日暮れ間際、いや、もう日が暮れたあと、とでも言うべきだろうか。
 太陽が地平線に沈みきったあとのごく僅かな薄明かり、その中で、戦いは終結のときを迎えた。
 敵兵のうち、捕虜になったもの数十名、終戦後、自ら投降したもの、十数名。残る者は、みな四散して逃げおおせた。ライナーとシモン公の手勢が追撃隊を編成して追っていったが、夜の闇が、逃亡者に味方する。全てを捕らえるのは無理だろう。
 だが、少なくとも、フラウムヴェルの隊から組み込まれた兵たちの大半は、最後の戦いの前に投降し、スタウンヴェル城に同胞として暖かく迎えられた。
 四散して逃げおおせた者のほとんどが、ルーン公の雇った傭兵たちで、終戦後投降した者はすべて、かつてルーン公の腹心だった者たちだった。
 皮肉にも、彼らは、ルーン公に不審を抱いていた。投降後、その胸の内を打ち明け、自ら進んで、これまでにルーン公とホンドショーの間で交わされたやり取り、目論みのすべてを、あらいざらい吐露したのであった。
 そのルーン本人は、見捨てられた自陣のテントの中で、大怪我を負って、息も絶え絶えのまま、護衛する者もなく打ち捨てられていた。ろくに口も効けないその男を見つけたとき、おおかたの兵の怒りは冷め、むしろ、哀れにさえ思ったのだった。
 そして、戦の終わった後――城に避難していた人々はみな、帰路につき、兵士たちは、怪我人と戦場に散らばった武器や防具の回収のために再び戦場に出て行った。
 残りの者は、城の本館に集まっていた。
 「つまり、ホンドショーは、ファナの女王と同盟関係を結んでいた、と、いうことか。」
ヴォラートは、溜息とともに首を振った。リシャートの、報告の後のことだ。
 「城を奪ったはいいものの、奴についていく者が少なかった。そこで、後ろ盾欲しさにファナに助けを求めたんだろう。強力な後ろ盾があれば、それに惹かれる者も出てくる。…ルーンも、そのくちか。」
ふん、とリシャートは鼻を鳴らす。
 その場には、すべての人物が揃っていた。この城に来てから1年、これまで数度しか開かれることのなかった謁見の間が開かれ、人々がそこに集められていた。
 重いタペストリをかけた奥の壁に最も近い、ゆったりとした席にはヘルムナート王が座している。少し席を開いたところにヴォラートが、リシャートの向かい側に腰を下ろしており、側に、体を支えようとリーマンが控えていた。
 末席に近い壁際に、ラニルスは、ユオンとともに立っていた。そこからなら、謁見の間にいる、すべての人々の動きが見渡せるのだった。
 「王位簒奪に失敗したからといって、自ら隷属を望むとはな。どこまでも愚かな男だ。ファナの後ろ盾で王位を手に入れたとしても、傀儡の王となるだけだ。」
 「…それでも」
ヘルムナート王は、ゆっくりと口を開いた。「あれは、王になりたかったのだろうよ。」
 重々しく、憂いに満ちた言葉が広間をしん、とさせた。
 フラウムヴェル城の奪還がどうなったのか、まだ、報せは聞こえてこない。だが、もうじき、その結末は分かるだろう。
 十重二十重にも包囲された城の中で、ホンドショーが捕らえられたか、戦死したかは分からない。生き延びたとしても、二度とこの国には戻れまい。当然の結末だ。だが、これで完全に終わりではない。もしもホンドショーが捕らえられるか、永久に追放されたとしても、まだ、隣接する大国ファナの脅威は、去っていない。

 「それにしても、驚きました。」
張りの効いた、よく通る声が、ラニルスのすぐ近くから飛んだ。
 末席にうやうやしく腰を下ろし、かたわらに兜を置くその男は、思いの他、若かった。南国を思わせるよく焼けた肌と、明るい色の目をしている。
 パウル=マルフィス=シモン、草原の向こうから、200騎の手勢を率いて駆けつけた辺境の領主だった。
 「数にも劣るというのに、ほとんど城壁もないこの城をよくぞ守りぬかれたものです。さすがは英雄ヴォラート殿」
 「いや。俺一人の手柄ではない。」
ヴォラートは、苦笑して髭の下で唇をゆがめ、視線をラニルスのほうに向けた。
 「礼を言うぞ、ラニルス。我が軍の指揮を上げ、若い兵たちを鼓舞してくれたお陰だ。何より、お前の身を挺した説得が、同胞との無駄な戦いを回避させたのだ。」
広間中の視線を受けて、ラニルスはかすかに頬を赤らめた。
 「いえ…。」
小さな声で言って、俯くのがやっとだ。
 「だが」
リシャートは、胸の前で両手を組み合わせ、わざと睨みつけるような視線で、ラニルスの隣に立つユオンを見やる。
 「かつてフラウムヴェルの兵だった投降兵だからといって、皆、信用するというわけにはいかん。ことに、ルーンの使者まで勤めた、そいつはな。」
 「リシャート。今ここで言わなくとも」
 「ここだから言いたいのですよ、ヴォラート殿。あなたがそんな怪我を負ったのも、もとはといえば、そいつのせいではないですか。本来ならば、塔の地下にでも放り込んで……」
ラニルスは、はっとして一歩前に進み出た。
 「待ってください。国王陛下――」
とっさに、彼は真正面の奥に控える老人に向かって語りかけていた。老いてなお鋭い目が、じっと青年を見つめる。
 「せめてユオンの話を聞いて下さい。おれ…、いえ、私もまだきちんと聞いていないんですが、理由があるんです。」
 「…聞かせてもらおう」
深い皺の刻まれた目じりが、やや緩んだ。ラニルスは、ほっとすると同時に、自分のとった咄嗟の行動に胸がつまりそうになった。
 代わりに、ユオンがゆっくりと進み出た。覚悟を決めたのか、ユオンの表情は落ち着き、広間全体を見渡すだけの余裕があった。
 「あれは、城が落ちたあと、一ヶ月が過ぎた頃…でした。」
ヴォラートは眉に浅く皺を寄せ、リシャートは、我慢するように言葉を呑み込んで見つめている。
 人々の小さなざわめきが収まるのを待って、彼は、口を開いた。
 「フラウムヴェルが占領された時には、何が起こっているのか、正直、分かりませんでした。ようやく我に返ったのが、その頃だったかもしれません。…冷静に状況を見られるようになってきて、城の中の様子を伺っていたんです。忠誠心の厚い熟練の者は、大抵が殺されるか、地下牢に放り込まれるかして、残っているのは気の弱い者や新入りの兵ばかり。武器は決して持たせてもらえませんでした。そして、いつもホンドショーの兵に見張られていました。どんなときでも私語は厳しく禁止されていたので、仲間と互いに情報交換することも出来ませんでしたが、何かの瞬間、見張りの目をかいくぐって、噂話をすることは、できたのです――。」
ユオンは、ひとつ言葉を切り、記憶を確かめるように沈黙した後、ゆっくりと、再び口を開いた。
 「とても暗い噂話でした。何人かが脱走に失敗して、殺されたというのです。その頃、監視されることに疲れた多くの者が、確実な脱出ルートを探していました。難攻不落といわれたフラウムヴェル、城壁を越えても、向こう岸に泳ぎ着くまでは全くの無防備です。それに、城を囲む川の流れは冷たく速い。夜の間に渡り切れるかどうかは…分かりませんでした」
ユオンは一語、一語を選びながら、ゆっくりと話していった。
 それは、ラギや、他の投降兵たちから聞いた話と、ほとんど変わらなかった。フラウムヴェルに残された者たちの日々は、恐怖の連続だったのだ。
 「だが、お前はホンドショーについた。結局、恐怖に屈したんだろう。」
 「リシャート、そう茶々を入れるな。最後まで聞こうではないか」
ヘルムナートに言われては、リシャートも口を閉ざすしかない。渋々と引き下がるのを見て、ユオンは、国王にむかって軽く頭を下げ、続けた。
 「けれど…一つだけ、確かな噂がありました。高楼の向かい側、ちょうど、玉座の間のカーテンの裏側に、地下水路へと続く古い隠し通路があるのだと。」
 「地下水路?」
リーマンが眉を寄せた。
 「確かに、他の者もそのようなことを口にしていたが…、それを誰から聞いた。」
 「門番の老人からです。城で一番長いことつとめている」
 「あのジイさんか!」
ヴォラートが舌打ちした。門番小屋に、もうずっと昔から住んでいる、痩せた老人は、八十も過ぎて少々鈍くなっており、時々、とんちんかんな答えを返すこともあった。だが、祖父の代から伝え聞いたような古い出来事はよく覚えていて、町が出来たばかりの時のことや、城の建造当時のことを、まるで見てきたように、昔話として話すのだった。
 「なるほど…。あの老人さんなら、知っていそうなことだ。ではユオン、お前は、その道を?」
 「はい。玉座の間を通らなければならないのですから…、それは死ぬほど怖かった。もしも見つかったら殺されると思った。でも、もしもその道が本当にあったら、逃げることが出来る…。」
ユオンは、拳を握りしめた。
 「そう思って、夜中に兵舎を抜け出したのです。玉座の間に辿りつくことは出来ました。しかし、そこに――あの男が、いたのです。ホンドショーとともに」
 「あの男?」
 「黒いマントに身を包んだ、背の高い男です。名は、ラグナスというのだと、あとで知りました――」
何かいいかけたリシャートが、口をつぐみ、ヴォラートのほうに目をやる。ヴォラートは、難しい顔をして、考え込んでいた。
 「その男はファナの女帝、リベッタの使いだと名乗っていました。男はファナの後ろ盾を約束する女帝の書簡を手渡し、援軍を用意するまでに時間はかかるが対等な関係での同盟を求めるならスタウンヴェル城くらい自らの駒で攻め落とせ、ろくに手勢も連れていない今ならば簡単に落とせるだろう、と唆していました。ホンドショーは、渋りながら頷いて…、国王を捕虜にしたとしても、国内を鎮圧するには兵が必要だ、と言いました。すると男は、案ずることは無い、ヒュルスヴォルクまで来ているだろう、と言ったのです。」
その地名に反応したのは、ヴォラートだけだった。
 「そうか。お前の」
 「…はい。ヒュルスヴォルクは、私の実家のある土地です。今は、母と弟が管理しています」
ラニルスは、はじめて聞いた。
 ユオンがどこか辺境に小さな領地を持つ家の出だとは聞いていたが、それが、ファナとの国境に近い場所だとは、思ってもみなかったのだ。
 わずか、沈黙が落ちた。
 「もしもファナの軍がやってきたら、最初に攻撃されるのは、あの町の人たちなんだと思ったら、恐ろしくなりました。どうしても逃げ出したかった。逃げて、一刻も早くヒュルスヴォルクの人たちに伝えたかった。しかし、その気持ちが焦りすぎて、私はその場から逃げ出すことが出来ませんでした」
 「捕まったのか」
 「…そうです。殺されると思いました。しかし、その時、あのラグナスという男が、私の持っていた剣を見て、止めたのです。」
ユオンの剣はそのとき、室内には置かれていなかった。国王にもしものことがないようにと、取り上げられて、今はエルムの傍らにあった。
 「それじゃあ、ユオン、あの剣はラグナスから貰ったものじゃなくて、最初から…?」
 「ああ。フラウムヴェルに移るとき、うちにあったものを、持ってきていたんだ。20年前、ファナ戦争の時に祖父が誰かから預かったと言っていたが…。その祖父も今はもう亡くなっている。由来も何も、知らなかった」
 「待て。その剣というのは?」
我慢しきれなくなったリシャートが身を乗り出した。
 「その、ラグナスとかいう男が、今日、戦場にいた奴なのか?」
 「ラグナスは――、フェノールの剣に関わる者だ。」
ヴォラートの口元がぴくりと動いた。ヘルムナートは、興味深そうな視線で二人の若者を見比べ、穏やかに、口を開いた。
 「成る程。そちも無関係ではない、というわけだな、ラニルスよ。宜しい、説明して貰おう。ホンドショーを唆したのがその男となれば、聞いておく必要があるだろう」
 「もちろんです。…ただ、私もあまり詳しくは知りません。その男が、何らかの理由で”フェノールの剣”を集めていること、その男自身がフェノールの剣の使い手であること、この城に来たのが、ヴォラート…いえ、隊長の持つ剣を狙ってだということ。そして、ユオンの持っていた剣も、フェノールの剣だった、ということです。」
 「ほう。フェノールの剣といえば伝説的なものだとばかり思っていたが、集まるところには集まるものだね。さすがは王のお膝元ですな」
シモン公が快活に口を挟んだ。
 「しかし、なぜ、その男はフェノールの剣を集めようとするのか。聞けば、その男の手下どもが、国王の命と引き換えに剣を差し出せと奇妙なことを言ってきたという。この戦すら、剣を集めるための口実のようでさえある。」
 「ファナは、フェノールの剣を集めようとしているようなのです。ラグナスという男がファナと関係を持つのなら、ファナの女帝の意向で、集めているのかもしれません。おそらく、これからも、隊長とユオンの持つ剣を狙ってくると思います。」
ヴォラートは、眉をしかめた。
 「普通の鋼では歯が立たぬ名剣、意志さえ持つというその剣が集まれば、ファナ騎士団は怖いもの知らずとなるであろう。それは、想像を絶する脅威だと考えたのだろう。愚かな…。この剣は、自ら使い手を選ぶ。望まぬ使い手のもとにあっては、威力を発揮しない」
 「そういう言い伝えがあります。ですが、真実かどうか、確かめたわけでもないでしょう。」
リシャートは懐疑的だ。
 「現に、そのユオンという男が持っていた剣も、戦場において他の多くの剣を折り取っていたようだからな。」
 「そのことで…。お願いがあります」
ユオンはすかさず言った。
 「フェノールの剣は、自ら使い手を選ぶといいます。しかし、私の剣は、もともと家にあったものを、何もしらず持ち出してきたもの。剣に選ばれたわけではありません。どうか、王の手で相応しい者のもとへ」
 「ユオン…」
 「あの剣の名は、栄光の剣…<グローリア>というのです。私も、ホンドショーに唆されたうちの一人です。ファナの側につけば、故郷が破壊されずに済む、自分も殺されずに済むと思い込んでいた臆病者です。栄光などとは無縁の者」
ヘルムナートは、ゆったりと椅子に背をもたせかけたまま、うなだれたユオンをじっと、見つめている。ややあって、老王は言った。
 「そなたに問う。ならば、なぜ、ここに戻ってきた。なにゆえファナへ逃げなかったのだ」
 「…それは」
ユオンは、言葉を探るように、口元をもごつかせた。
 「ヴォラート隊長を殺せという支持を受けて攻撃したとき…、止めるために飛び込んできたラニルスを見たとき、自分の手で友達を殺すのかと思ったら、突然、自分がしていることが間違いだと気が付いたのです。故郷を守りたかったのは確かです。でも、守りたかったのは、それだけではなかった…。」
雄弁なユオンにしては珍しく、歯切れの悪い言葉だった。ヘルムナートは、言った。
 「若いうちは、誰でも過ちを冒す。時に迷い、道を踏み外すこともある。年を取ってからさえ、そうだ。――それでも、導いてくれる者さえあれば、必ず正しい道に戻れる。」
 「…はい」
 「いまいちど、汝に問う。そなたは、いずこに忠誠を誓う。もはや、ファナの誘いには乗らぬと誓うなら何に誓う?」
ユオンの表情が硬くなった。リシャートからは、鋭く、挑むような視線が向けられている。
 彼は、微かに震える声で答えた。
 「恐れながら。…陛下や、王家に誓うことには自信がありません。ですが、もはや、友人を裏切ることはありません。――自らの心に誓って」
 「良いことだ。」
 「ならば、ともに帰ろうぞ。我らが家へ。そなたのもう一つの故郷へ。それが、そなたにとっての”栄光”であろう」
事実上の、赦免の言葉だった。
 「剣は、そなたが持っておくがよい。もし自分自身が相応しくないと思うのであれば、相応しいと思う者を自分で見つけ、託すが良い。この者に関しては、以上だ。これ以上、責め立てることは許さぬ」
ユオンは、捧げ持った剣に視線を落とし、頬をかすかに赤くして、小さな声で、「ありがうございます」と答えた。
 ヴォラートは、ふっと息をついて表情を和ませ、リシャートは、ぷいとそっぽを向いてしまった。
 ラニルスは、ほっとして、張り詰めていた肩の力を抜いた。以前、あれほど違和感を感じていた”栄光の剣”は、今はもう、違和感無く、ユオンの手の中に納まっていた。

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