ルーン公が裏切ったとの一報が入り、スタウンヴェルに使者が訪れたのは、4日前の午後のことだった。
 それから3日後、つまり昨日の午後、再び使者は訪れ、破談の返事を受け取った。使者は戻り、その日のうちに第一波の攻撃が加えられた。
 そして、今日。
 両軍が激しくぶつかり合った戦闘は、わずかな時間のうちに多くの負傷者を出し、何人かの兵士は命さえ落とした。
 犠牲者は、まだ増えるだろう。
 城門の前に広がる草原は雨でぬかるみ、いたるところに、生々しい戦闘の跡が残されている。
 町の境界からルーン公の陣営の間のちょうど中間にて、5対5の代表者たちが向かい合った。空は完全に晴れ上がっておらず、風が吹くたび、小さな雨粒が吹き付けてくる。
 ユオンは、最初にスタウンヴェルを訪れたときにも付けて、使者の白いマントを纏っている。その脇に控えているのは、やはり、完全武装した兵士たち。
 向き合うなり、リシャートはいきなり挑戦的な態度で口を開いた。王に属する者の緋色のマントが、誇示するように鮮やかに舞った。
 「国務次官のリシャート=フォン=ベッヒラーレンだ。用件を聞こう。撤退の意図は。使者を送り出した理由は、何だ。」
 「俺はウォレン。取引きを申し上げる」
答えたのは、ユオンではなかった。傍らで馬に乗る、背の高い、槍を手にした大男だった。
 「その前に警告しておく。フラウムヴェルの城を落としても、ホンドショー殿は見つからない。この戦に勝ったとしても、貴様らの命、そう長くは無いぞ。」
 「何だと…。」
 「貴様らに僅かな猶予を与えよう。降伏の証として、ヴォラートの剣を差し出せ。さすれば、国王の命だけは助けてやろう」
 「それは、ラグナスとの取引きだろう?」
ラニルスが鋭く言った。途端に、男の言葉が途切れた。その反応が、ラニルスの推測の当たっていたことを如実に物語る。
 彼は、ユオンに視線を移した。
 「やっぱり、あいつなんだな。お前にその剣を渡したのもラグナスなのか?」
 「……。」
 「おい、貴様」
ずいっ、と大男が前に出た。
 「どこでその名を仕入れて来たのかは知らんが、軽々しく口にするな。愚か者め。交渉の相手はルーン様だ。このまま攻め立てれれば半刻も置かずに落ちるだろう貴様らのボロ城に、情けをかけてやろうというのだ。ヘルムナートに辱めを受けさせるか、自ら城を明け渡すか? ヴォラート亡き今、もはや希望は無い」
 リシャートの目が、大きく見開かれた。
 そういうことだったのか。
 「援軍を待っていても――」
 「ははは! 愚か者はどちらだ」
緋色のマントの男は、勝ち誇ったように、高い声を上げて笑った。その声には、側にいたラニルスさえぎょっとするほどだった。
 「守護者は健在だ。残念だったな、ヴォラートは生きている。意気消沈した我が軍を脅すつもりだったか。ことばたくみに畳み掛けるつもりだったのか? 戦意はまだ、失われておらんわ!」
大男の顔に一気に血が駆け上り、真っ赤になった。その勢いのまま、男は、小柄なユオンの体に掴みかかる。
 「ユオン! 貴様。トドメはさしたと――」
 「ああ。そのつもりだったさ。そこにいるラニルスが飛び込んでこなければ…」
 「見苦しい! 止めないか、ウォレン。」
女性のような高い美しい声が、反対側の脇から飛んだ。ほっそりとした腕を突き出し、大男を制止すると、馬を一歩、前に進ませた。
 「誤算だったことは認めよう。しかし、ヴォラートに深手を負わせたことは間違いない。全軍を率いる者が居なければ、軍などただの寄せ集めに過ぎぬ。こちらも兵は失ったが、もともと、戦力にもならぬ腰抜けの新参兵ばかり。むしろ足手まといが減って良いくらいだ。」 
 「ち、ならば力づくで押しつぶすまで。ヘルムナートの爺いを城から引きずり出して、おれが直にヴォラートの息の根を止めてやるさ」
リシャートは派手に眉をしかめ、大げさなほどの身振りで肩をすくめ、呆れたふりをする。
 「おやおや。使者とは思えぬほど口汚い。傭兵とならずものばかり雇ったルーンの軍だけのことはある。」
 「何とでも言うがいい。お上品ぶった役人連中なんぞ、イザとなったら尻尾巻いて逃げるがオチさ。」
 「試してみるか。」
 「望むところ」
大男が槍を構え、リシャートも剣を抜こうとする。
 「ったく。脅してでも何でも、早めに切り上げたかったが、こうなっては仕方が無いね」
細い腕の兵士が腰に手を伸ばす。その様子を遠くから見守っていた双方の軍も、一斉に武器を構えた。
 ラニルスも、剣の柄に手をかけた。
 「<ガーディア>は渡さない。この城もだ」
握り締めた瞬間、指の間に熱いものが流れ、電流に触れたように、ぴりぴりとした。鞘に吸い付こうとする剣を、彼は、構わず力いっぱい引き抜いた。ごう、と耳元で風の唸り声がした。
 はっとして、ユオンが呟く。
 「それは…」
異様とも思えるほど、巨大で存在感のある剣だった。
 鍛え上げられた刀身は無骨すぎるくらい真っ直ぐで、刃には一切の光がなく、金属の表面は、見る者の視線さえ飲み込むような漆黒の闇に覆われている。長さは普通の剣より少し長いくらいだが、幅は、幅広の剣のゆうに3倍はあった。
 だが、重くない。
 ラニルスは、片手で何度か剣を振り、自分自身もはじめての、その感触を確かめた。
 呆気に取られていた大男が、我に返って怒鳴り声を上げた。
 「いくらデカい剣を出してきたって、持ってるのはチビの小僧だろう。何を恐れることがある?!」
 「わざわざそんなことを口にする奴が、いちばん怯えてるのさ。相手を間違うな」
リシャートが剣を構える。その身のこなしからして、彼が戦い慣れしていることは疑う余地が無い。どこで剣術を習ったにせよ、口先だけの文官ではない、ということか。 
 「私の相手は――お前か」
細身の兵士は、エルムの視線に気づいて、口もとをゆがめ、尖った、鋭い刃を抜いた。
 その様子を、遠くから冷たい視線で射るように見つめる、ひとりの男がいた。

 「全軍、突撃せよ!」

ライナーの腕が振り上げられ、太い声で怒鳴る。と同時に、緊張でがちがちになりながら側に控えていたヘイズが、顔を真っ赤にしながら思いっきり角笛を吹いた。
 三度。それに遅れるようにして、ルーン公の軍からも角笛の音が響き渡る。だが、それは、微かに尾を引く程度に弱く、それほど勢いが無い。
 夕刻まで、あと数時間。それは、永遠にも等しい長い時間だ。
 先陣切って突撃していく兵士たちの手にした槍や剣がきらめき、甲冑の音が高く鳴り、大地は、震えた。


 双方の陣営の真ん中にいた小集団は、あっというまに激しくぶつかり合う人の渦に巻き込まれた。ラニルスは、道を切り開こうと剣を振り回した。その一振りは、彼自身が驚くほど力強く、一振りごとに、ごうという耳鳴りと共にすさまじい風を起こす。腕を引っ張られながら、彼は左手で馬を駆った。
 そして、ようやく目の前が開けたとき、そこに、ユオンがいた。
 ぬかるんだ大地から飛び散った泥が、白いマントに点々と飛び散っている。手には、先ほどと同じ剣が輝いている。
 「聞かせてもらおう。お前がどうして、そこにいるのか。ヴォラートを攻撃したのは、お前の真意じゃないはずだ」
巻き上がる土煙の中に白いマントがたなびく。
 ユオンは、手甲をつけた右手でマントの端をつかみ、力いっぱい引き剥がした。金具が弾けとび、白いマントは、泥の中に落ちる。
 「――お前は、どこまで知っている?」
 「その剣の名前と意味だ。そして、お前に剣を与えた男が、何者なのかということだ。」
ユオンはかすかに俯き、手綱を握る自らの手に視線を落とした。ヴォラートと対峙した時とは違う、逡巡と葛藤が、彼の表情に浮かんだ。
 「どんなことをしても、たとえ、この戦いに勝ったとしても、運命は変わらない。ホンドショーの後ろには、ファナがついている。いずれ、大軍勢のファナの兵が押し寄せてくる。そうなっては、手遅れだ」
 「だから、裏切ったのか? お前は」
吐息にも似た声が、肯定するように漏れた。
 「それは恐怖だ。より強い者に従おうとする、臆病者の言うことだぞ。そんなことのために、お前はヴォラートを?」
 「オレには…。オレにだって、守りたいものはある…。ファナとの戦争になれば、何も知らずに暮らしている人々まで犠牲になるんだぞ!」
どちらからともなく剣が振り上げられ、馬の腹が強く蹴上げられた。嘶き、突進していく馬上の2人は、すれ違いざまに、最初の一撃を激しくぶつけ合う。
 ガリッ、という鈍い音のあと、沈黙にも似た奇妙な低い余韻が尾を引く。
 馬を返し、ラニルスは、ユオンより早く次の一撃を振り下ろす。空を切る衝撃は凄まじく、腕が剣をふるうというよりは、剣をふるっているラニルスの腕のほうが、剣に引っ張られているようだ。
 彼らの周りに近づこうとする者はいなかった。剣戟の散らす気迫は、歩兵たちを寄せ付けなかった。
 「こんなちっぽけな国が、ファナに勝てるはずがない。20年前、ファナ戦争の時、この国がどうやって勝利したか、知っているか?」
 「ああ。」
ラニルスは、うなづいた。ヴォラートは当時のことをほとんど何も話してくれなかったが、周囲の人々は、幾度と無く、語って聞かせてくれたものだ。
 「折り良くファナの皇帝サーヴァンが死んでくれたお陰だ。その後を継いだ皇女リベッタは当時16歳だった。だが、今は…」
頭上で受け止めたユオンの剣は、キィン、という細い、澄んだ悲鳴を上げた。
 ユオンは、はっとして剣をひいた。
 フェノールの剣と互角に打ち合えるのは、フェノールの剣以外に無い。だが、ラニルスの手にする剣は、ヴォラートの持っていたものとは違っている。他のフェノールの剣の持つ、美しさも、銀の輝きもない。不恰好なまでの幅の広さと、かけらほどの輝きも無い漆黒の刃。そして、刀身からは禍々しいほどの殺気を放っている。
 彼は解せないというように、自らの手にする剣に目をやった。
 「剣が…震える? 怯えているのか? 何故だ。お前の剣は、音をたてない」
ユオンは、剣の心を感じているのだろうか?
 「こいつが求めているのは、ただ一本。ラグナスが持つ剣だけだ」
 「あの男を敵にまわすつもりか? 正気なのか。」
ラニルスは、剣を退いた。剣戟が止んだ隙とばかり脇から斬りかかってきたルーン軍の傭兵の兜に鋭い一撃を振り下ろし、馬をさらに駆けさせる。
 ユオンも追いかけて来た。振り向きざま、ラニルスは、ユオンの剣を受け止める。手加減は無い。またも、剣の上げる小さな悲鳴が一方的に上がった。
 「その男は、ファナの大使をつとめている」
”栄光の剣”を振るう若者は、戦場の音にかき消されまいと、はっきりとした良く響く声で言った。
 「数ヶ月前、ルーン公との橋渡しをつとめたのも、奴だ。国王が不在のときを狙って、ホンドショーに、城を落とすよう勧めたのも、おそらくは。」
 「と、いうことは、あいつは、ずっと以前から、この国に来ていたのか。」
 「そうだろう。あの男は、単なるファナとのつなぎ役だと思っていた。だが、もしかしたら違うのかもしれない。あの男の狙いは…」
言いかけた、その瞬間。

 一筋の銀の光がひらめき、剣を撃った。
 甲高い音とともに剣が手から弾けとび、バランスを崩したユオンは、馬の鐙から滑り落ちる。
 「ユオン!」
ラニルスは素早く視線を走らせ、少し離れたところにいる弓兵の姿を捉えた。その弓にもう一本の矢が番えられようとしているのを見ると、剣を盾の様に構えて、ユオンを庇うように馬から飛び降りた。
 鋭い衝撃が剣を構える腕に走り、刃に弾き返された、短く太い矢が地面に転がり落ちる。普通の剣なら、折れていたかもしれない。だが鋭い一撃は、彼の手にする漆黒の刀身にかすり傷ひとつ負わせてはいなかった。
 「何をする!」
怒りをあらわに顔を上げたラニルスは、戦場からゆっくりと浮かび上がる男の姿に、次の言葉を失った。
 長身を覆う黒いマント…、そして、特徴的な、長い銀の髪。
 特徴的な容姿にも関わらず、その気配は、今の今まで人ごみの中に埋もれて全く感じられなかった。森で見た男、そして、エリッサが復讐のために追い求めてきた男。
 「役に立たなくなった使い手を処分するだけだ。」
ユオンは、右手を押さえながらよろよろと立ち上がる、表情は強張り、瞳に恐怖の色が浮かんでいた。
 彼は確かに、この男を知っている。その恐ろしさも、冷たさも、イヤというほどに。
 男は、左右に弓兵と剣を手にした歩兵を従えていた。胸あてに、ファナ神聖国の紋章をつけている。
 「愚か者め。栄光の剣を手にしながら、貴様は自らの手で、栄光へ至る道を閉ざすのか?」
 「これが栄光?違う、オレが欲しかったものは…、この剣が本当に望んでいたのは!」
ユオンは左手で剣を拾い上げた。右手は、痺れて、まだ動かない。
 一歩、進もうとしたとき、左右の兵士が、進路を阻むように、ユオンに向かって武器を構える。
 「やめろ!」
ラニルスが前に飛び出した。ラグナスは、突如、目の前にあらわれた、黒い剣を奇妙なものでも見るような目つきで眺める。
 「見たことも無い剣だ。不恰好な、だが、強い力を感じる」
それから、ゆっくりと、ラニルス自身に目を向けた。
 「…あの時、ヴォラートの近くに居た男か」
男が腰に下げた、細い、長い鞘を目にした時、ラニルスは、手の中で剣の柄が熱くびりびりと震えるのを感じた。剣が鳴動している。ラグナスも気づいたのか、左手を、自らの剣の鞘に当てた。
 「ほう。その剣、この私の剣と戦いたがっているのか。」
 「ああ。おれも、今は貴様をぶちのめしてやりたい。ユオンをこんな戦いに巻き込んだのが貴様なら…リーマンや、ヴォラートを傷つけたのが貴様だというのなら!」
男は薄く笑い、剣を、ゆっくりと鞘から抜き放った。
 白銀の、ゆるやかなカーブを描く鏡のような美しい刀身。見る者をうっとりさせ、と同時に、得たいの知れない冷たい恐怖へと叩き込む。使い手と剣は、一体となって、ひとつの気配を生み出していた。
 男の気配は、そのまま剣の気配だった。互いの色も、恐ろしさも、重なり合って切り離すことの出来ないものとなっている。見る者を圧倒し、気配だけで切り刻む。
 ラニルスは、剣を構えた。背筋が冷たい。だが、手の中にある剣の柄は、激しいほどに熱かった。
 「死にたいなら願いを叶えてやろう。身の程知らずな、その不恰好な剣と貴様とに、生まれてきたことを後悔させてやろう」
逃げなければ、と本能が告げる。だが、それとは裏腹に、両手の中の剣が、退くことを許さない。
 「ラニルス!」
 「来るな。おれに戦わせてくれ」
ユオンは足をとめた。剣が放つ、この世のものとは思えない殺気が辺りを包み込んでいる。ラグナスは、ゆるりと唇を歪めた。そして、流れるような動作で、ラニルスめがけて死の一撃を振り下ろす。
 その瞬間、生まれながらの宿敵と初めて出会えた喜びを弾けさせたかのように、ラニルスの手の中の剣が、激しい炎を吹いた。
 「何…」
ぎょっとして、剣を交えていたウォレンが振り返った。ラグナスは既に素早く後ろへ飛んで、間一髪のところで炎を避けている。ユオンめがけて剣を振りかざしていた兵も、弓兵も、さっと数歩、後退した。
 ラニルスは、剣を振り上げることができなかった。急激に重くなっていく剣に耐え切れず、数歩、よろよろと前に出ただけで、足元に取り落とした。炎は剣全体を包み込み、まるで生き物のように蠢いて、最後の足掻きのように黒尽くめの男に手を伸ばし、そして…消えた。

 熱が水を蒸発させて、地面はしゅうしゅうと音をたて、水蒸気を上げていた。焼け焦げた土のにおいが鼻を突く。
 「…危険な剣だ」
ラグナスの瞳に、珍しく動揺が走っていた。男は、はじめてラニルスを正面から見据えた。
 「貴様、どこから、その剣を手に入れた?」
 「……。」
ラニルスは、荒い息を付きながら、ラグナスを睨みつめた。手には軽い火傷を負っている。しかし、それよりも何よりも、剣が燃え出した一瞬、体の力を全部吸い取られるような気がしたのだ。足や腕が勝手に、剣に操られ、我が身を捨ててラグナスに飛び掛っていくような気がした。
 ラグナスも、それを感じていたのだろう。
 ゆっくりとラニルスに近づくと、まだ動けずにいる彼の頭上に、<マルキュール>を振り上げた。ユオンが叫ぶよりも、リシャートが駆けつけるよりも、少女の声のほうが早かった。――
 「血の盟約により、シャーナフに作られし者よ、汝が兄弟の前より刃を収めよ!」
砂煙を上げる小雨の戦場から、頭からすっぽりと灰色のマントを被った小柄な人物が近づいてくる。マントのフードを片手で後ろに押しやると、その下からは、きっとした、睨みつけるような眼差しをした少女の顔が現れる。
 「エリッサ…」
呟いたのは、ラニルスではない。
 「そこまでよ、ラグナス。その剣を収めなさい。さもなくば、わたしが相手になるわ」
少女の手には、フェノールの短剣<ヘジュト>がある。一瞬の沈黙が、辺りを満たした。
 男はゆっくりと、唇の片端を吊り上げ、そして――
 冷ややかに笑った。


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