■12


 翌朝、ユッドは酷い頭痛と共に眼を覚ました。
 控えめにした――つもりではあったのだが、付き合った相手が悪かった。ラーメドは確かにざるだった。最後までほとんど顔色も変えず、対するユッドのほうはといえば、兵舎に帰りつくまでは何とか意識があったのだが、その先は、全く覚えていなかった。
 青ざめた顔で現われたユッドを見て、ウェインは苦笑した。
 「初日から遅刻とは、大物だな」
 「すいません…。」
申し開きをする元気すらない。
 「まあいい。とりあえずは、仕事の進め方の説明からだ。そこに座って。…水を持って来よう」
その日は、ウェイン以外は誰もおらず、仕事は淡々と進んでいった。何をすればいいのか今ひとつ想像がつかないまま就いた仕事だったが、大半は書類仕事だった。ペンを手に、紙の上で書きものをするのは久し振りだ。この砦に来てからはずっと、剣や槍や、すきや箒、荒っぽい道具ばかりを握っていた。最低限の読み書きと計算が勤まるようなものばかりで、こんなものでいいのかと、やっているうちに不安になってくる。
 (これじゃ、ちっとも面白くないな…)
厳しい訓練に明け暮れている同年代の新兵たちからすれば羨まれる待遇のはずなのに、ユッドには、今ひとつしっくりこないのだった。
 やがて、いつもより長く感じられる一日が終わった。
 今日はまだこれから、丘の下の兵舎から新しい兵舎に荷物を移すという仕事が待っている。司令塔での仕事を与えられたので、丘の上の上級士官たち用の兵舎に移ることが許されたのだ。以前なら嬉しかったはずなのに、今は気が重い。下を向きながらとぼとぼと丘の道を降りようとしていた時、ユッドの前から来た誰かが、すれ違いざま、すぐ側で囁いた。
 「あまり調子に乗るなよ。」
 「へ?」
振り返ると、書類を抱えたサニエルが司令室のほうに去っていくところだった。疲れた頭では、言われたことを理解するのに数秒かかった。ようやく我に返った時には姿はもう、サニエルの姿は建物の中に消えている。
 「調子って…。別に、オレはそんな」
言い返す言葉がすぐに出てこない上に、言い返そうにも相手がもうそこにいない。腹立ち紛れに靴の先で足もとの地面を蹴って、ユッドは、むかっ腹を押さえながら歩き出した。
 (何だよ、あいつ。いっつも気取りやがって。ほんの数年の違いだけで、自分だって新兵じゃないか)
夕方の空に白い月が浮かんでいる。そろそろ交代の時間なのか、見張り台のほうに向かって隊列を組んで丘を駆け上っていく連中が見えた。見張り台の監視役、つい最近、数が増やされた。これからは、荒野のほうから進入してくる敵だけではなく、既に侵入した敵に襲われた町や村からの救援の狼煙も見逃さないよう監視しなければならないからだ。
 足を止め、ユッドは残りの道のりをうんざりした顔で眺めた。丘の上の兵舎は広くて快適だというが、この丘の登り降りが面倒だ。
 「はー。やっぱ、ちょっと水飲んでいこう…。」
丘を降りたところで、向きを変えて川の方に向かった。冷たい水で顔を洗い、ついでに喉を洗うつもりだった。リュカがいることに気づいたのは、ちょうど、やろうとしていたことをやり終えて、一息ついていた時だった。しゃがみこんでいた水の上から立ち上がろうしたとき、水際で揺れる影に気がついた。顔を上げると、先に気づいていたリュカが、曖昧な笑みを浮かべる。
 「いたんだったら、声かけてくれればいいのに」
 「青い顔をしてたので…つい」
慌てて、ユッドは口元を拭った。みっともないところを見られてしまった。
 「吐いてない…からな」
 「大丈夫ですか?」
 「問題ない。お前こそ、こんなところで何してるんだよ」
リュカは、ちょっと肩をすくめてみせた。
 「昨日、エリンと約束してたでしょう。」
 「――ああ、そういえば」
そうだった。リュカに、またここに来るように、と言いつけている場に、ユッドも一緒にいた。
 「エリンは? もう帰ったのか」
 「夕食の支度があると言ってました。パン、美味しかったですよ」
 「そっか。…」リュカのぼんやりした表情は、それだけでは無かったことを物語っている。「何か、あったのか」
 「いえ。雑談をしただけです」
少年は、小さく首を振った。
 「…あの人の話をしてました。竜人族に町が襲われたとき助けてもらったとか…そんな話です。」
"あの人"、というのが誰のことなのかは、言わなくても判る。まるで、名前を口にすることさえ躊躇っているかのようだ。リュカは何かを恐れている。或いは、触れるまいとしている。
 「ラーメドさんとは、初対面、…だったんだよな? ここへ来て。」
 「そうですよ。でも、名前だけは知っていました。セフィーラに聞かされてたから」
 「え?」
 「昔、森に来たことがあるんですよ。ユッドと同じように、竜人族に追われて。僕が生まれる前に」
少年の、雨に濡れた新緑のような鮮やかな色の瞳がユッドの前を通り過ぎていく。
 「……それって」
ラーメドは、サウィルの森に行ったことがある? 竜人族に追われて? だとしたら、それは二十年近く前のはずだ。のちに"英雄"とまで呼ばれるようになる男の、まだ未熟で、戦い馴れていなかった頃。今はもういない、リュカの産みの母が領界主を務めていた頃。
 訊ねようと開いた口からは、思った言葉は出てこなかった。
 それより早く、目の前を白い蝶が過ぎったからだ。白い羽根に黒いぶちのある蝶が、羽ばたいた軌跡からりんぷんを散らすように白い光を零しながらふらふらと飛んでゆく。はっとしてリュカが両手を椀のようにして差し出すと、蝶は、その手の中に吸い込まれていった。
 「…!」
両手の中で羽ばたいていた蝶の輝きが、次第に薄れてゆく。
 「ラーフィーが…」
言いかけた丁度その時、丘の上の見張り台からけたたましい警鐘が鳴り響いた。大きく三度、短く二度。
 「敵襲…狼煙!」
近隣の集落から、竜人発見を告げる狼煙が上がったという意味だ。リュカが、弾かれるように飛び出すのが見えた。
 「おい、待て!」
慌ててユッドも走り出す。行き先は…、厩だ。さっきの蝶が、レイレの泉の妖精族ラーフィーの寄越したものだとしたら。
 ユッドの予想を裏告げるように、誰かが怒鳴っている。
 「救援信号! 狼煙が、マリッドの方角!」
砦の中を人が走り回っていた。
 「出撃準備、先発隊!」
 「伝令! 狼煙が上がった、マリッドの方角! 復唱!」
鐘の音が繰り返し鳴り響く。
 緊迫が、次々と砦内の各所へと伝わっていく。司令室へ走り出す者、丘を駆け下りて武器庫に走る者。先を走るリュカの姿は、もう見えない。けれど厩へ続く小道を入ったところで、思いがけない人物とばったり鉢合わせた。
 「ラーメドさん?!」
 「何やってる。お前は先発隊じゃないだろ」
 「リュカを見てないと!」
 「なに? あいつが?」
きっとした表情で、ラーメドは厩のほうを振り返る。
 厩の前では厩番が、大急ぎで馬に鞍が置き、出発の準備を進めている。その側で、リュカはカリムと言い合っていた。
 「馬を貸してほしいんです。あそこには、仲間も――」
 「待て。敵の数もわからんのに、一人で突っ込むな。幾ら何でも無茶だ」
 「時間がないんです…!」
リュカは必死だ。ユッドも、ラーメドの前に回りこんで頼み込んだ。駄目元だ。
 「お願いします、オレたちも行かせて下さい。マリッドの町の近くに領界があって…、ラーフィーっていうんです。そこの領界主。リュカの先代のことも知ってて、それで…」
 「判った。」
 「無茶なのは理解し…え?」
ラーメドは、カリムのほうへ近づいていく。
 「そいつに馬を貸してやれ」
カリムと話していたリュカがはっとして振り返り、男を見上げる。
 「出撃メンバーの選定も采配も俺に任されてる。今回は、今すぐ動ける奴から出すしかねぇ。今ここにいる三人で先行する」
 「まさか、ユッドも連れて行くのか?!」
ラーメドの後ろにいる新兵に気づいて、カリムは有り得ないというように眼を大きく見開いた。「無茶だ! そいつは、まだ実戦を知らんのだぞ」
 「誰にも初めてはある。残りはいつもの連中、現地合流と伝えろ。カリム、頼んだぞ」
 「ったく、どうなっても知らんぞ!」
カリムは半ば諦めたように怒鳴りながら、準備の出来た馬のたづなを明け渡した。ラーメドが馬に飛び乗った。ユッドも、置いていかれまいと慌てて後に続く。
 砦を走り出した馬は、目一杯の速度で平原を駆ける。体重の軽いリュカは風圧で飛ばされそうになりながら、必死で鞍にしがみついている。そのリュカの馬より前方を、二馬身ほど空けて走るのがラーメドの馬だ。どんなに急がせても追いつけない。その背中を見つめながら、離されないよう口元を真一文字に結んで夜の中を走り続けた。
 やがてマリッドの町が見えてきた。たった数日前に訪れた町が、一面の火に包まれている。今や町全体が狼煙を上げているようなものだった。熱の生み出した風に舞う黒い煙が渦を巻きながら、まるで生き物のように夜空を乱していく。
 「リュカ! 敵の数は?」
振り返りながら、ラーメドが怒鳴るように訊ねる。
 「五体。町に二体、町の周囲に三体。…感知の範囲内では」
 「なら、まずは町の周囲のやつを倒すぞ。ユッド、生存者がいたらお前が拾え! 人命が最優先だ」
 「は、はい!」
赤々と燃え盛る炎が篝火のように平原を照らしている。
 「正面!」
リュカが叫んだ。行く手に立ちふさがる黒い巨体が二つ、見えた。馬が突っ込んでゆく、ちょうど真正面。そのすぐ手前に、徒歩で逃げようとしている若い女の姿があった。竜人が武器を振り上げようとしている。まずい、とユッドが思うより早く、ラーメドとリュカが同時に剣を抜いた。
 「左を頼む!」
 「ええ!」
二人は同時に馬の速度を上げ、それぞれに左と右の竜人に飛び掛っていく。ラーメドは馬に乗ったまま、すれ違いざまに一閃。リュカは、馬の背を蹴って反転しながら空中から切りつける。ほんの一瞬のことで、ユッドには目で追うのさえやっとだ。それはおそらく、攻撃された側も同じだっただろう。二体の竜人の体が大きくゆらぎ、首から赤い血を噴出しながら崩れ落ちていく。
 「あ…、あ…」
若い女は、力尽きたようにぺたりと地面に座り込んだ。呆然とした顔は煤で黒く汚れている。馬から飛び降りて、ユッドはその人に駆け寄った。
 「大丈夫ですか? ほかの住人は?」
 「あの…分からなくて…」
女は生まれたばかりの赤ん坊を抱いていた。子供がむずがって動いたのを見てほっとしたのか、女は、大粒の涙をぽろぽろと零した。「突然、火が…ヘットさんに逃げろって言われて…でも、迷ってしまって」
 「ヘットさんって、顔役のあの人か。どこかへまとめて逃がしてくれたのかな?」
 「たぶん、森です…。」
 「森?」
 「妖精族の住んでいるとこの近くなら、竜人族は来ないはずだ…って」
はっとした。そう、確かにそうだ。妖精族の領界なら。竜人族は手出しが出来ないはず。…少なくとも、通常なら。
 すぐ近くで、唸り声が聞こえた。
 はっとして振り返ると、別の竜人がこちらに向かって矢を番えようとしているのが見えた。
 「やば、見つかった! 早く、馬に乗って」
女の体を支えて馬にまたがらせると、ユッドは、大急ぎで馬首を巡らせた。矢が唸りを上げて耳元を通り過ぎる。考えている暇は無い。ラーフィーとは一度会っているし、中に入ることは拒まれるにしても、少なくとも、入り口にこの母子を避難させることくらいは許してくれるはずだ。
 「ユッド!」
リュカの馬が追いついて来る。一人だけだ。
 「ラーメドさんは?」
 「町のほうへ! 二体くらいなら一人でなんとかなると言い張って。僕は…ラーフィーを探さないと」
 「探す?」 
 「気配が、どこにも無いんです。領界<ファリア>の中には居ない。何かが起きています…嫌な予感がする」
レイレの泉のある森に近づくにつれて、辺りに嫌な匂いが漂い始めた。思わず袖口で口元を押さえたくなるような耐え難い臭気。どうやら、風上のほうから流れてくるようだ。その臭気に包まれて、森の入り口には、合図するようにちらちらと点滅する光があった。
 近づいていくと、マリッドの町の住人たちが一塊になって身を寄せ合っていた。ランプを掲げて合図していたのは町の顔役のグレイ・ヘットで、ユッドを見て、ほっとした表情になる。
 「砦からの救援が到着したのか!」
 「ラーメドさんも一緒です。今、敵を倒して周ってます」言いながら、グレイの手を借りて、ぐったりした母子を馬から下ろす。人々は、森の入り口というより中のほうにいた。領界の「内側」だ。
 「…妖精族が、領界の中に入れてくれたんですか」
 「ああ。ここにいろと言って何処かへ出て行った」
グレイが答える。
 「どこへ行ったんですか?」
と、リュカ。明らかに焦っている。
 「どこって…。この異様な匂いの元を確かめると言っていた。それ以上のことはわからん」
 「風上――」
視線を上げたリュカが、はっとした表情になる。「竜人族<ドラグニス>…!」言うなり、馬に乗ったまま走り出す。
 「あっ、おいリュカ!」
慌ててユッドが追う。風に散らされた煙の匂いが、どんどん強くなっていく。耐え切れないほどの臭さだ。辺りの草には、重たい何かに踏み荒らされたような跡が続いている。臭気の発生源は林の直ぐ側に積み上げられた燃料の山のようだ。その側に、きらきらと輝きが零れているのが見えた。
 「ラーフィー!」
リュカが馬から飛び降りて駆け寄ってゆく。そして、銀の雫の作る小さな池の中に倒れていた半透明な塊を抱き起こした。それは、かつて森の奥で見えた、レイレの泉の主に違いなかった。既に向こう側が透けて見えるほどに姿が薄れ、白い髪は、水の流れのようだ。
 リュカに抱き起こされると、少年の姿をした妖精はうっすらと眼を開け、薄く微笑んだ。
 「すまんな、こんなところでドジを踏むとは」
 「喋らないで…」
銀色の雫が零れ落ちる。小さく何事か妖精族の言葉で呟くと、ラーフィーは、ゆっくりと眼を閉じた。
 「そんな、待っ…」
言い終わらないうちに、少女の姿がリュカの腕の中で水に変わる。銀色の水滴が飛び散って、その体が腕の隙間から流れ落ちていく。リュカは、何も無くなった腕の中を見つめ、――その手を震わせると、拳を作って地面に叩きつけた。声なき叫び。
 妖精族の死は、躯すら残さず水となって消え去るものなのだとユッドはそのとき初めて知った。水と共に生き、死後は水の中に消える。それは、大地とともに生きる人間が、死後に大地に還るのと同じように。
 がさり、と草が揺れた。
 はっとしてユッドは剣に手をかける。同時に、リュカもゆっくりと顔を上げた。
 こちらに向かって赤い口を開く竜人が見えた。笑っている。
 やや小柄な、しかし変わった出で立ちの竜人の姿だった。
 (何か着てる?!)
首にかけた銀色に輝くプレート、それに腕輪。炎に照らされて、首筋に巻いた太い金属の輪。剣を構えながら、ユッドは内心、うろたえていた。竜人族が人間のように装飾品や防具を身につけるなど、今まで聞いたこともない。
 けれどリュカのほうには、迷う様子はなかった。初めて見る表情だ――剣を構えるなり、素早く背後に回りこんで尾の付け根に切りつける。切り落とすことは出来なくても、かなりの深手だ。竜人が痛みで叫び声を上げ、尾を振り回す。身軽なリュカは器用にそれをかわし、正面に回りこんで腕に切りつけた。固い皮膚の上を剣が滑る。一撃でしとめられる竜人の急所は、首と下腹部。だが、この竜人は、そのいずれの場所も金属で覆い隠している。
 (じっとしてる場合じゃない)
ユッドは馬に飛び乗ると、じりじりと距離を保ちながら向かい合うリュカたちのほうに向き直った。覆い隠されていない鼻先なら狙える。普段は狙いにくい急所だが、一瞬でも相手の注意をそらすことが出来れば。ごくり、と息を飲み込んだ。失敗したら…。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
 「うわああっ、こっちを…向けえ!」
いちかばちかだ。叫びながら、ユッドは剣を槍のように正面に構えて竜人の背後から勢い良く馬を駆けさせた。敵が振り返り、こちらに向かって剣を構える。その一瞬があればリュカには十分だった。
 「ガ…」
鼻先が切り落とされ、鮮血が迸る。
 「ギャアアアア!」
断末魔にも似た悲鳴を上げながら、竜人は顔を押さえてその場に倒れこんだ。鋭い刃の並ぶ口を薄くあけ、唸りながら背を丸めている。止めを刺そうと、ユッドは馬を飛び降りた。だが剣を構えて首筋に狙いを定めたとき、瀕死に見えた敵が突然、体を起こした。
 「うわっ」
避けようとしたとき、視界の外から別の黒い衝撃が閃いた。
 竜人の額めがけて剣を打ち込んだ大柄な影の正体は確かめるまでもない。ラーメドだ。闇の中に、リュカが持っている剣と同じ色をした剣が、銀の軌跡を残している。叩き込まれた剣は、竜人の顎まで貫通していた。間違いなく即死だ。
 剣を引き抜くと同時に、竜人の頭が地面に落ちていく。
 振り返って、男は、二人を見比べた。
 「こいつで最後だ。そっちは…」
それから、リュカの表情に気づいて小さく呟いた。
 「…間に合わなかったのか」
リュカは小さく頷いた。
 「だが、どうやって。こいつらじゃ妖精族の領界には侵入出来んだろう?」
 「おびき出されたんですよ」
そう言って、ユッドは燃料の山を指す。少し前まで火が焚かれていたのだろう、立ち上る煙は、鼻が曲がりそうなくらい嫌な匂いを漂わせている。
 「外から臭気を送り込んで、領界の中の妖精族をおびき出した。竜人たちにそんなことが思いつくはずもない」
 「人間の知恵です」
短く、リュカが呟いた。
 「たとえ結界を破ることは出来なくても、妖精族を…領界の力を失わせる方法は、いくらでもある。人間なら」
 「ここでも、人間が協力しているっていうのか?」
ラーメドは眉を寄せた。「人間が…妖精族の領界を奪う手助けを? 何のために。そんなこと」
 「それが判ったら、苦労しませんよ」
吐き捨てるように言って、リュカは、主を失った森の方に歩き出す。
 「あ、ちょっと…リュカ。おい、どこに行くんだ」
少年は答えない。
 その時、平原の向こうから馬のいななきと、何十頭もの馬の走る蹄の音と振動が響いて来た。砦から出発した後続部隊がようやくおいついてきたのだ。ラーメドはひとつ息をつくと、ユッドに近づいて肩に手をかけた。
 「あとのことは引き受ける。お前は、あいつについててやれ」
そう言って、去って行くリュカの背中にあごをしゃくる。「頼んだぞ」
 「――わかりました」
ラーメドは馬に飛び乗ると、町の方へと、後続部隊と合流するために去ってゆく。これから町の消火活動や被害の確認、倒した竜人族の死体の回収など、後始末が始まるのだ。
 (これが、前線…)
竜人族との初めての、まともな戦い。
 その夜、彼は、二十年近く繰り返されてきた長い戦いの一端を、十分すぎることに知ったのだった。


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