下ってきた坂の道を戻るときは、城を、下から見上げる格好となっていた。
 暗がりの中、城は明々とした松明の灯に照らし出され、城壁の上には歩哨が立っているのがはっきりと見えた。それとは対照的に、町は暗闇の中に沈みこみ、空にも星影は見えなかった。
 「あと1日、早く仕上がっていれば良かったな」
ラニルスは、エリッサが肩にかけている剣に目を遣った。
 月も無い暗がりを、女の子がひとりで出歩くのは危険だ。それに、この時間からでは、夜が更ける前に近くの町まで辿りつくのは難しい。今からこの町を出ることは無理だろう。
 「仕方が無いわ。どちらが勝つにせよ、戦いは、そんなに長引きはしないんでしょ。それに…」
エリッサは口ごもる。歩く速度が自然に遅くなる。ラニルスは、思い切って言ってみた。
 「今朝のうちに発っていたら、あいつが、この近くに居ることに気づかなかったかもしれない。そうだろ?」
 「……。」
沈黙が、雄弁に彼女の心のうちを語っていた。やはり、そうなのだ。エリッサは、あの男のことを知っている。
 「あいつは、一体何者なんだ? あんたとは、どういう関係なんだ」
 「裏切り者よ。私たちシャーナフの使命を汚した男。許さない」
少女は足を止めた。
 人気の無い暗がりが、静かに灯りの周りに忍び寄ってくる。
 「絶対に許さない。殺してやるわ。そのために、父は、この剣を作ったのよ」
 「剣を…?」
言いかけて、ラニルスは、気がついた。「…その剣」
 出来上がったばかりの鞘に収められた剣の柄からは、最初に見たときつけられていた、金属の輪が取り外されていた。
 仮そめの鞘とされていた皮に刻印されていたのと同じ、小さな紋章。そして、流れるような、美しい模様。ヴォラートの剣によく似た模様だ。
 「そう」
ラニルスが気づいたことに確証を持ち、少女は言った。
 「私たちシャーナフは、意志もつ剣を作る刀匠の一族なの。」
しばらく、言葉も出なかった。
 「信じられない? 確かに、シャーナフは数が少なくて、ほとんど人前には出てこないけれど。フェノールの剣が存在するのだから、作った人間だって必ず居るはずでしょ」
 「確かに、そうだな…」
ラニルスは、額に軽く手を当てた。なぜ、今まで、そのことを一度でも疑問に思わなかったのだろうか。特別な剣が存在するのなら、それを作る「特別な鍛冶屋」も、どこかにいなければならなかった。
 「何故、一人の男を殺すために、わざわざ剣を?」
 「シャーナフが作り出した最強の剣を打ち砕くためよ。その剣は、邪まな意思を持つ剣。だけど、フェノールの剣は、フェノールの剣でしか打ち壊せない」
エリッサの言葉に力が篭った。手に持つ灯りに照らされた少女の横顔は抑えきれない怒りに紅潮する。
 「あいつは、…ラグナスは、私の父を傷つけ、封印されていた破滅の剣、<マルキュール>を持ち出したの。その剣は、周囲を引きつけ、最も暗い感情を引き出していく禍の剣。一刻も早く、この世から消し去らなければならないの」
 「けど、剣を打ち砕く剣があっても、誰が振るうんだ?」
 「私が、ただの非力な女の子に見える?」
キッ、と振り返った少女は、挑むような視線でラニルスを見た。
 「甘く見ないでね。シャーナフでは男が剣を生み、女が剣を育てる。私は幼い頃から、剣の扱い方を知っているわ」
 「戦うっていうのか、あんたが?」
 「なんなら、今、ここで試してみる?」
エリッサは、剣の柄に手をかけた。だが、言葉とはうらはらに、殺気は感じられなかった。反射的に動きかけたラニルスは、すぐにそのことに気づいて、腕を戻した。
 「止めよう。…必要も無いのに、戦いたくはないだろ?」
剣にかかっていた、少女の指が緩む。
 「甘いのね」
呟いて、彼女は顔を背けた。その表情が、灯りの外に隠れた。
 結ばれた口元が、悲しげに見えた。
 「もし戦う力があるのだとしても、あんたは、かつての仲間と戦えるのか?」
 「戦わなくては”いけない”のよ。私も、…ラニルス、あなたもね」
どきりとして、ラニルスは言葉を詰まらせた。今の、自分の迷いを、見透かされたような気がした。
 「…知ってたのか。」
 「リーマンから聞いたわ」
成る程、あの武器小屋での雑談の中には、これから起きる戦の話題も含まれていたということか。ならばエリッサは、この戦の状況を、正確に知っていたことになる。
 「私が戦わなければ、あの男は、フェノールの剣を使って多くの人を殺め、争いを引き起こす。あなたが戦わなければ、あなたの友達は、裏切り者の汚名を着たまま望まざる戦いに赴く。それでいいの?」
 「勝利しても、敗北しても、あいつは裏切り者呼ばわりされる。おれが戦うことに、意味はあるんだろうか」
 「では、戦わないで見ていれば、何かが変わるというの? それが一番いいことなの?」
 「……。」
 「武器は、戦うためのものよ。だけど、ただの道具じゃない。私たちは、打ち出す剣に心を込める。あなたたち兵士は皆、最初から心を持っている。あなたに意志があるのなら、あなたの友達にだって、それはあるはずなのよ。戦わなくてはいけないの。あなたの守りたいものは、何?」
言葉を返すことが出来なかった。目の前に、答えは無い。
 「私たちは知っているの。自分たちが強い剣を作れば作るほど、その剣が多くの命を奪うだろうということは。…でも、それは生きるためには仕方の無いこと。大切なものを守るためにも、戦うことは必要だわ。」
エリッサの瞳には揺ぎ無い、強い輝きが宿っていた。
 「私たちの作る剣には、意思があるわ。その剣が誰かを傷つけ、力でねじ伏せるために使われるのなら、…単なる道具としてしか扱われないのなら、私は戦うでしょう」
 「おれだって…。」
もしも、戦わずにいたら? このスタウンヴェル城が落とされ、王ヘルムナートが捕虜となったら。
 フラムヴェルを包囲する国王軍も撤退を余儀なくされる。ヘルムナートの身を盾にされては、もはや、ホンドショーを止めることは不可能だ。この国は、ホンドショーのものになる。そして、ホンドショーに従わされた兵たちは、一生、裏切り者のままだ。
 戦いは、避けられない。そして、意志のある者は、逃げてはならないのだった。
 エリッサは、それ以上なにも言わず歩き出した。ラニルスも、続く。迷って、立ち止まっている時間は無い。じっとしているだけでは、何も得られないのだ。


 城門にたどり着いたとき、行列を作っていた町の住人たちは既に姿を消し、ライナーと数人の兵士が門に詰めているばかりだった。
 「鍛冶屋はどうした? ん? その子は」
 「ハイネセンの家で世話になってる子だ。ヴォラートはもう知ってるよ。ハイネセンは、炉の火を落としてから来るそうだ。」
 「そうかい、ご苦労。じゃ、あとは、あの偏屈の鍛冶屋だけだな。」
中年の兵士が、顎をしゃくって、行けと合図した。暗い風が森のほうから吹きつけ、広場は、灯りはあっても人っこ一人いないようだった。
 「町の人の宿舎は、あっちの建物だ。行けば分かるよ。おれは、兵舎に戻るから」
 「ありがとう」
エリッサに背を向け、立ち去ろうとしたときだった。
 「――ラニルス」
呼び止められて、ラニルスは足を止めた。振り返ると、彼女はまだ、さっきの場所に立っていた。
 「あなた、ラグナスの剣のことが分かったのね?」
話した覚えはなかったが、確信を持った口調だった。
 「…ああ。柄に模様が見えたとき、そうじゃないかと…」
 「これもそうなの?」
エリッサは、腰から短剣を抜く。
 「それは…。なんとなく、だけど」
 「知っていたら教えて欲しいの。こんなふうに、あなたが気になった剣は、無い? 以前はフェノールの剣がどんなものか知らなかったから、そうだと思わなかったかもしれないけど…。なぜか気になったような剣は無かった?」
少女の声は真剣そのものだった。
 「どんなものでもいいの、教えて。私たちが作ったもので、今は行方の分からない剣は、たくさんある…。ラグナスより先に見つけなくてはならないの」
 「そう言われてもな」
ラニルスは、記憶を手繰った。そして、すぐに一本の剣に思い当たった。
 「そうだ。ユオンが持っていた剣!」
 「ユオン?」
 「おれの友達だ。今は…ホンドショー側の軍にいるよ。明日の正午、ここに来る。最後の返事を受け取りに」
それだけの説明で、エリッサには事情が飲み込めたようだ。
 「ホンドショー側の使者として、やってくるのね」」
 「もし、ユオンの持っていたのがフェノールの剣だとしたら、どうする?」
 「分からない。結局は、剣自身が主を決める。…でも、」
一瞬だけ、エリッサの表情が翳った。不安のためか、緊張のためなのかは、ラニルスには分からなかった。
 「明日、私も確かめてみる。…呼び止めて悪かったわ。おやすみなさい」
 「ああ。おやすみ」
その夜は、緊張の中に静まり返ったまま、更けていった。
 床の中で何度も寝返りを打っていたラニルスは、どうしても寝付けずに、ずっと目を開けて天井を眺めていた。
 その日の見回り当番の兵士たちが、交替で歩哨に立つ。真夜中すぎ、最初の交替のため、次の当番の兵士たちが足音をしのばせて廊下を歩いていく音がした。
 こんな夜は、誰だって眠れないに違いない。
 寝付けたとしても眠りは浅く、ちょっとした物音にすぐに目覚めてしまうものだ。すぐ隣の部屋からも、ごそごそと動く音が聞こえた。
 「…駄目だな、今日は。」
諦めて、ラニルスは起き上がった。上着を羽織り、剣を差す。見張りが少なすぎるのはいけないが、多くても悪いことはあるまい。
 兵舎を出ると、ひんやりとした湿った風が吹いてくる。明日は曇りか、雨だろう。
 見上げると、兵舎に隣接して立つ城の本体の窓に、ちいさな明かりが見えた。ヴォラートの部屋だ。彼にとっては、眠っている場合ではないのかもしれない。他の隊長たちと、作戦会議をしているのかもしれない。
 ユオンがホンドショー側の使者として現れ、かつての友達と戦わねばならないと知ったとき、ヴォラートの言葉に何も言い返せなかった。それどころか、表情を正視することさえ出来なかった。
 だが、今なら分かる。
 誰もが意志を持っている。ホンドショーには王になりたい理由があり、ヘルムナートには王位を譲れない理由がある。ホンドショーに味方したルーン公にも、ヴォラートはじめ、ヘルムナートに従う人々にも。
 ただ”友達と戦いたくない”ことしか考えられなかった自分が、恥ずかしかった。
 ユオンやラギの敵になりたくないのは今も同じだが、明日、この城を攻めてくるのは二人ではない。ホンドショーに味方する、反逆者ルーン公の軍勢なのだ。戦わなければ――この国は、横暴な君主を戴いて、圧制を強いられることになる。
 その<理由>が、言葉の上だけの浅いものだったとしても、<大義名分>が、直接的に戦う意思を喚起させるものではなかったとしても、…

 もう迷うまい。



<Back Index Next>