「相手になる、だと?」
男の微笑みは優しげに、だが、限りなく残酷に、形の良い唇を歪ませた。エリッサは、短剣を構えたまま、ラニルスとラグナスの間に足を止めた。
 「どうやって。お前に私が倒せるのか」
 「分かっているはずよ。フェノールの剣は、それを打ち出したシャーナフの血に触れれば永遠に輝きを失う。決してシャーナフの敵とはなれない…血の契約。それは、破滅の剣とて同じこと」
少女の声は凛として微塵ほどの怯えも見せず、男の手にする剣の、鋭い切っ先の動きにさえ注意を払っていなかった。
 「わたしを斬った瞬間、その忌まわしい破滅の剣も永遠に失われるというわけね。それこそ、わたしの望み。そのために、わたしはここに来たのだから。さあ、試してごらんなさい! この剣とわたしを倒さない限り、わたしは何所までもお前を追って行くわ。」
エリッサの言葉が真実であるかどうかは、分からない。ただの迷信かもしれなかった。
 だが、同じシャーナフであるラグナスには、他の誰よりも、少女の言葉が重く響くはずだった。
 「ふっ…」
ラグナスは、笑った。
 「いかにも、”剣を育てる者”、シャーナフの女が言いそうなことだ。では、その醜い剣も”フェノール”のものなのか。」
 「そうよ。刀匠ヴェレントが、お前を倒すために創り出したのよ!」
彼が本気で剣を振り下ろそうとしたのかどうかは、分からない。剣はかすかに動いた。ただ一瞬の迷いがあった。
 その一瞬を打ち破るように――
 草原の遥か無効から、太い、角笛の音が一つ、ふたつと、こだましながら重なり合って響いてきた。
 「シモン公の軍だ…援軍だ!」
誰かが叫んだ。兵たちは手を止め、振り返り、わっと喜びの声を上げた。
 ライナーは、汗と泥にまみれた顔を上げ、腹から力を振り絞った。
 「もう大丈夫だ。さあ、最後の勝負だ。突撃!」
 「押し込め。奴らに勝機は無い!」
ルーン側の兵たちが指揮を失ったのは、誰の目にも明らかだった。あとは、敗走するだけだった。
 「時間切れ、と、いうわけか…。」
男は、口元にうっすらと、余裕から感じられる笑みを浮かべ、剣を退いた。それは、今回がダメでも、また次回がある、とでもいった、余裕だった。
 「どんな剣も、使い手が伴わなければ、意味はない。…私を追うのなら、心しておくのだな。」
恐ろしい輝きを放つ剣が鞘の中に消える。ラグナスが踵を返すと同時に、両脇を固める2人のファナ兵も引き下がった。
 「ち。ここまでか」
リシャートと戦っていたウォレンが槍を引き、馬をめぐらせる。
 「逃げるのか!」
 「なんとでも言え。次に会った時は、命は無いと思え!」
それを見て、エルムと対峙していたレナも、手綱を取った。エルムに向かって一つ、ウィンクして寄越す。
 「残念ね。もっと遊んであげたかったけれど」
 「……。」
エルムは、手にしていた狩猟用の幅広の短剣を引いた。

 いつしか、戦況は変わりつつあった。国王軍が押し気味となり、戦線は、町の入り口から、かなり遠くまで前進している。
 先頭で剣を振るうライナーたちの一段は、ルーン軍の陣営深く切り込んで、今や本陣に迫ろうとしていた。
 「これまで、だな」
馬で傍らに乗りつけたリシャートが言った。
 「大丈夫か、ラニルス」
 「ああ。心配いらない」
ラグナスが去ってようやく、体から抜けていた力が戻ってくるのを感じた。まるで呪縛を解かれたかのようだ。剣は、嘘のように静まっていた。拾い上げると、乾いた土がぱらぱらと零れ落ちる。
 エルムは、片手に、乗り捨てられて戦場をうろうろしていた疾風<はやて>の手綱を握って、ラニルスの側に馬を寄せる。だが、無口な青年は、あくまで口は開かなかった。腕に大きな傷を負ってはいたが、既に、自分で応急処置をしてしまっている。
 「ラニルス、どうした?」
エリッサは、さっきラグナスの去った方向を、まだ、睨みつけていた。
 だが、今は、ゆっくり声をかけていられる状況ではない。すでに周囲からは敵兵の姿が消えているし、彼女なら、自分で町に帰れるだうろ。
 「いや、いいんだ。それより、おれたちも行こう」
視線を戻し、ラニルスは、馬を受け取った。
 戦闘の音は既に町から遠ざかり、ラニルスたちは、取り残された格好になっていた。踏み荒らされた戦場には、動けずに横たわる怪我人や、仲間と助け合って自力で立ち上がる者など。散乱しているのは、折れた剣、壊れた兜。
 先ほどの黒マンとの男に、突然乱入した少女、それに、この、ルーン側の兵士。彼には、状況が全く分からないだろう。
 だが、今は悠長に状況の説明を聞いている場合ではない。リシャートにも、それは分かっていた。
 「何がか、後でじっくりと聞かせてもらうぞ。いいな。」
 「ああ。ユオンも、そのつもりだ」
振り返ると、ユオンも、小さく頷いた。ラニルスは、自分の灰色の馬に飛び乗った。
 「行こう。先頭に合流するんだ。…でないと、わざわざ国王様がくれた肩書きに意味がなくなっちまう。」
 「まったくだぞ。終わるまでには、まともに戦っとかないとな」
かすかな冗談をこめた笑みが浮かんだのは一瞬、リシャートは、すぐさま毅然とした口調に戻り、きっ、と前方を睨みすえた。
 「これより先発隊に合流する。遅れるなよ!」
馬の腹を蹴上げ、勢いよく駆け出す。少し遅れてエルムが、そして、ラニルスとユオンが続く。
 戦場の喧騒は一段と大きくなり、やがて、ゆっくりと収束していった。


 その様子を、既に十分に離れた場所から、一団は見守っていた。
 ふう、と一つ息をついた大男ウォレンは、肩をゆすって、すぐ後ろにいる長身の男を振り返る。
 「大将、残念でした。<ガーディア>はともかく、<グローリア>まで」
 「構わん。いずれは、こちらの手に戻る。今回は様子見だ」
 「そう簡単にいっては、つまらないですものね」
細身の兵士は、既に兜を脱いでいた。今や隠すもののなくなった声の主は、予想されたとおり、色の白い、ほっそりとした金の髪の美女だ。
 「城攻めの失敗は、ホンドショーが取るでしょうし。それとも、あのルーンという男が捨て駒になるのかしら。いずれにしても、ここでの役目は終わったわね。」
 「畜生、納得いかねぇなぁ! ヴォラートって奴は仕留め損なっちまうしさ。所詮、若造は若造だ。あのユオンて奴も、口では何と言っても結局は腰抜け。ああ、俺がフェノールの剣を持っていりゃァ! なァ大将、早いとこ、俺に合う剣見つけてくださいよ」」
 「そうだな。」
ラグナスは、口元にうっすらと笑みを浮かべ、どことも知れぬ遥か彼方に視線を向けていた。
 「だが、最大の誤算は、そのことではない。あの城に、もう1本、…それも、ひどく危険なフェノールの剣があったことだ。」
 「それと、最後に乱入してきた、あのおん…」
言いかけた大男は、すぐさま脇の女につつかれ、口をつぐんだ。
 シャーナフと、フェノールの都のこと…、それは、どんな親しい間柄の部下でも踏み込んではならない領域だった。この男が、逆鱗に触れれば、たとえ誰であれ、即座に斬捨てる人物だということは、誰もが知っていた。質問をすることは、許されていない。ただ、答えるのみだ。
 「奴ら、守護者を失っても士気が全く落ちていなかったわね。いえ、むしろ、最初の頃よりも上がっていたわね。奴らの中に、ヴォラート以外に中心となる人物がいたかしら?」
 「仕事熱心だな、レナ。もう報告書の作成か」
 「あなたと違って、あたしは頭も使うのよ。」
美女はバカにするように髪を掻き揚げて見せ、ウォレンは、腕組みをしてフンと鼻を鳴らした。
 「主に色仕掛けで、だろう。お前、あのみすぼらしいレンジャーが気に入ったんじゃねぇだろうな」
 「かもね。ヴォラートなんかより、私は若い方が好きだわ。」
長いまつげで彩られた、美しい鳶色の目が細められる。
 「あの、黒い大剣の男は何者だ?」
ふいに、ラグナスが問うた。前置きのない質問だったにもかかわらず、レナは、問い返しもせず即座に答える。
 「何も資料はありません。過去に、そのような者が前線にでたことは、ありませんわ。…可能性があるとすれば、ヴォラートの甥、ラニルス・フェルアロー。年頃からして、今回が初陣のはずです」
 「…なるほど。」
物思うように遠くを見ていた男は、視線を戻し、マントを大きくはためかせ、振り返った。
 「女帝がお待ちだ。いそぎ帰還する。」
言葉は短かったが、意味するところは明白だった。余計なことを聞き返す者はいない。

 「今回は、お前に免じて退こう、…エリッサ。次に会う時までに…、その剣を育てるがいい。じっくりと、な。」
風に乗って、小さな呟きが残され、やがて、風に散って消えていった。


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