■19


 「やっと着いた!」
 特に愛着を感じているわけでもないと思っていたのにリオネス砦のある丘を久し振りに目にした時、妙にほっとする気分が込み上げてくるのを感じた。
 帰りは二頭の馬で、ほとんど寄り道もせず大急ぎで真っ直ぐに帰ってきた。帰り道のグロッサリアは、竜人族による襲撃の報が広まってどこの町も慌しい雰囲気に包まれていた。ルナリアに入ってからのほうがむしろ平穏で、いつもながらの適度な緊張、といった感じだった。
 「ユッド」
リュカが馬の速度をゆるめながら近づいて来る。「僕は一度、森に帰ってきます。フィルダーナのこともあるし」馬の後ろには、無表情なままの少女がちょこんと乗っている。あれから旅の間、彼女はずっと同じ表情のまま、最低限の言葉しか口にしなかった。いまだに何を考えているのかよく分からないが、少なくとも、リュカとその連れである自分には好意を持っているらしいことだけは判っていた。
 「そうだな、そっちもいつまでも領界をほっとくわけにいかないだろうし。報告は、オレ一人で大丈夫だよ。ゆっくり用を済ませてきてくれ」
頷いて、リュカは馬の方向を変えた。サウィルの森の方へ駆け去ってゆく馬を見送りながら、ユッドの方は、真っ直ぐに砦の入り口を目指す。
 砦の様子が変わっていないことは、見れば分かった
 川の水を引き込んで新たに作った深い堀は完成し、見張り台が増設され、簡易的な木の柵が増やされている。あれから、竜人族の襲撃は無かったということか。ほっとしながら近づいていくと、ユッドとは顔見知りの赤毛の若者が口笛を吹いて片手を上げた。いつだったかディーシュと一緒に厩の掃除をした、あの若者だ。視線をそちらに向け、僅かに顎を引いて反応してみせる。厩のほうに進んでいくと、ちょうどカリムがそこにいた。
 「おう、ユッド! 戻って来たのか、心配しとったんだぞ」
 「カリムはいっつも心配ばっかりだな」
笑いながら、ユッドは馬を飛び降りて手綱を渡した。少し驚いて、カリムはまじまじと、ついこの間まで頼りない新米兵士だったはずの青年を見上げた。期間にすれば僅かなものなのに、雰囲気はがらりと変わっていた。
 「リュカは? どうした」
 「いちど森に帰るって。」
 「そうか。これから報告に行くなら、フレイザー司令は司令室にいるぞ」
そう言って、旅に疲れた馬に水とまぐさを与えるために厩のほうに引っ張っていく。ユッドは手綱を握るためにはめていた手袋を脱ぎながら、丘の上にある司令室を目指して歩き出した。広場のほうからは、今日も威勢のいい訓練の掛け声が響いてくる。夕食の準備のために台所の裏で芋を洗っている食事当番の女性たち。建物の間に張り巡らされた紐にはためく洗濯物。水桶をかついでせっせと川との間を往復している水運びに、武器を鍛えなおす鍛治場の熱気と金属音。いつまた襲撃を受けるか分からない緊張感の中でも、どこかのんびりとした日常の生活風景が広がっている。


 司令塔を訪れるのも、ずいぶんと久し振りな気がした。一つ呼吸を置いて、中に入る。目指すのは司令室と呼ばれている、塔の二階にある大会議室だ。
 「失礼します」
中に入ると、会議用の円卓を取り囲んでいた三人が一斉に振り返った。フレイザーとウェイン、それにラーメド。
 「おう、ユッド。思ったより早かったなあ」
ラーメドが、にやりと笑う。「その顔からして、何か捕まえたな」
 「ええ。竜人族に協力していた例の武器商人に追いつきました。残念ながら…本人からは話が聞けませんでしたが、幾つか重要なことがわかりました」
ユッドは、レスカトーレの町での出来事をかいつまんで話していった。竜人族が妖精族の領界を狙っていたこと。ベースから聞いた、人間と竜人族との長年にわたる取引のこと。竜人族の「女王」のこと。レスカトーレが襲撃されて物資が奪われたこと。それから…人間に似た見た目と知能を持つ、謎の竜人のこと。
 ラーメドは、その、最後に報告された内容に反応した。
 「人間に似た竜人について、もう少し詳しく話してくれ」
 「人間の言葉を話してました。それから、人間のように服を着て、顔は…隠してました。人間にしてはやや大柄なくらいで、よく見ないと竜人だとは気がつきません。肌の病気か何かでそうしているんだと最初は思ったくらいです。…気になることでもあるんですか?」
 「ああ。前に、マリッドの町で交戦した竜人のことを覚えてるか? 町の近くの妖精族を罠にかけた、五本指のやつだ」
ユッドは頷いた。一体だけ、防具のようなものを身につけていた竜人だ。そういえば、ラーメドはあの竜人にやけにこだわっていた。
 「お前たちが出発したあと、アイツを詳しく調査してみたんだ。指の本数だけじゃない、皮膚や、ウロコの状態も明らかに違っていた。それと装備――全て回収したが、あいつは何と、財布を持っていた。」
 「財布?」
 「今の、お前の話と繋がると思ってな。人間の商人と取引していたのなら、当然、人間の価値観を知ることになる。人間の文化を覚えて、集落を襲った時に金銭を手に入れていたのかもしれない。支払いに人間の金を使ってもおかしくない。…あくまで、想像だがな。」
フレイザーとウェインは、判断がつきかねているのか、困惑した表情のままでいる。おそらく、ユッド自身も同じ顔をしている。
 だとしたら、今まで知能では人間より遥かに劣ると考えられてきた竜人族が、突然、人間に近い知能を手に入れたことになる。ただ接触しただけで急に、文化レベルが上がったりするものなのか? 国を作るなどということが?
 フレイザーが、重たい口をゆっくりと開いた。
 「今までラーメドとも相談していたのだ。"竜人族が人間の知恵を手に入れた"ことは間違いないが、問題は"どうやって"なのかの部分だと。」
 「俺は、どこかで竜人族と人間の血が交じり合ったと思ってる」
男は、きっぱりと言った。
 「…異種族同士だ。おそらく前例もない。突拍子も無いことを言ってると思われるかもしれんがな、現に、人間のような姿をした竜人もいたんだろう? なら、どんなに考えにくくても、それが答えだ。組織だった攻撃、人間との取引、領土拡張欲求、すべて説明がつく」
 「いや、でも…」
ユッドは、戸惑いがちに口を開く。
 「その理屈でいくと、人間みたいな見た目のリュカも、人間と血が混じってることになりますけど…。」
 「……。」
一瞬のはっとしたような表情。次の瞬間、ラーメドはなぜか渋い顔になっていた。「…そうだな。ま、思いつきだ。ただ、"有り得る"かもしれない。…それだけだ」そう言って、口をつぐんでしまう。
 僅かな沈黙のあと、ウェインが後を続けた。
 「ユッド、今の話――グロッサリアが竜人族の攻撃を受けているということだが、グロッサリア側はまだ、準備が整いきっていないということだな?」
 「ええ。竜人族の狙いは手薄なところから落として、勢力を出来るだけ拡大することのように見えます。しばらくはルナリア側には攻撃してこないと思います。――司令、国の枠にとらわれずに、戦力を集中させて竜人族と戦える方法は無いんですか? 出くわした竜人族の数からして、レスカトーレの西のどこかに竜人族の攻撃拠点が作られている可能性があります。レスカトーレの町はおそらく陥落する。グロッサリアの最前線がどこまで後退するか読めません」
 「確かにな。ルナリア一国で対峙するのはもはや限界かもしれん。グロッサリアと軍事同盟を結べないか、かけあってみるしかないな」
視線が、壁にかけられた地図のほうに向けられる。そこには、かつての人間の領域と、竜人族に奪われた後の現在の勢力圏とが生々しく描かれている。
 「"女王"ギメルに竜人族の"国"…か」
フレイザーは呟いた。前任者の死によって思いがけず地位を継いだ若き前線基地の司令官は、驚くべき速度で頭の中の考えをめぐらせている様子だった。「我々が戦い続けてきたのは、何の計画もなく襲撃してくる個々の群れではなかった。組織立った侵略者の作り上げた、強力な王国だった…ということか」
 「しかもそいつらを手助けして育ててきたのが、同じ人間だったとはな」
腕を組みながら、ラーメドは皮肉めいた笑みを浮かべている。
 「襲撃拠点を潰せば、奴等はいったん引くはずです。元々、この辺りの気候は竜人族が生きていくのには向かないはずだ。寒さにも弱い。冬の前に叩けば…雪が降る季節に宿がなければ、連中は荒野の向こうに退く。」
 「グロッサリアとの交渉を纏めるには、中央の意向が必要だな」」
と、ウェイン。「ルナリアとグロッサリアは歴史的に見れば良好とは言えない関係だが、今なら応じるはずだ」
 「交渉役を立てる必要がある。ウェイン、サニエルが戻ったら二人で話しをして業務を分担してくれ。例の竜人の調査と併せて、確実な情報もつかんでおきたい」
 「判りました」
その時になってようやく、ユッドは、砦に戻ってからサニエルの姿を見ていないことを思い出した。いつもなら、こんな場面にはそつなく自然に溶け込んでいそうなものなのに。
 「そういえば、サニエルは?」
 「ロンフェに行っている」
答えたのは、ウェインだ。「我が国最大の交易拠点だ。物資の調達と、イザというときに援軍要請出来るように、その準備だ。攻撃が落ち着いている今のうちに、打てる手は打っておかなければならないからね」
 「竜人族が二十も三十も出てきたのでは、とても戦力が足りない」
フレイザーが頷いた。
 「まずは新たな襲撃の阻止だ。川を封鎖。見張りを徹底。それから、グロッサリアとの同盟が成立したとして、攻撃する先が決まらないことにはどうにもならない。敵拠点の位置を確定させる必要もある。レスカトーレの西側といっても、あの辺りの草原は広すぎる」
 「補給できる町もない敵陣深くまで斥候に出る危険な任務ですね」
低い声で、ウェインが呟いた。「志願者がいればいいが」
 「それに敵の規模が重要だ。本当に人間並みに組織されているのなら、倒すのは容易ではないぞ」
ラーメドも言う。「ヘタをすれば、国家間戦争なみの規模になる」
 (戦争…)
そう、これはもはや、ただ小競り合いなどではない。人間と、竜人族との戦争なのだ。勝利した側がすべてを手に入れ、敗北すれば全てを失って追われる身となる。種族の生存をかけた戦い。胸の辺りがざわめいた。もし勝ち目が無かったら――自分たちは、どこへ逃げればいい?


 「そうそう、ユッド」
報告を終えて司令室を出る時、ウェインが言った。「引越しの最中に飛び出していったきりだったろう? 君の荷物は、丘の上の宿舎に勝手に運ばせてもらったよ。場所は誰かに聞いてくれ」
 「…あ、はい」
そういえば、士官用宿舎に移るという話があったのだった。すっかり忘れていた。言われなければ、以前と同じように丘の下の新兵用の宿舎に戻っていただろう。
 士官用宿舎は、司令室のある建物のすぐ隣だ。
 司令室を出た足で向かってみると、ちょうど建物の前にエリンがいた。掃除道具を手にして、桶の中の汚れた水を捨てようとしている。
 「あ」
大きな茶色の瞳が、大きく見開かれる。
 「ユッドじゃない! 戻ってきてたのね」
その瞳を見たとたんアイユールの丘での一夜が蘇って、ユッドは思わず赤くなっていた。そうだ。誘惑されたあの瞬間、なぜか思い出していたのは、この眼差しだった。
 「…どうしたの?」
 「あーえっと…こでの仕事、もう馴れたみたいだよな」
 「ええ」
エリンは明るい笑顔を向けてくる。「ユッドの部屋は二階の、奥から二番目よ。案内する?」
 「いや、たぶん判るから。仕事の邪魔はしたくない」
 「今日はあとは、夕食の支度まで何もないから大丈夫。」断ったのに、エリンは階段のほうまで後ろをついてくる。「リュカは一緒じゃないの? ちょうど、これからパンを焼くところなんだけど」
 「自分の森に帰ってる。そのうちまたこっちに来ると思うけど、いつになるかは分からないぞ」
 「ふーん。じゃあ、ユッド、食べない?」
 「オレ? いや、でも…」
 「何よ、リュカは気に入ってくれたわよ。これでも、ちょっと自信あるんですからね」
話しているうちに、部屋の前まで辿り着いていた。エリンは少し残念そうな表情だ。
 「…気が向いたら、あとで下の食堂に来て。じゃあね、また」
言い残して、スカートを翻して去って行く。ユッドは、まるで取り残されたようになっていた。
 (何で、そんなに絡んでくるんだよ…。)
女の子の考えることは、よく分からない。
 一呼吸置いて心を落ち着けながら、ユッドは、与えられた新しい部屋に踏み込んだ。
 目の前に、想像していたよりずっと広々とした空間が広がる。ベッドは一人用で個室だし、書き物机に小物入れまでついていて、きちんと畳まれた寝具がベッドの上にそろっている。
 「…うわあ」
今までの、二段ベッドで何人も部屋に詰め込まれていたのとは全く違う破格の待遇だ。実家の自室よりは狭いが、前線基地での暮らしでこんな部屋に住めるとは思わなかった。思わず表情が緩むのが判った。こんなことで喜んでいる場合ではないのは判っているはずなのに、まったく、嫌になる。
 と、背後でドアがノックされた。
 「ユッド?」
エリンの声だ。
 「うわっ、何!」
 「あっ、ごめんね。着替え中か何かだった? そのまま聞いて。さっき言い忘れたんだけど、手紙が届いていたから、荷物のところに置いておいたわよ。」
 「…手紙?」
 「それじゃ」
廊下を、足音が遠ざかっていく。見回すと、部屋の隅にまとめて置かれている荷物が目に入った。その荷物の一番上に、確かに、封筒がひとつ載っている。封は切られていない。取り上げてひっくり返してみると、そこには、見覚えのある筆跡で、母の名が書かれている。
 「母さん…から?」
慌てて腰の剣を外し、ペーパーナイフ代わりにして封筒を切る。中から出てきた上品な便箋の束には見慣れた丁寧な字が書き綴られている。
 それは、前線基地での暮らしを心配する内容や、父や兄の最近の動向、ルナリアの都での出来事など、他愛も無い家族の手紙だった。故郷を出てから、数ヶ月。手紙にかすかに染み付いた実家の香りが、忘れかけていた懐かしさをくすぐる。
 (そういや結局、ここに来てから一度も手紙、書いてなかったな…)
ベッドの端に腰を下ろして、ユッドはぼんやりと家族のことを思った。ここで起きていることの情報を、母たちは一体どれくらい知っているのだろう。
 都での平和な日常が、今は、やけに遠く感じられた。


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