スタウンヴェルの城下町は、もともと、街道の交わる旅人たちの休息地として発展した。
 静かな湖と、その近くまで広がる、豊かな森。歴史が記されはじめた頃から、この地方で人々の記憶に残る戦いは、ひとつも無い。
 城下町は壁に囲まれていいたが、それはもっぱら、森からさまよい出た獣が町に入り込まないためのもので、人間の軍勢を防ぐためのものではなかった。堅牢なフラウムヴェル城に対し、この城は、自らを守ることすら出来ない。平和な時代の領主たちが、交易都市として発展させるために作った、開かれた町だった。
 大きな町とはいえ、ここに来て3ヶ月ともなれば、あらかたの道は覚えつくす。ラニルスは、慣れた足取りで石畳の坂を、大通りに向けて下っていた。
 この町唯一の小さな鍛冶屋は、古びた樫の木の看板を店先にぶら下げている。経営しているのは、六十過ぎの頑固ものの親父がひとり。国王がここに来る前は、町の住人が日常で使う刃物の小売や、旅人たちの護身用の武器を修繕するくらいの店だ。
 「ワシは、人殺しの武器なんぞ鍛えたくない」
などと、しかめっ面でいつも言う。そのくせ、城で使う武器を持ち込まれても、修繕を断ったことは無い。
 はっきり聞いたわけではないが、ヴォラートと、この鍛冶屋の親父とは、古くからの付き合いであるらしかった。
 鍛冶屋がヴォラートの持つ剣のことを知っているのは、事実だ。あの剣、”フェノールの剣”は、剣士たちにとって羨望の的であるとともに、鍛冶屋にとっても憧れのはずだったから、二人が知り合いだったとしても、特に不思議は無いとラニルスは思っていた。

 剣を抱え、鍛冶屋に入っていくと、店の奥にいた男が年の割りに素早い動きで振り返った。
 「何だ、お前か」
相手を判別するなり、親父は、眉間に深い皺をよせた。特に機嫌が悪いわけではなく、いつものことだ。ラニルスは、気にした様子もなく陽気に話しかける。
 「客に向かって”何だ”は無いだろ、ハイネセン。仕事を持ってきてやったんだ」
 「ふん。いらん世話だ」
よく日に焼けた、鍛え上げられた太い腕を持つ老人は、ろくろくラニルスのほうも見ずに、部屋の奥へあごをしゃくった。
 「また、城の粗悪品がぶっ壊れたんじゃろ。いまは手が離せんのでな。そのへんに置いておけ」
 「へえ、珍しいな。いつも閑古鳥が鳴いてるこの店で」
 「放っとけ。」
店には、包丁や、かみそり、裁縫に使うはさみといった、こまごまとした日用品が、見本として少し並べられているだけだ。あとは、隅の薄暗いところに、売る気もないまま忘れられたか、武器屋な引き取ってもらえなかったらしい埃まみれの槍や剣が立てかけられている。
 奥の炉にはちろちろとした火種が燃えているが、そこから、金属を打ち付ける音が響いてくるのを聞いたことは、まだ一度も無い。
 フラウムヴェルの城下町の鍛冶屋とは、ずいぶんな違いだ。
 「…何をしている」
壁際で止った影に気づいて、店主が顔を上げた。
 「この、剣は?」
ラニルスは、壁に立てかけられた剣の中に紛れた、一本の見慣れない剣に目を留めていた。
 鞘は緋色に染めた皮で作られ、見たこともない模様が刻印されている。ずいぶん粗末な色合いからして、急場ごしらえのものと思えた。
 太い柄には、立派な金色の輪がいくつもはめ込まれ、刃は広い。柄と鞘は、鮮やかな緑の弦で何重にも結び付けられている。まるで、かりそめの鞘から飛び出してしまわないように。
 刃は見えない。だが、柄から滲み出る雰囲気からして、名だたる刀匠の銘を入れた剣のようだ。
 ラニルスが無意識のうちに手を伸ばそうとした時だった。
 「その剣に触れないで」
鍛冶屋が止めるより早く、鋭い少女の声が、彼の動きを阻止した。
 手を止めたまま、彼は、店の奥を振り返った。驚いている彼の目の前を、少女はつかつかと歩いてきた。
 挑みかかるような、だが敵意は持たない深い緑の双眸が、真っ直ぐにラニルスを見上げる。
 「その剣に触れないで。鞘が出来るまでは、まだ、一人前ではないの」
彼女は警告をもう一度、繰り返した。
 その言葉とともに、ラニルスは、鍛冶屋に仕事を持ってきたのがこの少女なのだと気がつく。鍛冶屋は、皮鞘をとめる頑丈な金具を作っているらしかった。
 「…これは、あんたの剣なのか?」
 「ええ、今は」
 「まさか、自分で使うわけでもないんだろ?」
自分でもそんなわけはない、と思いながら、ラニルスの視線は、少女の、引き締まった腕に目をやった。すらりと背が高く、淡い色の髪は少年のように短く切りそろえられている。髪にカチューシャのように巻いた赤いスカーフだけが、女らしい装飾品だった。
 「その子は、昔馴染みの刀匠の娘さ」
それまで背中を向けて、興味なさそうにしていたハイネセンが、口を挟んだ。
 「親父さんが腕を怪我して、最後の仕上げが出来んというのでな。…わしが代わりを引き受けた」
 「なんだ、そういうことか。」
ラニルスは、すべての疑問が解けたように思えて、表情をほころばせた。
 この店に立派な剣があったことも、仕事の依頼人が若い娘だったことも。最初に感じた違和感は消えていた。
 「どこかの領主にでも納品するんだろ。こんな立派なのは、そこらの店で売るもんじゃない」
 「……。」
少女は、射るような視線を逸らした。
 「誰でもいいというわけじゃないわ。相手は、私が選ぶ」
 「は?」
 「もう帰れ、ラニルス。いつまでもぶらぶらしてると、ヴォラートに叱られるぞ。」
鍛冶屋の苛立った声に急かされ、ラニルスは無理やり店の外へ押し出された。入り口で振り返ると、薄暗い店の中で、少女の姿が浮かび上がって見えた。
 とっさに、彼は聞いた。
 「あんた、名前は?」
 「――エリッサ」
答えは、何の抵抗なく返ってきた。
 「剣は直しておいてやる。二、三日したら取りに来い」
ハイネセンの太い声が、店の奥から飛んだ。

 店を出た後は特にすることもなく、ラニルスはまっすぐに城へ向かった。表通りの辺りで何かあったらしく、騒がしい。だが、鍛冶屋から城の通用門へは、細い裏通り一本でつながっている。野次馬根性を出して、わざわざ見に行く気は起きなかった。
 騒ぎの理由を知ったのは、兵士専用の狭い通用門に戻ってきたときだった。歩哨に立っていた仲間の若い兵士が、ラニルスのもとへ駆け寄ってきた。
 「おい、町のほうはどうだった。連中の仲間はどのくらい居た?」
 「連中って。」
 「知らないのか? 何しに町まで行ってたんだよ! ホンドショーの使者が来たんだよ、宣戦布告の報せを持って…!」
 「何だって?!」
うららかな平和の中で、片時も忘れられなかった緊張が、ぴりっと引きしまるのを感じた。
 「今、どこに」
 「中庭だ。城中の連中を集めて、ホンドショーの手紙を読み上げてる」
ラニルスは仲間たちに別れを告げ、すぐさま走り出した。形にならないさまざまな思いが頭の中を巡ったが、今は考えるより先にすることがあった。
 「…よって、我はヘルムナート=フォン=デア=フラウムヴェルに要求する、聖別されし王位と王冠を、栄光を持って我が手に返し給え、と。もしこれを拒まれれば、武力による制裁も辞さない構えである。」
中庭には、既に城中の人間が集まっていた。眉をしかめ、ひそひそ隣と話し合っている者も、耳を澄ませ一言一句まで聞き漏らすまいとしている者もいる。中庭を見下ろす本棟の窓には、国王ヘルムナートの姿もあったが、遠すぎて、その表情は分からなかった。
 庭の中心に立って、使者は声にわずかの躊躇すら感じさせず、主人の手紙を読み上げていた。フードのせいで顔立ちは分からないが、声から、若いことは伺えた。そして、ラニルスには、どこか、聞き覚えのあるような気がした。
 「返答は、三日後の夕刻まで待とう。」
使者が顔を上げた瞬間。ラニルスは、思わず、あっと声を上げた。
 「ユオン…!」
自分の目が信じられなかった。だが、紛れも無くそれは、かつて同じ師の下で、見習い兵士として修行を積んだユオンだった。
 一年前、フラウムヴェル城を出るときは笑って別れた仲間の姿が、敵の使者として目の前に在った。完全の武装した数人の兵士が、門の前に立って使者が戻ってくるのを待っている。
 ユオンは、無表情に手紙を巻きなおし、代表者であるヴォラートに手渡す。近くに寄ったその時に、かつての師弟である彼らがどんな表情をしたのかは、誰にも分からない。
 「用向きは合い分かった。約束どおり、三日後に再び、ここへ来られるがよい」
ややあって、太い、堂々としたヴォラートの声が響き渡った。
 「…だが、決して快い返事が得られるとは思われるな。」
 「心得ております。”ヴォラート殿”。」
余所余所しいまでの言葉を交わすと、使者はマントを翻し悠々と立ち去っていく。怒りに燃えて飛び出そうとする若い兵士を、何人かが慌てて取り押さえる。
 「貴様…裏切り者め!」
ざわめきや、悲痛の叫びとともに、どこかから、若い兵士の甲高い声が響いたが、使者たちは、それに耳もくれてないようだった。
 ユオンが側を通りかかったとき、ラニルスは、はっきりと、その表情を見た。
 以前から、時々何を考えているのか分からない青年だったが、今はかつてよりもっと、複雑な表情をとしていた。口元にうっすらと浮かんだ笑みは、周囲への嘲笑であり、自嘲であり、冷たく、人を拒むかのように本心を仮面で覆おうとする無意識の防御でもあった。金糸で飾った白いマントは、この使命のために新たな主人から賜ったものだろうか。
 そして――腰に下げた、見慣れない、細い立派な剣は、まるで生き物のように、ラニルスの目を吸い付けた。
 はじめて見るはずなのに、どこか見覚えのある剣…かつての友の腰にそれがあるのには、違和感があった。
 城門に待たせてあった馬に乗り、堂々と出て行く使者たちを、追いかける者は誰もいなかった。


 報せは瞬く間に町中に広まり、旅人たちは戦いを恐れて足早に町を離れた。
 住んでいる場所を離れるわけに行かない町の住人たちは固く門戸を閉ざすか、近隣の親類を頼って逃げ出す準備を始めた。
 城内は、兵士たちの混乱を収めることで精一杯、町まで気をまわす余裕がない。この決定的な決裂の日は、いつか来ることとはいえ、誰も、まだ心の準備もしていなかった。若い兵士たちは突然目の前に突きつけられた宣戦布告に浮き足立ち、戦うどころではなかった。
 ただ一箇所、しんと静まり返っているのは国王の部屋、…ヘルムナートが、数名の最も近しい廷臣たちを集めて会合を行っている、その場所だけだった。
 赤く暮れてゆくその日の夕焼けは、これから流される血のように深く、心に重い影を落とす。混乱を極める城に、栗毛の早馬二頭が泡を噴きながら駆け込んできたのは、その頃のことだった。
 ホンドショーの使者と入れ替わりにやって来たのは、フラウムヴェル城を包囲する軍からの使いだった。もう一人は、さらに遠く、国境のハーラル領主の紋章をつけていた。二人の使者の顔にはかなりの疲労が見られたが、急ぎとのことで、ヴォラートが部屋に招きいれた。
 ラニルスは、そのヴォラートの部屋の前に来ていた。
 使者たちとの密かな会談が、たった今、終わったところだ。廊下の端に立つ彼の目の前を、二人はほとんど脇目もふらず歩いて行った。
 夕刻の影は薄れ、次第に夜が忍び寄る。壁にはりついたまま佇んでいたラニルスは、ようやく壁から体を引き剥がし、重い足取りでヴォラートの部屋のドアに近づくと、拳を上げ、軽く叩いた。
 「入れ」
ヴォラートは、入り口に背を向けて、腕組みをして立っていた。
 西日を顔に受けて、広い背は、暗い影に覆われている。 
 「…ヴォラート。」
 「何もいうな。ユオンのことだろう」
分かっているといわんばかり、彼は、甥が何も言わないうちに言い切った。
 「お前たちは、もう子供じゃない。自分の道は、自分で決めなくてはならん。その道が、かつての仲間と違っていたとしても」
 「そういうことじゃない。」
ラニルスは、むっとして言い返す。
 「ユオンは。なぜ、ユオンは、あんな真似を? みんなの前で、けんか腰の手紙を読み上げるなんて。それが…本当にホンドショーの伝言だったとしても、何もユオンが、あそこで目立つ必要なんて無かったじゃないか」
 「それが戦略というものだ。」
ヴォラートは冷たく言って、腕を解き、窓辺に近づいた。
 「ホンドショーには自信があるんだろう。スタウンヴェル城など、攻めて攻め落とせぬことはない、と。あれは”脅し”だ。だからこそ、皆の目の前で自分たちの優位を主張する必要があったのだ。」
 「この城を攻める? どうやって。ホンドショーは、フラウムヴェル城に――」
 「同盟者がいれば、それも難しいことではない。」
両手で押し開いた窓から夕刻の風が流れ込み、ラニルスの目の前で、机の上に広げられた藁半紙の地図の端が揺れた。
 紙の上には、この辺りの簡易な図が描かれている。湖のほとりに建つスタウンヴェル城と、湖に流れ込む川の上流にある、フラウムヴェル城。
 その、両者の間に、赤く血のような染みで、インクが落ちて、たくさんの小さな走り書きがされていた。
 「いくら難攻不落の城とはいえ、完全に包囲されればひとたまりも無い。外から落とすことは不可能でも、三ヶ月もすれば食料の蓄えは尽きる。兵士の士気も限界だろう。持久戦に持ち込めば、勝つのは国王軍のはずだった。だが状況は変わった。ルーンが裏切ったからな。…」
 ぞっとするような軽蔑を込めて、ヴォラートは吐き捨てるように言った。
 「双方の軍が睨み合いを続けていた間、領主どもは、どちらの陣営につくか、値踏みをしていたというわけだ。」
 「……。」
ラニルスには、憎悪に満ちたその言葉に、どきりとした。
 「戦う…のか?」
 「無論だ。国王陛下に仇なす者は、何者であれ。」
 「向こうには、ラギやユオンがいるのに!」
 「ルーン公の軍勢が、すぐそこに迫っているのだ。戦わねば、やられるのはお前のほうだぞ、ラニルス!」
ぶつかり合った声がこだまを生み、すぐに、しん、とした沈黙に変わる。
 一瞬、顔を向けたヴォラートは、すぐさま窓のほうに向き直り、表情を隠した。
 「嫌なら、今すぐここを去れ。戦えない者は、足手まといになるだけだ。」
ラニルスは顔を俯け、臍を噛むと、窓に背を向けた。
 もう一度振り返って、今のヴォラートの表情を正視することが出来なかった。


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