エルダートの砦は、リーン街道の最果て、険しく狭い峠を越えて谷へと至る、辺鄙なところにある。
 と、いうのも、元々山賊の砦だったのを、ファナ戦争の時代に召し上げて、戦争のために改造したものだからだ。造りは大雑把だが、岩山に築かれたその岩城は、一癖もふた癖もある、なかなかに堅固な砦となっていた。
 馬一頭しか通れなさそうな狭い門の両脇には尖った岩が迫り、跳ね橋が下りている。橋をつるす太い鎖の側には、やる気のなさそうな男がひとり、腰を下ろして、さっきからラニルスたちの登ってくるのを眺めていた。
 ラニルスは、馬を降り、男に近づいた。
 「ウィンフリッド隊長はおられますか」
男は無言のまま、くいっと親指で奥を指した。
 「ありがとう」
ユオンも後に続く。身元の確認もなく、なんともあっけない。
 「ずいぶんいい加減なんだな。」
 「こんなところじゃ、何かたくらみを持って中に入り込むなんて、あまり無いと思うけどね。」
岩城の中庭は狭く、ニワトリがそこかしこで餌をついばみ、雑多に積み上げられた木材の上に、洗濯物がそのまま干してある。
 いかにも男所帯といった雰囲気だ。
 岩づくりの建物は、盗賊が使っていた時代そのままのようで、城という雰囲気からは程遠い。ちょうどそこから、まさしく盗賊といった風体の男が一人、出てきた。肌は浅黒く、手足は太く、着ているものは薄汚れて擦り切れている。
 「おお? 何だ、お前たち。」
 「スタウンヴェルから来ました。ウィンフリッド隊長に会いたいのですが」
男は、しばし目をしばたかせ、2人を見比べた。
 「…使者、お前たちが? …えーと」
無精ひげを、ぼりぼりと掻く。
 「ウィンフリッドってのは、俺のことだ。一応な。しかし、何もこんな、新入りみたいな連中を寄越さなくても」
 「人手が足りないんですよ。」
ラニルスは、素直に言った。それにしても、こんな、山賊のような男が国境線を守る軍のまとめ役とは。
 「まぁ、いいだろう。とにかく中に入れ。馬はそのへんに離しときな。砦ん中で適当に休むだろうよ」
 「はあ」
厩舎も無いらしい。
 よく見ると、軍馬と鶏が、のんびりと洗濯物の側で休んでいた。おかげで、洗濯物は乾く前から獣臭くなってしまっているようだ。

 エルダート砦は、主に国境の監視と旅人の安全を守る職務を負っている。
 戦が始まればそうでもないのだろうが、今のところ、常時詰めているのは4、5人といったところだ。
 ヴォラートからの書簡に一通り目を通したウィンフリッドは、目を上げて、ふうとため息をついた。
 「なるほどなるほど。ファナが動きそう…か。それで、何か動きは無いか…とな。」
 「どうなんですか? 実際のところ」
 「正直言って、この辺じゃ、まだそれらしき前兆は無い。
側で、ユオンがほっと安堵の息を漏らすのが分かる。
 「だが、油断は禁物だな。向こうには高速で移動する騎馬隊がある。ここの向かいにあるのがウォルザークって砦なんだが、そこから半日あれば、国境は簡単に越えられる」
 「規模はどのくらいですか?」
 「ここよりはデカい。ただ、こっちの利点は、国境が狭い岩場になってるってことだ。馬だって、岩場じゃ速度が落ちるもんさ」
男は、髭を掻きながら、さして興味も無さそうに言う。
 「戦いってのは、どこでも、高い位置を取ったほうが有利なのさ。石を投げ落とすも良し、矢を射るにしても上から狙えば人は無防備だ。逆に、低い位置から攻撃しようとすると、届きにくいし、どうしても威力が半減する。立地条件はこちらが上だ。」
 「守る上では、ということですよね」
ラニルスが言うと、男は、じろりと睨んだ。声が低くなる。
 「…攻めて、勝てる相手じゃねぇぞ」
 「すいません。」
素直に謝った。余計なことを言うと、殴られそうな雰囲気さえあったからだ。
 椅子は、壊れていた。
 ウィンフリッドは樽に腰掛け、傷だらけのテーブルの上で書簡を元通り畳んだ。「とにかく。ファナがすぐに攻めてくるかどうかは置いといても、フラウムヴェルが開放され、ホンドショーの奴がトンズラこいたとなれば、そっちの監視も必要だ。この砦の目の前を通って行かせはしねぇよ、お帰りは別の場所からどうぞ、ってな。おい、ファーレン!」
怒鳴り声の大きさに、ラニルスとユオンは思わず耳に手を当てた。
 「ファーレン。いないのか? ファーーーレーーン!」
 「いますよ、ここに。」
頭に色あせた布を巻きつけ、肩に大きな鳶を平然と止まらせた男が、裸足でぺたぺたと歩いてくる。
 「おお、そこにいたのか、ファーレン。野郎どもを集めろ。ファナが動くかもしれん、見張りをつけるぞ」
 「了解です」
 「ホンドショーが行方をくらませてから、何日だ。ひいふうみぃ…そうだな、もう抜けちまったってことは無いだろう。念のため、投石器の用意をしときな。イザってとき、脅しに使えるだろう」
矢継ぎ早の指示だ。書簡を受け取ってから、反応までが短い。
 「おい、お前ら!」
ラニルスとユオンは、びくっとして思わず肩をすくめた。
 「ついてこい。お前らにいいもん見せてやるよ」
にやりとして、ウィンフリッドは屋上へと続く螺旋階段を登りはじめた。

 もともと狭い階段に、壊れた家具やら、縄やら、武器やら、何でもかんでも放り出しているために、足場は極端に悪い。
 ラニルスも、ユオンも、転ばないよう壁に手をついて歩いている。
 「ほらどうした。もっとちゃきちゃき登ってこんか」
ウィンフリッドは、慣れたものだ。ここに住んでいるのだから当然だが。
 やっとの思いでたどり着いたのは、砦のてっぺん、つまり、この崖の頂上でもあった。
 「うわ…すごい…」
突然目の前に開けた360度の景色に、ラニルスは思わず声を上げた。振り返れば、さっき自分たちの通ってきた畑の中の道が、リーン街道と合流する辺りまでずっと追っていけるほどハッキリと見えている。
 「山賊ってのは、頭がいいモンだ。攻めるにも、攻められるにも有利な場所に住み着く。下からは俺たちのことが見えないが、俺たちからは向こうが見える。」
そう言って、男は無骨な顔をにやりとゆがめた。ラニルスたちがここへ向かっていることも、ずっと前から気がついていたのかもしれない。
 「来な。ファナとの国境線を教えてやろう」
砦の上部は、そのまま岩山の一部とつながっていた。この砦自体、大きな岩にぴったりと張り付くようにしてできているのだ。ウィンフリッドは身軽に岩をよじ登り、そのまま、すたすたと天然の花崗岩の上を歩き出す。
 「ほれ。あそこが、ちょうどエシルとファナの国境になるベンディック渓谷――その向こうが、ファナの果て、”黒い森”だ。」
視界の果てに、こんもりと生い茂る黒々とした木立があった。その手前に、深く削られた谷が白い岩肌をさらしている。
 「あそこが、どうして黒い森って呼ばれるか、知ってるか」
 「いえ…。」
 「ファナは、皇帝様が治める国なのさ。王様は神様みたいなモンなんだよ。その王様に睨まれちまったら、もう国では暮らしていけない。逃げだすしかない。だが、みすみす逃がしてもくれないのさ。あの森は、国境を越えて逃げてこようとした逃亡者たちの”処刑場”でもある。死体が出た日にゃ、きまって森の上に真っ黒な鴉の群れが…」
恐ろしげな顔で言ったウィンフリッドは、ラニルスたちが硬直しているのに気づいて、にやりとした。
 「…嘘だと思うなよ。あそこは、そういう国だ。ま、今の女王の時代になってからは、そんなことも”少なく”なったが。」
岩の上をひたひたと歩いてラニルスたちの側に戻って来た男は、2人の肩を後ろからポンと叩いた。
 「さて。下に降りて、今度はお前たちの話でもゆっくり聞かせてもらうとするか。」
その手は、ごつごつして岩のようだった。太さも、ラニルスたちの倍はある。太い毛に覆われて、人間のものとは思えないほどだった。
 だが、――何故だろう、その腕は、不思議な優しさを宿している気がした。


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