翌朝――
 昨日までの雨は嘘のように、空は青く晴れ渡り、不穏な気配など一欠けらも無い、静かな色に戻っていた。
 城壁から見わたす町の周りの草原は、昨日の戦闘で踏み荒らされて茶色く乱れていた。だが、太陽が照らせば、濡れた土から新たな草が芽生え、大地に刻まれた戦の痕を覆い隠していくのだろう。
 ラニルスが目覚めたとき、ラギとユオンはまた眠っていた。起きている者はほんの僅かで、城内の大半の部分は、まだ静まり返っている。
 ベッドを抜け出したラニルスは、しばらく、どうしようか迷っていたが、思い切って起きだすことにした。町の様子も見ておきたかったし、何より、気になっていることがあった。
 城門を守る兵士は、寝ぼけ眼をこすりながらラニルスを見送った。特に行き先を聞かれることもなかった。ラニルスとしても、あまり遠くへ行くつもりは無かったのだ。
 裏通りの坂を下り、大通りと合流する手前…鍛冶屋の看板は、雨で濡れて多少黒くなっていたが、以前と変わらず、そこに揺れていた。
 こんな時間に起きているのかどうか心配だったが、店のあるじは早起きらしく、既に、中からは甲高い金属音が響いている。
 ノックしても、どうせ聞こえまい。ラニルスは、そのままドアを開け、中に入って行った。

 ハイセネンは、仏頂面で火を燃していた。パチパチと、湿った木が音をたてて弾ける。打っているのは、戦いのはじまる前、武器を収めて金属の錠で閉じた箱の鍵だった。
 ラニルスが入ってきたのを見ると、ハイネセンは手を止め、口を開くなり、こう言った。
 「何の用だ。エリッサなら、ここにはおらんぞ」
 「いないって? どうして。」
 「戻っとらんからだ。昨日、戦場の様子を見に行くと言って、わしの元を離れたっきり。…その様子だと、お前のところに行ったらしいな」
ラニルスは、面食らった表情のまま立ち尽くしていた。あのとき、確かに、町に向かって歩いていたはずだが――。
 「まあ、そこに座れ。朝メシも食わずに出てきたんだろう。」
ハイセネンは、腰掛け椅子の一つをラニルスによこすと、自らは奥の部屋へ入っていった。コトコトと、鍋の吹き零れるような音がする。エリッサがいなくなって、自分で朝食を準備する生活に戻ったのだろう。間もなく戻ってきた独身男の手には、吹き零れて真っ白な膜の出来たミルクのカップと、不恰好に切られたパンの上に、乱暴にチーズの切れ端を載せただけのものだった。
 「ありがとう、遠慮なくいただくよ」
 「ふん、まぁ、わしもこれからメシにするところだったからな。」
ラニルスは、カップとパンを受け取って、椅子に腰を下ろした。邪魔になる剣は外して脇に置く。…そう、エリッサに借りた剣を持ってきたのだった。彼は借りたつもりでいた。そして、戦いが終わったら、返すつもりだったのだ。
 ハイネセンは、火の具合を見ながらパンを齧り、熱いミルクを一口、呑み込んだ。いつもの、無愛想な表情とはどこか違っている。
 「…エリッサは、どこへ行ったんだろう」
 「さあな。」
 「まさか、ラグナスを追いかけて行ったってことは…」
男は、ひとつ溜息をつき、口の中のものを呑み込んだ。沈黙があった。
 「ハイネセン、彼女とはどういう知り合いなんだ? エリッサの親父さんと知り合いだとは聞いたが…。あの剣を知っていたってことは、ラグナスのことも知っていたんだな?」
 「知っていた。」
隠しもせずに、ハイネセンは言った。
 「わしがフェノールの都へ行ったのは、もう、ずいぶん昔のことになる」
――そして唐突に、普段は自分のことなどほとんど語りもしない無口な男は、言った。
 「フェノールの剣と、その創り手シャーナフの名を知らぬ刀鍛治はおらんよ。だが、ほとんどの者はただの伝説と思うだろう。…わしもそうだった、ヴォラートに、あの剣を見せられるまでは。あの剣…<ガーディア>は、明らかに、わしの知る剣とは違っていた…。」
ラニルスは、息を潜めてハイネセンの話を聞いていた。僅かでも邪魔したら、この男はそれ以上話してくれない気がしたのだ。
 「名剣中の名剣、いかなる剣にも砕くことの出来ない神秘の技法で作られた金属、その謎がどうしても知りたかった。地図もなく、言い伝えだけを頼りに霧深いフェノール山脈の奥に分け入って行った、あれは、若い頃だから出来た無茶なのだろう。」
 「そして、見つけた?」
 「そうだ。だが、それは、思っていたようなものではなかった。フェノールの都は…、…まぁ、それはここで言っても仕方が無い。とにかく、わしは、シャーナフの鍛冶屋に弟子にしてくれと頼み込んだ。フェノールの剣、歴史に名を残すような名剣を作り出す技術が欲しかった。だが断られた。シャーナフの技は、ただの技術にあらず、それは一族の血を持って、フェノール山脈にしかない鉱石と意志を通じあわせて作り出すものなのだから、…と。つまりシャーナフではないわしには、出来るはずのないことだったのだ。
 だが、落胆するわしに、一人の刀鍛治が言った。フェノールの剣は鍛えられなくとも、歴史に語られる名剣を作り出すことは出来よう、と。
 …それが、エリッサの父親だった」
火がはねた。ハイネセンは、今、誰にも話して来なかっただろう、自らの過去を明かそうとしている。
 「ヴェレントは優秀な鍛冶屋だ。わしの師匠でもある。あそこで、わしは、真に名剣たるものはどのような剣かを学んだ…」
 「じゃあ、どうして刀鍛治をやめたんだ。どうして今は、こんな小さな町で日用品ばかり作っているんだ?」
 「それはな、怖くなったからだ。20年前…、あの大きな戦を見て、自分の作り出した剣が何十、何百という人間を斬り殺すのを見てな。わしら鍛冶屋は知っているのだ、自らが作り出した武器によって、多くの命が奪われることはな。優れた武器を創り出すほどに――自らが直接手を下さなくとも、人を殺すという罪を重ねていくことになる。」
エリッサも、同じようなことを言っていた。
 だが、彼らシャーナフの創りだす剣には意志がある。望まざる戦いでは、力を発揮しないのだ。
 「戦は、兵士だけでするもんじゃない。鍛冶屋も、武器職人も参加しているようなものだ。」
小さく言って、ハイネセンは、冷えてきたカップの中身を一気に飲み干した。ラニルスは、じっと、自分の手元を見つめていた。
 「あのとき、エリッサは”ごめんなさい”って言ったんだ。」
ラニルスは、言った。
 「オレが、ラグナスと戦ったとき…正確には、剣の重さに手とられて動けなくなった時だけど、エリッサが間に飛び込んできて、助けてくれた。そのあと…、姿を見たのは、それが最後だ」
 「覚悟が出来ていなかったんだろう。ラグナスへの怒りは本物だ。だが、それは憎しみというほどではない。そして、ラグナスを倒すためには、ヘタをすれば使い手自身の命を削りかねない、危険な剣を誰かに使わせなければならん。裏切り者ラグナスを殺すこと、そのために無関係な人間を巻き込むこと。…いざ、その場面になって、どうしようもなく怖くなったんだろうな。かつての、この、わしのように」
ハイセネンの目は、炉に燃えさかる焔の中に注がれている。
 「だがエリッサは強い娘だ。今は迷っていても、いずれは答えを出すだろう。わしのように、逃げたりはせんはずだ。あの子が心を決めて戻ってくるまで…、それまで、その剣を預かっておいてくれんか。」
 「ああ、分かった。じゃあ伝言を頼むよ。数日中にヒュルスヴォルグへ発つんだ。国王様の命令で」
鍛冶屋の表情が、ぴくりと動いた。
 「ファナの動向を見るためか。やはり、戦は続くことになるのか」
 「そうらしい。」
 「……。」
沈黙の中に、様々な思いが滲み出していた。
 戦になれば、また、多くの剣が振り上げられ、多くの命が奪われるだろう。
 「ラニルス。お前、この戦で何人殺した」
席を立ちかけていたラニルスは、突然の問いかけに動きを止めた。
 「分からない。無我夢中だったから…だけど、相手が死んだかどうかなんて確かめようがないよ。殴りつけたあと、振り返る暇も無かったから。だけど、目の前で確実に死んだ人間がいるかっていうと、いない。」 
 「そうか。」
ハイネセンは、じっと何かを考え込んでいた。
 「…ハイネセンの剣では、殺していないよ。あれは、ヴォラートを庇おうとして折れてしまったから」
 「そうか。」
ラニルスは、カップを椅子に置いて、静かに店を出た。ハイセネンの邪魔をしては悪いような気がしたからだ。
 エリッサが自らの迷いに決着をしているように、この鍛冶屋もまた、何かの覚悟を決めようとしている。
 そして恐らく、自分にも、この先、いくつもの覚悟が必要になってくるのだろう。
 ラニルスの手元には、リシャートが押し付けていった、金のピンがまだ残されていた。返すと言っても、ヘルムナートが、いちど下賜したものの返却を受け付けてくれるとも思えなかった。
 今更ながらに責任の重さを感じて、ラニルスは、軽く溜息をついた。

 城に戻ると、あらかたの者が起き出していた。まだ寝ぼけ眼のまま、寝巻きでウロついている者もいる。いつもなら叱り付けるはずの上官もおらず、普段より気の抜けた朝の風景だった。
 「お早うございます、ラニルス隊長!」
いきなり、元気な声が飛んできた。ラニルスは、吃驚して辺りを見回した。
 「…なーんちゃって。昨日はどうだった? 王様のところに呼ばれたって聞いたけど」
声の主は、すぐに見つかった。飼い葉みたいなパサパサの髪をした、そばかすだらけの若者。ヘイズだ。外見や雰囲気はラギと似ているが、ラギとは違う――体格と、すばしっこさが違うのだ。
 ヘイズは、にやにやしながら弾むような足取りで近づいてきた。
 「脅かさないでくれよ。目立つのは好きじゃないんだ」
 「またまた。リシャートってエラそうな奴が言ってたぜ。あんた、王様じきじきに命令を受けたんだろ。俺らなんて、王様と直接話したこともないんだからな。」
 「…ユオンのことも、あったからな。」
そう言ったとき、ヘイズの表情は少し硬くなった。
 やはり、気持ちが受け付けないのだろう。どんな理由があれ、一度は敵側についた者に対し、複雑な思いを抱いているのだ。
 だが、人はそう強くない。明確な目標があったとしても、そう容易く志を貫けるものではない。命を懸けてまで、どちらかの陣営のために戦おうとするには、それ相応の「理由」が要る。そして、多くの理由は、自分自身―或いは、自分の命と同等の価値を持つ誰かの命の危機という、より現実的で即実的な理由の前にも容易く崩れ落ちるものなのだ。
 「そうだ、ハイセンは? 無事なのか」
 「ああ、もう全然。ピンピンしてるよ。知り合いで死んじまった奴はいねぇな。ま、運の悪いのが二、三人、ケガで寝込んでるはずだけど…。」
 「そうか」
では、被害はそれほど大きくは無いのだ。この戦いで、犠牲者が少なかったことは喜ぶべきだろう。
 前庭に、壊れた剣や鎧を集めた山が出来ている。昨日のうちに回収されたのだろう。今はただの鉄くずだが、鍛えなおせば、また、使えるようになる。
 「一先ずは、これで終わり、か」
ふいに、ヘイズの表情が大人びた。
 「次の戦まで、どれくらいあるんだろうな…」
 「どこまで知ってる? 誰から聞いたんだ」
驚いて、ラニルスは聞き返した。
 「聞かなくても分かるさ。皆、薄々感づいてる。ファナは、また攻めてくるんだろ? これで終わりだなんてことは、在り得ないさ」
 「……。」
城内には、まだ、目に見えない緊張が残されている。心から安心した者は、誰ひとりいない。完全に気を抜くことは出来なかった。
 ファナは大国だ。軍事力も、組織力も、この国とは比べ物にならない。ルーンの軍から逃げ出してきた兵士たちは、その恐ろしさの片鱗に触れ、身をもって知っている。
 「でも、ま、これでフラウムヴェルへ帰れるんだと思うと、ほっとするぜ。なぁ?」
 「そうだな。」
本当は、まだ帰れない。これからすぐに、国王の命によりヒュルスヴォルクへ向かう。「少し遅れるけど、必ず帰るよ」「え?」
 「…少し、用事が残っているんだ。これからヴォラートのところへ行かないと」
ラニルスは城を見上げた。雨に濡れた灰色の城壁が、澄んだ朝の空の中にどっしりと聳えている。

 ヘイズと別れた後、彼はまっすぐにヴォラートの部屋へ向かった。
 まだ時間が早いせいか廊下ですれ違う人の数は少なかったが、ユオンは先に来て、既にヴォラートと話していた。ラニルスが入ってきたのに気づくと、ユオンは席を立った。ヴォラートは寝台に体をおいて、上体だけ起こしていた。
 「お早う。今朝は早かったんだな。どこに行っていたんだ?」
 「ハイネセンのところ。お早う、ヴォラート。具合は?」
 「見た目ほどではない。だがうろうろしていると、リーマンに叱られるんでな」
ヴォラートは、思いのほか元気そうに笑った。顔色も、ずいぶん良くなっている。ほっとして、ラニルスは背負っていた剣を降ろした。
 「それは?」
 「…ああ。戦の間だけ借りたんだよ。これを本来の持ち主に返そうと思ったんだけど、しばらく預かっていて欲しいってことだった」
 「確か、ラグナスを倒すための剣だとか、いってたな」
ユオンは剣に向かって手を伸ばした。だが、触れない。鞘のはしに手を近づけただけで、すぐに引っ込めてしまう。
 ややあって、ヴォラートが呟いた。
 「不思議な剣だな。焔を纏う剣など、聞いたことがない」
ここにいる二人は、どちらも、”フェノールの剣”を持っているのだ。常人には感じられない、剣の持つ気配、ラニルスが感じているのと同じものを、感じ取っているはずだった。
 朝の光の中で、剣の気配は静かだった。だが、それは、鞘に収められているせいかもしれない。思えば、この鞘を金属で鋳造したのも、ハイネセンが念入りに作っていたのも、剣の特性を知っていたが故なのだろう。
 「その剣、あのシャーナフの女の子に借りたのか」
ヴオラートには、大体の事情が分かっているようだった。
 「ラグナスという男のことも、あの子に聞いたな?」
 「そうだけど、どうして…。もしかしてヴォラート、ハイネセンがフェノールの剣を求めてシャーナフに弟子入りしたって話も、知ってるのか?」
 「まあな。あの男とは、20年来の付き合いだ。…そうか、お前にも話したか。…」
ユオンには何のことか判らないはずだったが、黙って聞いている。元々、詮索好きな性格ではないのだ。
 「フェノールの剣を集めようとするファナ、それを手伝う謎の男ラグナス。その男を倒すための剣を持って現れた、フェノールの剣の創り手・シャーナフの少女…。そして今、くだんの剣は、お前の手にある、というわけか。」
ヴォラートは口元を軽くゆがめた。
 「見事に繋がるな。どうやら、お前は既に巻き込まれているらしいぞ、ラニルス。」
 「そうだな。…」
剣をエリッサに返して、それで終わるとは思っていない。一度巻き込まれたことから簡単に抜け出せるとも思えない。何より、ラグナスがフェノールの剣を集めようとする限り、ヴォラートやユオンの元にあの男が再び現れるのは間違いない。
 だが今は、何よりも先ず、エリッサに会わなければならない。会って、聞きたいことも色々あった。
 「まあ、その話はいいとしよう。二人揃ったことだ。国王様に申しつけられたお役目から先に片付けるとしよう。ヒュルスヴォルクへ行ったら、まずは、してもらいたいことがある…」

 二人がスタウンヴェルを発ったのは、その日の、午後早い時間のことだった。
 手を止め、見送った仲間たちの殆どが、彼らの旅立ちに複雑に思いを抱いていたに違いない。”裏切り者”と、”英雄”と。…だが、そのわだかまりも、フラウムヴェルへ戻ったときには、解けているはずだった。
 そう間を置かずに、城の兵士たちもこの町を後にする。3ヶ月ぶりの、首都への帰還――そして、次なる戦に向けた備えが始まる。
 「ラニルス!」
大通りに出たところで、ラニルスは、ハイネセンに呼び止められた。振り向くなり、いきなり何かが投げ渡される。右手で受け止めたそれは、細長い、…
 「もしもの時、身を守るものが無くてどうする。エリッサの剣で戦うわけにいかんだろう。そいつを持っていけ!」
包んでいた布を解くと、中から出てきたのは、鞘に入った剣だった。ずいぶん古いものらしく、布はぼろぼろで、鞘自体も薄く汚れていたが、軽く、形のよい美しい剣だった。かつてハイネセンが、刀匠を辞める前に作ったものなのだろう。
 「そいつの名前は、”ミームング”。フェノールの剣ほどじゃないかもしれんが、わしにとっては自分の創りうる最高の品だ」
 「ありがとう、でも、どうして、おれに…」
 「お前なら、わしの代わりに見つけてくれると思うからだ。滅びつつあるシャーナフの一族が、剣を創ることに何を見ているのか。戦場に立つことの無い刀匠が、武器を作り出す覚悟の意味も。身勝手かもしれないが、お前なら、それを悪いようには使うまい。」
一気に喋りきったハイネセンのごいつ髭面は、微かに赤く蒸気していた。自分でも、そこまで言うつもりではなかったのかもしれない。
 男はくるりと背を向け、ラニルスの返事も聞かずに足早に、路地の奥へと消えて行った。
 ラニルスは、手元に残った剣に目をやった。普通の剣より一回り、小さい。柄の部分には小さく、創り手の名前…ハイネセンの名前が、古い時代の線文字で刻まれている。かつて一流の刀匠を目指したハイネセンが求めたものは、何だったのだろう。その夢を捨てたきっかけは…。
 「行くか、ラニルス」
 「ああ」
その剣には、過去に置き去りに去れた、ある一人の男の夢と思い出が詰まっている。
 そしてこれから、若者の手によって、まだ見えない未来を作っていく。


−新暦1215年 夏*****

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