こんな城じゃないけど フラウムヴェルが奪還され、国王軍が城内に残っていた逆賊を駆逐した、という知らせを聞いたのは、スタウンヴェルを発って2日後のことだった。
 スタウンヴェルの城下町から真っ直ぐ東に伸びるリーン街道の半ばにあって、知らせは旅人たちの口づたえに、急速に広まりつつあった。
 予想されたとおり、そして、ラグナスとともに現れた男、ウォレンの言ったとおり、ホンドショーは既に城内にはいなかった。
 地下水路は、城が包囲された後も頻繁に使われていたらしく、かなりの設備が整っていた。そしてホンドショーも、そこから町の外へと、逃げ延びたのだった。

 だが、最短距離でファナへ逃げるつもりならば、どうあっても東へ向かう道をとらざるを得ない。いずれ、このリーン街道も厳重に封鎖されるだろう。その巻き添えを嫌って、旅人たちはいつも以上に旅路を急いでいた。急ぐのはラニルスたちとて同じだ。ホンドショーがファナへ向かったとすれば、ファナ側でも、ホンドショーを迎えるべく軍を出してくる可能性がある。スタウンヴェルへの攻めがあっさり終わったのも、本命はホンドショーの身柄回収だったからかもしれない。

 「ユオン、ヴォラートの言ってた”エルダート砦”っていうのは、どの辺りにあるんだ?」
 「ヒュルスヴォルクの北だ。オレも、行ったことは無い。」
二人は、ヒュルスヴォルクの近くにあるという、国境警備隊の砦を目指していた。
 そこは、20年前のファナ戦争の際に築かれ、今なお機能する辺境の砦で、ファナとの関係が沈静化しているここ10年ほどは、街道を行き来する旅人たちの安全を守るのが主な役目となっていた。
 彼らの役目は、ヴォラートに託された書簡を届けること。そして、国境の様子を詳しく調査し、ありのままに、出来る限り迅速に、首都フラウムヴェルへ持ち帰ること――だった。
 街道の半ばにある宿に、旅人たちはひっきりなしに出入りしている。ラニルスは、知らず知らずのうちに、その人ごみの中に目を走らせている。今、この瞬間も、どこかに暗い影が潜んでいるような気がして、落ち着かなかった。
 「あの男のことを、気にしているのか?」
ユオンが軽く眉をしかめて囁く。
 「…それも、ある。」
 「あまり気にしすぎないほうがいい。今は、一人じゃない。オレもいる。奴だって、まさか、こんな人の多いところに出て来ないだろう」
 「そうだな。何しろ、目立つ…」
黒い長衣を纏った男の、真っ直ぐに伸ばされた長身は、記憶の中で、いつしか、大地に仄暗く立つ黒い炎のイメージへと変貌していた。
 炎でありながら冷たく、切り裂くようなそれの前で、ラニルスの持つ剣が放つ熱は、あまりに無力に思えた。
 本当に、この剣が――と、ラニルスは、テーブルの脇に立てかけた剣にそっと手を伸ばす――ラグナスと、ニグナスの持つ美しくも禍々しい気配を放つ剣に打ち勝てるのか?
 スタウンヴェルの防衛のとき、彼ら自身が乗り込んでこなかったのには何か理由があったのか――。
 ラグナスとまみえた、ほんの僅かな時間を思い出すだけで、背筋が寒くなるようだった。”あの男には、絶対に勝てない”、本能が、そう告げていた。もしも、次にであったら…。
 「やめよう。いつかまた出会うにしても、今は考えても仕方が無い。ファナの脅威が直ぐそこにあるのに…。」
ラニルスは、考えを頭から振り払って立ち上がった。


 宿を取った町は、リーン街道のすぐ側にあった。
 野宿でも良かったのだが、急いでも大して日程は縮まらない。数日前の雨で街道の近辺も水溜りだらけになっているし、何より、せっかくヴォラートに貰った路銀を使わないというのも、悪い気がしたのだ。
 一般の宿のベッドは、兵舎のベッドより柔らかい。ラニルスは、今さらのように、領主階級のユオンが、兵士などに志願したことを不思議に思ったのだった。
 その理由を、ユオンは、話してくれたことが無い。
 故郷の話もほとんどしない。本当を言えば、故郷が嫌いで家を出たのではないか、と思っていたくらいだ。だが、実際はその逆だった。ユオンは、故郷ヒュルスヴォルグと家族のことを心配するあまり、一時は、現在の仲間たちを裏切りさえしたのだ――。
 「ユオンの住んでたところって、どんななんだ?」
宿を出、馬を預けてある厩舎に向かいながら、ラニルスはそれとなく聞いてみた。
 「何にも無い。ただの田舎さ、平和な村だよ」
ユオンは、それだけしか答えなかった。今、その場所へ向かおうしているのに、ずいぶんと簡素な説明だった。
 と、並んで歩いていたユオンが、ふと、足を止めた。
 「ユオン?」
彼は、じっと人ごみの一点を見つめている。
 「どうかしたのか」
 「…いや。気のせいだろう。」
ラニルスも足を止め、同じ方向に目を凝らした。干草を積んで通り過ぎる荷台の向こうに、そそくさと通り過ぎる薄汚れた服の男がいる。スボンはだぶだぶで、まるで、ゴミ袋でも履いているかのようだ。
 「盗賊か何かかもしれないな、あの目つき。」
抜け目なく通りを見渡している男の、小動物のような動きを見て、ラニルスは言った。
 「戦争が始まりそうになると、ああいう輩が増える。」
 「……。」
 「おい、ユオン」
 「あ、ああ」
気のせいか、ユオンの顔色が青白く思えた。元々、それほど日に焼けるほうではない。夏の日差しの中で同じ時間だけ訓練しても、ラニルスより、ユオンのほうがずっと色が白かった。
 「疲れてるんじゃないのか? 戦のあと、ほとんど休まずに出てきただろ」
 「心配ない。ちょっと、日差しが眩しかっただけだ…。行こう」
意図的に追求をはぐらかそうとするように視線を逸らすユオンを前に、それ以上は、尋ねることが出来なかった。

 二頭の馬は、並んで街道を疾駆していた。
 一頭はユオンが乗っていた馬、そしてもう一頭は、ヴォラートの許しを得て借りてきた灰色の馬、疾風<はやて>だ。気性は、決して荒くない。だが、癖のある、どこか扱いづらい馬だった。若い馬にしては落ち着き払って、戦場でさえ怯えもしないで走り続けたさまは、この世のものではないようでさえあった。
 馬を走らせながら、ラニルスは、これから向かう町のことを考えていた。
 まとまった休みが取れると、大抵の兵士は帰郷する。ラニルスも、母親が亡くなってから世話になっていた親戚の家を訪ねることがあった。だが、ユオンは決まって、休みもフラウムヴェルで過ごしていた。
 「実家には、帰らないのか?」
一度だけ、聞いてみたことが在る。
 「家族は向こうにいるんだろ?」
 「ああ。…でも、遠いし、田舎だから何もすることがない。退屈なところさ」
その時も、ほとんど何も答えてはくれなかったのだった。
 質問を拒絶するような雰囲気がありありとにじみ出ていて、それ以上、何も聞くことが出来なかった。
 これから行く場所に、その理由があるのかもしれない。何か帰りたくない理由でもあったのだろうか?…だが、それなら、嫌がっているそぶりが在っても良さそうなものだが。

 馬を走らせるうちに、日は高く上り、やがて、天頂を越えて行く。街道は、やがて林へ辿りつく。流れてゆくまばらな木々の間の間には、広々とした畑や牧草地が続いている。
 「この辺りは、もう、オレのよく知ってる土地だ」
ユオンが馬を寄せて言った。
 「もうすぐ小川に当たる。ほら、見えてきた!」
林の向こうに、丸太づくりの橋と、きらきらと光を反射する水の流れが迫ってくる。木漏れ日の眩しさに、ラニルスは、思わず手を翳した。
 行く手には、林を切り開いた農園が、はるか山際まで続いている。
 「ここから先がヒュルスヴォルグ――、そして、あの崖の向こう側がエルダートだ」
光に照らされたユオンの表情に、懐かしさと、喜びと、…そして、表現の出来ない、複雑な影が過ぎるのを見た。
 「予定より早く着きそうだな。どうする? 折角ここまで来たんだ。もちろん家族には会って行くんだろ?」
 「……ああ。」
刹那の迷い、だが、ユオンはうなづいた。
 「少しだけ、寄り道につきあってくれ。母と弟に紹介するよ」
小川を渡ったところで、馬を南へ向けた。

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