日が暮れる頃、町に出ていた兵士たちは、疲れきった体を休めに戻ってくる。
 ラニルスが武器庫の整理をしていた間に、石垣は、あらかた出来上がっていた。明日の昼には完成するはずだ。石は、古くなって打ち捨てられていた、町外れの家を取り壊して運んだものだったが、足りない部分は、材木で補っている。
 その材木も足りなくなって、日暮れも近くなってから、何人かが町の南に広がる森へ、木を伐り出しに行ったらしい。町を出て、湖沿いの道を少し行けば、すぐ伐採場に着く。それほど遠くは無く、歩いてもほんの半刻といったところだ。
 城では、夕食の支度が始まっていた。食堂に向かう通路は、仕事を終えた若い兵士たちでごったがえしている。
 ほこりで真っ黒になったラニルスを見て仲間たちの何人かは大笑いしたが、何人かは、申し訳なさそうに、ちょっと視線を逸らした。
 それを見て、彼は、武器庫に行く前にエリッサの言った言葉を思い出した。特別扱いで、楽な仕事に回されたと思われていたのかれしれない。
 今までなら、気づきもしなかっただろう。周囲が自分に、どのような目を向けているのかは、意図的に考えないようなしてきたからだ。”ファナ戦争の英雄、ヴォラートの甥”と見られることが、嫌いだった。――
 ラニルスは、食事を後回しにして武器庫を整理した結果を報告するためヴォラートを探しに言った。
 「森に木を伐りにいった連中の何人かが、まだ戻っていないらしい。」
ヴォラートは、城の入り口で年配の兵士と話をしていた。
 「だが、リーマンが連れて行ったのなら心配ないだろう。あの森のことは、隅から隅まで熟知している」 
 「それにしては、すこし遅いと思ってな。森の入り口で木を切り出して来るだけだ。こんなに時間がかかるとも思えんのだが」
 「ん」
離れて立っているラニルスに気づいて、ヴォラートは視線を向けた。頭の先からつまさきまで、埃だらけのままの若者を見て、彼は眉をしかめつつ、口元は笑っていた。
 「ひどい格好だな。で、どうだった」
 「使えそうな剣は10本ほどでした。…それも、研ぎなおさなければ使えない、とかで」
 「彼女は、どこにいる?」
 「裏の、湖のところです。道具は持っているから、剣を研ぐと言ってました」
武器庫で見つけた短剣のことは、話さなかった。
 「そうか。もし泊まるのなら、宿舎の離れを使ってもらってくれ。それから、夕食と灯りを運ぶように。…もちろん、その格好ではまずいだろうから、着替えて、な。」
 「そうします」
ラニルスは、自分の服を見下ろして、顔をしかめた。

 晴れた空には丸い月が浮かんで、雲はほとんど見当たらなかった。
 湖面には波ひとつなく、静かな金の輝きが、森の作る暗い影の上に沈んでいる。
 エリッサが、研ぎなおしの必要な剣を運ぶように言ったのは、台所のある城の裏手に続く、すこし窪んだ水の溜まり場だった。そこから、湖の水を引き入れられ、石づくりの水路の中を流れて、土手の向こうの洗い場へと続く。今頃は、城の住人たちが食事を終えて、台所で働く人々がせっせと食器を洗っていることだろう。
 低いエニシダの枝が張り出す茂みの辺りに人影はなく、日が沈む前に見た少女の姿は、そこから消えていた。
 「エリッサ?」
手にした籠を水路の縁にそっと置き、台所で借りてきたカンテラを横に置いて、ラニルスは、辺りを見回した。
 剣と研ぎ石は、まだ、そこにある。…あの少女の性格からして、やりかけの仕事をそのままにして、そう遠くに行くとも思えなかった。
 ぱしゃん、と、すぐ近くで水の音が聞こえた。
 「…?」
覗き込んだ水辺には、波紋が広がるだけで、何もいない。
 だが、次の瞬間、月明かりの湖の上に、少女の輪郭が浮かび上がった。ぽかん、として瞬きをする数秒。次の瞬間…、彼は、それが何を意味するのか理解して思わず声を上げた。
 「うわ」
 「きゃ、ちょっ…」
ばしゃん、と大きな水の音がして水飛沫が上がると同時に、ラニルスは大慌てで月に背を向けた。
 「ご、ごめん!」
ややあって、小さな水音が、おそるおそるといった感じで、岸辺に近づいてくる。
 「びっくりするじゃない。…まあ、こんなところで水浴びしてる私も悪いんだけど」
茂みごしに、エリッサの落ち着いた声が聞こえた。ラニルスは、ほっとした。――怒っていない。
 「水浴びって…。」
 「誰も来ないと思ったから。だって、埃だらけじゃ気持ち悪いでしょ? はい、もう振り返っていいわよ」
視線を上げると、きちんと服を来たエリッサがそこに立っていた。少年兵たちのものと同じ、簡素な麻のシャツを着ているが、裾が長すぎるらしく、チュニックのようになっていた。
 「服は、さっき洗濯場で借りたのよ。私のも洗ってくれるって」
 「そ、…そうか。」
 「何か用?」
 「ああ、夕食を持ってきたんだ。」
ラニルスは、自分の火照った顔が恥ずかしくなって、そそくさと背を向けた。
 さっきの場所に戻ると、エリッサは、研ぎ終わった剣を片付け始めた。
 「まだ、使えるようにはなっていないの。思ったより状態はいいみいだけど。
 「どうする。泊まるんなら、離れの宿舎を空けるけど…」
 「遠慮するわ。ハイネセンのところにも用があるし。でも、…そうね。夕食だけ、ご馳走になろうかしら」
ナプキンをかけた籠から漂ってくるいい匂いに気がついて、エリッサは、にっこり笑った。

 静かな湖面をすべる、僅かな風が濡れた髪に吹き付けていた。
 「明後日には、もう一度使者が来る。このままいけば、たぶん、交渉には応じないってことになって…本格的に戦いが始まる。あんた、どうするんだ? 町を出るなら、明日のうちのほうがいいと思うが」
 「あら。心配してくれるの?」
ラニルスは、少女の向かい側に腰を下ろして、パンを齧っていた。
 「…そうね、出来れば面倒なことになる前に町を出たいんだけど、それまでに、ハイネセンが仕事を仕上げてくれるかどうか、分からないもの。」
 「あの、剣か」
ラニルスは、ハイネセンの店の隅に立てかけられていた、大きな、がっしりとした剣を思い出していた。
 とりたてて目立つところはなく、色あせた店の一角にぽつんと置かれていただけなのに、何故だか、視線は真っ直ぐにそこに縫い付けられた。
 「あんたの父さんが作ったんだっけ。家が鍛冶屋をやってるんだろ。どこにあるんだ?」
 「北のほうよ。小さな町なの」
 「へえ、じゃあフェノール山脈のほうなんだな。一人で草原を越えてきたのか」
エリッサは、何も答えずにスープ皿からスプーンを口に運んでいる。
 「あの剣が出来上がったら、注文主のところに届けにいくのか。」
少女は、手を止め、きっとラニルスを睨んだ。
 「父は――シャーナフ最高の刀匠よ。でも、頼まれても、誰かのために剣を作ったりしない」
 「え、でも、それじゃあ」
 「”剣が”ふさわしい使い手を選ぶのよ。」
 「はは。まるで”フェノールの剣”の伝説みたいだな。」
 「……。」
僅かな沈黙とともに、彼女は立ち上がった。
 「夕食、ありがと。そろそろ帰らなきゃ」
 「え、ああ。今日はお疲れ様」
正体の分からない苛立ちが、エリッサの背中から感じられた。気に障るようなことでも言っただろうか。分からない。
 そう思いながら、何気なく見やったとき、指が掻き揚げた髪の下に、それまで隠されていた奇妙な形の耳が見えた。
 先のほうが尖って、ぴんと張った…何かに掴まれたようにくびれた、際立った形だ。
 「耳…。」
ラニルスが思わず漏らしたつぶやきに、はっとしたように、少女が振り返る。手は、とっさに耳を隠していた。
 「ごめん。気にしてたんなら――」
 「いえ。それじゃ、…」
散らばっていた道具を拾い集め、エリッサは、後ろも振りかえらずに小走りに去っていった。
 「まずいこと、言っちまったかな」
カンテラの光は小さくなりかけて、ちりちりと音を立てている。
 ラニルスは、からになった籠と、残された食器を見やった。水路の脇には、ぴかぴかに研ぎ澄まされた剣が2ふりと、残りの、まだ錆び付いたままのものが並べられている。
 あの、赤いスカーフの意味を知った。あれは、特徴のある耳を隠すためのものだったのか。
 「そうだ。服…洗濯場で洗ってくれてるって言ってたっけ。まだ、乾いてないだろうし」
明日、取りに来るのだろう。だとすれば、明日もう一度、逢えるかもしれない。少なくとも、ハイネセンが剣の鞘を仕上げるまでは、彼女は、この町を去らないだろう。
 もうじき戦いが始まることなど、気にしてもいないようだった。恐れは、無いのだろうか?

 ラニルスは、空になった食器を片付けようと腰を浮かした。そして、目の端に何かちらつくものを見つけて、振り返った。
 湖の対岸の暗い木立の中を、何かがよろめきながら近づいてくる。それは、誰か走る者が手にする、松明の灯りのようにも見えた。
 こんな遅い時間に、森の中を抜けてくる旅人がいるのだろうか? …いや、ただの旅人にしては、急ぎすぎている。全速力で走るか、馬にでも乗らなければ、あんなに速く火が移動するはずはない。
 彼は、胸騒ぎを覚えて、籠を手に、台所のほうへ走り出した。さっき、ヴォラートのところに来ていた兵士が、リーマンと数人の兵が、まだ森から戻っていないと話していた。湖沿いに森を抜けてくる道は、町を通らず直接、城の裏門へと続く。
 台所を抜け、裏門に辿りつく頃には、既に何人もの兵士たちが松明を手に集まり、辺りは真昼のように赤々と照らし出されていた。たった今、駆け込んできたばかりの馬が鼻息も荒く地面を蹴る。その背から滑るように落ちてきたのを、誰かが抱きかかえ、地面に下ろす
 「リーマン!」
ラニルスは人ごみを掻き分け、灯りの中心へ飛び出した。
 老兵の顔は土と血に汚れ、痛みから来る深い皺が寄せられていたが、目の輝きは、いささかも衰えてはいなかった。
 「なあに、心配いらん。この程度の傷はどうってことないさ、経験してきたから、よく分かる」
 「傷って…。血だらけじゃないか!」
すでに防具や武器を外され、麻布のシャツには赤い血が大きな染みを作っているのが、誰の目にも明らかだった。
 「どきなさい」
医務係に押しのけられて、ラニルスは数歩、後ろへ下がった。リーマンは唇の端をきつく結んだまま、脇から抱え上げられ、城の中へと運ばれてゆく。辺りからひそひそと、ささやく声が聞こえた。
 「森の中で、何者かの襲撃にあったらしい。」
 「リーマンが、とっさの機転で若い連中を逃がさなかったら、どうなっていたか…。」
遅れて、若い兵士たちが、怯えきった表情で、肩を寄せ合って、森から続く道をやって来る。一人は、足を挫いて仲間たちに両側から支えられ、一人は額から血を流している。どちらも大した怪我ではないが、2、3日は動けないだろう。
 全員がくぐり終わると、城門は、重い音とともに固く閉ざされた。
 「見張りを怠るな。――今夜の歩哨の数は、いつもより多くする」
そのとき初めて、ラニルスは、ヴォラートがこの場に来ていたことに気がついた。
 腕組みをして立つ叔父の、深い影を帯びた表情が見えたのは、一瞬のことだ。彼はすぐに背を向け、城の中へと入っていってしまう。
 負傷者は医務室へと向かい、怪我をしていない者は、仲間たちに囲まれて、兵舎へ向かう。集まっていた人々は、みな口々に、ここで見たことを喋りあいながら、それぞれに元いた場所へ散っていく。
 後にはぴりっと張り詰めた空気だけが残った。
 ラニルスも引き返そうとして、ふと、足を止めた。
 やはり、リーマンのことが心配だった。医務室は、中庭で別れた別棟と、兵舎の間にある。後片付けをして戻る途中で立ち寄っても、遠回りにはならない。

 日が暮れたあとの城内は、いつになく緊張感が漂い、普段なら寝静まっているはずの兵舎は騒がしかった。
 もし、これがホンドショーの軍の不意打ちだとすると、刻限を待たずして先制攻撃してきたことになる。もはや和解の道は絶たれたも同然だ。戦いを避けることは、絶望的なように思われた。
 ラニルスが医務室を訪れたとき、若い兵士たちは既に手当てを終え、自室に引き上げた後だった。廊下と部屋をつなぐ扉は開け放たれたまま、薄布一枚だけで隔てられている。
 「そうか。森に何か、攻撃の足がかりが築かれている可能性もある、と、いうことか。…そこへお前たちがたまたま、踏み込んでしまった、と」
 「ええ、あっという間のことでした。夕日に遮られて相手の顔までは見えませんでしたし、この人数では確かめることは、出来ませなんだ」
 「賢明な判断だ。闇の中を深追いすれは、お前たちの命も危うかったかもしれん」
その内容とは裏腹に、穏やかな話し声が、さもありふれた会話のように、布の向こうから漏れ出してくる。
 「しかし、だとすると、誰かが確かめに行かねばならん。…危険だが、もし森のなかに何かがあるとすれば、草原からの襲撃だけではなく、森に面した裏門にも人数を割くことになる。」
 「そうなれば、こちらに勝ち目はありませんが」
苦い笑いが言葉に滲んだ。
 草原に布陣しているホンドショーの軍だけではなく、城の背後に広がる森にも、伏兵が潜んでいる可能性がある、ということか。
 たまたま木を伐りに向かったリーマンたちは、その隠れた兵と出くわしてしまった、というわけだ。城の裏側には湖が広がり、見晴らしは良いが、守るものは何も無い。森に続く道すら、ほとんど意識されていない。裏門が破られれば、面倒な町を通ることなく、一気に場内に攻め込めてしまうにも関わらず、だ。
 「この城は、守るには弱い」
ぎしっ、と、椅子の軋む音がした。室内の灯りに、大きな影がゆらめく。
 「…だが、守るべき王がいる。いかなる者であろうと、王を守る力強き100本の剣と、100本の腕を越えることは許されぬ。」
 「そしてあなたは、その100本の剣の先頭に立つというわけですね、ヴォラート。かつてのように」
ヴォラートは空虚な笑い声をたてた。
 「わしは、もう、そんなに若くはないさ。出来れば、そろそろ若い者に譲りたい。」
 「ラニルスのことですか?」
ふいに呼ばれた自分の名に驚いて、ラニルスは、思わず心臓のあたりを掴んだ。
 室内の明かりが、僅かに揺れる。だが、2人は気づかなかったようだ。
 「守護者となるには、非情なところもなくてはな。だが、あれは、優しすぎる。今とて、かつての友と戦うことに苦しんでいる。そういう子だ。」
 「力だけでは強さにならない。戦う相手にも思いやりを持て、と、あなたはいつも仰っていたはずです」
 「優しさが必要なときもある。だが…。あの子を引き取ったのは、間違いだったかもしれん。」
響いてくる、言葉のひとつひとつが突き刺さった。ラニルスは、強く胸を押さえたまま、よろめくようにその場を離れた。
 「誰だ?」
立ち上がり、さっと布を開いたヴォラートは、風通しのため開け放されたドアの向こうの、誰もいない廊下を見回す。
 「気のせいか。誰かが立っているような気がしたのだが」
そこには、もう誰もいない。ラニルスは足早に遠ざかり、兵舎の、自分の部屋へと向かっていた。



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