■30 Interlude〜エルム湖畔


 フィルダーナに腕を引かれたリュカがエルム湖のほとりに到着すると、水面の上にとまっていた白い蝶たちが音も無く一斉に飛びたった。鏡のように静まり返った湖面に波紋が広がり、光の粒がいくつか弾けた。蝶の消えた場所から水面に着水したのは、数人の、見た目も様々な真っ白な女性たちだった。眠たげな灰色の眼をした、網のような衣装をまとった若い女性。尖った鼻を持つ、やや腰の曲がった老女。ボリュームのある長い髪をいくつもの束にして垂らした大柄な女性。その他に、沢山の妖精族たちが、蝶の代わりに姿を現していた。皆一様に白い肌に白い髪をして、人間離れした美しい容姿を持っている。
 「今までのご協力、ありがとうございました」
リュカは、妖精族の言葉で言った。「次の戦いに人間族<ヒューリット>が勝利すれば、竜人族<ドラグニス>の攻撃は止まるでしょう」
 「それは良いことじゃ」
大柄な女性が口元にわずかに笑みを浮かべる。「協力した甲斐もあろうというもの。わらわの子らの領界<ファリア>も幾つも奪われていた。これでやっと安心できる」
 「前例なきことで、どうなるかと思いましたがね」
老女の姿をした女性が、容姿とは裏腹に若く、低めの声で呟く。
 「ただ、人間族<ヒューリット>が我らにとって天敵であるのは変わりない」
 「まだ言ってるのぉ?」灰色の瞳の女性は、鼻にかかったような喋り方をする。「水脈を乱す竜人族<ドラグニス>たちは、人間<ヒューリット>にも勝る脅威。結論は出てたじゃなぁい」
 「竜人族<ドラグニス>の脅威が去れば、人間<ヒューリット>が我らの住処を脅かす日が戻ってくる。それを案じているのだ」
 「その時は」
きっぱりと、リュカが言う。「僕が人間と話をつけます。」
 「できるのかえ? 人間どもに入れあげておるお前に。赤い血をもつお前に」
 「僕は皆さんと同じ妖精族<フィモータル>。サウィルの森の領界主<ファリア=エンダ>。…この資格では不十分でしょうか?」
水面に波が広がってゆく。リュカの隣で黙って立っていたフィルダーナが口を開いた。
 「リュカは、自分の領界<ファリア>だけじゃなく、ほかの領界のためにずっと戦ってきた…妖精族<フィモータル>ぜんぶのために。わたしは、リュカを信じる」
 「私もだ」
後ろから、遅れて姿を現したフィリメイアが言い、仲間たちの視線を受けてあわてて身を縮める。
 「…あー、ま、私のような弱小な領界<ファリア>しか持てない…者の発言では、あまり価値はないが…」
 「ありがとう、フィリメイア。それに、フィルダーナも」
二人に向かって微笑みかけ、それから、リュカは目の前にいる大領界主たちに向かって言った。「もしご心配なら、誓約<セイン>で縛って貰ってもかまわない」
 「面白いことを言う。我々に、何を誓う?」
 「この先も、妖精族<フィモータル>のために戦うことを。助けを求める妖精族<フィモータル>がいる限り、それに応えることを」
 「よかろう」
大柄な女性が近づいて、リュカに手を差し伸べた。「誓約に従い、わらわの加護を与えてやろう。我が手を取るがいい、サウィルの森の主」
 リュカがその手を取る。
 「やれやれ…そこまで言われては、仕方あるまい」
老女が手を差し出し、もう一人の眠たげな灰色の瞳の女性は、近づいて自らリュカの手をぎゅっと握り締める。
 「面白いことになりそうね。私たち皆、一人の仲間に力を託すんだわ。こんなの初めてよ」
 「まるで人間のようだこと」
大柄な女性がくすくすと笑う。「妖精族<フィモータル>がこれほど一つの目的のために集まったことはない。我らの歴史の始まって以来じゃな。血縁者でもない者と協力しあうことも――ましてや、戦うなどということも」
リュカのあごに細い指をかけながら、艶やかに微笑んだ。
 「我らの力は、お前とともにある。赤い血の領界主<ファリア=エンダ>よ。いや…全ての領界主を纏めるもの<ファラス=エン=ローダ>よ。見事、誓約<セイン>を果たすがよいぞ」
ふわりと姿が解けて、蝶へと変わる。後ろにいた女性たちの姿も、後に続くように次々と光の粒に変わり、空へと舞い上がっていく。リュカはそれを、見えなくなるまでずっと見上げていた。
 「…あーっと、リュカ殿」
振り返ると、フィリメイアがもじもじしていた。「わ、私も力を預けたほうが…?」
 「え?」
きょとん、となってから、思わず噴出す。
 「必要ないですよ。これから一緒に戦場に出てもらうんですから。十分すぎます」
 「そ、そうですか?」
 「……。」
フィルダーナだけは笑っていなかった。フィリメイアと話しているリュカの声を聞きながら、視線は、蝶たちの舞い去っていた方角へと向けられていた。
 "全ての領界主を纏めるもの<ファラス=エン=ローダ>"という称号が、過去に一度も存在しなかったことを彼女は知っていた。それを告げたのは、妖精族の生まれ故郷とも言われるレイノリア山脈に古い古い領界を持つ、大領界主だったことも。リュカと話していたのはいずれも、太古の昔から存在する強力な力を持つ妖精族の古老たちだった。
 少女の金と青の瞳が、傍らの少年に向けられる。
 (わたしたちは…今日この日から違うものになる…)
日が完全に沈み、星空が回り、夜が更けてゆく。三つの種族の運命を決める最後の戦いへの道が、開かれようとしていた。


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