■21


 準備は、それから三日の間に驚異的な速度で整えられた。
 最低限の物資と人員を残して、残りは全て出撃。本隊に先行して少人数の精鋭が敵陣視察に当たるという作戦で、その先行部隊というのが、ユッドたちのことだった。そして今、"先行部隊"は再び、レスカトーレの町に来ていた。
 以前訪れたのはほんの数週間前だというのに、かつての面影はどこにもなく、そこにあるのは見るも無残な町の焼け跡だけだった。深緑の屋根は完全に崩れ落ち、屋根のタイルが散乱している。生存者はもちろん、近くに人の住んでいる気配もない。焦げ臭い匂いに混じって、ものの腐ったような不快な匂いがして、ユッドたちは馬を急がせた。どのみちここはもう、滞在拠点としては使えない。この先は、竜人族がどこから出てきてもおかしくない、敵の勢力圏だ。
 「どうする? アイユールの丘を目指すのか」
 「必要ない」
リュカの後ろに乗っているフィルダーナが口を開いた。ここを出発した時に比べると、少女の口数は増えてきている。「聞いてみる…。」掲げた手の上に青みを帯びた真っ白な蝶があらわれて、ふわり、と飛び立った。蝶は草原の奥の方に消えていく。
 「妖精族の利点は、離れて居ても互いにやりとりが可能だということです」
リュカが補足する。「蝶に託した伝言は妖精族しか読み解けず、偽造も改ざんも出来ません。手紙よりも早く、狼煙よりも多くの情報を伝えることが出来ます」
 「つまり、竜人族よりもその動きに早く対応できるってことだな」
 「そうです。もしはぐれたら、蝶を辿ってください。あれは自分の一部を飛ばすようなものだから…」
ざわ、と草原が揺れた。はっとして、リュカが口を閉ざし、しばし周囲に視線を走らせた。
 「居る。隠れたほうがよさそうだ」
 「隠れるったって…どこに」
 「あっち」
フィルダーナが指差す。「谷間になってる」
 言われたまま馬を進めていくと、確かに、地面が裂けて谷になっている場所が見つかった。この草原は、フィルダーナにとっては庭のようなものなのだ。草の茂みに身を潜めていると、視界の端を、黒っぽい二体の竜人が体を揺すりながらどこかへ歩いていくのが見えた。巡廻だろうか。レスカトーレの町のあった方角へ向かっていく。
 「あいつら、一体どうやってここで生活してるんだ? 竜人族だってメシは食うはずだよな。こんなところ、何もないのに」
 「人間から奪ったものを食べているのかも」
と、リュカ。「でも…パンは、食べなさそうですよね」
 「ていうかパンなんて作れないだろ、あの手じゃあ。かまどだって要るんだし」
言いながら隠れ場所から出ていこうとしたユッドを、フィルダーナが止める。
 「だめ、まだいる」
 「まだ?」
指差した反対側の方角に、別の二体がゆっくりと歩いていくのが見えた。ユッドは舌打ちして岩の割れ目に体を戻す。「数が多いな…。」
 今更のように、これが、竜人族に占拠された領域の奥深くたった三人きりで潜入するという無謀な任務だったことを認識させられる。見つかれば終わりだ。アイユールの領界に逃げ込めれば何となるかもしれないが、ユッドは、出来ればそれは避けたいと思った。
 「何とかして、スキを見つけないと」
彼は呟く。「一回見つかっちまったら、警戒される。見つからないように竜人族の拠点まで近づかないと」
 「あ」
リュカが空を見上げた。黒い縁取りのあるとがった羽根を持つ蝶が一羽、するどい軌跡を描きながら近づいて来る。フィルダーナが手を差し出すと、その上に舞い降りた。
 「……。」
少女が顔を顰める。
 「どうした」
 「何も言わずに家出したことに対するお叱りですね」
リュカは苦笑すると、それから、真面目な顔になった。蝶はただ羽ばたいているだけなのに、どうやら、フィルダーナとリュカの二人には、蝶が運んで来たメッセージが判るらしい。
 「この先…まだ遠い場所」
フィルダーナが呟いた。
 「数が多くなってる…危険」
 「フィオーネは、この先にアイユールとは別の小さな領界があったはずだと言っています。生き残っているといいんですが…」
 「そこを目指すのか?」
 「生き残っていれば、避難に使えます」
リュカが馬の手綱をとる。「行きましょう。今なら出られます」
 馬に飛びのり、三人は、再び先へと進み始めた。千切れた雲が流れる中、日が傾いていく。何度も隠れ、休んでは進み、走り続けた先に目的地が見えてきたのは、夕方も遅くなってからのことだった。小さな丘のふもとまで来て、リュカは、周囲を見回した。
 「この辺りのはず…なんだけど」
 「あれ」
フィルダーナが声を上げた。丘の麓に、黒く焼けた場所がある。近づいてみると、小さな濁った沼地があった。水面には油が浮き、周囲の草木は焼け落ちている。強い火で一気に焼かれたのだ。
 リュカは、小さく溜息をついた。「遅かった…か」
 「火をつけた油樽をぶち込んだのか。これじゃ、ひとたまりもないな」
ユッドが呟く。
 「領界主は即死でしょう。油で汚されて、ここの水源は既に枯れかけています。…水源が浄化されるには、長い時間が掛かる」
リュカは、静かに馬の頭をめぐらせた。「ここで出来ることは今はない。行きましょう。別の場所を見つけないと」
 「……。」
あとに続きながら、ユッドはもう一度、ちらりと丘の下の沼地を見やった。割れた油壺の破片が散乱している。今回は竜人族のやったことだが、人間にも同じことは出来る。いや、竜人族が領界を破壊するのは人間の知恵を得たせいなのだがら、これは、元々は人間の所業なのだ。
 (オレたちも、必要があれば同じことをしたんだろうか)
目の前に否応無く突きつけられる現実。人間が竜人族を、人間の"敵"として育てた。
 だとすれば、これは人間同士の戦いの代理戦争でもある。


 日が暮れる頃、馬は草原の端に差し掛かっていた。遠くに、山頂に雲をいただく高い山が見えている。レイノリア山脈とは別の山のようだ。ごつごつした岩場は平原から崖へと姿を変え、馬で走ることが難しくなった。ユッドたちは、馬を降りて歩いて野宿できる場所を探した。雲が空を覆う月明かりのない夜は真っ暗で、足元もおぼつかない。すんなり歩けているのはリュカとフィルダーナだけだ。
 「雨が降りそうだなあ」
空を見上げながら、ユッドが呟いた。「ラーメドさんたちは、どこまで来たかな…。」後続の隊は、おなじ日にリオネス砦を発っている。途中グロッサリア軍と合流するとは言っていたが、ラーメドのことだ。時間を無駄にするような真似はせず、少人数でも先行して追いかけてくるだろう。ユッドたちとの距離の差はせいぜい半日かそこらのはず。だとすると、そろそろ街道の終着、レスカトーレまでは到着しているかもしれない。
 少し先を歩いていたリュカの声がする。
 「夜営できそうな場所がありました」
彼が馬を止めているのは、岩が大きく張り出して屋根のようになっている場所だった。すぐ側に、岩を伝って水の流れ落ちている場所もある。
 「丁度良さそうだな。夜露は凌げそうだ」
 「火は起こさないで下さいね。目立ってしまうから」
馬を岩陰に隠し、その間に布を敷いて一夜の宿とする。その間もフィルダーナは、何度か蝶を飛ばしてアイユールとのやりとりをしていた。
 「何か言ってる?」
 「竜人族<ドラグニス>の数が増えてる、警戒してるって」
空を見上げながら、少女は小さな声で言った。「人間族<ヒューリット>の軍隊が、近くまで来てるから」
 「ラーメドさんたちか、さすが早いな。でも、そっちに注意が集中すれば、オレたちの任務はやりやすくなる」
 「そう遠くないと思います」
地面リュカは地面を見ている。「…ここにも、かすかな痕跡がある。最近、ここに竜人族<ドラグニス>が来た」 
 「今夜は来ないことを祈りたいな」
言いながら、ユッドは横になる。「休めるうちに休んどかないとな。明日は…大変になりそうだから」
 狭い岩場に身を寄せ合ったかすかなぬくもりと、馬たちの吐く熱い息。草原を吹き渡る少し湿った風を頬に感じながら、ユッドは、いつしか眠りに落ちていった。


 夜明け前、肌寒さを感じて眼を覚ました。
 眠っている間に少し雨が降ったらしく、木立の間に昨夜の水滴が宝石のように輝いている。
 「うーん…」
大きく伸びをして起き上がると、隣はすでに空になっていた。小さな蝶が一羽、荷物の上をひらひらと舞っている。どうやら、それが道案内らしい。
 (リュカたちは…もう出かけたのか?)
蝶に導かれるまま岩陰を這い出した。馬に乗ろうとすると、蝶がそれを止めた。ユッドの周りを飛び回りながら、どこかへ誘おうとしている。振り返ると、一夜を過ごした岩棚の上の方に、かすかに白いスカートの端が見えた。
 よじのぼっていくと、そこに二人がいた。
 「何してるんだ? こんなところで」
 「見てください」
リュカが指差した。草原の彼方、朝靄の合間に道らしきものが見える。
 「街道…。そうか、荒野を越えていく街道だ」
脳裏に地図が蘇ってくる。竜人族に多くの国が滅ぼされ、今はもう通る者のいない、はるか西方へ、あるいは南方へと向かう道。その街道に沿って、点々と立っている土を盛り上げたようなもの。竜人族が、そのあたりをうろついている。
 「村?」 
 「それとも、人間でいう"砦"のようなものかも。馬はここに置いていけば、もう少しだけ近づけそうです。今のところ、近くに見回りはいません」
 「行ってみよう」
ユッドは即座に返答した。「ここまで来て、敵の戦力の見極めもせずに引き返したんじゃ意味がない。」いま見えているだけの小規模な拠点なら、余裕を持って叩き潰せる。――けれど、こんなもののはずがない、という思いがあった。この辺りは、かつての街道の要所だ。ここからなら、ルナリアへも、グロッサリアへも攻め込むことができる。わざわざここに拠点を構えているからには、数十体が細々と暮らしているだけの場所であるはずがない。
 草に身を潜め、這うように近づいていく。それは息を呑むような緊張の時間だった。どこかから、垂れ流された糞尿のような異臭が漂ってくる。隣を見ると、リュカもその匂いに気づいているようで顔をしかめていた。
 やがて、遠く絡みえていた土盛りのようなものの正体がはっきりしてきた。竜人族の住処なのだ。小さな入り口を、幼体らしき竜人がしきりと出入りし、その近くに大人たちがいる。一見ほのぼのした風景だが、ぞっとすることに、家の玄関先には人間の頭蓋らしきものが幾つも転がっていた。集落の外側には、武器を手に辺りを警戒している竜人がいる。良く見ると、奥の方に土壁が作られていて、その土壁を作らされているのは痩せこけた人間だ。足に枷をはめられている。
 「奴隷…」
ユッドは、ごくりと息を呑んだ。竜人族に襲われた集落では、死者の数が極端に少ないことがある。連れ去られたのではないかと言われていたが、その後どうなるのかは分かっていなかった。うつろな目で仕事を続ける人間の姿は、見るに耐えなかった。逃げ出したい衝動に駆られながらも、彼はさらに前進することを選んだ。どうせここに攻め入れば、全て目にすることになる。
 「グエエエ!」
突然、集落の方から叫び声が上がった。思わずびくっとなる。
 「見つかった?!」
 「いえ、違うようです。あれを」
竜人が人間の足をつかんで引きずっている。さっきまで覚束ない足取りで壁を積んでいた人間だ。引きずられているほうは、力尽きて抵抗することも出来ないでいる。足をつかんだまま、竜人は、その体をいとも簡単にぽいと視界の外に投げ捨てた。もう使えない、といわんばかりに。人間の体が放物線を描いて、視界の奥に消えていく。…いや、文字通り消えた。穴にでも吸い込まれたかのように。
 はっとして、ユッドは立ち上がった。
 「そうか、あそこで崖になってるんだ! 岩の裂け目だ。向こう側にまだ、村が続いて――」
首を伸ばそうとした、その時だった。
 「ブォオオオ―ッ!」
すぐ近くで警戒音が発せられた。武器を装備した歩哨の竜人が、こちらに顔を向けて何か怒鳴っている。子供の竜人が大人たちに追い立てられるように家の中に逃げ込んでいく。
 「やばい、見つかった」
 「ユッド、フィルダーナと先に馬のほうへ!」
リュカが剣を抜いた。「僕のほうが走るのは早い、後から行きます!」
 「いや、でも…」
言い争っている時間はなかった。竜人が、弓を取り出して矢を番えるのが見えた。フィルダーナが両手を掲げた。とたんに、辺りの大気が白く濁り始める。
 (え、霧…?)
馬を隠しておいた岩棚まで駆け戻ると、ユッドは大急ぎで荷物から狼煙を取り出した。ラーメドたちの隊は近くに居るはずだ。ここにいることを、敵の基地を発見したことを伝えなければ。
 枯れ草をかきあつめ、焦る気持ちを抑えながら火打石を打ち合わせる。小さな種火が起きるまでの時間は、ほんの五分ほどのはずなのにじりじりするほど長く感じられる。その火の上に草を被せ、狼煙用の燃料の塊が細い煙を上げ始めるのを確かめてから、馬に飛び乗った。フィルダーナも、後ろにふわりと飛び乗ってくる。そわそわして、リュカのほうを気にしている様子だ。
 (リュカはどこだ…?)
探さなくても、少年の姿はすぐに見つけられた。ユッドが狼煙を上げるまでの間、時間を稼いでくれていたのだろう。距離を置いた場所で、追って来た竜人を誘導するように逃げ回り、一体ずつ倒している。けれど、それもそろそろ限界のようだ。霧の目くらましの向こうから、異変に気づいた竜人たちが次々と列を成して飛び出してくる。徒歩ではすぐに追いつかれてしまう。
 「こっちだ!」叫びながら、ユッドは馬を連れて突進していった。リュカが振り返る。ユッドが馬の手綱を離すのと同時に、彼は馬に飛び乗った。その瞬間、馬上の彼を背後から矢が掠めた。
 「…っ」
鮮血がほとばしる。辛うじて落馬は免れたが、彼は腕を押さえた。
 (…え?)
 「リュカ!」
フィルダーナが慌てて手を伸ばそうとする。
 「大丈夫…このまま真っ直ぐ!」
馬は全力で駆け続けている。毒矢だったとしても、彼なら自力で解毒して傷も癒せる。
 けれどその瞬間、ユッドは見てしまったのだ。傷を負ったリュカの腕から流れていたもの。
 尋ねたかった――だが、尋ねている余裕は無かった。駆け続ける馬の正面に、こちらに向かってくる二十頭ほどの馬の群れが見えた。先頭の馬に乗っているのはラーメド。予想したとおり、狼煙が上がるのを見てこちらに向かってきたのだ。ユッドたちに気づいて、ラーメドは大きく手綱を引いて馬列を止めた。
 「無事だったか! 連中の本拠地地は?」
 「見つけました、規模およそ百体以上。ただし非戦闘員も多数。…追撃来てます!」
 「いけるか?」
ラーメドは、自らの率いてきた後続の兵士たちに向かって尋ねる。いずれも、砦で見かけたことのある古参の熟練兵たちだ。
 部下たちが応じるのを見て。男は、にやりと笑って自分の剣に手をかけた。
 「おおし。それじゃあ、いっちょ俺らの戦いぶりでも見せてやるかな」
どこか楽しそうな――見せかけだとしても余裕をもった笑み。「よくやってくれた。お前たちは下って見てろ」ユッドたちに、そういい残して馬を進めた。
 馬列が再び動き出す。突撃の雄たけびとともに。
 霧の向こうで、竜人の咆哮が上がった。濃い白い空気が震えた。人間と、竜人の叫び。戦いの始まりを告げる金属音。
 重たい地響きとともに、武装した竜人たちが一方向に駆け出していく。十、二十、三十。けれど、そのくらいの数ではなにものにもならないという確信があった。リュカは、じっと馬の走り去っていった方角を見つめている。
 その腕にはうっすらと、さっき見た鮮やかな色がこびりついていた。


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