古い建物の中には、身を寄せ合う町の人々がひしめきあっていた。
 戦いが激しさを増し、城壁の上を走り回る兵士たちの声や、表の剣戟が風に乗って届くたび、子供たちは部屋の隅で震え上がり、男たちは、奥歯をかみ締めて妻や恋人を抱く。彼らには、身を守るすべは無い。入り口に、数人の兵がいるだけだ。もし、敵軍が城門を破って押し入ってきたら、何が起こるかわからない。剣を持てる者は、ごく僅かだ。
 「家は無事なのかしら…」
気をもみながら廊下を行ったり来たりしている大通りの宿の女主人のほか、目だった動きをする者もなく、人々は息を押し殺している。
 エリッサは、窓の外を見つめていた。そこからでは、城壁の様子は見えない。風に乗る音で、わずかに人々のぶつかりあう熱気を感じるのみ。
 双方とも無事、というわけにはいかないのだろう。戦いである以上、必ず犠牲者は出る。失われた命は、決して元に戻らない。
側には、憮然とした顔でナイフを磨くハイネセンがいた。避難していた町の人から預かったものだ。こんなときでも、仕事の手を休めようとしない。
 「彼と私は、全く正反対ね。彼は、仲間と戦う覚悟ではなく、”戦わない覚悟”をしたのだから。」
ハイネセンが手を止めた。
 「変わってしまったものの全てが元に戻るとは限らない、変わってゆくことを止めることは出来ない。残念だわ。もっと平和な時代なら、生き残って、いい剣の使い手になれたはずなのに。」
彼女は指先で、雨の湿気で曇ったガラスに、外の風景をなぞっていた。指先に、滲んだ景色の色が流れる。
 「彼の剣には、友愛の剣、とでも名づけましょうか? 戦えない剣なんて作っても仕方が無いけど。」
 「本当に、そう思うかね?」
振り返ると、ハイネセンがじっと見上げていた。
 「今年で幾つになる」
 「わたし? 18よ」
 「…そうか。それなら、あの戦を知らんな。…20年前の。あれは、酷い戦だった。」
磨きかけたナイフが、男の膝の上で、窓から差し込む光に輝いていた。
 「剣を引くことを知っている者は、引けぬ時があることも知っているものだ。戦うことを拒むものは、戦うべき相手を知っているということだ。」
 「どういうこと?」
 「戦う意味がなくとも、戦いは起きる。戦いたくなくとも、戦わねばならぬ時がある。怒りや憎しみのためではなく、もっと深いところから、誇りをかけて戦う者もいる。」
そう言って、男は、ふいと視線を逸らしてしまった。
 「『剣は、どんなに錆び付いても剣には違いない。まして、まだ一度も鞘から抜かれたことのない剣なら尚更、その価値を見誤るべきではない』。…親父さんの口癖じゃなかったかね、エリッサ」
 「……ええ」
エリッサは、窓の外に視線を戻した。
 その傍らには、フェノールの刀匠によって鍛え上げられた大ぶりな剣が、出来上がったばかりの鞘の中で静かに眠っている。
 「使い手を捜さねばならんのだろう。それも、早急に」
剣に向かって、ハイネセンがあごをしゃくる。
 「お前の腕では――ラグナスを止められんぞ。」
 「分かっているわ」
少女は、素っ気無く言って窓に背を向け、剣の柄を掴んだ。
 「様子を見てくる。今の戦況くらいは、わかるでしょ」
足音は、ゆっくりと廊下へ遠ざかって行った。ハイネセンは、何か考え込むように、じっと己の手元見つめていた。


 ユオンは、ヴォラートに剣を向けていた。かつての上司であり、恩師に。切っ先を向けたまま、地面に落ちたルーンの前に立ちはだかるように馬を置いていた。
 「お前は、戦うというのだな」
ヴォラートが、静かに言った。
 「戻らないつもりか。」
 「もとより、そのつもりです」
ユオンは微塵も退かなかった。低く押し殺した声は僅かに震えていたが、それは恐れというよりは、緊張のためのように思われた。
 「何がお前を、そこまでしてホンドショーの陣営にかりたてる。あの男に恩義を感じているのか? それとも」
 「理由を聞いてどうするのですか。語り合う価値は…無いと思いますが」
 「確かに。剣の戦いは、話し合いとは対極にあるのだったな。」
彼の後ろで、傷を負ったルーン公が、兵士たちによって大急ぎで戦場から運び去られていく。傷の程度は分からない。国王側の何人かの腕利きの兵たちが追撃しようとしたが、それもすぐに阻まれてしまう。
 ラニルスにとっては、向き合う二人の居場所だけが浮き上がって見えた。そこだけ、時が止まってしまったかのようだった。
 「戦いたくない、なんて、言うつもりは無いのでしょう」
 「たとえ気持ちはそうだとしても、口に出すことで剣を引くつもりはあるまい? だがな、お前のような未熟者に言われるほど、わしは甘くは無いぞ」
 「やめろ、ユオン!」
飛び出そうとしたラニルスの前に、剣を翳した敵兵が飛び出してくる。危うく馬から落ちそうになったラニルスは、振り向きざま、誰とも知らないその手を剣の柄でしたたかに殴りつけた。
 今や、ラニルスの周りにも、敵兵の剣がきらめいていた。相手が誰であれ、馬に乗った騎兵は価値ある首級と見なされたのだろう。

 ユオンとヴォラート、双方の剣が振り上げられ、打ち下ろされた瞬間、耳をつんざくような、キィンという甲高い音が響いた。
 馬が震えた。まるで人の悲鳴のように、空を真っ直ぐに切り裂く。
 馬をめぐらし、大きく振り下ろされたユオンの剣に手加減の様子はなく、それを受けるヴォラートもまた、本気の目をしていた。
 フェノールの剣が、同じフェノールの剣と戦っている。普通の鍛冶屋では扱えない、意志持つ特殊な鉱石から作られるといわれる至高の剣、鋼とは違う美しい銀の輝きを持つするどい刃が、美しく輝く銀の刃から悲鳴を上げている。ラニルスには、その意味が痛いほど分かった。
 剣も、戦いたくないと叫んでいる。
 「そこを退け!」
彼は叫んだ。体の中に熱く燃え上がる、炎のような怒りを感じた。
 ヴォラートは…、それでも手加減している。防御はするが、決して打ち返さない。ユオンを目の前にして、攻撃出来ないでいる。その迷いが、戦場では命取りとなることを知っているはずなのに、だ。
 二度、三度、剣は高く音を発した。
 と、突如、ルーン陣営から角笛の音が響き渡った。
 「…撤退だと?」
再度、角笛の音が響き渡る。今度はスタウンヴェルの見張り台からだ。
 「こちらも退けっていうのか? どういうことだ…」
双方の兵士たちは、組み合っていた剣を引き、構えていた槍を戻し、怪訝そうな顔で、それぞれの陣営を振り返る。
 まだ、日は中天を過ぎたばかりだ。敵軍のルーン公は怪我を負ったが、指揮に支障をきたすほどとは思えず、ここへ向かっているはずのシモン公の援軍も、まだ到着するには早すぎる。
 だが、ユオンとヴォラートは、まだ剣を打ち合わせていた。誰もそこへ近づけず、しかも、角笛の撤退命令に気を取られて、二人の周りはほんの一瞬だけ、人の輪から外れ、注意もそらされていた。
 その一瞬だった。
 ラニルスは、二人の背後に何かが光るのを見た。素早く動き、何かを構える。その動きには見覚えがあった、あれは…。
 「…ヴォラートっ」
彼が飛び出すより早く、閃光が空を切った。
 「…!」
鈍い音がして、ヴォラートの体が宙で傾いた。わき腹に、金属の鋭い棒、羽の無い矢が突き立っている。
 そのヴォラートめがけて、ユオンが剣を振り下ろそうとする。ラニルスは馬を飛び降り、できる限りの速度で走った。そして、剣を両手で構えたまま、刃のしたに立った。
 ひどく簡素な音がした。
 目の前で剣は斜めに真っ二つに割れ、砕けた破片と刃の先は、足元の地面に突き立った。ユオンはわずかに驚いたような表情になり、その目は、たった今、夢から覚めたようにも見えた。
 ラニルスは、その時、自分がどんな顔をしていたのか、分からなかった。
 ただ、ユオンは驚いて、そして、すぐに悲しそうな顔をした。何故だ? ひどいことをしたのは、ユオンのはずだ。なのに、何故、不当に叱られたような、そんな顔をしたのか…。
 「ヴォラート殿!」
ライナーはじめ、騎馬兵たちが大急ぎで駆け寄ってくる。ヴォラートは地面に落ち、肩を抑えて痛みをこらえている。
 「ひどい傷だ…早く城へ。早く!」
助けおこされ、馬に乗せられて運ばれていくヴォラートを、ラニルスは、呆然と見送っていることしか出来なかった。
 これが悪い夢なら早く醒めてくれ、…だが、夢で無いなら自分はどうすればよいのだろう、と。


 双方の軍が撤退し、一時休戦となって、城の中はごったがえしていた。
 いつまた戦闘が再開されるか分からない。城門の上には油断なく目を光らせている兵士たちがいる。広間では、負傷兵が手当てを受けている。
 既に手の施しようのなくなった者は、奥の部屋に運ばれ、ひっそりと、顔に白い布を被せられていた。
 廊下の隅に嗚咽が漏れ、薄暗い空気が影を落としている。
 ラニルスが戻ってきたのは、最初の軍が撤退してから、かなり遅れてからだった。馬から下りたラニルスは、瞬く間に十数人の若い兵士たちに取り囲まれる。
 「ラニルス!」
 「無事だったんだな。ラニルス、お前の作戦は成功だ」
ハイセンが、完全な喜びではないが、複雑な表情で口元をゆがめた。「ほとんど無事に戻ってこられた。礼を言いたいくらいだよ。俺と同郷のマリウスって奴…、ちょっとお調子者な奴なんだけど、そいつと、また会えたからさ」
 「そうか。良かったな。他の皆も?」
 「ラニ…」
おずおずと、ラギが進み出た。胸の前で、ぶるぶる震える手を組み合わせている。
 「聞いたよ、隊長が…。」
 「……ああ」
兵士たちの顔から、中途半端な喜びの表情が、瞬時に消える。それさえなければ、たった今、この瞬間を、もっと心から喜べたはずなのに。
 「ユオンが? ね、まさかユオンじゃないよね」
 「違う。」
ラニルスは、きっぱりと言った。
 「…ユオンは剣しか持っていなかった。あれは、どこか遠くから飛んできた矢の仕業だ。おれが隊長と森に偵察に出かけたとき、攻撃されたのと同じ」
 「そ、それじゃあ、やっぱり森にいたのは」
 「多分な。そいつらの名前も分かってる」
ひとつ、大きく息をついて、彼は、腰に下げていた剣を、鞘ごと外した。汗で服が肌にはりついている。結論の出ないまま、ぐるぐると回る思考が頭に絡み付いている。何もかも打ち捨てて、身軽になりたかった。
 「様子を見てくる」
それだけ言って、彼は、もう振り返らなかった。


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