あらかたの報告と審議は、終わろうとしていた。
 捕らえられた兵たちの処遇はライナーが受け持つだろう。今も城壁には見張りが立ち、厳重な警戒を続けているが、四散したルーン公の兵が戻ってくるとは思えなかった。元は金目当てで軍に入った者か、金で雇われた傭兵たちだ。報酬を支払う主人がいなくなければ、戦う理由は持たないのだった。
 ルーン軍は実質上、指揮官であるルーンがヴォラートの一撃を受けた瞬間に崩壊していた。だからこそ撤退し……次には、脅しをかけても、戦況を優位に運ぼうとした。そして、その脅しが意味を成さなくなった時に、敗北は決まっていたのだ。
 「――さて。そろそろ、フラウムヴェルの、城攻めの結果が届く頃であるな」
老王は、落ち着いた声で言った。
 「ファナの兵の言ったことが真実なら、もはやホンドショーはそこにはおらぬだろう。そして――」
 「失礼いたします。ご報告申し上げます」
ふいに、会話の間をぬって、玉座の横にある、重いカーテンが開いた。ひとりの兵士が小走りに王に近づく。
 「今しがた、捕虜としていたルーン公が…」
ヘルムナートは小さく頷き、部屋に入ってきた兵士に手を振って見せた。
 「あの傷では無理かと思いましたが、せめて、きちんとした手当てがされていれば。」シモン公が溜息をつく。「敵となったとはいえ、かつての同胞。哀れなものです」
 「ルーンも死んだ、か。では、ホンドショーとファナの取引を正確に聞き出せそうな者が、いなくなってしまった、というわけだな。」
重い沈黙が、辺りを埋めた。
 「確かなことは、ファナの国の女王が、再びこの国を狙っているということ。次なる攻撃は速やかで、しかも、激しいものとなろう」
ヴォラートが言った。
 「戦…か。確かに。これで終わるとは到底思えないですな。」
シモン公が眉をひそめる。
 リシャートは、生真面目な顔で言った。
 「すでに今回の戦場に見られたように、密かにファナの兵が送り込まれていないとも限りません。また、既に手合わせした、数名の者も、只者ではありませんでした。我らの城、フラウムヴェルへ戻るまでは安心できません」
 「その点はご安心を。お戻りになるまでは、我らの兵がお供いたします。」
 「それに、雛鳥もよく育ちました。」
リーマンが微笑む。
 「必要なのは、心構え。ここへ来た時は、まだ剣を振るうにも戸惑いを見せていた者たちも、ほんの数日とはいえ、戦の緊張の中で何かを学んだでしょう。」
 「少しは使えるようになった、という程度でしょう。」
リシャートは、あくまで毒舌を崩さなかった。「ファナは、明日にも大軍を率いてこの国に攻め入ってくるかも知れないのです。そうなったら、こんなものでは済まされません。今回は戻ってきた兵士たちも、いずれは、命惜しさに再びファナの側に寝返るかもしれないのです。」
 「――。」
その場が沈黙した。
 「此度のホンドショーのことは、我が身の至らぬせいだ。あれを殺すまいと戦いを長引かせてしまったのも、わしの我がまま。許してくれい」
 「いえ…そんな、王。決してそのようなつもりでは」
 「いいのだ。わしに、もっと人心を引き付ける力があれば、こんなことにはならなかっただろう。ルーンの裏切りも、みな、自分の招いたことじゃ。それに巻き込んでしまった者たちには申し訳ない」
ヘルムナートは、じっと目を閉じ、俯いた。それは玉座にありながら、臣下に頭を下げているようにも見えるそぶりだった。
 「わしも、覚悟を決めねばならぬ時が来たようだ」
ややあって、顔を上げたとき、老王の表情は、きっと引き締まり、口元には赤みが差していた。
 「皆が集まってからにしようと思ったが…今は緊急を要するとき。此度のことでホンドショーが時期国王の座から永遠に退けられたとあっては、跡を継ぐものの存在がなくなってしまう。これでは国の混乱を招くだけだ。」
緊迫した一瞬。
 「皆にはもっと早く伝えるべきであったが、息子、スヴェインを迎えようと思う。」
幾人かから純粋な驚きの声が漏れた。誰よりも早く口を開いたのは、シモン公だった。
 「ご子息…ですと? 王のご子息は、お2人とも、20年前のファナ戦争で戦死されたのではなかったのか」
 「そうだ。嫡子はな。そして、その後、妃も逝った。だが、その時…わしには、もう一人、息子がおる。妃が嫌い、遠ざけておった、腹の違う子がな。」
 リーマンとリシャートの顔色は変わらなかった。国王の側近であるリシャートは、知っていたのだろう。そして、リーマンは、…古参の兵として、昔の事情を覚えていたのだろう。
 ヴォラートも、古参の兵の一人だ。驚きはしても、それは一瞬のこと。ホンドショーが反逆したと知ったときから、可能性を頭の片隅に置いていたのかもしれない。
 「私は覚えております。あの戦の頃、まだ、10にも満たぬお年でした。僅かな期間、私が手づから護身の技をお教えした。その後、辺境の館に母君とも送られたのち…一度も、城には姿をお見せになっておりません。」
 「そうだ。あれの母親が、権力闘争だの王位争奪戦だののごたごたに巻き込まれることを嫌ってな。妃が逝ったあとも、表に出ようとはせなんだ。だが――わしには、もはや、あの子しかおらぬ。」
ラニルスは、ようやく、リーマンの言った言葉の意味を理解した。
 『身内ホンドショーを殺したくない、だが、”もうひとりの身内”を表舞台に立たせて、身を危険に晒させたくも無い』……

 だが、王は、他国の脅威を受けようとする今、一人の身内を切り捨てて、もう一人を危険に晒すことを決意した。
 この国を守るため、それが正しい選択なのかどうかは、今は、誰にも判らないだろう。

 「では、フラウムヴェルへ戻り次第、使者を?」
 「いや。既に送っておる」
ヴォラートは眉を寄せた。
 「…確か、スヴェイン殿と母御がおられるのは、西の辺境…ハーラルでしたな。」
そう、確かに辺境からの使者を見た。それも、ユオンがルーン軍の使者としてこの城を訪れた日の夕方に。
 ヘルムナートは、既にその時から心を決めていたということか。
 「あそこからの返答には、10日はかかります。」
 「そうだ。遠い土地だ…国のはずれであるゆえに。使者は先行して、スヴェインがわしの元へ来ることを承諾したと、知らせを持ってきたのだ。そして、戦の知らせを持って帰った。次の使者は、戦が終わったことを告げねばならぬ。」
老王は、口元に笑みを浮かべ、リシャートに目をやった。
 「その役目に適任といえば、そなたであろう。一行は、もう既に街道の中ほどまで入った頃であろう。書状をしたためる故、スヴェインに渡して欲しい。よいかな」
 「は。仰せのままに」
 「シモン公、そなたはここまでの遠路、ご苦労であった。雨の中の強行軍で疲れたであろう。間もなくそなたの兵も戻ってこよう、今夜はゆるりと休まれよ」
 「ありがとうございます。」
 「それから、もう一つだ。」
王は、ゆっくりと年少のふたりに目を向けた。
 「かの者たちのもたらした情報が本当なら、国境にファナの脅威が迫りつつあることとなる。それはいかほどのものか。そして、どのくらいの時期に仕掛けてくるのか? それを調べるため、斥候の役目が必要となる。」
ユオンの表情に緊張が走った。
 「ユオンよ。さきほど、わしに語った言葉に偽りは無いな。そなたは、もはや友を裏切らぬと」
 「相違ありません」
 「ならば、ラニルスとともに、そなたの故郷へ向かえ。そなたらには、大切な役目を果たしてもらわねばならぬ。ファナの軍勢がすぐそこまで迫っているというのなら、その脅威のほどを、しかとその目で見て参れ。よいな」
彼の目に驚きが――、そして、次には、喜びの輝きがあふれた。気にかけていた故郷に、王の許しで帰ることが出来るのだ。
 「お心遣い、感謝します。」
 「さて。これで、ひとまずは全て片が付いたか。」
長い会議が、ようやく終わろうとしていた。
 「ヴォラート、皆に伝えてくれ。数日のうちに、我らもフラウムヴェルへ帰還する。」
 「かしこまりました。」
すでに外は完全な闇に包まれ、月が昇っていた。敗残兵を追っていたライナーたちも、そろそろ追跡を諦めて戻ってくる頃だろう。
 「では、これにて散会とする。」
リシャートの宣言によって、報告と審議は終会した。
 だが、実際のところ、戦の後始末は、まだ山ほど残っている。出立まであと数日となれば、この城を後にする準備も慌しく進められることだろう。そして、フラウムヴェルでも、順調に戦が進んでいれば、今頃は、陥落し国王軍の手に戻った城内を、国王を迎えられる状態にするために整える準備で大忙しのはずだ。

 出席者たちが席を立つ。
 昼間の戦で、体は鉛のように疲れていた。何より、ここのところ張り詰めていた緊張が、一気に解けたせいもある。
 「ユオン、ラニルス」
廊下に出たところで、ヴォラートに呼び止められた。側にはリーマンも付き従っている。
 「色々あったが、つもる話はまた明日だ。今夜はゆっくり休め。」
 「はい」
 「明日は2人で俺のところへ来い。国境への旅は――、道を知るユオンがいれば、そう困難なものでもないだろうが、安全とも言い切れんからな」
そう、もう、次の戦いへの準備が始まろうとしているのだ。
 皆、疲れているのか、兵舎はすでに真っ暗で、見張り以外のほとんどの兵士が眠りに付いていた。
 「あれ」
部屋に戻ったラニルスは、ソファの上に丸まって眠っているラギを見つけた。
 「ずっと待ってたんだろうな。」
静かに寝息を立てている、そばかすだらけの顔を覗き込んだユオンがそっと呟き、苦笑する。
 「心配してたんだぞ、お前のこと。明日になったら、謝れよ」
 「そうだな。皆にも、謝らないと。…」
かすかにユオンの表情が曇った。
 「心配無いさ。許してくれない、なんてことはない。国王様だって許してくれただろ?」
 「…ありがとう」
ラニルスは、部屋に2つあるベッドの、空いているほうをユオンに譲った。1つの部屋で、3人いっしょに眠るのは、一部屋を何人かで共有していた見習いのとき以来だった。
 あの頃に戻りたい、そう言ったのは、ラギだっただろうか。
 過ぎ去った時は二度と戻ない。かつてと完全に同じでは無いだろう。だが、少なくとも、変わらない何かが残されているのだ。そのことに満足して、ラニルスは、眠りに就いた。
 長い一日は、こうして終わった。

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