「さて、と。」
元の荒れた部屋に戻って来たウィンフリッドは、どっかと樽の上に腰を下ろし、2人を見比べた。
 「…で? どっちがラニルスで、どっちがユオンなんだ。」
はっとして、ラニルスは、自分たちがまだ自己紹介もしていなかったことに気がついた。と同時に、なぜ名前が分かるのだろう、といぶかしむ。
 「あの、どうして」
 「何、ヴォラート殿の書簡にお前らのことが書いてあったんだよ。察するに…、そっちの黒髪がラニルスだろ」
鋭く、見据えるような眼差しに驚きながらも、ラニルスは頷いた。
 「そうです」
 「じゃ、そっちがユオンか。成る程ねぇ。」
何が成る程なのかは分からなかったが、男は納得したようだった。
 「ところでお前ら、どのくらい戦える。」
 「え…。」
 「スタウンヴェルの防衛に参加したんだ、実戦がどんなものかってくらいは分かるだろう。あとは…ま、どれだけ根性が座ってるか、だ」
単刀直入すぎる問い、だった。
 男は、テーブルの上に、ブーツを履いたまま、どっかと足を上げる。ラニルスは、テーブルが傷だらけな理由を知った。
 「いくらファナが大国ったって、すぐに戦になるわけじゃ無い。小さいとはいえ、この国にもそれなりの軍備は在る。攻め落とすには、全軍投入したって最低でも一月は掛かるだろう。その間、自国が無防備じゃ話にならん。」
言いながらウィンフリッドは、片手を、ほとんど空になっているワインの瓶に伸ばす。
 「肝心なのは、補給路。それと退路だ。進軍するにはもちろん食料は必要だが、まさか大量の荷物を持って戦にいくわけにもいかん。基本的に現地調達だな。それから、挟み撃ちを受けないために、背後には気配りが十分に必要だ。…敵国に攻めていくってのは、そういうリスクの大きなもんなのさ。要するに、それ相応の準備が必要ってことだ。」
瓶をゆらし、中身を確認しながら、ちらりと2人の若者のほうを見る。
 「ここで問題だ。攻めるには下調べが必要、とすれば、もしファナがこの国に攻め入ろうとしたとき、まず最初に送り込んでくるのは何だと思う?」
 「密偵、スパイ…ですか」
 「その通り。」
ぎし、と樽が軋んだ。
 「お前らは、国境付近に怪しい兵士でもいないかと思ってたのかもしれんが、武装してウロついてたら、幾らなんでも怪しまれるだろ。無駄に相手の警戒心を煽ってどうする。本当に怪しいやつは、怪しいとは分かりにくい格好をしてるモンだ。」
 「旅人に扮したファナの密偵を探せ、ということですか」
 「その通り! 飲み込みが早いな。そして、その可能性がもっとも高いのが、この街道ってわけだ。ファナと繋がってる街道は全部で3本あるが、中で一番行き来が多いからな。」
成る程、ヴォラートがこの砦へ急使を出した意図が分かった。
 敵の口から漏れたのが他の場所なら、まだ余裕はあった。だが、ここだけは、決して落とされてはならない場所…決して、敵の手に渡ってはならない砦だった。
 「しかし、もし密偵を見つけられたとして、どうすればいいんですか。」
ユオンが尋ねる。
 「決まってるだろ。とッ捕まえて拷問のすえ、向こうの知ってること全部吐かせるんだよ」
ウィンフリッドは陽気な顔でいとも簡単に恐ろしいことを言う。
 「ファナからの密偵なんてな、昔っからどこの国にも潜り込んでるモンさ。あの国は他所様の事情を知るのに余念が無い。少しでもスキがあれば付け込もうと、常に耳を澄ませてるのよ。――今回のホンドショーの一件のようにな。そんなものは、人の噂話からでも知れる。情報を止めたきゃ、人の流れ自体を止めにゃならん」
ウィンフリッドは、にべもない。
 「だが、情報を”遅らせる”ことはできる、”隠す”こともできる。逆に”奪う”ことだって、出来るんだ。お前らはファナのことをほとんど何も知らないだろう。知りもしない相手と戦えるか? 無理だろ。根性だけじゃダメだ。頭を使わなきゃな。まして、こんなちっぽけな国が、大陸一の大国のお隣で頑張ってるんだ。頭は重要だぞ。」
一気にしゃべりきって、自分の頭を指でトントンとたたいた。
 「てなわけで、まずはお前らに、ここのことを教えてやらにゃならねぇ。おい、ファーレン!」
 「なんです?」
今度は、呼ばれた男がすばやく顔を出した。今度は、鳶はいない。手に、何故か竹筒のような細長い笛を持っている。
 「お前、こいつらに砦を案内してやれ! それから、メシだ。日が暮れたらさっさとメシにするんだぞ」
 「へい」
ファーレンは、ラニルスたちのほうに顔を向けた。
 「こっちだ。荷物持って、ついてきな」
ウィンフリッドは、既に我関せずの顔で、樽をぎしぎし言わせながら体をゆすっている。
 日暮れが近づいていた。どこかから、肉を焼くような匂いが漂ってくる。料理とは程遠い、生肉を味付けもせず、そのまま火であぶるような匂いだった。食事当番でも、いるのかもしれない。

 「隊長、あれで歓迎してるんだよ」
整理されていない、物の溢れた狭い通路をぺたぺたと歩きながら、ファーレンが言う。
 「ああ見えて、大の子供好きだからねぇ。あ、いや、あんたたちがガキだってわけじゃねぇんだ。あの人からすれば、子供と同じくらいに見える、ってことだけど。…この砦に、人が来るのは久しぶりだ。」
 「長いんですか? ここに駐屯して」
 「ああ。もう、住んじまってるようなもんだからなぁ。ここ以外に行くところもない、どうしようもないゴロつきの集まりみたいなモンさ。」
まさしく山賊の砦よ、そう言って、男はにやりと笑った。
 廊下は、やがて螺旋階段へと突き当たった。
 「この上だ。めったに使わねぇが、客間になってる。さっき掃除しといたから、ちったぁマシなはずだぜ」
階段は狭く、大人ひとりがようやく登れるほどだ。
 ファーレンは、ラニルスが、幅をとる、大ぶりな剣を持っているのに目を留めた。
 「ひょー、デカい剣だな。そんなの使うのかい?」
 「いや、これは…。」
預かり物だ、と言いかけて、ラニルスは止めた。
 「馬に乗ったまま使う剣か? あんまり狭いとこじゃ使えなさそうだな。そっちの兄さんが持ってるのも、ちっとばかし長すぎるかもしれんなぁ」
ユオンは、苦笑して腰の剣をはずした。
 「出来れば使いたくないな。ラニルスの、その剣と同じく」
 「なんだ。飾りか? 実戦にも出たんだろう、あんたたち」
 「そのときは、この剣では戦ってない」
ラニルスが答えた。
 フェノールの剣の輝きは、それと分からない者にも、普通の剣とは違って映るだろう。そして、きっと人の印象に残る。
 ラグナスたちの耳に入る可能性を考えれば、その剣を鞘から抜くことは、したくなかった。
 剣の形状や持ち主の容姿を簡単に聞くだけでも、それが何という剣なのか、誰なのか、すべて分かってしまうだろう。
 「そうかい。まあ、使わないなら、そのほうがいい。どのみち、こんな石ころだらけの山ん中で使うモンじゃない。身軽なほうがいいぞ。」
ファーレンは、それ以上追求してこなかった。
 客間、と呼んでいた部屋は、確かに、他の場所に比べれば、格段に物が少なく、…というよりほとんど無く、こざっぱりとして、寝台が2つ並んでいるだけ。窓からは、屋根の上に出られるようだった。
 天井は少し低めだ。小さな窓が、西日を天井に映している。
 「そういえば、その笛は何に使うんですか」
ユオンに尋ねられ、ファーレンは、手に下げていた竹筒を取り上げた。
 「これか。見てな」
彼は、つかつかと窓に近づくと、片手を窓枠に、もう片方の手で筒を口にあて、外に身を乗り出しながら、思い切り息を吹き込んだ。
 ぼぉーーーう…という、低い、長い音が筒に反響して、砦の上いっぱいに広がる。
 空気を振動させ、音が風に乗る。
 と、まもなくしてバサバサと力強い羽ばたきが近づいてきた。
 「ヒュー!」
ファーレンは、硬く布を巻いた腕を窓の外に突き出した。その上に、ばさっ、と、鳶が降り立った。
 金の眼をした、大きな鳶は、さっき男が肩に乗せていた。
 「紹介するぜ。こいつは、ヒュー。相棒だ。」
 「凄いですね、よく慣れてる」 
 「まぁな。雛ん時から仕込んであるんだ。だが、野生は失っちゃいないぜ」
男は、にっと笑うと、窓の外に向かって鳶を送り出した。バサバサと、羽ばたきが上空にむかって消えていく。
 「もうじき日が暮れる。自分の宿に帰るだろう」
 「宿って?」
 「砦の裏の岩壁に、巣があるのさ。人とべったり一緒に暮らしてると、人間臭くなっちまうからな。」
つまり、この砦は、建物だけではなく周囲の岩壁も含めて”砦”と、いうわけだ。屋上から繋がっている大きな岩は「見張り台」、取り囲む岸壁は、天然の「防御壁」と、いうわけか。規模は小さいが、守るに強く、攻めるに有利。敵に回れば、不利になる。
 「この砦は、ファナとエシルが戦になったときは、第一の要所になる」
一瞬頭に浮かんだラニルスの思考を読んだかのように、ファーレンは抜け目無い目つきで言った。
 「街道は、全部で3本ある。いちばん南の街道は、フラウムヴェルまで遠すぎる。もう1本は、川を渡る。橋を落とせば一発だ。あとは、近く、なおかつ攻めやすい、この街道よ。この砦を落として手に入れれば、フラウムヴェルへ攻め入るのは簡単だ。」
日が、静かに暮れていく。男は事も無げに言っているが、それは、重要なことではないのか…。
 「20年前、この国がファナの軍を防ぎきれたのは、この砦が落とせなかったからだ。それで仕方なく、南へ回った。南の街道から攻め上るのに、だいぶ時間をくっちまってな。王都フラウムヴェルの間近まで行って、そこで皇帝様の訃報を受け取ったってワケだ。もしも、ここが落ちてたら、防ぎきれたかどうか分からんな。」
 「…わからないな」
ユオンは、首を振った。彼自身、この砦の近くに長年住んでいながら、今言われたようなことを、意識したことも無かったのに違いない。
 「どうして、そんな重要な拠点なのに、こんなに手薄なんですか?」
 「どうしてだと思う?」
問い返されて、ユオンは沈黙した。代わりに、ラニルスが口を開く。
 「ここには何人くらい、いるんですか。」
 「全部で、4人だ。ウィンフリッド隊長、おれ、あとは、ハウルにコーネルって2人がいる。」
 「……。」
 「どうした。少ないか?」
 「いえ。そのくらいの人数なら…目立たないなぁ、と思って…。」
ユオンは、きょとんとした顔になった。しばしの沈黙。
 しかしそれは、ファーレンの突然の笑いによってかき消された。
 「ははは! まさしく、その通りだな。そう、目立たない。奴等は、この砦がマトモに機能してるとは思っちゃいない――歯牙にもかけやしないだろう。だが、イザというとき、この砦はどんな城壁よりも力強く、機能する。その理由は、いずれ――」
 「ファーレーン!」
 「おっと、いけね」
階下からの怒鳴り声に、男は首をすくめた。
 「長話しすぎちまった。じゃあな、あとで呼びに来る、それまで自由にしてな」
 「メシの準備をしろ、ファーレン!」
 「ったく…はいはい!」
猿のように身軽に飛び上がると、裸足の男は階段をぴょんぴょんと駆け下りていった。
 あとに残されたラニルスたちは、どうしたらいいのか分からず、顔を見合わせた。
 「とにかく、…しばらくはくつろいでいろ、ってことか」
 「そうらしい。」
 「ここで?」
ユオンは、眉をしかめて狭い空間を見渡した。すこし跳べば届きそうな天井、窓は、誰かが身を乗り出すだけで塞がれてしまうくらいの大きさ。寝台だけで一杯になっており、テーブルを置く隙間も無い。
 もとは、ただの屋根裏だったのだろう。人が寝起きするのがやっと、といった広さだ。
 「とにかく、明かりをつけよう。そろそろ日が暮れる。…そこにランプがある。」
 「かなり埃をかぶってるみたいだけど。中の油は大丈夫か…?」
階下では、なにやらウィンフリッドの怒鳴り声が響いている。それに答えるファーレンの声も途切れ途切れに聞こえる。窓というものが無いので、谷間に声がこだましているのだ。
 日は遠い山影に暮れかかり、空は赤銅の色から灰色に冷めつつある。ラニルスはベッドに寝そべり、ユオンは、窓辺に立って外の景色を眺めていた。崖の下には麦畑が広がり、その向こうにヒュルスヴォルクの家々の屋根が、すこし霞んで見えていた。
 「正直、驚いたよ」
ユオンが言った。
 「こんなに近くに住んでいたのに、何も知らなかった。砦があることは知っていたが、そんなに重要な意味を持つとは思わなかった。」
 「…多分、ファナの密偵も知らない」
ラニルスは、天井を見ていた。
 「ぱっと見、ちゃんとやってるのか? って思うような人たちだけど、見るところは確りしてるよ」
 「お前も気がついたのか」
 「ああ。オレたちの名前は最初から知っていたのに呼ばなかった。いきなり外に連れ出したのも、反応を見るためだったんだと思う。接近しても不自然じゃない狭い通路を通らせて、武器も確認した…。」
最初から、身元確認など必要なかった。身元は、”後で”確認すれば良かった。持ち込まれた書簡が本物かどうか、持ち込んだ者たちが信頼できるのかどうか――、偽ろうと思えば、いくらでも偽ることは出来る。だが、どんな偽りも、時間を置いて、気が緩めばボロが出るものだ。
 「多分、外においといた馬は、分かりにくいところに隠されてるよ。」
 「ずいぶん信用されてないんだと思わないか?」
 「それだけ、この砦が重要だからだと思う」
ラニルスは気にした様子もなく言って、ベッドから起き上がった。
 「…なあ、ファナ戦争のこと、どのくらい知ってる?」
 「どのくらい、って。ヴォラート隊長から聞かなかったのか」
 「いや、ほとんど知らない。自分からは、あまり話したがらなかったんだ。それを言おうとすると、急に辛そうな顔になるからさ。…おれは、ヴォラートが”英雄”と呼ばれた理由すら、知らない」
夕日の残り火が、西の空を染めている。その下に広がる村々が沈んでいく。
 ユオンは、窓の外に視線を戻した。そして、ゆっくりと口を開いた。
 「ファナ戦争に参加してた祖父さんから聞いた話だ――、この国は、20年前、それまで独立民族だったアヴェスタ自治区と協定を結んだ。ファナ侵攻の脅威の前に、ともに立ち向かうべし、と。その協定の立役者が、ヴォラート隊長だったらしい」
 「アヴェスタ? あの、フェノール山脈のふもとの国のことか」
 「国とまでいかないかもしれないが、独自の文化を持つ山岳民族だ。彼らの協力を得て、多くの戦いに勝利した、…と、オレは聞いた」
 「……。」
ラニルスの真面目な顔をちらりと振り返って、ユオンは、ひとつため息をついた。
 「ラニは、本当に、そういうことに興味が無いんだなぁ。」
 「え?」
 「いや、何でもないよ」
滅多に笑わないユオンが、口元に淡い笑みを浮かべていた。
 すぐにファーレンが呼びに来たため、ラニルスは、その理由をついぞ聞きそびれてしまった。

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