■14


 ルナリアとグロッサリアの間はルーヴァ川の支流で別たれている。川を渡れば隣国はすぐそこだ。
 支流とはいえ水の勢いは強く、とうとうと流れる銀の流れは普段は浅瀬だが雨が降ると深みを伴う濁流に変わる。街道沿の関所のあたりには橋が架けられていて、その橋が国境を越えるごく普通の方法だった。自前で舟を用意したのでもない限り、目的の武器商人もここを通っていったはずだが、関所での聞き込みは空振りに終わった。
 「名前と、だいたいの風貌だけじゃあなあ…。」
馬を走らせながら、ユッドは溜息をついた。リオネス砦で応対したカリムの記憶と、最後に目撃されたマリッドの町での聞き込みから、竜人族と繋がっていると思われる問題の武器商人が一人だけで、どちらも同じ人物だったことは判っている。やや猫背で小柄な、中年の男。そう珍しくも無い茶色の髪と瞳で、ラッドリーと名乗ったという。
 せめて一つくらい目立つ特徴があれば、もう少し楽だったかもしれない。そう思いながら、最初の町で手に入れた簡素な地図を広げる。
 「この先も道に沿って行くんですか?」
馬を並べながら、リュカが訊ねてくる。「もしかしたら、人の多いところは避けているかもしれません」
 「どういうことだ?」
 「ラーフィーは…、領界<ファリア>の近くに二十体もの竜人族<ドラグニス>がいると言っていたんです。最初に報せが来た時の内容はそうでした」
 「二十?! けど、オレたちが駆けつけたとき、実際にいたのは…」
 「ええ。五体だけでした」
だとすると、残り十五体がまだ、近くに潜んでいることになる。
 「僕は、その残りの竜人族<ドラグニス>が、人間と一緒にいるんじゃないかと思ってます」
 「……。」
有り得ない話ではなかった。陥落したレグナス砦も、そしてリオネス砦も、戦力を偵察された上で手薄になる機を狙って襲撃された。偵察から襲撃まで数日しかない。偵察役の人間と竜人族とは、行動を共にしていたと考えるほうが自然だ。
 だが、一体どうやって竜人族を見つからないように隠す?
 「竜人族と一緒にいるなら、こんな大通りじゃなく、もっと人通りの少ない目立たない道をこそこそ行きそうだけどな。うーん…けど、さすがに数が多すぎるな…。」
考え込みながらゆっくり馬を走らせていると、向かいから馬車を連ねた商隊がやって来た。この辺りはルナリアとグロッサリアを繋ぐ主要な街道だから交通量が多い。ロバに引かせた荷馬車と馬車が狭い隙間を空けてすれ違い、その間、ユッドとリュカは道の端に馬を寄せて待っている。
 ――と、その時、ユッドに閃くものがあった。
 「そうか…そのための"武器商人"なんだ。」
 「え?」
 「行商人なら商隊を組む! 馬車だよ。ああいう大きな馬車の中に隠せば、竜人族だって目立たない…!」
そう、人間が協力していると判った時点で予測しておくべきだったのだ。竜人族は舟も、馬車も使わない。だが人間は、荷物を運ぶためにそれらを使うことが出来る。――荷物以外に、人ならざる"客人"を運ぶときでも。
 「そうとなりゃ、探すもんを変えるだけだ。竜人族が十五体だろ? あいつら図体がデカいから、一つの馬車に四体として、えーっと…最低でも四台」
 「本物の商品を乗せる馬車も必要ですよね」
とリュカ。
 「そうだな。たぶん、五台はいる。つい最近ルナリアから来た、馬車五台以上で移動してる武器商人の商隊。武器商人一人を探すより、ずっと特定しやすいぞ」
再び地図を広げると、ユッドは、次の目的地を決めた。「よし、スリーズに行ってみよう! 街道の交わる場所だから、きっと大きな市が立つ。」
 実を言うと、ユッドにもそれほどの自信があったわけではなかった。何しろ、グロッサリアに来るのは初めてなのだ。というより、ルナリアから遠く離れるのさえ、砦に赴任した春が初めてで、まさかこんなに遠くまで来ることになるとは思ってもみなかった。
 馬車のすれ違いが終わり、道の脇に退いて待っていた旅人たちが動きだす。ユッドは、リュカを確かめるようにちらりと見た。
 (まだ、大丈夫…だよな)
出発する前、ラーメドに言われたことが引っ掛かっていた。「妖精族は生きているだけで魔力を使う。それは生命力と同じものだ」と。妖精族は人間のように毎日食べ物を口にしなくても、清らかな水さえあれば生きていける。だが逆にそれは、「水が無ければ死んでしまう」ということ。食べ物と同じなのだ。
 ルーヴァ川の支流を離れて、今日で二日目。どのくらいの間、水から離れていられるのかは、ユッドには判らなかった。


 街道の交わる場所にあるスリーズの町は、行ってみると、地図で見るより遥かに大きくて賑やかな町だった。通りの喧騒、宿屋や屋台の呼び込み、通りまでテーブルのはみ出した食堂。治安のためなのか、商品を積んだ馬車が行き交う中を巡廻している兵士たちがいる。それに気づいたユッドは、慌てて上着を脱いで荷物の中に隠した。ルナリアの紋章入りの上着は、異国では余計な誤解を招きかねない。
 通りは人で溢れて、馬は思うように進まない。諦めて、ユッドたちは馬を降りることにした。
 「すごい数ですね」
リュカは、驚きを隠せないでいる。「こんなに群れて大丈夫なんですか、人間族<ヒューリット>は」
 「うーん、いや…ここまで人が多い町は珍しいよ。王都だって、祭りの時くらいしかこんなに混雑はしない。これじゃ竜人族なんて隠れられそうにないな」
 「そうですね」
いくら馬車に隠していたって、体の大きな竜人族は目立つ。こんなに警戒厳重な場所は通るはずが無い。それでも、ここまで来たからには少しでも情報が欲しかった。
 ちょうど、通りを商人の荷車が通り過ぎようとしていた。これから店に卸すのか、鮮やかな色の野菜を山ほど積んでいる。この人ごみで思うように進めず、人ごみにさからうようにしてのろのろと進んでいた。近づいて、ユッドは旅人を装いながら荷台の男に話しかける。
 「いい色だな。その野菜、ここの近くで採れたのかい?」
 「ああ? そうだよ、すぐ近くの村で作ってる」
灰色の顎髭の男は、胡散臭そうな目でじろりとユッドのほうを見た。「あんたら他所から来たのかい」
 「ルナリアからね。この辺は初めてなんだよ。この町、いつもこんなに人が多いのか?」
 「いんや、ここのところ急に多くなったね。西の方に竜人族が出たっつう話で」
 「竜人族が?」
 「知らんのか? 旅をしとるんだろうに、全く」
ろばにゆっくりと荷車を引かせながら、男は哀れむような顔で首を振った。「西のレスカトーレの辺りじゃ大騒ぎになっとるんだぞ。軍の連中が走り回っとるし、気の早い連中は逃げ出して来とる。わしらも物資の調達だとかで大忙しよ」
 「…初耳ですね」
と、リュカ。「どのくらいの数だったんですか? 戦いになってるんですか」
 「さあな、詳しい話は知らんよ。とにかく、旅をするなら気をつけるんだな。西の方へは行かんほうがいい」
男の口ぶりから、ルナリアで起きた事件のことはまだ、この国には伝わっていないようだった。竜人を見たというのがどの辺りなのかもう少し詳しく知りたいが、一体誰に聞けばいいのだろう。まさか、その辺りを歩いている兵士に聞くわけにも行かない。かといって、ゆっくり情報集めをしている時間もなさそうだった。
 「どうしますか? ユッド。その、レスカトーレという場所に行ってみますか」
 「けど、場所が分からない…。ちょっと待って」
急いで地図を広げて、街道の上に指を走らせる。「西…ここから西っていったら…」顔を上げて、町から続いている街道のほうを見やる。「…多分、この道を辿っていけば辿り着くな。ただ…」
 「ただ?」
地図を見ながら、ユッドは険しい表情になっていた。地図で見る限り、そこに辿り着くまでの間に川や湖の類は一つも無い。道のりにして三日ほど。往復を考えれば、距離はもっと長い。
 「リュカ…」
 「? なんでしょう」
聞きづらいことだったが、最初に確かめておかなくてはならない。
 「この先、水場は無さそうだ。お前は、どのくらい水から離れていられる?」
リュカは一瞬、きょとん、とした顔になった。それから、じんわりと表情に真剣さが滲んでいく。
 「…そうか。そうでしたね、ここは、簡単に領界<ファリア>に戻れる場所ではなかったですね」
 「どうする? お前の命に関わる話だ。少し遠回りして、川の近くを通ってもいい」
 「いえ。大丈夫です、多分」
少年は、空を見上げた。「…雨が降りそうですから」
 「雨?」
ユッドも同じように見上げる。「晴れてるけどなぁ」
 「水の匂いがするんです。明日の朝には、降りますよ」そう言って、リュカは笑った。「天からの恵みの水です。」
半信半疑だったが、果たして、彼の予測は当たっていた。
 次の日の朝、宿で眼を覚ましてみると、細い雨が音も立てずに街道を濡らしていた。そしてその雨は、まる一日ずっと降り続けていたのだった。


 静かな雨が細い糸のように天から降り落ち、静かな音とともに世界を白く包み込んでゆく。
 初夏の雨は冷たくはなく、けれど、ずっと打たれ続けていると体が冷えてくる。雨具のフードを手で押し上げながら、ユッドは、前髪から滴り落ちる露を払って行く手に目を凝らした。景色は靄のかかったようにぼやけ、遠くのほうに微かに町らしき黒い陰が見えているばかり。街道は一本道だ。このまま真っ直ぐに走れば目的の町に辿り着く。
 馬の足が泥を跳ね上げ、向かいからやって来た別の旅人とすれ違うたびに足元が汚れていく。けれど隣を見ると、リュカは、雨具も身につけず平然と雨に体を晒したまま、汚れる気配もない。暗い色の髪がいつもよりしっとりと額に張り付いている以外、ちっとも濡れた感じがないのは、一体どういう手品なのだろう。
 はっとして、ユッドは思わず声をかけた。
 「リュカ」
 「はい?」
口元に微笑を残したままも少年が顔を上げる。「どうかしましたか」
 「…いや、つい。」笑っている、と思ったのは見間違いではなかったのだ。「何だかとても楽しそうに見えたから」
 「そうですか?」
彼は、ちょっと首をかしげた。「気持ちいいなって思ってただけです」
 「気持ちいい? …雨が?」
 「ええ。人間とは違う感覚かもしれないけど…そうですね、人間で言う、ふわふわした毛布にくるまれてる感じかな」
言いながら、彼は眼を細める。
 「ここは空との間に何も無いから、体全部に雨粒が落ちてくる。サウィルの森では、雨は枝の隙間を伝って少しだけ落ちてくるんです。緑の葉の上を滑って、幹を伝って…。雨の日の森は静かで、緑が鮮やかで。雨の日はよく、森を散歩してました」
それは、ユッドにも少しだけ判る感覚だった。子供の頃は、雨が降るのが好きだった。濡れた地面の匂い、いつもより鮮やかに見える草木と不思議な静けさと。けれど大人になるにつれて、いつしか、雨はただ鬱陶しいものになっていった。
 フードを目深に被りなおしながら、ユッドは、視線を行く手に戻した。
 「…明日には、目的地につけそうだな。」
雨雲の切れ間が行く手に見え始め、雨音は、少しずつ背後へと遠ざかりつつあった。


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