初めてユオンと出会ったのは、11歳の時だ。

 兵士を目指す少年たちは、12歳から城での訓練が始まる。
 その一年前、ラニルスは、遠くの親戚のもとから叔父ヴォラートのもとに引き取られてきたのだった。
 彼には両親がいない。母親は、五歳のとき、病で無くした。
 面影は、おぼろげにしか覚えていない。記憶にある母シーナの姿はいつも、写真の中と同じで、首を傾げて微笑んでいる。
 父親のほうは、写真すら残っていない。会ったことも無いのかもしれない。育ててくれた親戚も、ラニルスの父親のことは何も話してくれなかった。
 ヴォラートは当時から城で王城づき兵士の兵士長をやっていたし、人々から尊敬を集める、”英雄”だった。フラウムヴェルの城下町にやってきた幼い少年を、人々は「英雄ヴォラートの甥」として見ていたし、彼にそれ以上の血統を尋ねるような真似はしなかった。
 実際、兵士見習いの少年たちの家柄は様々で、中には、家に子供が多くて口減らしのために入隊させられるような少年も、いた。
 ラギがそうだった。粉屋の五男、そばかすだらけで、痩せっぽちな赤毛の少年。背だけはひょろりと高く、何かあるとすぐに笑った。
 だが、中にはごく稀に、何かの事情で領主や聖職者の家柄から出される少年もいて、ユオンが、その貴重な例のひとりだった。
 入隊志願の少年たちを並べて、ヴォラートが上官らしく最初の挨拶をしていたとき、両隣に立っていたのが、ユオンと、ラギだった。

 ユオンは――同じ年頃の少年たちの中でも物静かで、どこか、近寄りがたい雰囲気の持ち主だった。深い藍色の瞳は、時折、悲しみにも似た深い思慮を湛えていた。
 その理由を聞いたことは無い。
 どこか、辺境領主の跡取り息子だったらしい…が、何かの理由で家を出ることになったのだ、と、はじめて出会った頃に聴いた覚えがある。それ以上のことは、何も知らかった。
 考えてみれば、五年もの間、同じ宿舎に寝泊りして毎日過ごしていたというのに、互いのことは、ほとんど何も知らない。
 明るいラギは何でもおおっぴらに話してくれたが、いつもそれを聞いているだけで、ラニルスや、ユオンのほうから何かを尋ねたことは、あまり無かった。
 両親と、沢山の兄弟に囲まれた、貧しくも賑やかな下級市民の暮らしというものを知らなかったから、何を尋ねていいか、分からなかったからだ。
 三ヶ月ぶりに再会したユオンは、敵対するホンドショーの使者として現れた今、もう一人の友人ラギは、どうしているだろう。
 あのラギまでが、かつてと正反対の陣営について、意気揚々と戦場にやってくるとは思えなかった。ただ家の事情で、口減らしのために入隊しただけで、戦いは好きではない性格だった。いずれ戦いになることを知っていたら、除隊されて故郷に帰ったかもしれない。それとも、フラウムヴェル城がホンドショーの手に落ちたとき、戦わずに済む料理人にでもなったかもしれない。
 実際、ラギは料理が巧かった。練習の合間に、たくみに抜け出すことも巧かった。
 もう一人の友人と、顔を合わせたくない。こんな時になっても、淡い期待をかけようとする自分の甘さが、悲しかった。

 兵士たちには、その日のうちに城の守りを固めよとの指令が下され、城を取り囲む低い塀には武器や什器が列を成して配置された。
 ルーン公が王に反旗を翻し、ホンドショーの側についたことは、まだ、正式には知らされていなかったが、誰の口からともなく漏れ出して、喩えようの無い絶望を辺りに落としていた。
 闇が迫り、昼間遊んでいた子供たちもみな家に帰ったあと、誰もいない湖を見下ろす草の上で、ラニルスは一人、かがり火から遠く離れた場所に腰を下ろしていた。
 「何を考えているんだね?」
振り返ると、リーマンが立っていた。
 「隣はいいかな」
ラニルスが軽く頷くと、老兵はよっこらしょと掛け声をかけながら腰を下ろした。
 「皆、絶望的になっちまって、何もかもいつもと違う。ぴりぴりした空気は、わしには居心地が悪いわい」
 「仲間と戦わなきゃならない。当たり前だろ」
 「最初から分かっておったことさ。所詮は内輪もめ、もとは同じ旗の下にあったもの同士が、潰しあう。どちらが勝っても、遺恨が残るだけだ」
リーマンの口調は、ヴォラートのそれよりはるかに優しいかったが、同じようにラニルスの胸を締め付けた。
 そうなのだ。最初から分かっていながら、いつかどうにかなるのでは、と、楽観的な望みを捨てられなかった。かつての仲間と敵同士になることが嫌なら、どうして、隊を辞めなかったのだろう?
 「ヴォラートも…戦いたくない、と思ってるのか」
 「無論そうだろう。あの方は、そういう方だからな。自らの鍛えた教え子を敵にまわす以上に、辛いことがあるものか。」
ラニルスはじっと、抱えた膝の先の影を見つめていた。彼は、あの、ヴォラートの持つ美しい剣のきらめきを思い出してた。
 研ぎ澄まされた、近寄りがたいほどに鋭い輝き――憧れさえ抱いて見つめたそれは、いまは、突きつけられた現実の切っ先のように思えた。
 「国王様も、同じ気持ちじゃろう。逆賊ホンドショーは、何より、たった一人の妹ごの子息。憎かろうはずもない」
 「まさか。留守を狙って城を奪ったのに?」
 「それでも、心から憎しみを抱くことは出来んのだ。そういうものじゃ、肉親とはな。」
 「……。」
だから、一年もの間ホンドショーを攻撃せず見守っていたのかとラニルスは妙に納得した。
 城を包囲し続け、相手が降伏するのを、じりじりと待ち続けるだけだった。いつかは戦わねばならぬことを知りながら、ある日とつぜん、ホンドショーが心変わりして自ら降伏してくるような、そんな都合の良いの幻想に縋っていた。
 この城にいる、誰もが同じだった。誰もが望まざる選択を先延ばしにしてきて、最後に、もはや逃げられぬ現実として、目の前に突きつけられたというわけだ。
 「もし、この戦いに勝利しても、この国は…。」
 「ヘルムナート様は、二人の王子を、ともにファナ戦争で亡くされた。」
リーマンは、のろのろした動作で草原から腰を上げようとしていた。世間話でもするような惚けた口調で、重大なことを漏らすようなそぶりは、まったく見せなかった。
 「親類縁者の中見渡して、つぎに王位を継承するのは、順当にいけばホンドショー様のはずじゃ。待っていれば転がり込むはずの王冠を、無理強いして奪いに来るということは…陛下の胸の中には、誰か、別の跡継ぎがおられるのじゃろう」
はっとして、ラニルスは顔を上げた。
 「ホンドショーは、それを知って?」
 「おそらくは、な。王の甥を差し置いて王位を要求できるのが何者なのかは、わしらは誰も知らんが、目に見える跡継ぎの不在が、領主どもを躊躇させ、ルーンのような者に見切りをつけさせたのは、確実だろうよ」
立ち上がった老兵は、軽く腰を叩いて、ラニルスのほうを見た。
 「さて。お前さんなら、どう考える? 明後日の昼には、ホンドショーを王に、と望むルーン公の軍勢、数百が攻め込んでくる。こちらは、たったの100だ。フラウムヴェルの包囲を解いて軍をこちらに向かわせれば、ルーンの軍を挟み撃ちすることになり、勝利は間違いない。だが、その場合、兵糧の尽きかけたフラウムヴェルに再び活気を与えることになり、戦いはさらに長引くだろう――」
 「……。」
 「何が最も良いことなのか。隊長殿は、いつも考えておられるよ」
篝火が揺れて、集合を告げる合図が遠くのほうから聞こえた。
 だが、それを聞いても、ラニルスは、凍りついたように動けなかった。


 翌日早くから、貫けるような青空の下で、若い兵士たちは薄着のまま、石積みに汗を流していた。
 昨夜の正式な発表によって、城にいる者はみな、現在の状況を正確に知った。
 曰く、ホンドショーからの宣戦布告がなされたこと。ルーン公との同盟が結ばれたこと。そのルーン候が、数百の手勢を率いて、この城に向かっているということ。
 いや、正確に言えば、「向かっている」のではない。もう既に、この城を視界に納める草原の上に陣取って、突撃の合図さえあれば、今すぐにでも攻撃を仕掛けられる体制に入っているとのことだった。
 だが、これは、逆に言えばホンドショーにも後が無いということだ。
 この城が攻められれば、フラウムヴェル城を取り囲む王の軍勢も、総攻撃を仕掛けずにはいられなくなる。兵糧の尽きたフラウムヴェルが陥落するのが先か、未熟な兵士の多いスタウンヴェル城が先か。ヘルムナート王とホンドショーは、互いの喉に剣を突きつけたまま、身じろぎできない均衡の中にあった。
 「なあ、どうなると思う」
若い兵士たちは手を休め、ひそひそと話し合っている。
 「相手は倍以上なんたぜ。俺たち、ここを守れるのかな」
 「やってみなきゃ分からんだろう。そのために、防御壁を強化してるんだろ」
ラニルスは、そんな声にぶっきらぼうに横槍を入れた。それきり、ひそひそ話は途絶え、彼の後ろで動きが再開された。
 この町には、城壁らしい城壁が無い。
 馬で飛び越えようと思えば簡単に飛び越えられるような柵と、すぐに破れるような木戸だけだ。どのくらいの時間稼ぎになるかは分からなかったが、それらを強化するために人手が割かれているのだった。
 こうして戦いに備えた準備をしているのだから、既に、和解をする意志のないことは眼に見えてわかっているはずだが、ルーン公の軍勢は、約束の時刻までは動くつもりが無いらしかった。勝てるという自信があるのか、――或いは、向こうも何かを準備しているところなのか。
 「心配するな。すでに使者は放たれた。お前たちは、シモン公の軍が到着するまでの時間稼ぎが出来ればよい」
年かさの兵士のどら声が響き渡る。
 「シモン?」
 「ほら、ここから一番近い領地の領主だよ。」
 「ああ。フェノール山のふもとの…。」
ラニルスは、顔を上げてちらりとそちらを見た。何年か先輩の兵士たちが、そばかすのある顔を付き合って話し合っている。
 「せいぜい、150がいいとこだって。何しろ辺境の領主だろ」
 「それでも、ないよりはマシさ」
 「ここからシモン公の領地まで、早馬で飛ばして1日と半。すぐに軍を率いて出発したとしても…最速で、3日…」
絶望的なため息が漏れた。
 「いや、だが希望はまだ、ある。ルーン公が裏切った知らせは、もう知れ渡ってるだろう。国王派の軍は動き出してるだろう」
 「どうかな。ホンドショーにつこうという連中もいるんじゃないのか」
 「それより、もしヘルムナート様が、ルーンの軍の手に落ちたら、どうなる? …国王の命と引き換えに、王位と王冠は、ホンドショーのものだぜ。」
そうだ、とラニルスも、心の中で思う。だからこそ、この戦いは、どちらが勝利するか、分からない。
 味方の数の上では国王の側が多く、いかに守りの堅いフラウムヴェル城でも、総力で攻めれば落とすことは可能だ。
 だが、国王は今、周りにほとんど兵のいない、はだか同然の状態で、守りの薄いスタウンヴェル城にいる。将を奪うだけで、ホンドショーは圧倒的な劣勢を覆して、優位に立つことが出来る。
 援軍が到着するまでの、数日。持ちこたえられるか否かが、この国の未来を決める――だからこそ。
 「おーい。ラニルス」
仲間の呼び声で、彼ははっと我に返った。
 同じ年に入隊した、にきびだらけの若者が、手を振りながらやって来る。
 「な、なんだ。」
 「お前に客だって。隊長に用らしいんだが、お前の名前を知ってた」
 「客?」
 「ああ、なんでも、鍛冶屋の使いらしいぜ。あの無愛想な鍛冶屋に家族がいたとは知らなかったがな」
そういえば、ハイネセンの鍛冶屋に折れた剣を預けていたのだった。どさくさに紛れて、忘れていた。
 ラニルスは、積み上げた石の壁を駆け降り、仲間と場所を代わった。



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