「来た!」
黙りこくって座り込んでいた兵士たちがみな、一斉に立ち上がる。
 「始まったぞ、どっちだ?!」
続けて、今度は短く、何度か切れるような笛の音が響く。「1、2、3、…3回、東か?!」
 「城門だ。町の入り口だ!」
入り口に近かったラニルスが、真っ先に外へ飛び出した。
 だが星も無い暗闇の中、かすかに聞こえてくる金属音と人の声以外、何も見えないし聞こえない。戦況は全く分からなかった。
 「持ち場を離れるな。ばらばらになれば、敵の思うつぼだぞ!」
ライナーの太い声は、通り一杯に反響する。弱まったとはいえ、雨はまだ激しく降り続き、前もろくに見えない状況だ。
 「くそっ、奴ら正気か?! こんな夜に、戦を仕掛けてきやがるなんて…」
低く、こだまする角笛の音が雨の中を縫って耳に届く。
 「全軍が東門に突撃だと…。」
はっとして、ラニルスは、ユオンが来たときのことを思い出した。ヴォラートは言ったのだ、”我が剣にかけて、逆賊は城内に土足で踏み入れることはまかりならん”と。ヴォラートがいる限り、この城へは踏み込めない――。
 狙いはヴォラートだ。
 「待て、ラニルス!」
制止の声も振り切って、ラニルスは飛び出した。腰の剣がガチャガチャ音を立てる。
 どこかで、わっと声が起こった。同時に、何かが崩れるような重い音が響く。
 「突破された…、10人ほど入り込んだぞ!」
声からして、森に近い南側に配置されていた班も来ているらしい。ルーンの軍は、一点突破という方法を選んだ。そして、ヴォラートの率いる僅か数十の兵ではそれをすべて防ぐことは出来ず、一部が既に町の中に入り込んでしまったのだ。
 「ラニルス!」
ライナーたちも追いかけてくる。
 「一人で突っ込むなっ」
 「じっと待っていて防げる戦いではないでしょう!」
熟練兵の大男が、自分の体格の半分ほどしかないラニルスに、一瞬気圧された。
 その時、目の前に突然、武装した一団が現れた。南側の班にしては、見覚えの無い格好だ…いや、その胸には、国王軍の印が、無い。
 「ルーン軍か!」
叫ぶや否や、ライナーは剣を抜いた。返答のかわりに、現れた一団も剣を抜く。相手は15人ほど、こちらは20人。
 声を挟む余裕もなく、瞬くまに戦いが始まった。ラニルスも剣を抜いていた。冷静さを失い、ただやみくもに打ちかかっていく者もいる。だが、何度か剣を打ち合わせるうちに、その音は次第に澄んで、もはや迷いは無くなっていく。
 戦わねば、命を落とすのは自分だ。
 だが、もし、この中にかつての仲間がいたら? この雨だ。兜をつけていれば、顔など分かるはずもない。だが、…
 「この中に、フラウムヴェル城に残っていた兵は、いるのか?!」
ラニルスは、声を限りに叫んだ。
 「いたら今すぐ剣を捨てろ! おれたちは、仲間とは戦いたくない!」
はっとして、何人かが手を止めた。
 「皆そうだ。何故こんなつまらない戦いをしているんだ! フラウムヴェルに残った者は、ホンドショーにいいように使われるために残ったわけじゃない! おれたちは、ただ戦いの道具に使われるだけか?」
ラニルスには、確信があった。声を聴いた瞬間、手を止めた数人の動きを見逃さなかった。
 だが、そのうちの一人は低く笑い、剣を持ち直すと彼めがけて襲い掛かってきた。
 「ラニルスっ!」
一瞬のことだった。
 手にした剣で振り下ろされた剣を弾き、返す刀で相手の頭を殴りつけた。その激しさに兜の緒が緩み、ずり落ちて、目を塞ぐ。
 そこへ、さらにもう一撃を叩き込んだ。気を失って、男は倒れた。ライナーが側に駆けつける。
 「戦うというのなら、わしも容赦はせんぞ! さあ、どいつでも、かかって来いッ」
 「……」
じりじりと、互いの間が詰められていく。その時だった。
 雲の合間が、カッと光った。そして、閃光が走った。少し遅れて、音が耳に届く。
 それほど、遠くは無い。
 と同時に、どこかで、聞いたことの無い角笛の音が鳴り響いた。スタウンヴェル城のものより高く、長く尾を引くような音だ。敵兵たちが皆一斉に背を向ける。
 「おいこら、待てよ!」
 「待て、ヘイズ! うかつに動くな。金物に落雷すれば、周りも巻き添えだぞ」
年配の兵に言われて、若者はぎょっとして振りかざしていた剣を下ろした。雲は、かなりの速さで流れている。いつ、この真上に来てもおかしくない。 
 「今回は、様子見といったところだろう。奴らとて、無駄な犠牲は出したくあるまい。ん…」
ライナーは、まだ兵が残っていることに気がついた。撤退する仲間に続いて通りを曲がったふりをして、引き返してきたのだろう。
 自分に向けられる鋭い視線と殺気にがたがた震えながら、その兵は、頼りなさげに通りに立っていた。
 「ラ、ラニ?」
おそるおそる、そのが口を開いた。剣を収めようとしていたラニルスは、はっとして、暗がりに目を凝らした。
 「ラニルス…だよね。ぼ、僕…」
 「ラギ?!」
ラギはもどかしい手で焦って兜の紐を解き、雨の中に放り投げた。その下から、見慣れたぼさぼさの赤毛がが覗いた。
 「ラギ! お前…」
 「うわああ、ラニルス、ラニルスー!」
かつての友は、泣きながら飛びついてきた。それを見るなり、他の兵たちも兜を脱ぎ始めた。
 誰もが、見知った顔だった。
 敵兵は、もはや敵兵ではなかった。かつてフラウムヴェル城でともに同じ隊にいた若い兵士のひとり、一年前、これから起こることを夢にさえ思わずに別れた仲間に変わっている。
 「あれから何があった。ユオンは、どうして…」
再び角笛が高らかに鳴り響いた。今度はスタウンヴェル城のほうだ。
 「敵軍が引き返していく」
耳をすませ、ライナーはほっとしたような顔になる。
 「ともかくも、君は投降兵として扱う。ま、形式上は捕虜だが。…それでもよければ、今夜は暖かいベッドを用意して、じっくりと話を聞くことが出来るだろう。」
ラギは、涙と雨でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
 「ラニルスに感謝するんだな」
大男は、苦笑いしながら言った。
 「わしだったら、全員殴り倒してから顔を確かめていたところだ。」


 その日、襲撃は、夕刻のわずか1時間ほどで終わった。
 ライナーの言ったとおり様子見だったのか、雷雨が激しくならなければ夜を徹して攻略にかかるつもりだったのかは、分からない。
 ともかくも、最初の小さな波は防げたわけだ。兵たちは、必要以上に疲れた体をぐったりと、城のそこここに横たえ、次の波を待っていた。胴の鎧を脱いではいても、下着までは脱げない。手甲や具足をつけたまま、ソファに横たわる者もいた。
 だが、たったこれだけで終わるはずがない。相変わらず城壁の上には、見張りが立てられていた。

 やがて夜になり、雨は小降りになりはじめた。
 ラニルスは、ずっとラギについていた。見張りというのが建前だが、本音の部分は、1年前、別れてから何があったのかを聞き出すことにあった。
 投降兵の軟禁場所は、別館の一角にあった。
 別館とは、普段は使われていない、古い建物だ。より新しい時代に増設された城の本体は湖に面した側にあり、兵舎と中庭を挟んで、向かい側にあるのが、むかしから在るという別館だった。
 そこは、今では町の人々の避難所としても使われている。
 「怖かったんだ。僕たちは…あっという間のことで、何が起きているのかさえ、分からなかった。」
ラギは、血の気の無い白い顔で、ぽつり、ぽつりと話し始めた。両手の中に包み込んだ、暖かい飲み物の入った椀に、口をつけようともしなかった。
 「城がホンドショーの支配下になったとき、抵抗した何人かの人が殺された。目の前で、あんなに簡単に人が死ぬなんて思っても見なかった。…それから、宰相様や司教様が牢屋に閉じ込められた。年上の兵士もだよ。本当に…あっという間だった」
そして、ホンドショーは、恐怖をもって若い兵士たちの心を縛ったのだろう。閉ざされたフラウムヴェルの城壁の向こうは、逃げ場の無い牢獄だった。
 「ホンドショーは、どうやって城を乗っ取ったんだ? 内側から攻め落とされたとはいえ、フラウムヴェルには、腕の立つ留守番役が何人も居たはずだ。」
 「わからない。見慣れない武器を持った、20人くらいの集団が乗り込んできて、あっという間に皆を切り伏せちゃった。――怖かったよ…そいつらの先頭にいたのが、真っ黒なマントを着た、死神みたいな奴で…。」
どきん、と胸が大きな音を立てた。
 「そいつは、変わった剣を持ってたか?」
 「うん、持ってたよ。すごくよく切れる剣で、不思議な光を放ってた。見ていると、頭がぼうっとして、吸い込まれそうになるほど綺麗だけど、ひどく冷たい感じのする剣だった。それで…それで、見る間に人が斬り倒されて…。」
ラギの体が震えだした。落ち着かせようと、ラニルスはその肩に手を置いた。
 だが、動揺しているのはラニルスも同じだ。
 やはり、ユオンはあの男と会っていた。やはり、フェノールの剣は、あの、黒マントの長身の男…ラグナスから受け取ったものなのか?
 「だけど、どうやってフラウムヴェルの城を出たんだ。いつ?」
 「地下に通路があるんだよ…」
消え知りそうな声で、彼は言った。
 「河に面した、古い通路が。僕らは、そこから小さな部隊に分かれて外に出た。だけど逃げられるなんて思いもしなかった。城の周りは、たくさんの兵士に取り囲まれてた。それが今はみんな敵なんだと思ったら、怖くて…。」
それは、そう思って当然だろう。フラウムヴェルから出てきた兵士はすべて、ホンドショーの手下と思われたはずだ。この城に居る兵士たち以外に、かつてフラウムヴェルにいた仲間の見分けがつく者はいない。
 「分かるだろ? いつも見張られてた。ここに来るときだってそうだ…殺されたくなかったんだ…ユオンも。…だから、ごめんよ、ラニルス」
 「いいんだ。お前たちが生きていてくれて、本当に良かった。」
ラギの頬に、新しい大粒の涙が零れ落ちた。
 「戦いたくなんて、なかったんだよ。ただ、怖かっただけなんだ。だけど…、だけど…。」
軽い、ノックの音が聞こえた。ラニルスは振り返り、ドアの隙間から覗いたリーマンの顔を見て、立ち上がった。
 「ヴォラートが戻ってきたみたいだ。おれ、行ってくるよ」
びくん、とラギの肩が震えた。
 「僕、一人?」
 「大丈夫だ。ここにいるのは、みんなラギも知ってる人たちだろ? 怖がる理由なんか無い。ヴォラートだって、お前のことを叱ったりするもんか。」
ラニルスは怯えた目をして見上げる友人に微笑みかけ、言った。
 「おれたちは、何も変わっちゃいない。一緒に帰ろう、…フラウムヴェルへ」
大きく見開かれたラギの瞳からまた涙があふれる。
 「帰りたいよ。僕だって…」
言葉は、その中に消えて音にならなかった。


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