■27


 各地の妖精族から上がってくる情報の精度が凄まじく高いことは、それから数週間のうちに証明された。
 進路、個体数、進攻速度。細かな武装に至るまでが、どんな伝令よりも早くリュカのもとに届けられる。白い蝶が風の中を舞うたび、竜人族討伐のための部隊が編成され、送り出されていった。そして、ほぼ必ず勝利をたずさえて戻って来た。
 「連絡が入りました。少し遠いんですが…ええっと」
司令室で地図を眺めながら、リュカは考え込んでいる。「ここ…この辺りですね。何て読むんですか」
 「イセリアだな」
後ろから覗き込んだユッドが地名を読み上げる。「またヘンピなところだな。国境地帯のグロッサリア側だ。数は?」
 「幼体を含む二十体ほど。戦闘可能なのはうち三体。弓兵はいません。このあたりの沼地で夜営中だそうです。」
 「なら楽勝だな。グロッサリアに対処してもらおう。誰か早馬を出せるかな?」
 「私が行く」
サニエルが上着のえりを正しながら言った。ちら、とユッドのほうに視線を投げかける。だがその視線には、以前のような刺々しさはない。
 「どうやら、伝言を抱えて走り回っているのが私には向いているようだからな。血まみれになるのは貴様に任せる」
 「あんたの交渉手腕は疑っちゃいないよ」
 「…ふん」
青年は足早に、テントを張っただけの仮ごしらえの司令室を去って行く。サニエルに任せておけば確実にグロッサリア軍に情報が伝わる、とユッドは思った。彼ならば、要求された期日内で任務をこなせる。以前ぶつかりあっていた頃のような反発心は、今はもうない。彼もまた、信用の出来る頼もしい仲間の一人だ。
 この冬が勝負だ、とユッドは考えていた。
 妖精族との協力関係が築かれてから、集落への竜人族の奇襲は全て阻止できている。攻撃を受ける前に的確に相手を待ち伏せできる。ただそれだけで、数に勝る人間側は圧倒的に有利になり、戦況が劇的に変わった。レスカトーレの西ほどの規模ではないものの、攻撃拠点となる"巣"も幾つか破壊したし、何年も竜人族に奪われたままになっていた幾つかの集落も奪還できた。
 ただ、卵から孵り、数年で成人する竜人族は、人間よりもはるかに増殖の速度が早い。一つでも巣を見逃せば数年後には再び進攻が開始され、戦線が押し戻される。そして、肝心のソルナレイクへ通じる道の調査が難航していた。早い時期に竜人族に占領されたその辺りでは、妖精族の住処もまた、ほとんどが奪われてしまっていたからだ。
 (冬の間なら、こちら有利に動ける)
誰に言うでもなく、ユッドは、そう思っていた。冬が来れば、寒さに弱い竜人族にとっては不利となる。それに、ルナリアやグロッサリアでは雪が降る。その頃に寒さを凌げる拠点を持たない竜人族は、たとえ見逃していたとしても確実に死に絶える。だからこそ急ぎたい。命を惜しんでいる暇などない。ロンフェから送られてくる増援と合流すれば、彼はすぐにでも、エルム湖まで戦線を押し上げるつもりでいた。エルム湖からソルナレイクまでは、街道にして一直線だ。
 振り返ると、リュカは、まだ地図を見つめていた。
 「どうした? まだ地図の読み方に慣れてないのか」
 「いえ、そうじゃないんです。妖精族は人間のように細かく地名はつけませんから、一致させるのが難しいんです。ここに川があって…ここが森で…。」
肩先に止まっていた蝶が、ふわりと飛び立ち、入れ替わるように、別の蝶が降りてきた。とがった羽の先が黒い。
 「……。」
言葉を交わすようにじっと蝶に意識を集中したあと、彼は、再び地図を見上げた。
 「…やっぱりそうだ。川が増えている、と言ってます。この湖の辺りに、こんな感じで」
地図の上の、何もない場所に指で線を引く。確かに、地図上ではそこはただの平原のはずだ。川の支流も通っていない。
 「最近出来た川、ってことか? 地形が変わったのかな。けど、だとするとまずいなあ。」ユッドは腕を組んだ。「…モロに進軍方向だ。迂回しないといけないけど、遠回りになるし、丘沿いは狭いな。二軍に分けるのもアリだが」
 「それから、こういう形のものがあるそうです」
机の上の紙を取り上げて、彼は三角の、トゲのようなものを描いてみせる。
 「川沿いにそって二列でずっと並んでいるそうです。これ、何でしょう?」
覗き込んだ、ユッドの表情が強張った。
 「…これ、は」
軍学校の退屈な授業で習った、拠点防衛のいろはの中にそれは出てきた。「…進軍阻止のための障害物だ。これがあると、馬を走らせられない。ってことは、その、川って言ってるのは堀か?」なぜ竜人族が、とは、今となっては問う必要さえない。敵は人間と同じ戦法を、戦略を使ってくる。そのつもりでかからなければならない。ユッドは、地図を睨みつけた。
 「弓の射程距離から防衛線を敷いてるのか。人間に攻め込まれることを見越して? 攻城戦…だとすると、正面から攻め込むのはマズい…。」
敵が待ち構えている場所から攻め入るのは、不利。ましてや相手は、致死の毒矢を使う。、リオネス砦の入り口に折り重なるようにして死んでいた兵士たちの姿が浮かんだ。馬が足止めを食らっている時に待ち伏せでも受けたら、同じことになる。
 「…何とかして、裏を突かないと。リュカ、この湖のほとりにある拠点の規模は判るか?」
 「はっきりとしたことは分かりません。戦闘可能な竜人が数百程度。近くの山の山頂付近に妖精族の領界があります。この湖に流れ込む川の一本が、湖に繋がっています」
リュカの肩先で、蝶がゆっくりと羽根を広げたり閉じたりしている。
 「…湖のほとりのどこでもいい。湖を渡って拠点の背後を突く方法は、使えそうか?」
 「どうでしょう…。竜人族が湖の周囲にいるかどうかは、調べられると思いますが」
リュカがいい、蝶に向かって何か妖精族の言葉で囁くと、蝶は羽ばたきながら舞い上がった。入れ替わるように、フレイザーがベースを伴って司令室に入って来る。
 「あれ、ベースさん」
 「よう。これから西に進軍するってんで追加の物資を届けにきたぞ」
男は白い歯を見せて豪快に笑うと、大きな手でユッドの肩をばしばしと叩いた。「出世したそうじゃないか、えっ?」相変わらずの威勢のいい笑顔に、釣られてユッドも笑みを返す。
 「不本意な出世ですけどね。支援助かります」
 「なあに、前にも言ったとおりお前たちには勝ってもらわにゃならんのだ。頼んだぞ」
そう言ってひとしきり笑ってから、男は、ふいに真顔になった。「エルム湖に向かうそうだな」
 「ええ。」
 「なら、案内できるぞ。あの辺りの地形なら知り尽くしとる。商売でよく通っていたからな」
思いがけない提案に、ユッドは眼しばたかせた。
 「えっ…と、いや、でも…」
 「あそこが竜人族にやられたとき、商売仲間が沢山犠牲になった。わしの弟もな」
日焼けした男の顔に、凄みのある笑みが浮かぶ。「くだらん感情だと思うか? なあに、邪魔はせん。道案内だ。」
 「ベースさん――」
 「道中の案内役は、必要だと私も思う」フレイザーが口を開いた。「エルム湖までなら我々だけでも何とかなるが、その先、ソルナレイクまでは平時でさえ遠い。彼は井戸の位置も数も、川や湖といった地形も知り尽くしている。商隊を盗賊から守る経験からの、奇襲を受けやすい場所も」
 「妖精族の情報網は、あくまで"敵"――竜人族の接近を感知するものです。人間の視点では世界を見ていません」
と、リュカ。「僕も、地形に詳しい人の同行は賛成です」
 「わかった。それじゃあお願いします。ところでベースさん、エルム湖は舟で渡れる湖でしょうか」
 「んん? 何を言ってるんだ。あの町には、交易船の着く港があるぞ。かつては各地の川の支流から、大型船で物資が運び込まれていた」
 「大型船…」
ユッドの脳裏に、作戦が閃いた。「ベースさん! 商人ギルドはまだ、それ持ってますか? 貸してもらうことは」
 「は? まさか戦に使うのか? 戦艦じゃない、ただの貨物運び用だぞ」
 「いいんですよ、運ぶのは貨物なんだから。人間の兵士を、背後から敵の拠点に乗り込ませるんです!」
ぽかん、とした男の顔に、ややあって、ゆっくりと合点がいったという笑みが広がっていく。
 「――成程。そいつは、面白そうな作戦だ」
 「お願いできますか」
 「すぐに調べてみよう。あの湖に流れ込む川で、船を係留している場所は…。」
攻撃のための準備が、少しずつ前に進んで行く。その間に防衛線を越えて入り込む竜人族は、妖精族との協力で虱潰しに倒していく。
 ロンフェの町からの増援が届いたのは、それから間もなく、ちょうど、あらかたの作戦と物資の目処がついた頃のことだった。


 明るい月の光が、夜の草原を照らし出している。
 こんな夜には灯りは必要ない。仮ごしらえの兵舎になっているテントの中にともる灯りはほとんど見えず、歩哨たちも薪は燃やさずに立っている。ユッドは、何とはなしに外を見回っていた。夜の見張りは別に当番がいるのだが、これからのことを考えていると妙に頭が冴えて眠れなかったのだ。ルーヴァ川は今日も変わらず、銀のしぶきをあげながらとうとうと流れている。季節は秋に差し掛かろうとしている。水の量はかなり減り、夏よりも川は浅い。むき出しになった川底の石が月の光を受けて輝くのを眺めていると、目の前を蝶が一羽、横切った。
 見覚えのある色だな、と思った。
 蝶の飛んでゆくほうに眼をやると、リュカがこちらを見て困ったように微笑んでいた。掲げた手の上にとまって、蝶は、ゆっくりと羽根を閉じる。そして、溶けるように光の粒になって消えた。
 「フィルダーナからです。明日、ここに来るって。…止めたんですけどね」
 「元気になったのか」
 「ええ、もうとっくに。決めたら絶対譲らないんですよ、彼女は」
視線を、川の流れのほうにやる。「…このぶんだと、意地でも契約を解いてくれそうにないな」
 「契約?」
 「怪我を負って動けなかった時、先に行かないで、と言われて、つい、約束してしまって――それを、僕の誓約<セイン>にされてしまった」
唖然として、ユッドはまじまじと少年を見つめた。
 「…結婚詐欺?」
 「え?」
 「あ、いや。つい…その。」頬をかく。「そりゃあ、そんなこと言われたら、もちろん、って約束しちまうな。けど、…そうか。妖精族の契約って、"誓いを守る限り加護を与える"だっけ?」
 「そうなんです。僕が生きている限り、フィルダーナの魔力に守られることになってしまう。僕が水に還るときが来ても、彼女が先に力尽きることになる。こんな使い方は反則ですよ。一方的すぎる」
 「絶対に先に死なせない契約、か。うまいことやったな」
 「笑わないでくださいよ。こんなの、冗談じゃない」
 「そう、冗談じゃないんだろうな。フィルダーナは真剣に考えて自分で決めたんだ。お前をどうしても死なせたくなかったからだ。それに、いい枷になると思うよ。フィルダーナも道連れにするんだと思ったら、少しは命が惜しくなるだろ?」
 「…それは」
 「人間はすぐに約束を破る。必ず帰ってくる、って誓っても、戦いに出た奴のいくらかは二度と戻らない。だからさ、一つくらい、絶対に破られない約束があってもいい…と、オレは思う」
 「……。」
リュカは、足元の川の流れに視線を落とし、ぽつりと言った。
 「…そうですね。ラーメドは、約束を守ってくれませんでしたし」
 「約束?」
 「"いつか、戦いが終わったらもう一度、森に来る。"――セフィーラはその約束の日をずっと待ってた。僕も、その日がくればいつか一度は会えるんだと思っていました。…セフィーラが、あんな風に居なくなってしまうまでは…。」
月の光が川の流れを輝かせている。背後にあるはずの人の気配も物音も、泡立つ流れに掻き消されてここまでは届かない。
 「最初は、許せなかった。セフィーラを死なせておいて、一人で生き延びたことが。でも…見ていれば判った。ずっと一人で逃げずに戦ってきたことも、それが自分のためじゃないことも。あの人は、セフィーラが話してくれたままの人だった。もっと話をすれば良かった…なのに何も…話せなくて…ラーメドは、最後に笑って…」
砦が陥落したあの日、広場で何があったのかを、ユッドは、訊ねなかった。泣き崩れていたリュカの背中。折れた剣と血の跡。聞かなくても大体判る。ラーメドが、最後に何を考えていたのかも。
 「オレも、昔は兄貴のことが嫌いだったなぁ」
ユッドは、腰に手をやって月を見上げた。
 「昔はよくケンカしてたんだよ。何だか分からないけど腹立たしかった。いつだって圧倒的に正しくて、絶対に勝てなくて。それがまたムカつくのなんのって。当時はほんと、何でこいつと兄弟なんだろう、ってずっと思ってた。さっさと縁が切れればいいのにって」
 「…兄弟なのに?」
 「そ。――けど、離れて別々の道を歩くようになってようやく気が付いた。オレは別に、兄貴のこと嫌いじゃなかったんだなって。本当は兄貴と同じところに立ちたかったのに、それが出来ない自分のふがいなさに我慢ならなかったんだ。血の繋がりってさ、そんなもんなんだと思う。近くにいるから、近すぎるから、どうしてもぶつかりあっちまうんだよ。どこか自分に似てるから、余計にさ」
 「血…。」
リュカは、自分の手に視線を落とし、その手をゆっくりと開いた。
 涙がひとしずく零れ落ち、その手を握り締めて、彼は、拳をゆっくりと額に当てた。
 「そうでしたね…。」
 「……。」
自分も不安だったのだ、とユッドは思った。
 本当に生きて帰れる保証などどこにもない。この戦いに勝てるかどうかはまだ誰にも分からない。約束がしたくても、絶対、と口にすることが出来ない。もしも作戦に失敗したら、自分の命だけでなく、多くの仲間たちも死なせることになる。
 (それでも、…明日のことを約束したい)
誰かに誓いたかった。必ず帰ってくる、と自分に言い聞かせることで、挫けそうになる気持ちを奮い立たせたかった。
 月の光が静かに川辺の流れを照らし出して、冷たい流れが、吐き出されたすべての感情を夜の中に洗い流していった。


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