッサリアからは何だったんですか」
 「穀物と家畜だ、勿論な。特に馬は高く売れたぞ。グロッサリアの名馬は琥珀とだって交換できたんだ。あの頃は…大いに儲けたもんだ」
黒コゲになった無人の村が過ぎていく。何十年も前に焼き払われ、無人のままなのだ。辺りはしん、と静まり返り、一頭の馬も、一人の人も見えない。誰ともすれ違うことなく、行く手には、ただ真っ直ぐな街道だけが続いている。馬は走り続ける。
 不気味なほどに静かで、敵の気配さえないことがユッドには引っかかっていた。本当に、この先に竜人族の本拠地、"女王"ギメルの王国があるのだろうか?


 二日が過ぎた。
 午後になって湧き始めた黒雲は、あっというまに空を覆い尽くして雨になる。喜んでいるのはフィリメイアくらいのもので、人間二人は閉口していた。
 「そろそろ…フィルダーナたちが出発する頃ですね」
リュカは、しきりと後ろを気にしているようだった。
 「追いついては来ないよ、向こうは荷車や馬車なんかもいるし、軍隊ってのは群れのぶん移動が遅い」
 「何もないといいですが」
 「何かあれば報せが来る。それより、斥候が斥候らしいことを出来てないほうが問題だよ」
竜人族の姿がどこにもないのだ。雨粒が馬の背を伝って滴り落ちる。叩きつけるような雨の中、町の跡が見えてきた。三つめの井戸のある場所だ。崩れた建物にはまだ一部、屋根が残っている。その下に入って、ユッドは重たい雨具の裾を絞った。
 「はあ、少し休んでいこうか」
 「井戸を調べてきます」
濡れることに抵抗の無いリュカが、雨の中に出て行く。ベースはユッドの隣だ。
 「竜人族はも濡れるのはあまり好きじゃないはずだ。この雨なら、動きはないかもしれんな」
 「だといいんですけどね。人間っぽい奴らはあまり気にしないみたいですから…」
ひび割れた天井を伝って、水滴が落ちてくる。足元には水溜りが出来ていた。雨は弱まるどころか、ますます強くなってきている。屋根に叩きつける雨音のせいで話し声もよく聞き取れない。
 「今日は、ここで雨宿りのほうがよかろう」
諦めたように、ベースが言った。
 「この辺りの雨は、いちど降りだしたらこんな調子だが、翌日には嘘みたいに晴れる。朝になれば川が出来て空は晴れてるだろう」
 「その案に乗りますよ。こんな雨の中を泥まみれで行軍したくない。」雨水のしみこんだ上着が冷たい。「…リュカとフィリメイア、遅いな。」
 「ユッド!」
叫ぶ声が聞こえた。
 「手を貸してください」
 「?! どうした」
慌てて屋根の下から飛び出してみると、リュカが何かに押しつぶされそうになりながらよろよろとこちらに向かってやってくるところだった。覆いかぶさっているのが人間の体なのだと気づいたのは、駆け寄って手を貸した時だ。
 「この人、向こうで倒れていたんですよ! まだ、息があります」
 「なっ…、とにかく、濡れないところへ」
それは、やせ細った白い髭の男だった。さっきまで避難所代わりにしていた屋根の下に運び込んで頬を叩くと、かすかな反応がある。
 「その男の持ち物だ」
フィリメイアが、運んで来た粗い目の肩掛けかばんを床に置いた。
 「馬は死んでいた。ここの水場は駄目だな、砂が雑じりすぎている」
 「この人は一体、どこから来たんだ?」
 「手当てします、少しだけ待ってください」
リュカが男のあばらの浮き出た体に手を当てて治療している間に、ベースは乾いたボロ布をかきあつめて手早く火を起こす。
 やがて、男が息を吹き返す気配があった。落ち窪んだ目で左右を見回して、それから、はっとしたように身を起こした。
 「…ううっ」
 「おい、無理するな。何か食べるか? あんた、一体どうやってこんなところまで」
 「助けが来ると…聞いたんだ」
骨ばった手で顔を覆いながら、男は肩を震わせた。「それで…逃げてきたんだ」
 「逃げてきた? 竜人族のところからか。詳しく聞かせろ。まだ他に人間が捕まってんのか」
 「この先に…。」
声が細くなる。
 「…枯れ谷の側に、奴隷の町がある。そこで、食料を作らされていたんだ。連中は肉を食う。馬も牛も羊も…ヤギも…みんな食われてしまう。わしらの食い物を作る畑は小さい。ほとんどが、飢えて死んでしまった」
 「あんたは、どこから連れて来られた」
 「ずっとここに住んでいるよ。元は宮殿に仕えてたんだ。国ごと奴らに奪われた」
 「…ソルナレイク人か」
呟いて、ベースは火を大きくするために焚き火をかきまわした。
 「助けが来ると聞いたんだ」
男は繰り返した。「あんたたちが、そうなのか?」
 「ああ。ここにいるのは先行してる斥候だ。あとから本隊が来る。…一体、誰に聞いた?」
 「竜人族に捕まっていた男だ。兵士に見えた。ルナリアから来たと言っていた」
 「…ルナリアから?」
ユッドはしばし、考え込んだ。「それは、いつの話だ」
 「一ヶ月以上前だ。奴らに拷問を受けていた。酷い怪我をして、今にも死にそうだった。いつのまにか見えなくなったんだ、もう死んでいるかもしれない」
 「リオネス砦が陥落した頃、か…」
その頃にはまだ、反撃の準備どころか、体制をどうやって立て直すかも決まっていなかったはずだ。その捕虜の兵士は、砦が陥落したとは思っていなかったのだろうか。それとも、単に希望を口にしただけなのか。
 「女王ギメルは死に掛けている」
 「何?」
 「寿命だ。まもなく別の王が立つ。もっと残忍で、野心に満ちた…」
話し疲れたのか、痩せた男はぜいぜいと浅い呼吸をしながら目を閉じた。雨の音はますます激しさを増して、足元を泥になった水が流れてゆく。
 「あんたは、ここで待っているといい。あと数日待てば、ここを本隊が通過する。助かるんだ、希望を持て」
 「……。」
目指す場所までは、あと数日の距離。ここから先は今までのようにはいかないことを、その場にいる誰もが肌で感じ取っていた。


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