■25


 眼を覚ましたのは、誰かの言い争うような声が聞こえたからだった。
 「一体何があった? どういうことなんだ!」
 「見ての通りだ、怒鳴るな。皆、命からがら逃げ出して疲れておる」
サニエルと、カリムの声だ。テントとも呼べない、木の間に布を張って仕切っただけのような向こう側に、二人の影が映っている。屋根に当たる部分は天然の木立が受け持っていて、梢の間から太陽の光が降り注いでいる。体の上にかけられていた自分の上着を取り上げて、ユッドは、硬い地面から起き上がった。上着はあちこち切り裂かれたまま、血の滲んだ跡がしっかりと残っている。
 記憶が蘇ってくる。
 竜人との戦い。炎上する砦からの脱出。
 記憶の中に刻まれた戦いの感触と熱と神経の昂ぶりは、まだ、消えていない。あれは間違いなく現実だった。
 サニエルは、たったいま遠征から戻って来たばかりといった様子で、旅装束のままだ。ユッドが近づいていくと、気づいたサニエルが食って掛かってきた。
 「説明しろ、何故レグナス砦が陥落した? お前たちがここに居ながら! グロッサリアで竜人族の拠点を落としたはずなのに、何故!」
 「数が多すぎたんだよ」
 「なんだと?!」
 「接近に気づくのが遅れたのは事実だ。けど気づいてたところでどうにもならなかったと思う。過去最大規模の軍。生き残れただけ奇蹟だな」
 「ふざけるな。では、最初から作戦が間違えていたということではないか!」
 「なら、レグナス砦に戦力を集中させてれば良かったとでもいうのか?! 全軍揃ってたって勝てたかどうか! 実際に戦ってもない奴に文句言う権利があるのかよ!」
 「…くっ」
サニエルが口ごもり、俯いた。「…私だって、戦いたかったさ。好きで任務に出ていたわけじゃない」
 「もうよせ。それくらいでいいだろう」
カリムが割って入る。「これは、誰にもどうしようもなかったことだ。拠点を落として追い込んだからこそ反撃を食らった、というのもある。あちらの拠点を見逃していれば、いずれグロッサリアが陥落させられていた。今回は敵のほうが上手だった。それだけだ」
ふい、と顔を背け、サニエルが去っていく。ユッドは憤懣やるかたないという顔でその後姿を睨みつけていた。
 「…ユッド」
カリムがその腕を掴んで、視線を引き戻させる。「ラーメドが見つからん」
 「は?」
 「声を上げるな。皆を動揺させたくないんだ。…ラーメドも、リュカも戻ってきていない。最後に見たのは広場だ。ラーメドもそこに向っていた」
言葉の意味を理解するまで、しばらく時間がかかった。彼は視線を上げ、木々の向こうでまだ燻り続けるリオネス砦を見上げた。てっきり先に脱出したのかと思っていた。
 「どうせ、その辺りに――」
けれど、カリムの強張った表情は、既に探しつくしたのだと無言に告げている。
 背筋が冷たくなった。
 「…探しに行ってくる」
カリムの腕を振り払いながら、上着に袖を通す。砦との間に川がないということは、ここは砦の東側の、町や村がすぐ近くにある平原の中だ。まばらに生えている木々を中心として、砦から逃げ延びてきたらしい兵士や非戦闘員たちが集まっている。その中に、厩から逃げた馬を集めている厩番たちの姿があった。
 「一頭貸してくれ」
ユッドが言うと、厩番は何も言わずに傷を負っていない、比較的元気そうな馬の手綱を手渡した。
 「待て、どこへ行く気だ」
目ざとく見つけたサニエルが駆け寄ってくる。
 「関係ないだろ」
 「一人で手柄でも立てにいくのか?」
 「違う。ついてくんなよ」
だが、サニエルはついてくるつもりのようだ。追い返すのも面倒になって、ユッドはそのまま馬を走らせた。竜人族の気配はない。昨夜の襲撃のあと、どこかへ引き上げてしまったのだろうか。他に動くものの気配はなく、平原の遠くの方に、逃げたまままだ回収されていないらしい馬が彷徨っているくらいだ。後ろをサニエルの馬が追って来る。
 (どこまでついてくる気だ、ったく)
砦のほうから流れてくる、燻ったような嫌なにおいが届き始めた。砦の入り口には、人間と竜人の死体が、折り重なるようにして散らばっている。竜人族は弓矢を手にしていた。逃げ出そうとする人間を待ち伏せするために配置されたのだろう。そして倒れている人間たち、…服装からして多くが熟練の古参兵たち――は、自らの危険も顧みず、突破口を開こうとして立ち向かい、毒矢にやられて力尽きていったのだ。
 辺りには何とも言えない血なまぐさい匂いが漂っている。
 砦の入り口に差し掛かったとき、ユッドは、はっとして馬を止めた。
 そこには、乱暴に地面に突き立てられた杭に突き刺された人間の首が幾つも並べられていた。胴体から乱暴に引きちぎられたような首はどれも血まみれれで、苦悶の表情に大きく眼を見開いている。そのうちの一つは、すぐに誰なのか分かった。
 ウェイン・ラトー。
 確かに今日、一度も見かけていなかった。
 (先輩…)
目が合った瞬間に感じたのは、恐怖でも、嫌悪感でもない。ユッドは哀悼を示すために胸元にそっとこぶしを当てると、数秒だけ黙祷した。今は、それで精一杯。
 「うっ、げえええっ」
後ろをついてきていたサニエルが、盛大に胃の中身を地面にぶちまける。
 「はあっ、はあっ…」
 「おい」
ユッドは、サニエルに向って言った。「手伝え」淡々とした声。
 「手伝う?」
 「このまま仲間を、さらし者にしとくつもりなのか?」
言いながら、彼は杭の一本を押し倒しにかかった
 力を込めると、身体には痛みが走る。けれどもその痛みは、胸の奥から込み上げてくる怒りによって打ち消された。その怒りは、普段は大口を叩きながらいざというとき何も出来ないサニエルに対してではない。こんな酷いことをした竜人族に対してですらなく――この襲撃を読みきれなかった、被害を防げなかった自分自身に対して。
 (ごめん、先輩)
杭から外した首の見開いたままの瞼を指で閉じさせ、着ていた上着で丁寧にくるみながら、体は震えていた。
 けれど、涙は出てこない。
 言いようが無いほど悲しいはずなのに、今は、心に涙を流せるほどの余裕が無い。
 馬をそこに残して、彼はさらに、焼け落ちた砦の中へ歩を進めた。目指す場所は、広場だ。カリムが最後にラーメドを見たときは、そこへ向おうとしていたはずだ。通目印になる建物は全て一晩で焼け落ちて、道も塞がれてしまっている。逃げ遅れたまま火に飲まれた人間の形をした煤や、地面に放り出されたままの武器。人間と見まごう竜人の死体。そして――
 四方から崩れ落ちた燃えかすの散らばる中で、ユッドは足を止めた。そこは、広場の中心だった場所のはずだった。足元には折れた剣と、大きな血溜まりの跡と、――そして、何かを引きずったような跡が残されている。
 「……。」
しばし呆然と、足元に転がっている砕かれた剣を見つめていた。身体が崩れ落ちていきそうな気がした。見間違うはずも無い。特徴的な輝きを宿す黒い刃は、妖精族の領域でしか採れないという特殊な金属。ラーメドが使っていたものだ。砕けた刃はあたり一面に散らばって、鈍い輝きを放っている。剣の下に広がった大きな血の跡はもうすっかり乾ききっている。
 いつかこんな日が来るのではと、予感もあった。けれど目の前に突きつけられた現実は、受け止めるにはあまりにも重かった。

 確かなことが一つだけある。
 人間は、――竜人族との戦いで要だった"英雄"を、失ったのだ。


 砦は、ほぼ全焼と言っていいほどの被害を受けていた。
 襲撃を受けた時に駐留していた兵も、新兵を除けばほぼ全滅。それ以外の主力は襲撃を受けた時にはからの帰還途上だったため、人的被害はそれほど大きくはない。失った物資も何とかなる。商人ギルドからの物資は近々届くことになっていたし、ローウェの町からの増援も到着する。――だが、主力であり突撃部隊の指揮官でもあったラーメドを失ったことは大きい。正式には知らされていないものの、常に先陣にあった彼の姿が今回は見えなかったことは既に砦の兵たちにも知れ渡り、動揺が広がりつつあった。
 すぐに反撃に移れるだけの余裕はない。
 (建て直しが急務、か)
焦げ臭い風が吹きぬけて体の熱を冷ましていく。それとともに、思考は冷静さを取り戻していた。追い詰めたつもりで、追い詰められていたのは自分たちのほうなのか。失ったものの重さを比べるなら、今はまだ負け越している。けれど、全てを失ったわけではない。
 (もう、これ以上は奪わせない)
立ち止まるわけにはいかないのだ。ここで立ち止まれば、これまでの犠牲も、努力も、全てが無駄になる。
 砦周辺の警戒のために、哨戒部隊が送り出されていく。数少ない、すぐに動ける軽症の兵たちがそこに回されている。今再び襲撃を受けても、迎え撃てる戦力は無い。再度攻め込まれたら、ここは捨てて皆で逃げ出すしかないだろう。あれからほぼ一週間が経つ。不安に怯えながらの日々は、遅々として進まなかった。
 砦の中の見回りをしていたユッドは、救護室の前に木箱を広げていたエリンを見つけて、声をかけた。
 「何してるんだ? 食事係の集合場所は、反対側だろ」
 「今は医療班が足りないの。だから簡単な処置だけでも手伝いにね。お父さんの体…見つかった?」
言葉に詰まる。ユッドの表情を見て、エリンは力なく笑った。
 「…まだなんだ」
 「死んだって決まったわけじゃないんだぞ」
 「気休めはいいわよ。そんな顔しないで、あたしは馴れてるから。二度目だもの。」
スカートのほこりを払いながら、エリンは立ち上がった。
 「ね、ちょっと待ってて。渡したいものがある」
部屋の奥にひっこんでいったエリンは、やがて、布を被せた手かごを持って出てきた。こんがりと焼けたパンの香り。驚いてユッドは、彼女をまじまじと見つめた。
 「え…?」
 「少し時間が経っちゃったけど、いいわよね。リュカにも分けてあげて。」
 「そうじゃなくて」
パンかごの端に一緒に入れられていた、布をくるんだ金属音のする包みを取り上げる。「これ!」
 「それ、持ってると辛くなるから。それに…あたしなんかより、他の人が持ってたほうがいい気がするし」
 「……。」
 「じゃ、まだ仕事あるから。」
去って行く後姿。声もかけられない。
 リュカは――あれから砦に姿を見せていない。
 (会いに行ってみる…か)
死んだとは考えられなかった。もしそうなら、サウィルの森で留守を預かっているフィリメイアが血相変えて飛んでくるはずだ。そうでないのなら、きっと彼は、サウィルの森に戻っている。
 パンのかごを手に、彼は、外出の連絡をするために借りごしらえの司令室のほうに向って歩き始めた。


<前へ表紙へ次へ>