■18


 冷たい朝の空気の中に、竜人族の気配と重たい足音とが響く。乳白色の霧の中、まだ寝ぼけ眼で、朝食の草をしきりと欲しがる馬を叱咤して走らせる。
 「数は?!」
ユッドが叫ぶ。
 「二十ほどです!」
リュカが叫び返す。
 「に、じゅう…? 多すぎるだろ、くそっ!」
向かう方角はレスカトーレに間違いない。夜明けの襲撃をかけるつもりなのだ。一群となって動いている竜人族の群れを追い越して、一刻も早く町に駐屯しているグロッサリア軍にこのことを伝えなければ。
 朝露で濡れた岩の大地に、ひづめの音が響く。
 馬の速度はじりじりするほど遅く感じられ、距離はほとんど縮まらない。やがて行く手に、廃墟となった農場の木が見え始めた。あそこを過ぎてしまえばもう、町はすぐそこだ。
 「…間に合わない」
リュカが小さく呟いた。そして、大きく馬を旋回させた。
 「どうする気だ?」
 「足止めします! ユッドは先へ」
言いながら、竜人族の後ろから突っ込んでいくように方向を変える。気を引いて進行を遅らせるつもりなのか。危険すぎる。だが止めようにも、リュカの乗った馬は既にはるか彼方だ。
 「ああもう! 無茶しやがって!」
怒鳴りながら、ユッドのほうも馬に拍車を当てる。ちょうど農場のほうから、朝の巡廻らしき数人の兵士がのんびりと馬を並べてやってくるのが見えた。そこへ、血相を変えたユッドが猛烈な勢いで駆け込んでいく。
 「敵だ、竜人族だ!」
 「…何?」
 「その先、二十体はいる! こっちに向かってくるぞ、早く防御を固めろ! 早く」
あたふたと、兵士たちが馬を巡らせる。誰も、それが真実かなど疑ってこない。それほどユッドの声と表情が、迫る危機を如実に伝えていた。
 兵士たちが町のほうに駆け戻って行くのを確かめてから、ユッドは、草原のほうを振り返った。地響きのような唸り声が、もうすぐそこまで迫ってきている。リュカは何処だろう? 追ってこないところをみると、まだ足止めしているのだろうか。以前の彼なら、リュカを信じてどこかに身を潜めて待っていたかもしれない。けれど今は、その選択肢は浮かんでこなかった。
 ユッドは迷うことなく馬を巡らせると、元来た方角へ、敵のほうへ引き返す道を選んだ。
 途中、先行していた竜人族に見つかって矢を射掛けられた。けれど全力で走っている馬に矢を当てるのは簡単ではない。落ち着いて矢をかわしつつ、彼は廃墟の方向へと向かっていた。草原の中に点々と、竜人族の躯がそちらに向かって倒れているのが見えたからだ。群れ全体がレスカトーレに向かっているのは変わらないが、少なくとも一部はリュカが引き付け、町とは違う方向に誘導するのに成功したようだった。主を失った馬が、農場の外側をいななきながら不安そうにうろついているのが見える。間違いない、リュカはこの辺りにいる。ユッドも馬を飛び降りて、剣を抜きながら走った。
 リュカは、四、五体の竜人に囲まれていた。周囲には、既にこと切れた竜人が数体倒れている。さすがの彼も、僅かに息が切れている。攻撃してくる相手のスキを突くのは簡単でも、自分から攻撃を仕掛けるのはリスクが高い。ましてや竜人族の豪腕から繰り出される攻撃は、一発でも食らったら死が待っているのだ。
 「リュカ!」
叫びながら、ユッドが乱入していく。一瞬、隙が生まれた。その隙を突いて、少年は脇へ跳躍する。
 「ユッド走って! 馬は?」
 「あっちだ。巡廻の兵に襲撃を伝えた。けど、町にもまだ、敵が向かってる」
そう遠くない場所から、空気を震わすような高々とした咆哮が上がった。鼓膜がびりびりするような、低い、広範囲まで広がる声。戦いの始まりを告げる、仲間たちを呼び寄せる合図だ。ユッドたちが馬に飛び乗った時、農場跡の廃墟にした竜人たちが動き出すのが見えた。本隊と合流しようとしている。
 「何体倒した?!」
 「四、五…五体、だと思います。多分」
 「相変わらず凄いな」
口元に形だけの笑みを浮かべる。「…が――まだ、足りない」
 グロッサリアは今まで、竜人族の襲撃を受けたことがない。今までに攻め落とされてきた国や町の噂を知ってはいても、具体的な戦い方はどれだけ知っているだろう。幾ら兵士の頭数がいても、武器庫には十分な武器があっても意味がないことは、ユッドには良く判っている。


 レスカトーレの町の前では、既に小競り合いが始まっていた。
 報せが間に合ったのか、兵士たちが武器を手に、寄せ来る竜人の群れに応戦している。けれど町の周囲には壁も掘もない。突進してくる竜人たちを正面から止めることもできず、隊列は大きく乱れていた。
 「撃てえーっ」
巻き上げ式の弓を構えた兵士たちが、合図とともに一斉に短い矢を撃ち出す。竜人族のウロコに覆われた固い皮膚でも貫き通せる武器の一つだ。濁った赤い血が飛び散り、咆哮が響き渡る。だが、一本や二本では到底、致命傷にならない。怒りに任せた竜人が転がっていた壊れた柵のはしを掴むと、力まかせに振り回す。逃げようとする人間の兵士たちが悲鳴を上げながら吹っ飛ばされていく。背後から飛びかかろうとしていた者は力強い尾に叩き落され、血を吐きながら地面の上を転がる。
 (背ろは…ダメだ)
ラーメドにいやというほど叩き込まれた戦い方のコツ。必ず正面から急所を狙え、そして、決して立ち止まるな、と。
 「急所は腕の付け根! 首の内側!」
自分を奮い立たせるように、ユッドは怒鳴る。「正面から狙え! 立ち止まるな、動き続けろ! 一撃でも食らったら終わりだ。まずは避けろ!」
 驚いて、グロッサリアの兵士たちがユッドを見る。突然現われた見慣れぬ兵士たちは、一体どこの所属なのかといぶかしんでいる。けれど、素早い動きで撹乱しながら確実に敵を仕留めていくリュカの働きがユッドの言葉に信憑性を持たせた。崩壊しかかっていた戦線が勢いを取り戻す。
 「急所を狙え! 弓兵部隊――」
人間と竜人の声、飛び散る鮮血が入り乱れる。一人、また一人と倒れてゆく。それは、どちらも同じ。気がつくと、周囲には十体近い竜人族の躯が転がっている。
 と、町の端のほうから、今までとは違うやや高い竜人の咆哮が響き渡った。はっとして、ユッドは振り返る。町の反対側だ。そちらから側からも襲撃されていたことは、全く気づいていなかった。戦力は今いる西側に集中している。挟撃されたら、まずい。
 「リュカ!」
振り返って、少年が頷いた。二人は、声の聞こえたほう目指して走る。道端には、なすすべなくやられた兵士たちが転がっている。皆、力任せに頭を砕かれたり、地面に叩きつけられたり、無残な姿だ。
 武器庫の入り口が壊されているのが見えた。剣や斧が幾つか外に転がっている。物資が荒らされているのは一目見て判った。これが、竜人族の本当の目的だったのだ、ということも。
 視界の端にボロ布をまとった姿が過ぎった。はっとして、ユッドは怒鳴った。
 「待て!」
頭かにすっぽりと布を被った宿無しのような格好の男が振り返り、にいっ、と笑う。間違いない。あの時の…
 馬のいななき。
 追いかけよう、とした時、目の前に閃光が走った。えっ、と思う間もなく体が宙に浮く。次の瞬間、耳をつんざくような爆発音が、視界と意識とを奪い去った。
 それから後のことは、よく覚えていない。


 眼を覚ました時、ユッドは、ベッドの上に寝かされていた。見覚えの無い天井。意識とともに、ざわざわと会話する声が聞こえてくる。体を起こすのと同時に、額に乗せた絞った布が手元に落ちた。それを取り替えようとしていたらしい少女が、びくっとなって手を引っ込める。
 「…え?」
 「……。」
遠慮がちに眼を伏せてたらいを手に去ってゆこうとするオッドアイの少女を、ユッドは、ぽかんとなりながら見送っていた。――妖精族の少女がここにいる、ということは、まさかアイユールに戻って来たのか? けれどそれにしては、窓の外は明るいし、ベッドの寝心地もあんまりよくない。
 どこにも怪我をしていないことを確かめるように体を動かしていたとき、部屋の扉が空いて、リュカが入って来た。見覚えの無い、屈強そうな男が一緒だ。
 「気分は?」
 「とりててて悪くはないな。――ここは? 何があったんだ? それに…その」
リュカの後ろに隠れるようにくっついている少女のほうを見やる。「何で、この子が?」
 「フィルダーナは、僕らが心配で後をつけてきていたみたいなんです」
と、リュカ。
 「爆発に巻き込まれたんですよ。武器庫に仕掛けられてたんです。武器庫の裏にあった兵舎も丸ごとやられました。」
 「…爆発? 竜人族が? どうやって」
 「油だ」
言ったのは、一緒に部屋に入ってきた男だった。男盛りの中年で、兵士ではなさそうだが、褐色の体は鍛え上げられている。
 「この人は、ベースさん。交易商人だそうです」
 「ベース・ブラウドだ。うちの在庫の油を丸ごとやられてね。あのトカゲども、うちの一番いい馬も盗っていきやがった」
心底憤慨した様子で言い、太い腕を胸の前で組む。「ここはわしら商人の使う隊商宿だ。火の手に気づいて慌てて在庫を確認にいったら、ちょうどこのお嬢ちゃんと若いのが、あんたを運ぶのに四苦八苦しとるところに行き逢ってな。事情がありそうなんで回収した、というわけだ」
 「はあ…、それは…どうも」
ユッドは頭をかいた。今ひとつ、話が飲み込めていない。あのあと町はどうなったのか。敵は、全員逃げてしまったのか。隊商宿ということは、町から少し離れた場所に運ばれてきたのか? ユッドの混乱した表情を見て、男はちょっと肩をすくめた。
 「ま、少し落ちつくといい。部屋代は気にするな、ゆっくりしていけ。」
それだけ言うと、部屋を出て行った。扉を開いた一瞬、外の喧騒が流れ込んでくる。それは、商品やこれからの商い予定についての心配事の会話だった。
 扉が閉まるとすぐにリュカが口を開いた。
 「あの人は、荒野を渡る長距離の交易をしているそうです。西のほうにも行ったことがあると…竜人族<ドラグニス>のことにも詳しいようでした。何か、手がかりが掴めるかもしれません」
 「ああ、成程な。で、爆発だって? 最後に見たのは、あの人間みたいな姿の竜人が、武器庫の中身を掻っ攫うところだったよな」
リュカが頷く。
 「ベースさんたち商人の話では、ほかに食料と、馬も盗まれているそうです。戦いに備えて町に運び込まれた物資のめぼしいものがすべて。――その中には、セルジオ・ラッドリーが殺される前に運び込んだものもあるそうです」
 「ああ、そうか。ここもセルジオ絡みか。…成程な、読めてきたぞ」
額をこつ、こつと指で叩きながら、ユッドは、ゆっくりと思考を揉み解した。「襲撃の目的は最初から、物資の略奪だったんだ。町を攻めてた竜人のほうは囮。町の内部の様子は前もってセルジオから聞き出してたんだろう。それで手際よく略奪が出来たんだ。…武器商人を殺したのは、用済み、ってことだろうな」
 「あの変わった竜人が仕組んだんでしょうか?」
 「多分。…」
人間めいた表情、知性を持つ目。言葉だけでは無い。あの竜人は、姿以上に「人間そのもの」だ。戦略も、残酷さも。
 (…そんな奴が、竜人族を"統率"してるんだ)
膝の上で、握りこぶしが自然と固くなる。と、その時、目の前を白いものが過ぎった。真剣な眼差しで考え込んでいたユッドの額に、ぺたりと冷たい手が当てられる。
 「? え、え」
 「……。」
少女は、しばらく熱を確かめるように手の平を当てていたあと、ほっとした様子で手を引いて、黙って部屋の隅に引っ込んだ。ぽかんとしてるユッドを見て、リュカが小さく笑う。
 「あんまり真面目な顔をしてるから、頭でも痛いのかと思ったんですよ、フィルダーナは。」
 「ああ…。そりゃどうも。」
昼の光の下で見る妖精族の少女は、領界の薄暗がりの中で見るよりずっと色白で、人間の住処の中では異質な存在だった。無表情で、一言も喋ろうとしない。心配で追ってきただけなら、何も人間の町にまでついてくることはなかった。彼女に、アイユールに引き返す気がないことは確かだった。
 「あのさ、その子、どうしてここにいる? つけてきた、って…アイユールからここまで、一人で?」
 「そうみたいですね」
リュカは、ちらと部屋の隅を見やる。「彼女のように、領界<ファリア>を持たない若い妖精は…自分で巣立ちの時を決めて自由に旅に出るものなんです。花が綿毛を飛ばすのと同じですよ。」
 「ふーん。巣立ち、ねえ」
ただ、目の前の少年は違う。最初から領界<ファリア>の後継者として生まれた彼には、本来なら命の危険を冒して旅をする理由はない。単に自分の領界を守るだけではなく、他の妖精族の領界をも脅かす竜人族について探り出そうとしている。そんなリュカのあり方が、何一つ表面に現さない静まり返った泉の水面のような少女の内面に、何かを引き起こしたのか。
 「ま、リュカがいいってんなら、オレも別に構わないよ。フィルダーナだっけ? 手を貸してくれてありがとな。もう大丈夫だ。…オレは、ちょっと外の様子を見てくるよ」
腰に剣をさし、上着を肩にかけながら部屋の外に出る。商人たちは、まだ商いの話で喧々諤々の話の最中だった。
 「まだ代金も受け取らんうちに、在庫ごと寝こそぎだ! トカゲどもにやられちまった!」
腹に据えかねるという様子で、甲高い声で喚き散らしているのは、最初にレスカトーレに来た時に武器庫の前で話しかけた、あの商人だ。「クソッ、トカゲどもめ! 役立たずの兵士どもが」
 「そうは言うがなあ、こんなのは初めてだぞ」
 「そうとも、ルナリアならともかく、今までグロッサリアに竜人族が攻めてきたことなんぞあったか? ルナリアの連中ならともかく。大体…」
言いかけた男が、はっとしてユッドのほうを、正確にはユッドが肩にかけている上着の紋章を見やる。
 ルナリアの国の紋章。それは彼が、竜人族と戦う最前線にある国から来たことを証明している。
 ユッドは無言に上着に袖を通しながら、気まずそうに押し黙っている商人たちの脇を通り過ぎた。今更、ごまかしても仕方が無い。竜人たちの襲撃に加勢したとき、大勢に姿を見られている。
 ベース・ブラウドは宿の前にいた。ちょうど自分の商隊の残った馬をかき集め、編成を指揮しているところだった。ユッドが出てきたのを見て、目尻に皺を寄せてにやりとする。
 「英雄様のお出ましか。気分はどうだ?」
 「"英雄"? 竜人族を倒したのは、リュカのほうですよ。オレは一体も倒せてません」
 「報せを届けた。それに、的確な指示でここの駐屯兵の全滅を防いだだろう?」
 「ああ。」
ユッドは頭をかいた。「あれはラーメドさんの…本物の"英雄"の受け売りですよ。うちの砦の兵士長だ」
 「"英雄"オウルか。ふむ」
話しながら、男は指と視線だけで部下たちに合図をする。背に荷物を積んだ馬たちが、商人たちに引かれて次々と町の出口へ向かっていく。積んでいるのはほとんどが怪我人で、何頭かは荷車を引いている。
 「戦線離脱する連中だ。昨日の爆発で逃げ出したり、トカゲどもに持って行かれたりで数が足りなくてな、急所うちの隊を貸すことになった。ま、輸送費を貰えりゃ何でもいいが」
ということは、荷車に布をかけて乗せられているのは自力で馬に乗れない物言わぬ兵士たちなのだ。全滅を免れたとはいっても、あの戦いで死傷した数は決して少なくは無いだろう。
 「ベースさんは、セルジオ・ブラッドリーのことを知っていますか」
 「ああ、奴が駆け出しの交易商人で、青二才だった頃からよく知っておる。一時期は同じ交易路を使っていたな」
 「竜人族に殺されたことは…」
言いかけたユッドの前で指を降り、ゆっくりと歩き出す。ここでは話せない、ということだろう。ベースは宿の裏側へと向かっているようだ。その先に、前回訪れた時にも見た深緑の屋根をした武器庫の残骸が見える。残骸、といったのは、端の方だけ残してほとんど焼け落ちているからだ。焦げ臭い匂いがまだ、風の中に燻っている。
 その武器庫と宿の間が、商人たちの集合場所になっているのだった。商隊宿というだけあって宿の脇には馬車が何台も連なり、厩にもたくましい荷運び用の馬がずらりと勢ぞろいしている。
 「その前に一つ聞いておくが…、お前たちは一体、何者だ? ルナリアから来たのは間違い無さそうだが、グロッサリアに来てまでトカゲどもと戦ってるのはどういうわけだ。何故セルジオのことを聞く?」
 「人間の中に竜人族との内通者がいるからですよ。セルジオがそうだった」
ユッドは包み隠さず、ありのままを告げる。「オレはルナリアの、リオネス砦の兵士です。こちらは辛うじて陥落を免れたけど、もう一つのレグナス砦は耐え切れなかった。竜人族の中には人間の言葉を話し、人間のように戦える奴もいる。何が起きているのか確かめないと、このまま戦い続けても勝ち目はない。人間も、妖精族も、少しずつ追われていくだけだ」
 「それで、セルジオを追っていたのか。なるほど…」
 「何か知っているんですか?」
 「噂レベルだがな」
言いながら、男は周囲にそれとなく視線をめぐらせた。商人たちは出発準備で忙しく、そうでなければ商品の点検や、商談、積み込みの相談など、こちらに注目する者はいないようだ。
 「どこから話すか…そうだな、竜人族の"女王"、ギメルの話からしようか。」
 「女王?」
 「そう呼ばれてる。名が聞こえ始めたのは三十年ほど前のことだ。そいつが、元は砂漠の南のほうに散らばって住むだけだった竜人族を束ねて"国"を作り始めた。竜人族の寿命は三十年ほどと言われているが、長寿な奴なんだろうな。知っているかはわからんが、竜人族というのは毎年春の繁殖期に卵を産んで増える。増えるのは早い。同種同士での食い合いや無駄な縄張り争いが減れば、爆発的に増える。そうして人間の住処を少しずつ脅かすようになってきた」
 「そこまで判ってたんですか?」
ユッドは驚いていた。今まで誰も、竜人族がなぜ、人間の住処を襲うようになったのか、はっきりとした答えを持ってしなかったからだ。
 「ま、他にも理由はあるのかもしれん。わしら商人から見た理由がこれだというだけだ。――最初は砂漠に近い、南の国が滅ぼされた。それから北へ、東へ、野火の如く少しずつ奴らの領域は年々、増えていった。短命な分、人間より増える速度は速い。おまけに身体能力も高い。人間の知恵に並ばれれば、そりゃあ、分が悪い」
 「つまり…竜人族の"国"自体を滅ぼさない限り、この戦いは終わらない?」
 「そうだ」
頷いて、ベースは続ける。
 「噂は、かなり前からあった。竜人族によって封鎖されたはずの西方の交易ルートをまだ使っている商人がいる、と。そいつらがやけに羽振りがいいことも。竜人族と戦っているどこかの奇特な武装集団とでも取引していれば良かったのだがな。…おそらく、取引相手は竜人族だろう。取引の対価は南方の、竜人族の領域にある鉱山で採れる銀。人間と取引するよりも歩合は良い。」
 「相手は人間の敵なのに?!」
 「人間と敵対するようになり幾つかの国が滅ぼされてもなお、自分の懐だけを満たそうとする…、そういう連中も商人の中にはいる」あざけるような笑み。「火事がいずれ自分の家にも燃え移ると気づかずに、油をどんどん売り渡すような馬鹿な連中だ。向かいの家に火が着いてはじめて、騙されたと騒ぐようなものだ」
 「…セルジオ以外にもいる、ってことですか」
 「おそらくな」ちらりと、商隊宿のほうに視線をやる。「だが、さすがにもう気づいただろう。これでもまだ取引を続けるとは思えないがね」それから、ユッドのほうに向き直る。
 「で、これからどうするつもりだ? あんたらは」
 「どう…?」
 「他に手がかりは? どうやって、竜人族の"国"と戦うつもりだ」
 「それは…。」
竜人族の数は、人間よりも多いかもしれない。しかも人間の商人から手に入れた大量の武器を手にしている。投石器さえ使いこなせる。たとえこの先は人間の内通者を利用できなくても、戦況は敵が有利だ。
 言葉に詰まっているユッドを見て、ベースは、大きな手でぽん、と肩を叩いた。
 「ま、お前らなら何とか出来んだろ。期待してるぞ。ところでなあ、こっちも一つ聞きたいんだが」
 「何です?」
 「一緒にいた、あの真っ白な女の子。ありゃあ…妖精族じゃないのかい?」
一瞬、ユッドはどう言うべきか迷った。だが、隠す理由も無い。
 「そうですよ。彼女と、もう一人、リュカも妖精族です」
 「何? あの男の方か?! 兵士にしちゃあ随分若いと思ってたが――まさか、アイユールの丘から連れてきたんじゃないだろうな」
 「えっ?」
 「妖精族の住処があるんだよ、この辺の連中なら皆知ってる。若い男が近づくと、霧に惑わされて帰ってこられなくなる、ってな。気にいられると何十年でも留め置かれて、解放されたときには老人になってる、なんて話もあるくらいだ」
 「……。」
なるほど、あのフィオーネと娘たちならそのくらい、やりかねない。
 「えっと…リュカはサウィルの森の妖精族ですよ。リオネス砦の近くの。」
 「おお、そうか。そりゃそうだな、ルナリアにも妖精族はいるよな」
すべて話したわけではないが、嘘は言っていない。そう思うことで、ユッドは微かな罪悪感を誤魔化した。
 「にしても、男の妖精族とは珍しい。それに髪も肌も、まるきり人間じゃないか。人間にしか見えん」
 「そうなんですよね。変わってるでしょう。でも人間みたいな見た目の竜人族もいるくらいだし、案外、そういうものなのかも」
 「はっはっ、じゃあ竜人族みたいな人間も、探せばどっかにいるのかもな? そういやあ、よく行く酒場にとんでもない見た目の化け物みたいな給仕がいたが――。ははっ」
笑いながら、ベースはユッドの肩をぽんぽんと叩いた。
 「このあと、わしらはグロッサリアでの用事を済ませたらルナリアのほうにも商いに行く。あんたらは国に戻るんだろう? もしそっちで会うことがあったら、よろしくな。」
 「ええ、是非。道中で判ったことがあったら教えてください」
ベースとは、そこで判れた。
 部屋に戻ると、リュカが待っていた。
 「お帰りなさい。どうします? 少し休みますか、それとも」
 「出発しよう」
迷いなく、彼はそう答えた。
 近くに竜人族が潜んでいる以上、このグロッサリアも、間もなく戦場になる。この町では竜人族の襲撃を受けて持ちこたえることは出来ない。次の襲撃が陥落の時だ。そうなったら、この国の前線基地は一体どこになるのだろう。
 もどかしい気持ちはあるが、ユッドはルナリア国軍に所属する身なのだ。援軍要請を受けて派遣されたわけでもないのに、勝手に他国で戦うわけにも行かない。
 (まだ、手遅れじゃないはずだ)
 少しずつではあっても、確実に、竜人族の内情に追いつきつつある。戦いの目的、狙い、戦力、規模。問題は、急変しつつある事態に追いつけるかどうか。敵の本格的な進攻が始まる前に、こちらが有効な手を打てるかかどうかだけだ。


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