■20


 リュカは、それから三日ほどしてリオネス砦に姿を見せた。フィルダーナも一緒だ。
 「どうしてもついてくる、って言って…。」
苦笑しながら言うリュカの後ろに、少女は、片時も離れないといわんばかりにぴったりとくっついている。まるで兄妹だな、とユッドは思った。ただし、それは見た目の話だけで、フィルダーナの実際の年齢は全く分からない。
 「森の方は?」
 「問題ありませんでした。最近は近くに竜人族<ドラグニス>も出ていないようです」
リュカの後ろから、フィルダーナは恐る恐るリオネス砦の中の風景を眺めている。真っ白な、いかにも妖精族の風貌をした少女は目立つ。彼女にはそこかしこから好奇の眼が向けられていた。
 それに気づいて、ユッドは言った。
 「…とりあえず、フレイザー司令のとこに挨拶に連れてったほうがいいな。たぶん断られることはないはずだけど、勝手に客人を増やすわけにもいかないから」
連れ立って、丘の上の司令塔に向かって歩き出す。
 「ユッドのほうは何かありましたか」
 「大きな動きは特にないけど…グロッサリアとの同盟を結べないかって話になってる。レスカトーレの先のどこかに、竜人族の拠点があると思うんだ。協力して、そこを叩けないかと思って」
 「それは、とても人間族<ヒューリット>らしい戦い方ですね」と、リュカ。「力が足りなければ協力しあう。一人では弱くても、集まれば強くなる」
 「皮肉じゃないよな、それ」
 「褒めているんですよ。今なら判ります。同じことは、僕たち妖精族<フィモータル>には出来ない。」
 「そうなのか? 数が少ないからかな…失礼しまーす」
以前は入るだけで緊張していた司令室も、今では特にかしこまることも無く訪れることが出来る。フレイザーが顔を上げた。
 「クレストフォーレス君か。」それから、リュカのほうに視線を向ける。「戻られたようだな」
 「もう一人、仲間を連れてきました。紹介しようと思って」
驚いたことに、リュカの後ろに隠れていたフィルダーナが一歩進み出て、すっ、と優雅なお辞儀をした。それから、ふわりと髪を翻して春風のように元の場所に戻る。まるで、蝶が舞うようなしぐさだ。
 「…彼女はフィルダーナ。アイユールの丘から来た妖精族です」
 「そうか、歓迎しよう。ここに滞在するのなら、宿舎の部屋を割り当ててもらうといい。クレストフォーレス君、案内して差し上げるように」
 「はい」
挨拶は、特に当たり障りも無くすんなりと終わった。司令塔を出ると、ユッドは腰に手をやりながら、ちらりとフィルダーナのほうを見た。
 「人間の言葉、わかるんだな」
 「……。」
無言のまま、少女は視線も合わせない。
 「あんまりにも喋らないから、言葉が分からないのかと」
 「慣れていないんですよ、人と喋るのは」
と、リュカ。「アイユールでは、話すなと言われていたようです」
 「え? そうなのか? …うーん、でもここは妖精族の領界じゃないし、喋ってくれたほうが有り難いなあ。せめて、初対面の時は自分の名前を名乗るとか」
少女が不思議そうに顔を上げた。
 「さっき、司令にお辞儀してただろ。言葉がわかるなら、名乗っても良かったんじゃないかな」
唇が、わずかに動いた――細い、だがしっかりとした声が発せられる。「それが、この領界の掟ですか?」金と青の瞳が、不安げに揺れる。
 「わたしは、領界主に失礼をしたでしょうか」
 「あー…いや、そこまで失礼じゃない。フレイザー司令も、気にしてはないと思うよ。」
司令塔の隣の宿舎に入っていくと、一階の食堂でテーブルを拭いていたエリンが顔を上げた。
 「リュカ、戻ってきてたんだ! おかえりなさい。…そっちの子は、お友達?」
 「しばらくここに滞在することになる。部屋、空いてるかな」
ユッドが尋ねる。
 「大丈夫だと思うわ。ちょっと待っててね、聞いてくるから」
フィルダーナは物珍しそうに食堂の中を見回している。やがて、奥からエリンが駆け出してきた。
 「大丈夫みたいよ! 一室しか空いてないからリュカと一緒のお部屋になるけど、いいかしら」
 「僕は構いませんが」
 「……。」
フィルダーナが小さく俯いた。
 「あら、恥ずかしい? そっかー、やっぱり男の子と一緒じゃだめかあ。じゃ、あたしの部屋に泊めてあげる! そうね、まずは――そうだ、着替えはある? 履くものも貸してあげなきゃ。裸足なんてもってのほかよ。ちょっと、いらっしゃい」
 「……??!」
眼を丸くしながら強引に引っ張られていくフィルダーナを見送りながら、リュカとユッドは顔を見合わせた。
 「…大丈夫なのか、あれ」
 「エリンは、彼女が気に入ったみたいですね」
苦笑しながら、リュカは窓の外を見やった。「少し外を歩いてきてもいいですか? ここに来るのも久し振りなので」
 「ああ。」
リュカは、一人で外に出ていく。かわりに二階の奥のほうから、女性たちの何やら騒ぐ物音と声とが響いてきた。


 夕方近くなって、リュカはどこからともなく戻って来た。
 「リュカ! 見て見て」
待ち構えていたエリンが、フィルダーナの肩に手をやって前面に押し出す。「可愛いでしょっ」そこには、エリンのお古のワンピースを着せられたフィルダーナが、恥ずかしそうに俯きながらに立っている。癖っ毛は編みこんで髪飾りをつけられ、肩にはふんわりとしたケープを羽織っている。ぱっと見、少し色白な人間の少女にしか見えない。リュカは眼をしばたかせ、それから、ゆっくりと微笑んだ。
 「素敵だと思いますよ」
 「だって、良かったねフィルダーナ!」
 「……。」
何の感情も表していなかった頬が緩み、赤みは射していないものの照れくさそうにしているのが判る。エリンに任せておいたのは正解かもしれなかった。
 「ユッドは?」
 「たぶん、お仕事。でももうすぐ夕食の時間だから戻ってくるはずよ。お父さんもそろそろね。リュカも一緒に食べる?」
 「あ、…いえ…僕は」
フィルダーナの視線が、ちらりとリュカのほうに向けられる。
 「…エリン、前にあの人の好きなものを知りたがってましたよね。判りました?」
 「ああ、あれね。それが全然なの。聞いてもはぐらかすし、酒があればいいなんて言ってるけど、それほど飲んでるわけでもないの。好きなものなんて無いのかしら」
 「リコットの実…」
 「え?」
 「思いに応えられないなら、どうして養女なんて」
半ば呟くように言って、ふいと背を向けた。慌ててフィルダーナが後を追う。入れ替わるように、のそりとラーメドが姿を現した。
 「あ、お帰りなさい。」
 「おう、ただいま」食堂の入り口をまたぎながら、男はちらと外に顔を向ける。「…今、そこでリュカとすれ違ったが。後ろにくっついてた子は何だ?」
 「フィルダーナっていうのよ、リュカのお友達ですって。しばらくここに滞在するみたい。」
 「ほーう。あいつ、女が出来たのか…。」
ラーメドはにやにやしている。
 「もう、そういう下品な言い方しないでよ。可愛いじゃないの、小さな恋よ」
 「いやあ、妖精族の見た目は年齢と一緒じゃないからな。ありゃあたぶん、相当な年上だぞ。リュカのやつに巧く扱えるといいがな」
 「夢が無いわ」
つん、としてエリンは台所の奥へ引っ込んでいく。笑いながら、男は腰から武器を外して席についた。日々の訓練と雑務の終わりの時間、昼番と夜番の交替する頃とあって、外はまだ人の足音や話し声が騒がしい。夏の盛り、日はまだ長く、太陽は空の高い場所にいる。
 エリンが、盆に夕食を載せて戻ってくる。
 「ん?」
皿の脇にちょこんと乗っている小降りな赤いりんごを見つけて、男はそれを取り上げた。
 「おい、何だこりゃ」
 「オマケよ。お父さん、なんとかの実が好きだって聞いたから。何の実だったかは忘れたけど…なんだったかな。リュカが言ってた」
 「……。」
りんごを見つめていた男の表情が、みるみる変わっていく。
 「どうしたの」
 「…いや。何でもない」
りんごを握る手が、かすかに震えた。「何でもないよ、ありがとう、エリン」
 「…?」
台所の入り口で振り返って見ると、ラーメドは、片手を額に当てたまままだ何か、ぼんやりと考え込んでいた。何か触れてはいけないものに触れてしまったのだ、とエリンは思った。今までにも、こんなことは何度もあった。昔の話をせがんだとき、砦での生活について質問したとき。そのたびに、曖昧な返事とともに悲しげな顔をする。だから、それ以上なにも聞けなくなってしまう。
 (いつも、そうだった。お父さんは何も話してくれない。尋ねることも出来ない…。)
物陰でスカートの端を握り締めながら、エリンは、口にすることの出来ない釈然としない思いを内に秘めたまま耐えていた。側にいて毎日顔を合わせていたとしても、離れていた頃と何も変わらない。一体何が足りないのか、これ以上どうすればいいのか。
 消化不良な渦巻く思いをどうにも出来ないうちに、出撃命令は下された。
 それは、グロッサリアとの軍事同盟が早々に結ばれ、竜人族に占領されたグロッサリア西方地域への遠征が開始されるという内容だった。


 「戦況は圧倒的不利。応戦したグロッサリア軍はほぼ壊滅、人・物資とも被害甚大です」
レグナス砦を訪れたグロッサリアからの伝令は、汗と泥に汚れた顔を拭おうともしないままで早口にそう告げた。
 同盟がとんとん拍子に成立したのは、互いの利害が一致していたのもあるが、どちらの国もギリギリまで追い詰められていたからだ。ユッドの予想したとおり、あのあと再度の竜人族の進攻でレスカトーレの町はいつも簡単に陥落していた。攻撃には、レスカトーレから奪われた武器が使われた。そして竜人たちは街道を東進し、周辺の村や町をことごとく略奪し火をかけた。守りを固めた要塞は狙わず、その周辺の集落から攻められるため、対応が追いつかないのだ。
 「ルナリアと同じやり口だな」
腕組みをしながらラーメドが言った。「まずは連中の拠点を潰すことだ。そうしない限り、こっちには勝ち目がない」
 「しかし、どうやって拠点を洗い出す? 斥候を出すにしても、竜人族の勢力範囲に送り出すのは危険すぎる」
と、フレイザー。
 「それは大丈夫です。」
視線が、リュカのほうに集まる。「レスカトーレの西には妖精族の領界がある。その領界に所属する者であれば、領界から一定範囲内の出来事を感知できます。アイユールの丘の妖精族には、竜人族の動きは判っているはず。ある程度の目安はつけられます」
 「君が、その交渉をしてくれると?」
リュカが頷く。
 「僕とフィルダーナで先行します。場所を絞り込んだら後続部隊に伝えます」
 「もちろん、オレも行くからな」ユッドが言う。「リュカたちだけだと何か無茶やらかしそうだし」
 「それは嬉しいですけど、ユッドだって…」
 「ま、二人とも無茶はするなよ。」ラーメドが笑う。「俺のほうはここの連中を引っ張ってあとから追いかけることになりそうだが、そう長くは待たせんよ。とにかく焦るな。先走って突っ込むような真似だけは絶対にするな」
 「判ってます」
むっ、としたような表情で応えるリュカ。
 「それでは、両軍の集合場所の選定を。グロッサリア側が最終防衛線としている砦と戦力は…。」
 会話が終わると、使者は休む間もなくすぐに元来た道を引き返していった。ルナリアとグロッサリアの共同作戦が開始されることを告げるためだ。それほどまでに戦況が逼迫しているのだ。
 ラーメドたちも去り、ユッドだけが司令室に残っていた。残っていたのは、話している間じゅう、机の上に積み上げられていた書類が気になっていたからた。
 「あの、先輩?」
事務机に腰を下ろそうとしていたウェインが、顔を挙げた。
 「手伝いましょうか? サニエルもいないし、それ…一人じゃ大変なんじゃ」
 「ああ。急ぎで処理しなければならないものは今のところ無いよ。君は自分の役目に集中してくれ」
 「はあ…」
積み上げられている書類はウェインの几帳面な文字で処理がなされ、司令のサインを待つばかりとなっている。ペンを取り上げた年かさの兵士は、馴れた手つきで髪の束をめくる。
 「すまないね、外周りを君たちにばかり任せて。」
 「いえ、こちらこそ…先輩にこういうの押し付けっぱなしで…」
 「事務仕事の方が性に合ってる」
年かさの兵士は温和な笑みを浮かべていた。「ようやくこの、長年のこう着状態を打開する糸口がつかめそうなんだ。君のお陰だ。感謝している」
 「オレは…何もしてませんよ」
 「そうなのかい? ま、それじゃあそういうことにしておこうかな。」
笑って、ウェインは手元に視線を戻した。
 「今日のところは君に頼める仕事はないよ。今は、ゆっくり英気を養っていてほしい」
 「でも…」
 「君にしか出来ない仕事もあることだしね。」
そうまで言われては、引き下がるしかなかった。外に出て、ユッドは大きく息を吸い込んだ。
 この砦に来てからずっと、休む間もなく動き続けてきた。特にすることのない時間というのはどう扱っていいのか分からない。
 丘の下の広場の方からは、訓練に打ち込む新兵たちの声が響いてくる。
 (そういえば、しばらく訓練もしてないな…)
腰の剣に手をやりながら、周囲を見回した。集団で訓練するのはともかく、一人でやるのは、なんとなく気恥ずかしい。それに、圧倒的な破壊力と迫力で迫ってくる竜人族に対抗するには、訓練で培われる技術よりも、相手の迫力に負けない気合のようなものが必要だと思った。休むことなく動き続けられる体力と、覚悟と。
 足を止め、じっと考え込んでいた彼は、ふと、視線に気づいて顔を上げた。視線が合う。エリンは、彼が振り返ったのを見てちょっと微笑んだ。
 「いつも、そんな顔して戦ってるの?」
 「え、いや…どんな顔だろ」
慌てて手を自分の顔にやる。エリンはくすくすと笑う。けれど、それはどこか力なく、無理に笑おうとした感じがあった。
 「また、出かけていってしまうのね。君も、お父さんたちも。…あたしだけ、お留守番」一つ溜息。「いいなあ…フィルダーナはついていけて」
 「その…、すぐ戻ってくるよ」
 「判ってるわよ」
 「そうじゃなくて。必ず、生きて帰るよ。皆、大丈夫だから」
エリンの目が大きく見開かれ、それから、不機嫌そうにふいとそっぽを向く。「いい。そういう約束はキライ。なんにも保証無いじゃない
 「そうだけどさ。…じゃあいいよ、約束じゃなくて、これは希望。戻って来たら、オレにもパン、焼いてくれよ」
 「え?」 
 「だってズルいだろ、リュカばっかり。オレにも焼きたてのパン、くれたっていいじゃないか」
それだけ言って、ユッドはくるりと背を向けた。「じゃ!」
 なぜそんなことを口走ってしまったのか、自分でもよく分からなかった。ただ、約束は出来なくても何かを誓いたかった。曖昧で、霧がかかったように行方の見えない戦況の中で、この道の先に勝利を祝える日もあるのだと、信じたかった。


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