その日、夕暮れはいつもより足速に、西の方角からやって来た。
 山脈を越えてくる風は湿り気を含んで、ここ何週間も見せなかった、曇り気味の空の色が日差しを乱反射させている。
 城に戻るとすぐ、ラニルスたちは、森で見た不審者たちについての報告を命じられた。聞いていたのは、王の側近たちと兵士長たちだけだ。王自身は、これまで常にそうしてきたように、奥の間に姿を隠し、後で報告だけを受け取るようだ。
 この城に来てから三ヶ月余、ヘルムナート王は、人前にほとんど姿を見せていない。奥の間で、密かに訪れる使者と、数人の側近たちとの間に密談を交わす以外、滅多に人と合うことも無かった。
 唯一の証拠品である矢を前に、森での出来事を詳細に語るヴォラートの声を横で聞きながら、ラニルスは、もしかしたらヴォラートにさえ、ヘルムナート王がどのようなことを考えているのかは、知らされていないのかもしれないと思った。
 一通りの報告が終わると、ラニルスたちは役目が終わり、退出を命ぜられた。ほとんど気配の無いエルムは、気がつくと、いつのまにかいなくなっていた。ヘイズとハイセンは、ほっとしたような顔で笑いあい、ラニルスに声をかけ、一緒に兵舎に帰らないかと言って来た。
 「いや、まだ、寄るところがあるから」
ラニルスは、武器庫に寄ってから戻るつもりだった。エリッサが、まだそこにいるかもしれない。
 「なあ、ラニルス」
ハイセンが言った。
 「あの時、お前が俺たちに”逃げろ”って言ったときさ、俺は、お前がちょっと格好いいなって思ったんだ」
年かさの、のっぽの青年は、照れたように頭のうしろを掻いた。
 「俺は何も考えられなかった。お前に声をかけられなかったら、どうしていいか分からなかったかもしれない」
 「…そんな、凄いものじゃないさ。おれだって、夢中だった」
 「でも」
と、今度はヘイズが口を開いた。
 「お前は前に向かっていった。あの、真っ黒な男に。オレたちは、逃げただけだ」
 「止めにしよう。どうせ明日から、本当の戦いが始まるんだ」
それだけ言って、ラニルスは背を向け、外に向かって歩き出した。
 背中に視線を感じていた。だが、それは、今まで感じていたものとは違う。
 彼らは今はもう、ラニルスの背中に、偉大な叔父の幻影は見ていなかった。


 夕刻の日差しは弱く、影はおぼろげに城壁の内側を包んでいた。
 普段は真っ暗なはずの武器庫の窓からは光が漏れ、中から、低い声と高い少女の声とが、入り混じって響いてきた。一人は間違いなくエリッサだろう。だが、もう一人は誰だろう。
 小さな木作りのドアを開いた瞬間、馴染みのある声が、威勢よく投げかけられた。
 「おお、戻ったか、ラニ」
 「――リーマン?」
窓辺に腰をかけ、にこにこと手を振っているのは、紛れも無く、今朝まで医務室で手当てを受けていたはずのリーマンだった。向かい側のベンチにはエリッサが腰を下ろし、側には、磨き上げられた何ふりかの剣が壁に立てかけられている。
 薄暗いランプの灯が、狭い武器置き場の中を、どんよりした表の光よりも明るく、照らし出していた。
 「仕事は終わったわ。すぐに帰ろうと思ったんだけど、お城の人たちが何人か来て、武器を貸してくれって言ったから」
 「そこへたまたま、何かすることはないかとやって来たのが、わしでな。ま、わしも、いつまでもじっとしておられん。幸いにして、やられたのは肩の先だけだ。動けんほどじゃない」
この2人は、昼前にはまだ知り合っていなかったはずだから、斥候隊が森に出かけた短期間の間で、ずいぶんと親しくなったものだ。
 「元気そうで安心したよ。だけど、一体何を話してたんだ?」
 「いや、なにも。世間話じゃな、この年になると、若いもんと話す機会も少ない。とりとめもなく、な」
リーマンの額と肩には、きつく包帯が巻かれている。その傷を負わせたのは、あの、黒いマントの男…。
 何も言わずとも、ラニルスの表情を見れば、斥候の任務が平穏のうちに終わらなかったことは、一目瞭然だった。
 「森は、どうだった。その顔では、平穏無事というわけではなさそうだな」
 「ああ…。」
 「良ければ、ここで話してくれ。あとで報告を受けるよりも、お前さん自身の言葉で話してくれたほうが良い」
ラニルスは、4人の不審者と出会ったこと、逃げられてしまったため、何者だったかは分からなかったことを簡素に告げた。そして、残された矢が、この国のものではないらしかったことも。
 「そうだ。この剣で受けたんだ、なんともないかな」
 「見せて」
ラニルスは、剣をランプの光に翳した。鞘に仕舞うときは気づかなかったが、剣の表面には、斜めに、深い傷がついていた。
 「ハイネセンの剣を持っていったのね」
 「そりゃ、命拾いしたな。普通の剣じゃ、折れとっただろう」
エリッサは傷を横から調べ、軽く指でなぞりながら、言う。
 「このくらいの傷なら、すぐに折れてしまうようなことは無いはずよ。今はきちんと手入れする暇ないでしょうけど…戦が終わったら、ハイセネンに頼むといいわ。彼、自分の作ったものには、うるさいから。」
 「そうするよ。」
 「――さて、それじゃあ、私は帰るわ。」
エリッサは、弾むような動作でベンチから立ち上がる。
 「じゃあね、リーマン。」
 「ああ、楽しかったよ」
老兵は満足げに目を細め、少女の立ち去るのを眺めた。ラニルスは、口を開いた。
 「…なあ、リーマン。あんたに、その傷を負わせた、背の高い黒マントの男。…」
ドアは、まだ半分しか閉まっていなかった。日の暮れた後の暗がりが、静かに忍び寄ってくる時刻。
 リーマンの表情が、一瞬にして兵士のそれに変わった。
 僅かな沈黙。
 「奴を見たのか。」
 「あいつが、あの奇妙な連中を連れて来たんだろ? ヴォラートのことを知っていた。<ガーディア>のことも知っていた。」
ぱたん、と音がした。
 振り返って、ラニルスは、今ようやく音をたてて閉じたドアに目を向けた。エリッサは、まだそこにいた。だとすれば、聞こえていたはずだ。
 だが彼女は、何も反応しなかった。…表向きは。
 「あれは、かなりの手だれだった」
リーマンは、手元に視線を落としながら言った。
 「向き合った瞬間分かったさ。老いたとはいえ、このわしに、何の気配も感じさせなかった。…恐ろしい男だ。」
 「何者だろう」
 「わからん。いずれにしても、油断はせんほうがいい。理由などなくとも、簡単に人を殺せる。――そういう目をしておったからな」
あの得たいの知れない男の特徴ある耳の形を見たとき、エリッサのことを思い出した。
 冷たい視線と、その風貌。もちろんエリッサは、あの男とは違う。
 だがラニルスは、同時に、何か共通するものも感じ取っていた。謎の男が手にしていた剣、あれは本当にフェノールの剣だったのだろうか…?
 「さて、と。そろそろ、わしも行かんとな。」
言って、リーマンはベンチから腰を上げた。「医務室を抜け出して来たんでな。見つからないうちに。」
 「無理…するなよ」
心配はいらん、というように笑って、老兵は、さっきエリッサの出て行った扉に手をかけた。
 「そうそう、ラニルス、さっきの女の子が言っておったが」
 「ん?」
 「お前は、剣の心が分かる者かもしれない、だと。」
 「……。」
ラニルスは、無意識に腰の鞘に収めた剣に手をやった。
 「どういう意味だろうな?」
 「さあな。何にしろ、悪い意味じゃないだろ」
 「違いない。」
肩をすくめ、リーマンは出て行った。
 油の尽きかけた、煤だらけのランプの芯が、ちりちりと音を立てている。
 何かが、喉の奥のあたりに引っかかったまま、言葉にならずにいた。


 夕刻、町の住人たちの避難が始まると、城門は検閲の行列と人の波で、ごったがえしていた。
 何らかの事情で町を離れられない者が、一時的に城壁の中へ非難しているのだった。
 「どのくらいの数になる」
 「は、およそ…250名ほどかと。」
 「そんなにか。」
ライナーは眉を寄せた。短期間だからいいようなものの、それでも、この城では収容のぎりぎりの人数だ。
 この町の歴史は、古い。今あるスタウンヴェル城自体は50年ほど前に建て直されたものだが、基盤の部分は、およそ200年前、最初にこの地に拠点をおいた豪族が作ったものとされている。町は、その時、豪族のもとに集められた職人や使用人の家族が住み着いて作ったものだ。
 以来、町は、城自体がほとんど機能しなくなったあとも人々自身の手によって保たれ続け、今に至る。一族代々この地に住む人々にとっては、一時にせよ町を捨てて逃げ出すことは出来ない相談というわけだ。
 「まあいい。しっかり確認するのだぞ。近くの森を不審者がうろついたいたのだ。どさくさに紛れて城に入られては、元も子もない」
それは無いだろう、と、ラニルスは思った。
 あの冷酷な目をした男が、そんな姑息な手段をとるとは思えなかった。完全なる傍観者、…彼らには、自らリスクを負って、この戦いの勝敗を左右する気など無いようだった。
 「おお、ラニルス。戻っていたのか」
避難者の列を眺めていたラニルスに気づいて、ライナーが近づいてくる。
 「丁度良かった。お前、あの頑固者の鍛冶屋とは顔見知りだったな」
 「…ハイネセンのことですか?」
 「そう、そいつだ。避難しろと言っているのに、聞かんでなあ。」
ハイネセンなら、ありそうなことだ。
 「分かりました、おれが言って説得して来ます」
 「すまんが、そうしてくれ。ヴォラート殿には、伝えておく」
ラニルスは、人並みを逆流して城門を出た。とっくに通常の閉門の時間は過ぎている。静まり返った通りは暗く、家々の明かりの消えても、まだ、人の気配は残っている。
 空は灰色に曇り、月は隠れている。鍛冶屋へと続く裏通りの道は、薄ぼんやりとした灰色の帯となって、足元はほとんど見えなかった。
 行く手に、一筋の光が路上に漏れていた。ハイネセンの店だ。まだ、中で仕事をしているらしく、金属を叩く音がする。
 ノックをしても、音にかき消されて返事はないだろう。扉を押し開いたラニルスの耳に、ハンマーで金床を思い切り殴るような、甲高い音が押し寄せてきた。
 「ハイネセン」
大声で呼んでも、しきりと腕をふるっている鍛冶屋は気づかない。
 「ハイネセン!」
 「ん? …なんだ、お前か」
 「なんだ、じゃないだろ。こんな時間まで、何をしてるんだ? 町の人はもう、城へ避難し終わってるぞ」
 「分かっとる。今、仕上げをしとるところだ」
 「仕上げって…。」
金床のわきに、大きな長細い金属の箱が2つ、置かれていた。
 「武器が入っているの」
奥の部屋からエリッサが姿を見せた。
 「店にある武器が勝手に使われないよう、箱に入れて床の下に隠しておくのよ」
 「ずいぶん厳重なんだな」
 「町の連中は、みな、そうしてる。長いこと戦争なんてもんは無かったが、”ファナ戦争”のことを忘れた者はおらん。…あの時代、家財を失った者は、少なくない」
ハイネセンは、手元に視線を落ととしたままで言った。側の壁には、出来上がったばかりで磨かれてもいない、くすんだ色の、金属の鞘が立ちかけられている。
 中に収められているのは、間違いない、エリッサの持ってきた剣だ。ハイネセンが、何日もかけて作っていた作品が、ついに完成したのだ。
 「出来上がったのか」
 「ええ、ついさっき」
素っ気無く言って、エリッサは剣を手に取った。彼女の身長の半分ほどもあり、大きすぎると思えるその剣は、かりそめの鞘に収まっていたときよりも重々しく見えた。柄と鞘を繋ぎとめていた、緑の弦は取り除かれていた。
 「支度が済んだら、わしもすぐに行く。お節介な連中には、そう伝えておけ。」
 「分かった。」
エリッサは、カンテラを手に先に扉の外に出た。
 「先に行って待ってるわ、ハイネセン」
 「ああ」
扉を閉めるときには、再び、金属を叩く音が始まっていた。


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