■29


 かつて、湖のほとりの町を中心に四方に延びていた街道。
 戦乱の時代には覇権を争う国々がこぞって支配下に置きたがったその道は、今は人間と、竜人族との間で争われていた。エルム湖の竜人族の拠点を奪還してから、およそ十日。逃がした竜人が運んだ報せを受けてソルナレイクの本隊から送り出された敵が到着するとすればそろそろのはず。そう踏んで立てていた見張りが敵を発見したと報告してきたのが今朝のこと。それから急いで軍を整えて、待ち伏せのためにここにやってきたのだ。
 「リュカ、敵は?」
眩しい昼の光に白く霞む地平線を見やりながらユッドがたずねる。
 「感知できる範囲には、まだいません…もう少し、だと思います」
重たい金属製の盾と巻き上げ式の弓を手に、物陰に身を潜めた兵士たちが両側を崖に囲まれた隘路に潜み、様子を伺っている。
 「来た」
熱気にかすかに揺らぐ地平線に黒々とした群れが近づいて来るのを見つけて、ユッドは、崖の向かい側に向かって手を振った。向かいからも手を振って返事がある。この街道はエルム湖に通じる近道だ。竜人族は反撃のために必ず、ここを通る。――次の戦闘を有利に運ぶため、地形に詳しいベースの提案もあって、待ち伏せ作戦になったのだ。そして、その作戦は当たっていた。
 「気配は百ほどです」
リュカが言う。「それなりの数ですね」
 「ま、減らせるだけ減らすさ」
目立たないよう崖に伏せながら、ユッドは脇の弓に手をやった。使い方はいちおう、軍学校で習ったことがあったが、狙いを定めて撃つ訓練はほとんどしていない。技術があまりいらないのは助かるが、一発撃つと手足を使って思い切り弦を巻き上げなければならないのが面倒だ。
 「そろそろ射程に入ります」
リュカが囁く。
 「よし。――全員。構え!」
崖の両側から、弓が突き出される。「撃て!」
 狭い道をのろのろと歩いていた竜人族の隊が、大きく乱れた。盾や武装を持たない竜人族にとって頭上からの攻撃は防ぎようがなく、いくら固いウロコで身を守っていても無傷ではすまない。
 「ギャギャ!」
反撃のつもりなのか、弓を構えてめちゃくちゃに崖めがけて打ち込んでくる竜人もいるが、さすがに崖の上までは届かない。次々と打ち込まれる矢の前に、次々と倒れていく。
 「グエエ」
退却の合図を叫ぶ声がこだまする。列の先頭あたりは壊滅状態だが、無事な後続のほうはいちもくさんに隘路の出口を目指している。
 「後ろの方に逃げられるぞ! 後ろの方の奴を撃て!」
向かいの崖からベースのどら声が聞こえる。手早く巻き上げを追えた兵士たちが走り出す中を、ユッドはまだ、盾を背に次弾を撃つために弦を巻き上げようとしていた。焦るだけ時間が過ぎてしまう。馴れない武器は、こんなとき面倒だ。
 ユッドの隣をリュカが駆け抜け、ひょい、ひょいと身軽に崖を駆け下りていく。瀕死のままもがいている敵にトドメを刺すつもりなのだ。それを合図に、隘路の出口に潜んでいた騎馬部隊も走り出す。
 「逃がすな、殲滅しろ!」
先頭で堂々と叫んでいるのは、サニエル。土ぼこりが谷間を駆け抜けていく。こうなってはもう、弓の出番はない。ユッドは、はあ、とひとつ息をついて、巻き上げが間に合わなかった弓を肩にかけた。それから、遠回りしてゆっくりと崖を降りていく。
 谷底には、数十体の竜人族の体が転がっていた。辺りの地面が真っ赤に染まっている。少しは慣れてきたものの、不快な匂いには変わりない。口元に袖を当てながら、ユッドは、敵の置いていった荷車のようなものに目をやった。
 「なんだ、これ」
 「武器と食料みたいですよ」
武器を収めながら、リュカが近づいて来る。「どこか新しい基地を作るつもりだったんじゃないでしょぅか」
 「ああ…成程。油断も隙も無いな」
荷車の上には竜人族特有の弓矢、それに、どこかから奪ったものらしい斧や剣が積み込まれている。ほとんどが鈍器だ。その一つを取り上げて重みを確かめながら、ユッドは呟いた。
 「あいつらが不器用でよかったよ。巻き上げ式の弓には向いてない」
 「人間族にも向いてない人はいるみたいですけど」
 「…どういう意味だよ…」
 「いえ、なんとなくです」
小さく笑ってから、リュカはすぐに真面目な表情に戻る。ベースが崖を降りてくるのが見えたからだ。
 「うまくいったなあ。これで、少しは余裕ができるだろう。次の攻撃までにこの先の井戸のある村を押さえちまえば楽勝だ」
 「陣取り合戦は、陣を取るより維持するのが難しいんだよ」
そう言って、ユッドは崖の上を見やった。「…ここには見張りを置いといたほうがいいな。同じことを敵にやられたら、こっちが全滅だ。問題は、人数が足りるかどうかだけど…。」
 遠くに、竜人族を追撃していったサニエルたちが戻ってこようとしているのが見えた。追撃の結果は、聞かなくても表情を見れば判る。
 「んじゃ、戻るか。」
隠していた馬のほうに向かって歩き出しながら言った。
 この隘路が、今の防衛線だ。ここから先の砂漠地帯へは――まだ、進めない。


 戻ってみると、野営地にたった今着いたばかりらしい馬車がたくさん止まっていた。見覚えのある兵士たちが荷物を積みおろしたり、馬から馬具を外したりしている。それを指揮していたカリムが振り返って、ユッドたちを見つけて目尻にしわをよせた。
 「おう、戻ったか。司令殿も着いとるぞ」
 「予定通りの到着だな。無事で良かった」
リオネス砦に残してきた戦力と物資を運んできてくれたのだ。フレイザーが辺りの見回りをしている。
 「あれ…」
リュカが声を上げた。「フィリメイア? どうしてここに」
 馬車の屋根に腰掛けていた真っ白な美女が、不本意そうな笑みを浮かべる。
 「突然現われて、お前さんたちに会いたいから一緒に連れてってくれ、と言いおったんだよ」
カリムが代わりに答える。「ま、お陰で道中、敵の急襲を心配せんでもよくて助かったが」
 「…?」
何か話したそうなフィリメイアに促されて、リュカとユッドは少し離れた木陰まで移動した。
 「どういう風の吹き回しなんだ? あんなに人間と協力し合うのは嫌だとか言っていたのに」
 「…ここに来たかったんだ。それなら、あの人間たちに同行するのが早いだろう」ぼそぼそと、きまり悪そうにフィリメイアは言った。「自分で歩くより楽だ」
 「まあ…皆を護衛してくれたようなもんだし、有り難いけどさ」
 「それだけじゃないんでしょう」
リュカが言うと、フィリメイアは小さく頷いた。
 「この先は…私の故郷だ」
言いながら、両手で自分の肩を抱く。「竜人族<ドラグニス>に奪われた、私の故郷がある。あいつらがいなくなれば、取り戻せる。そう思ったらいてもたってもいられなくて…。」
 「手伝ってくれるのか?」
 「…人間族<ヒューリット>が信用ならないのは事実だが…今回は致し方ない…。」
歯切れ悪くぼそぼそと言って、女は、ふいと顔をユッドのほうから背けた。「この先の砂漠の水路のことは、よく知っている。あ、案内くらいはしてやらんでもないぞ」
 「そいつは心強いな。助かるよ、フィリメイア」
 「いいか、今回だけなんだからな。私の領界<ファリア>を取り戻すまでだ! 人間族<ヒューリット>は天敵に変わりない。ただ、今は竜人族<ドラグニス>のほうが脅威だというだけで!」
 「はいはい。そういうことにしておく」
 「くーっ」
リュカは横で苦笑している。言い返せなくて、フィリメイアは宙に浮かんだまま小刻みに震えている。
 「そうと決まったら、さっそくフィリメイアにも手伝ってもらいましょう。どうしますか? ユッド」
 「これからソルナレイクへ攻め込むための準備が始まる。具体的には、どこからどうやって進軍するかって話と、どうやって攻め込むかだ。正直いまは、女王ギメルの軍隊がどのくらいの規模なのかもわかってない」
予定では、エルム湖で後方支援の準備が整い次第、斥候隊を送り出してソルナレイクの戦力規模を探るつもりだった。むかし街道が生きていたころに使われていた古い地図は、ベースから入手していた。それによると、街道沿いに行軍しても丸四日、あるいは五日はかかる距離のはずだ。どこか水や飼い葉を補給できる場所も必要になる。
 「ここからソルナレイクまでの間は、ほかに生き残っている妖精族が居ない。領界も全滅で、様子が分からないんです」
と、リュカ。「フィリメイア、この地方の出身のあなたがいてくれると助かります。斥候に出る人たちを手助けしてあげてほしい」
 「……判った」
言うなり、彼女は長い髪を大きく翻した。「湖で、旅の汚れを落としてくる。」大きく弾むように遠ざかってゆく後姿を見送りながら、ユッドとリュカは、どちらからともなく噴出していた。
 湖に向かっていくフィリメイアを見ても、誰も驚いたり、怯えたりしない。むしろ親しげに声をかける者もいる。
 竜人族との戦いの中で、異種族である妖精族が近くにいることは、いつしか当たり前になっていた。


 関係者が全員揃ったことで、進軍のための作戦会議が始まった。テント張りの司令室の真ん中には折りたたみ式のテーブルが置かれ、その上に地図が広げられている。
 最初に発言したのはベース。
 「ここからソレナレイクまで、街道沿いの井戸は全部で五箇所だ。ここと、ここと…今も使えるかは判らんが」
 「まず、それを確認したほうがいい」
地図の上につけられていく印を眺めながら、フレイザーが手を顎にやる。「連中のことだ、我々が進軍することを知ったら毒を投げ込んでくるかもしれん」
 「…井戸が使えなくても、新しく掘ればいい」
隅の方から、フィリメイアがぶっきらぼうに言う。「地下水の位置なら教えてやれる」
 「そいつは頼もしいな」
フレイザーが微笑みかけると、彼女は、ふん、とそっぽを向く。だが、まんざらでもなさそうな顔だ。
 「問題は敵の数、だなぁ」
と、カリム。「こっちの戦力は…今日見たところ、ルナリアとグロッサリアの軍あわせてザッと千、って所だな。」
 「あと、妖精族が少々」
リュカが付け足す。
 「敵の数が同数なら、まず勝ち目が無いぞ」
 「そこまでは居ないはずだ。」ベースが大げさに腕を広げた。「戦闘員四百ってことは、全体の人口規模では千五百くらいになるだろう。それだけの食料は、あそこでは得られんぞ。ソルナレイクの周囲は砂漠だ。交易都市で、都市自体に食料生産能力はないぞ」
 「だから繁殖のためにここや、グロッサリアの西方に巣を作っていたのかも。確証は無いけど」
ユッドは、じっと地図の上を見つめる。
 「この拠点を奪還する時と、その後の戦闘でもあわせて数百倒してます。うまくすれば敵の戦力は半減してるはずだ。」
 「となると、あとは実際に探りを入れてみるしかない、か」
彼はうなづいた。このあと、明日の朝には、斥候として小数の先行部隊を送り出すことになっていた。その二日後、後続としてフレイザー率いる本隊がここを出発する。残していく戦力は、ない。
 「先行部隊はクレストフォーレス君が率いるこの地方に詳しいブラウド氏と、妖精族のフィリメイア嬢が協力してくれる。そうだな?」
責任者であるフレイザーが訊ねると、その場にいた全員が頷く。この作戦会議の前に話し合って決めておいたことだ。万が一、待ち伏せにあったとしても生還できる組み合わせ。ユッドとリュカ、それにベースとフィリメイア。
 「危険な任務だが、頼んだぞ」
フレイザーがそう纏めて、作戦会議は終わった。実際に始まってみなければ分からないことだらけで、今は話し合うこともほとんどない。すべての作戦は、先行のユッドたちの肩にかかっていた。
 「わざわざユッドが出るんですか? 兵士長なのに」
テントを出ながら、リュはちらと隣のユッドを見やった。
 「作戦をたてるのはオレなんだ、自分の目で見るのが一番確実だろ。それに、ラーメドさんなら同じことをしたはずだ」
 「そういうところは、真似しなくていいのに…。」
呆れたように言って、リュカは向きを変えた。
 「じゃあ、僕はこれで」
 「ん」
リュカの行く手に、会議の終わるのを待っていたらしい少女がぽつんと立っている。フィルダーナがリュカの腕に手をかけるのが見えた。二人は、暮れかけた空の下を湖の方へ向かって歩き出す。
 視線を戻して、自分も歩き出そうとしたユッドは、自分にも、待っていた人がいたことに気が付いた。
 「エリン、…」
 「なあに、その顔。フィルダーナに付き合って、なんとなくよ。別に、用事はないわ。」
そんなことを言いながら、エリンは、去っていこうとはしない。沈黙のまま、じっとユッドを見つめている。それを見つめ返しているうちに、自然と、言葉が出てきた。
 「…明日、出発する」
 「知ってる、聞いたから」
 「多分、これで最後の戦いだ」
 「うん」
 「…ありがとう」
 「何でお礼言うの?」
 「一緒に来てくれたから。…ここに居るんだから、一緒に戦ってる仲間だ。この先も、最後まで」
 「そうね。同士クレストフォーレス殿?」
 「オレは…」
丘を越えて上ってきた月の光が湖面を輝かせ、柔らかな銀の光が足元を明るく照らし出す。
 「この戦いが終わっても、エリンと一緒に戦っていきたいと思ってる」
 「え?」
 「人生の戦いって、敵は竜人族だけじゃないだろ?」
驚いたエリンの表情に、やがて、優しい笑みが零れる。
 「…面白そうね。この戦いが終わったら、詳しく話を聞かせてくれる?」
 「ああ。」
ユッドも、同じように微笑み返していた。
 生きて帰れる保証などどこにもない。この戦いに勝てるかどうかはまだ誰にも分からない。
 すべての約束が守られるとは限らない。
 それでも――。


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