■24


 見張り台の上の兵士たちの叫び声は、もう聞こえない。非常を告げる鐘の音も、竜人たちの上げる雄たけびと、あちこちで散発的に起きている戦闘の音に紛れている。宙を飛んでくる火の玉のせいで、丘の周囲は火の手に包まれていた。油をつめた樽が投石器で打ち込まれている。川向こうからの攻撃だ。
 「撤退しろ! 無理に戦うな、広場に集まれ!」
川の方からは死角になって直接火の届かない広場へと逃げ惑う人々を誘導しながら、ラーメドは、通りの向こうに押し寄せてこようとしている敵の群れを睨みつけていた。逃げ遅れた人間を、ゆっくりと、いたぶるように踏みつけ、肉を引き裂き、道端に散らしていく。砦に残る戦力は僅かだ。それも実践経験のある兵たちはほとんどがグロッサリアへの遠征に参加して、戻ってきているのは約半数。それも強行軍からの疲れが残った状態で、万全とはいえない。それ以外で今、ここに残る戦力は、実戦経験がなく訓練も浅い新兵か、非戦闘員のみ。
 「追い詰めるつもりで、こっちが追い詰められた、ということか…。」
剣にかける手に力が篭る。釣り上げた唇に、なんとも言えない凄みのある笑みが浮かんだ。「どちらかが全滅するまで終わらない、ってことだな。上等だ、…ならやってやるさ」
 「ブォオオ…」
 「煩い!」
剣を抜くと同時に目の前に迫ってくる敵に飛び掛り、首筋に一撃を叩き込む。ぱっ、と空中に赤い血が散り、物言わぬ躯が倒れていく。建物の焼け落ちる焦げ臭い匂い。今まで何度も肌で感じた、死と炎が狂ったように踊る世界。砦の入り口で、折り重なるようにして兵士たちが倒れているのが見えた。体に、矢が突き立っている。ということは、砦の外にも竜人が隠れ潜んで、矢で狙っているということだ。圧倒的な戦力差があるうえに、砦からの脱出もままならない。
 通りの向こうから、何体もの竜人が押し寄せてくる。
 (俺は結局、この世界からは出られそうにないな…)
背後にも、隣にも誰もいない。たった一人、通りの真ん中で剣を構えなおしながら、ラーメドは、心の中で呟いた。
 (だとしても、一体でも多く道連れにしてやる)
人間の雄たけびが、竜人の雄たけびを打ち消すように空似響き渡る。
 リュカが聞いたのは、その声だった。逃げ惑う人々の間を逆走していた彼は、はっとして足を止める。
 「リュカ?」
フィルダーナが足を止め、振り返った。
 「…あの人が戦ってる」
燃えさかる火が迫って、視界は既に白く霞んでいる。いつも兵士たちが訓練している広場に追い詰められた人々が泣き叫び、新兵たちは武器を手にしたまま震えている。探していたユッドの姿は、その中にはない。
 「フィルダーナはここにいて。僕はラーメドにところに行ってみる」
 「だめ」少女はきっぱりと言って、リュカの服の裾をつかんだ。「一緒にいく」
 「庇ってる余裕がないんだ」
 「大丈夫。自分で守れるから」
普段から口数の少ない彼女だが、一度こうと決めて口にしたことは絶対に覆さないのだ。説得するのは簡単ではない。困ったリュカが、もう一度口を開きかけたその時――
すぐ近くで悲鳴が上がった。
 敵の気配を間近に感じて振り返った彼が見たものは、広場の入り口で返り血で赤く染まりながら躯に囲まれて立つ、数体の竜人の姿だった。たったいま槍で貫かれて事切れたばかりの若い兵士の体が、槍先から地面に投げ落とされようとしている。そちらは、砦の反対側。…ルーヴァ川のある方角だ。
 (川のほうも…敵が…)
悲鳴を上げて、人々が逃げ惑う。ほうっておくわけにはいかない。リュカは剣を抜くと、目の前の腰を抜かしている兵士に向かって武器を振り上げようとしている竜人のふところに素早く飛び込んだ。下から首筋に切りつけ、走り抜けざまに後ろの一体の腕を切り落とす。
 「ギャアアアッ」
悲鳴を上げて、竜人が体を仰け反らせた。反撃するように別の一体が斧を振り下ろしてくるも、身軽なリュカには当たらない。
 「ギギギ!」
耳障りな、ものの擦れあうような音を立てて、さらに敵が集まってくる。剣を手にしたまま、リュカは、じりじりと間合いを計っていた。いくら身軽といっても、一撃でも食らったり、捕らえられたりしたら、その時点で終わりだ。狭い場所で密集している竜人の中に飛び込むのは分が悪い。
 竜人たちの間から、立派なマントと首飾りを身につけた、やけに豪華な装いの何者かが姿を現した。一瞬あっけにとられてしまったが、数秒ののち、リュカはそれが"何"者だったのかに思い当たった。
 「…お前か」
レスカトーレの西の草原で出くわした、人間との中間のような姿をした竜人。後ろには、同じような部分的に人間らしさが入り混じったような奇妙な竜人族が続く。純血の竜人族に比べて小柄で、ウロコに薄いところがあるせいか人間に似た武装を身につけている。
 竜人は、にいっと笑みを浮かべた。
 「やはりここに居たか。人間どもが話していた、人間に協力している妖精族」
 「そういうお前たちは、人間の血の混じった竜人族?」
 「いかにも。我が名はザイン、偉大なる母ギメルの長子にして王国を継ぐ者だ」
雑音のような訛りはあるものの、澱みなく知性的な受け答えだ。顔さえ隠していれば、確かに人間と見間違う。それに――竜人族特有の気配が、薄い。リュカは唇を噛んだ。そのせいで、敵が近づいて来るのに気づくのが遅れたのだ。
 「お前たちの抵抗など無駄だ。蟻の群れに我らを倒すことは出来ん。大人しく命ごいをし、ここで死んでゆけ」
 「お断りです」
リュカの表情を見て、竜人は、嬉しそうに喉を鳴らした。
 「その顔。まるで人間のようではないか。妖精族でもそんな顔をすることがあるのか? それともまさか、お前も"雑じり者"なのか」
 「……。」
一歩進み出ると、彼は静かに呼吸と表情を整えた。背後にフィルダーナの気配を感じる。けれど他には、震えている新兵たちくらいしかいない。ユッドも、ラーメドも、それぞれの場所で戦っているのだ。たった二人――、けれど、だからといって退くわけにはいかない。
 地面を蹴ると、彼はすばやくザインに撃ちかかった。けれど、受け流されてしまう。思いも寄らない反応だった。通常の竜人より反応速度もはるかに速い。しかも的確に、攻撃が受け流されてしまう。
 (この動きは…人間と同じ…)
周囲のほかの竜人たちが反撃してきた。慌ててリュカは後ろへ大きく跳躍する。ただ力任せに突進してくるだけの通常の竜人たちなら同時に複数相手にしても問題ない。だが、人間に似たこの竜人たちは人間と同じ戦法をとる、手ごわい相手だ。
 間合いに入れず、かといって間合いを取りすぎれば一撃でやられてしまう。攻撃し続けてその場に釘付けにすること。それが、今のリュカに出来る精一杯の戦法だった。
 辺りには、いつのまにかうっすらと霧が立ち込めている。フィルダーナの力だ。
 「いまのうち」
少女の声が聞こえる。目くらましで竜人たちの追撃をかわして、広場の人々を逃がそうとしているのだ。足音が遠ざかっていく。
 (せめて、時間稼ぎを)
迫ってくる竜人の群れを前に、リュカは、気持ちを奮い立たせようとしていた。これほどの数の敵をたった一人で目の前にしたことはない。戦うのは得意ではない。勝てないと思ったら、領界の中に逃げ込んで防御に徹するのが妖精族の本来の戦い方だ。けれど、前に出て戦わなければ、領界の外にいる者たちは守れない。
 「弱いな。お前は」
ザインがあざ笑う。
 「妖精族の非力さ、人間の意地。悪いところばかり混ぜ合わせた最悪の城だ、ここは。弱い、そして脆い。お前たちは――」
槍が大きく引かれ、リュカが空振りをした隙をついて、頭上から振り下ろされる。
 鮮血が飛び散る。
 「ここで果てる」
 「リュカ!」
目くらましの霧の中から、フィルダーナが飛び出してくるのが見えた。
 「来るな」
叫び返しながら、彼は次の槍の一撃を避けて跳躍しようとする。だが間に合わない。大きくしなった槍柄をかわし切れず、小柄な体は鞠のように跳ね飛ばされて兵舎の壁にたたきつけられた。息がつまり、喉から血の味のする唾液が零れ落ちた。駆け寄ってきたフィルダーナが何か叫んでいるが、聞こえない。視界の半分を赤いものが埋めている。普段なら傷を癒すのは簡単なはずなのに、なぜか体が動かず、力も沸いてこない。
 (魔力切れ…)
生まれて初めて経験する感覚だった。グロッサリアまで往復する間、ほとんど水場を通らず、まとまった雨も降らなかったことを思い出していた。それに、これほど長時間戦っていたこともない。ユッドやラーメドがずっと心配してくれていたこと。限界が近づきつつあることに、自分自身だけが気づいていなかった――死が、こんな風にやってくるものだとは思いもしなかった。気づいたら隣にいるようなものだとは。
 敵の足音が、迫ってくる。
 (まだ…こんなところで…)
あざ笑うザインの声が頭上で響いている。立ち上がらなければ。


 必死に自分の名を呼ぶ声が聞こえてた。
 一瞬、気を失っていたらしい。眼を開けると、目の前にエリンの泣きそうな顔があった。
 「ユッド! …ユッドってば、大丈夫?」
 「ああ…えっと、オレ、何してたんだっけ
 「何、じゃないわよ! ここから、早く逃げなきゃ」
いつの間にか目の前に、たくさんの人が集まっている。足元のあたりに、倒された竜人が二体。人々は竜人たちの乗り捨てていった舟を拾い、あるいは泳いで、我先に川を渡ろうとしているようだった。起き上がろうとすると、身体のあちこちが痛んだ。
 「あ、痛たたた…くそっ…」
 「しっかりしろ。手を貸す」
フレイザーだ。普段はきれいに撫で付けている髪は乱れ、頬や手は煤けて真っ黒になっている。
 「砦のほうは…」
 「ここはもう駄目だ。生き残りもこれだけしかいない。とにかく、今は生き延びることを考えろ」
フレイザーとエリンに支えられながら、ユッドは小舟の中に座らされた。
 「リュカは? ラーメドさんもまだ」
 「我々を逃がすために足止めしてくれているのだ。カリムに探しにいかせた。その身体ではもう戦うのは無理だろう。今は自分のことを考えてくれ」
 「ユッドのお陰で、皆助かるのよ」
エリンの声は震えていた。「川から上がってくる敵を倒してくれたから。あたし…ちゃんと見てたから…。」長い睫を伝って、涙が零れ落ちた。
 沈みそうなくらいの人を乗せて、舟が岸を離れようとしている。顔を上げて振り返ると、炎に包まれた丘の上の見張り台が見えた。空が赤く染まり、煙が風にたなびいている。大きな篝火。――リオネス砦の陥落を、周囲に告げる。


 「ラーメド!」
返り血に染まりながら走っていた男を、聞き馴れた声が呼び止める。振り返ると、カリムが川のほうからこちらに向かって走ってくるところだった。
 「こっちだ。ユッドのお陰で包囲網が開いたんだが、いつまた囲まれるか判らん。生き残った連中はあらかた逃がし終わった。今のうちにお前も早く逃げろ」
 「ユッドが? リュカも一緒なのか」
 「いや、最後に見かけたのは広場の辺りだ。リュカとお嬢ちゃんがわしらを広場から逃がしてくれた。あの子たちなら自分たちで逃げられるだろう」
 「……。」
何か、胸騒ぎがした。砦の入り口を塞いでいた竜人たちはあらかた倒したつもりだったが、途中から、やけに攻撃が薄くなっていた。まるで増援が別の誰かに引き寄せられているように感じていたのだ。それに、この襲撃の首謀者の姿を一度も見ていない。
 「先に行ってくれ。もう少し、砦の中を見てまわってから行く」
 「おい、ラーメド!」
飛んでくる火の粉を振り払いながら、彼は、広場へと続く道を走り出した。
 燃え盛る建物が崩れ落ち、火の粉とともに行く手を遮っている。砦のほとんどはもう、火に包まれていた。
 逃げ遅れて息絶えた者、大ケガをして動けない者。既に息の無い幾つもの体。敵も味方もすべて飲み込んで、炎は全てを焼き尽くそうと赤い舌を広げていく。
 (あの時と同じだ…)
男の脳裏に、かつて駆け抜けた悪夢のような戦場の記憶が過ぎった。"大進攻"――この砦から西の集落全てが落とされたあの戦い。敵を倒して、倒しまくって、気がつけばたった一人で生き残っていた。"英雄"と呼ばれて、けれど守りたかったものは何一つ守れなかった。仲間も、…命を預けてくれた女性も。
 「リュカ!」
悲鳴にも似た叫び声が耳に届いたのは、ちょうど、その時だった。炎の向こうで少女が、声を振り絞って叫ぶのが見えた。
 「お願い…もう逃げて。リュカ!」
その前で、見るからに傷だらけで立ち上がるのもやっとのはずの少年が、なおも剣を手に敵に立ち向かおうとしている。地面に滴り落ちる赤い血。それでも、眼差しは戦う気持ちを微塵も失っていない。
 ラーメドがその前に立ちふさがる。
 「こんなところで、何やってる!」
 「…ラーメド」
男は、ふらついた少年の体を両手で受け止めながら、背後から迫ってくる気配のほうを振り返る。
 「お前らか。こいつを、こんなにしたのは」
 「ラーメド? 貴様が人間どもの"英雄"?」
ザインが眼を見開き、いかにも笑みを浮かべた。「おお、やっと見つけたぞ。早く出てきてくれれば、そんな雑り者をもてあそんで無駄に時間を費やすこともなかったのに」
 「てめぇ…」
 「オオオオ!」
竜人たちが雄たけびを上げる。
 「殺せ! 殺せ! 殺せ!!」
黄色く眼が輝く。「我はザイン。ギメルの玉座を継ぐ者なり! 人間どもの"英雄"よ、貴様を屠り、手向けとしてくれる!」
 「上等だ。お望みどおり相手してやろうじゃないか」
 「駄目ですよ、ラーメド…一人じゃ」
リュカの手が男の腕を掴む。「僕はまだ戦えます…」
 「何言ってる。お前はもういい。もう十分だ」
有無を言わさず、ラーメドはリュカをひょいと抱え上げると、傍らで呆然としたままのフィルダーナの腕に渡した。
 「こいつを頼むぜ、嬢ちゃん。川のほうだ。水の流れに身を隠せば、妖精族は安全に逃げられる」
 「あの、でも…あなた、は?」
 「なに、心配すんな。あの面倒なやつの相手は任せとけ」
 「…ラーメド」
顔を上げたリュカの頭に手をやりながら、ラーメドは震える声で囁いた。
 「生きてくれ、リュカ。お前さえ生きていてくれれば、…俺は」
顔を上げると、笑っているラーメドの顔が見えた。リュカが何か言おうとして唇を開くより早く、男は顔を隠しながら、思い切りフィルダーナの背を押した。
 「振り返るな。立ち止まるんじゃねぇぞ」
嘶いて、少女は歩き出す。乱れた白い髪が、赤く燃える炎の向こうへと消えていく。
 「さて、と」
振り返った男の表情からはもう、未練も、後悔も、消えている。心残りはもう何もない。生きるか、死ぬか。それももう、どうでもいい。たった一つでいい、たった一つだけ、…守ることが出来たなら、それで。
 剣を抜きながら、男は、まるで散歩にでも出るようにぶらぶらとザインの目の前に立った。
 「それじゃあ、続きをやるとしようか?」


 煙と炎とが、天を焦がす。
 重たいユッドの体を抱えながら何とか川まで辿り着いたところで、力つきてフィルダーナはその場に倒れこんだ。顔も手も煤まみれ、それでも、何とか生きてはいる。川べりには、人間の足跡が沢山残っていた。ほんの少し前までここにいたのだ。そして、ここから皆、脱出していった。
 「リュカ…」
岸辺に仰向けに放り出した、血の気のないユッドの白い顔を叩く。縛り上げた脇腹の傷からはどす黒く血の染みが広がり、体の半分を染めている。途中まではなんとか自分の意志で歩けていたのに、今はもう、ほとんど意識がない。
 「リュカ…リュカ!」
生命力が急速に弱まりつつある。このままでは危ないことは、彼女には判っていた。水辺で回復を待つことは出来る。でも敵陣の真ん中で、今は、そんな時間はない。治癒の魔法を使おうにも、彼女自身、魔力は尽きかけていた。
 「嫌…」
色を失った唇が震えた。「わたしの名前を呼んでください…わたしに話しかけてください…、もう…闇の中で生きるのは嫌…」
 けれど、返事は無かった。輝きを失いかけた瞳が、彼女を見上げている。
 意を決したように、フィルダーナはリュカの手を取ると、自分の心臓に当てた。顔を近づけて、耳元で囁く。
 「約束してください、お願い。わたしより先に水に還らないと…」
 「……。」
かすかな声で、返事があった。大丈夫だ、と安心させるつもりだったのかもしれない。その、微かな反応に満足げに微笑みを浮かべると、フィルダーナは、少年の胸の上に顔を載せた。
 何が起きたのか気づくまで、少し時間がかかった。
 「…?」
起き上がったリュカは、ぽかんとして自分の手を見つめた。突然、身体が軽くなって意識が戻って来たのだ。出血が止まり、痛みも消えている。そんな力は自分にも、フィルダーナにも無かったはずだ。
 胸の上に、姿の薄れかけた少女の身体がある。
 「…まさか?!」
はっとして、彼はフィルダーナを抱き起こした。満足げな微笑みを浮かべたまま、少女は消えかけていた。残っていた魔力と生命力を振り絞ってリュカに与えたのだ。それが誓約<セイン>と引き換えに与える加護の代償だと、彼にはすぐに分かった。かつてセフィーラが水に還った時も同じだったからだ。
 「何でこんなこと!」
返事はない。
 「駄目だ、こんなの…」
リュカは、少女の身体を抱きしめた。
 煙と炎とが天を焦がし、ルーヴァ川の飛沫に赤い輝きが反射する。


 その日、リオネス砦は陥落した。
 犠牲者多数。主戦力の喪失。――それはルナリアの、竜人族に対する人間の最前線の拠点全てが失われた、最悪の日となった。


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