■15


 雨が止んだ次の日、ユッドとリュカは、まだ早い時間にレスカトーレの町に到着した。
 ここまでの道でも思ったことだが、随分と警戒厳重だ。ユッドたちと同じ方角に向かっている旅人は皆無で、逆方向に向かっている人としかすれ違わなかった。そしてレスカトーレの町では、町の規模のわりに出歩いている人が少なく、そこかしこに兵士がいる。見回りをしているというよりは、この町に駐屯しているようだ。通りの端で、一塊になった兵士たちが上官らしい人物に何か報告している。まるで戦時中のような物々しさだ。
 ユッドは、それとなく兵士たちの装備を確認する。揃いの上着の下には、簡素だが防具をつけている気配がある。腰に提げた剣や手にした槍はもちろん、いつでも出撃できる準備が整えられている。それに、町の出入り口にはいつでも出られるよう、鞍を置いたままの馬がいる。
 (竜人族が出た、というのは本当らしいな…。)
町に入ろうとすると、兵士が近づいてきて二人を止めた。
 「待て、どこへ行く? ここから西は通行止めだぞ」
 「あーっと…親方を追いかけてきたんですよ、はぐれちゃって」
咄嗟に、ユッドは口からでまかせを言った。「武器商人の商隊を手伝ってるんで。五、六台の馬車を連れてる、セルジオ・ラッドリーっていう親方なんですが…ここに来てません?」
 「さあ、知らんな。だが武器商人なら、確かに何人かは物資を届けに町に来ている」
 「本当ですか? どこに?」
 「この先の武器庫のほうだ」
兵士は、町の奥に見えている深緑の屋根をした建物のほうを指差した。「武器庫前の広場に商隊がいるから、行って探して来い」
 「ありがとうございます!」
疑われずに町に入り込むことが出来た。内心ほっとしながら、二人は兵士に教えられた建物のほうに向かった。
 建物の前の広場には、あちこちから集まってきたと見える武器商人たちがいた。馬車もいくつも留められている。次々と運び卸されているのは剣、槍といった普通の武器のほかに、威力の高い巻き上げ式の弓、小型の投石器、緊急時に使うのだろう狼煙台など、防衛戦に使われるような品々だ。
 「ん? 何だお前ら。見慣れねぇな、どこの隊のもんだ」
ユッドたちが佇んでいると、荷物の積み下ろしに眼を光らせていた商人の一人が近づいて来た。
 「セルジオ・ラッドリーって武器商人を探してるんですよ」
 「なぁ? セルジオだぁ?」
 「知ってるんですか?!」
男は、何故かばつの悪そうな顔になって視線をそらす。
 「どこにいるんです?」
 「いや、あいつは…。」
もぞもぞと歯切れが悪い。
 「最近、ルナリアからこっちに向かってきたはずなんだ。知ってるんなら教えてくれ」
 「死んだよ」
 「死んだ?」
 「その――竜人族に殺された」
ユッドは、ぽかんとした顔になった。竜人族に? 協力者ではなかったのか?
 「どういうことなんですか」
思わず詰め寄っていた。その声で、ほかの商人や荷担ぎたちが振り返る。
 「しーっ、大きな声出すんじゃねぇよ。おれも詳しくは知らんよ。ただ、その…数日前、町の近くの廃墟に、首が吊るされてたとしか…。」
妙に前のめりな怪しい若い男から離れるように、男はじりじりと体の位置をずらしていく。「詳しい話が知りたけれゃ、そのへんの兵隊さんにでも聞けよ。おれはまだ仕事がある…じゃ、じゃあな」
言うなり、あたふたと仲間たちのほうに駆け戻っていってしまった。二人は顔を見合わせた。手がかりは、ここで切れてしまった。
 「竜人族に殺された、ということは…仲たがいでしょうか」
 「かもな。けど、リュカの言ったとおり武器商人が竜人族を隠して運んでたのは間違い無さそうだ」ユッドは顎に手をやった。考えなくてはならない。これからどうするか。ここから、見失った尻尾を再び見つけ出すにはどうすればいいか。「セルジオを殺したのが数日前なら、まだ、この近くにいるかもしれない、けど…」
レスカトーレの町にいる兵士たちは、町の周辺で目撃された竜人族を探し回っているはずだ。その探索に引っ掛かっていないということは、別の隠れ家を見つけて潜んでいるか、それとも、ずっと遠くへ行ってしまっているか。
 ユッドは、今までの竜人族の行動パターンを思い浮かべた。
 人間の巡廻ルートは、案外決まっている。もしかしたら、この国の兵士たちはかつての自分たちと同じように竜人族の知性を侮り、獣狩りでもするように決まったルートでしか見回りをせず、その隙間に隠れている敵を見逃しているのかもしれない。
 「…まだ、近くにいる。そんな気がする。探そう」
 「判りました」
リュカが頷く。その表情を見ていると、また、あの言葉が蘇ってくる。
 「…無理は、するなよ。いつも都合よく雨が降るとは限らないんだ」
 「判ってます」
少年は肩をすくめた。それから、眼差しを町の外側、草地が続く何もない荒野の方に向けた。「この辺りは地下から水の気配がします。もしかしたら、どこかに地下水が湧いている場所があるのかも」
 「そいつは助かるな。じゃあ、休める場所を見つけたら休んでいこう」
その日は町に宿を取らず、二人はそのまま、兵士たちに見つからないよう町を出て西の平原に足を踏み入れた。地図には載っていない、道も無い、方向感覚だけが頼りの場所へと。


 町を出てからの道は、さほど迷うものでもなかった。巡廻の兵士たちがつけたと思しき馬の足跡が、町の入り口から四方へと小道を作っている。そのうちの一つ、いちばん踏み跡のしっかりついている道を辿っているうちに、ユッドたちは、荒れ果てた農場跡のようなところに辿り着いていた。もう何十年も前に無人になったらしい朽ち果てた場所で、畑は草で覆われ、納屋も家屋も、土台の石積みを残して上部は崩れ落ちている。そこに、幾つもの真新しい馬の落し物が、足跡と共に残されている。農場の入り口には枯れた大きな木が一本。そのあたりの地面は撹乱されている。
 「もしかして、ここが武器商人の首が吊るされてたっていう場所なのか」
木を見上げながら、ユッドが呟いた。ルナリアから追いかけてきた武器商人、セルジオ・ラッドリーは、ほんの数日前までは生きていた。けれど何があったのか、協力していたはずの竜人族に殺されて、首を吊るされることになった。
 「ここは、道から近いですね」
馬上からリュカが振り返る。「誰でも、すぐに見つけられる目立つ場所です」
 「だな。バレないようにするなら、廃屋の中にでも死体を隠すはずだ。意図的にここに吊るして、自分たちがここにいることを教えたんだ。だとすると…」
馬を降りて、ユッドはあたりの地面をよく調べてみた。馬の足跡のほかに、深い車輪の轍。馬車が重たい荷物を乗せてここに辿り着いた痕跡だ。轍の跡は、薄くなりながら廃墟から奥の草原の中へと続いている。竜人たちは馬車を積荷ごと奪って持っていったのか。何のために?
 二人は、しばらく轍の跡を追ってみることにした。やけにでこぼことした草原の奥には丘陵地帯が連なり、足元は岩だらけで固い。地面というよりも直に岩で、草さえほとんど生えておらず、とても耕して作物を作れそうにない。ここから先が無人で町も村も無いのは、それが理由らしい。
 「あ」
 「どうした?」
 「水の音。――近くで音がします」
リュカが馬の首をめぐらせる。かつ、かつと蹄が岩の表面を叩く音。ユッドの耳には水の流れる音など全く聞こえなかったが、リュカは、迷うことなく真っ直ぐに馬を進めていく。
 やがて、岩で出来た地面が大きく裂けた谷間のような場所が見えてきた。馬を降りたリュカが、谷の奥を覗き込む。その時になってようやく、ユッドにも水の音がわかるようになっていた。リュカに並んで覗き込むと、狭い谷の奥底に、細い川が流れているのが見えた。地下の川、と呼ぶべきなのだろうか。この岩で出来た土地の下には、水が削った隙間が出来ているのだ。
 これで、リュカが困る心配はない。だが、ほっとする間もなく、ふいにリュカが険しい表情になって立ち上がった。
 「竜人族<ドラグニス>がいます」
 「何だって? どこに」
辺りを見回しても、動くものは風に揺れる枯れ草だけ。隠れる場所など無いはずだ。
 「…わかりません。気配だけはあるんです。そう遠くない…」
いつでも逃げられるよう、馬の手綱に手をやりつつ、二人は辺りを用心深く見回した。風の通り過ぎる音。薄い雲が大地に陰影をつけながら流れてゆく。沈黙だけが過ぎてゆく。
 ひとつ溜息をついて、ユッドは馬の背に乗った。
 「どこかに死体の一つでも落ちてるのかもしれない。巡廻の兵士と戦った跡がある、とか」
 「でも…」
 「このままじっとしててもしょうがない。探してみよう。方角は? どっちだ」
リュカは、草原の奥を指差し、自分も馬の背に飛び乗った。
 「散らばっているようです。まだ少し遠い…数ははっきり分からない。ただ、少なくは無いと思います」
 「気配を感じられるなら、そう遠くはないはずだよな?」
馬の背の上から見渡しても、何も見えないのだ。
 (まさか、岩の割れ目にでも潜んでるのか?)
足元の、ひびの入った岩の大地を見下ろしながら考える。辺りに巡廻の兵士の気配はなく、馬の通った跡もない。旅人もおそらく、こんな何もない場所までは踏み込んで来るまい。竜人族は人間の町を襲いにやってくる、それが常識だ。兵士たちだって、町の近くを重点的に見回るだろう。
 (いや、待てよ? …そうか)
 町の近くの廃墟に吊るされた首。
 もしも、その首が、町を狙っていると見せかけて兵士たちの目をそこに釘付けするためのものだったとしたら。
 本当の狙いが別の場所にあるとしたら。
 「ユッド、近い」
リュカが囁いたその時、すぐ近くの茂みががさがさと揺れ、何かが立ち上がる。
 「!」
はっとして腰の剣に手を伸ばす。
 だが、――
 「驚いた、ただの旅人か」
それは、両手を挙げ、頭からすっぽりとボロ布を被った大柄な男だった。擦り切れたローブと手袋で体のほとんどを覆い隠し、言葉にはかすかに雑音のような訛りがある。ユッドは、あっけにとられて武器にかけようとしていた手を離した。
 「一人か? 何やってんだよ、こんな何もないところで」
 「何と言われてもな、ここに住んでいる」
男はにいと笑って見せた。牙のような犬歯が一瞬だけ、見えた。「おれの見てくれは、何かと人に驚かれるんでね。こういう場所が丁度いいのさ」言いながら、顔にかけた布を撫でる。確かに、その布の下は有り得ない膨らみかたをしていた。それに、外に見えている部分の肌の色も悪い。病気か何かだろうか、とユッドは思った。見た目のせいで町に住めなくなった宿無しが、人目を避けて荒野に身を潜めているのだと。
 「この辺は最近、竜人族がいるらしいぜ? 見つかったら殺されるぞ」
 「ははん、そりゃあどうも。そういうあんたらは、こんなところで何をしている? 兵士でもないんだろう」
 「ちょっと人探しだよ。人っていうか…」
 「…ユッド」
遮るように後ろから、リュカの固い声が飛んできた。「そこから離れて」
 「え?」
振り返ると、リュカが剣を抜きながらローブの男を睨みつけていた。
 「おい、何を――」
 「そいつは――」
リュカが手綱から手を離すのと、男が口元を釣り上げて動くのとが同時。
 「竜人族<ドラグニス>!」
馬の背を踏み台に跳んだリュカの一閃が空振りした。大きく後ろに跳びすさった男の、何も履いていない足に、びっしりとウロコの生えた膝から下の足が見えた。大きく捲りあがったボロ布の下に見えたのは、何とも言いがたい異形の風貌だった。
 人に良く似た輪郭に、部分的に竜人族を混ぜたような。
 トカゲの顔に人の眼と髪を足して、肌にウロコをまばらに散りばめたような。
 口元が耳まで裂け、長い舌がだらりと突き出されるのを見て、ユッドはぞっとした。なまじ人間に似ている部分があるだけに、余計におぞましい。
 「ブォオオオオッ!」
耳をつんざくような遠吠え――否、仲間たちを呼び寄せる警戒音。異形の竜人にさらに攻撃を加えようとしていたリュカが、はっとする。
 「…近づいて来る、周囲から! 数が多すぎる」馬に駆け寄る。「離れましょう、ここから。急いで!」
 「え? おい…ちょっ」
待ってはくれなさそうだ。振り返ると、人間もどきのような姿をした竜人が、爛々と輝く目でこちらを見ていた。追って来ようとはしていない。仲間が来るまで手を出さないつもりなのか、或いは、仲間がいれば逃げられるはずがないと思っているのか。
 リュカは、どんどん先へ走っていく。
 「早く!」
せかされるまま、ユッドも馬を走らせた。遠くに、こちらに向かってくる見慣れた姿の竜人の巨体がある。五体、十体。――いや、それ以上の数。
 さすがのリュカも、それだけの数を相手に突っ込む気にはならないようだった。敵から逃れるように馬を回れ右させ、草原の奥へ向かって馬を走らせる。後ろで、警戒音が続けざまに鳴り響く。背中に冷たい汗が流れる。もしも囲まれていたら。…もしも、気づくのが少し遅れていたら。
 「……!」
急に、リュカが馬を止めた。
 「どうした」
 「向かいからも…」
 「何だって? けど、今さっき居たのは…。」
全部で十五体。ルナリアから侵入してきたのは、それで全てではなかったのか。
 「それだけじゃなかったんです」
リュカは悔しそうに呟きながら、再び馬首を巡らせた。「多分まだ他に、侵入してきていたんですよ。この辺りは人間が住んでいなくて、大勢で隠れるには丁度いいから…」
 敵を避けるようにして馬を走らせる。日は既に翳りつつあり、このまま夜になれば、夜目の効かない馬では走りづらくなる。おまけに、辺りにはうっすらと、乳白色の霧がかかりはじめている。
 と、再びリュカが馬を止めた。
 「どうした? まさか、この方向にも敵が待ち伏せているのか。
 「…領界<ファリア>」
 「何だって?」
リュカは、驚いた表情で行く手を見つめている。「領界<ファリア>があります。この先…」
 いつの間にか二人は、草原の入り口からはるか遠くに見えていた丘陵地帯まで来ていた。そして、その丘の一つの上に、深みを増しつつある夕暮れの藍色の空の中に浮かび上がるように白く揺れている影があった。
 それは、岩の上にちょこんと腰を下ろした妖精族の少女の姿だった。じっ、とこちらを見つめている。周囲はの風景はいつしか、カーテンのように降りた薄い霧によって覆い隠されつつあった。


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