予想された通り、しとしとと雨の降る朝だった。
 薄く灰色に曇った空は一面の雲に覆われ、霧のような白い雲が、手の届きそうな場所を低く流れている。湖の向こうの森は、霞んで見えなかった。
 濡れた服を滑り落ちる水滴が、ぽつ、ぽつと音を立てる正午、城門は大きく開かれ、使者を前庭に迎え入れた。
 ユオンはやはり、金糸を縫いこんだ白いマントを纏って現れた。しっとりと濡れた細い金の髪が額に張り付き、ずっと馬で飛ばしてきたせいか、その顔は蒼白だった。彼の後ろには、やはり完全武装した兵士が2人、手に槍を携えて控えている。
 出迎える、ヴォラートも完全武装だった。胸に王国の紋章をつけ、きらめく手甲をつけて立つ男の姿は堂々として、いかな戦場においても、人の目と敬意を引き付けずにはいられないだろうと思われた。
 すぐ側には、抜け目無く様子を見守るライナー、少し離れたところから、エルムが、何かあればすぐに矢を射る体勢で控えている。
 顔を上げ、ユオンは、雨に紛れそうな低い声で言った。
 「お返事を承りに参りました。…が、聞くまでも無く、この様子を見れば、如何なる所存かは分かろうというもの」
 「知れたこと」
ヴォラートは憮然とした顔で、かつての教え子を睨んだ。黒々とした髭が恐ろしげに歪む。
 「そう、…あなたが、脅しに屈するような方ではないことは、分かっていました」
 「分かっていて尚、武装を整える猶予をくれたことには、感謝しよう。後々まで卑怯者と謗られぬためにも、賢明なことである」
ユオンは力なく笑った。その腰に、あの、細い剣が輝いている。エリッサは何処かから、この様子を見ているのだろうか? ラニルスは、門に、じりじりと近づきながら視線を走らせた。しかし、遠巻きにする兵士たちの中に、少女の姿は見えない。
 「話し合いは無意味、武力による決着しか無い、と。…では、こちらもそのつもりで参りましょう。」
 「戻って指揮官に伝えるが良い」
馬を返しかけるユオンに向かって、ヴォラートは言った。
 「ヘルムナート様に指一本触れさせはせぬ。我が剣にかけて、逆賊は城内に土足で踏み入れることはまかりならん、とな。」
 「……。」
一瞬、ユオンの口元が、何か言いたげに動いたように見えた。だが、音は、何も聞こえなかった。
 馬は頭をめぐらし、待っていた2人の兵士の間を通って、城門へと向かう。ヴォラートに一瞥をくれた兵士たちも、馬をめぐらせる。
 ラニルスは、一歩前へ飛び出した。
 「ユオン!」
その声は、皆が沈黙した一瞬の隙をついて、前庭に鋭く響き渡った。
 はっ、としたようにユオンが手綱を引いた。
 「おれは、お前を信じる。お前は何を望む?!」
 「ラニ…」
ユオンの左右にいた兵士の一人が槍をユオンの前に斜めに差し出し、もう一人がラニルスに狙いをつけた。辺りは騒然となり、あわや、というところで、ヴォラートの太い声が響き渡った。
 「止めろ!」
その後ろで、エルムが弓を構えている。何かあれば、すぐさま彼は矢を放つだろう。
 「ここで争いごとを起こすな。ラニルス! 下がれ。使者を行かせてやれ」
逆らうことを許さぬ視線に威圧され、ラニルスは、しぶしぶと数歩、後へ下がった。ユオンは左右の兵たちを手でなだめ、ゆっくりと、馬を進めだした。そして、唇をきつく結んだまま城門をくぐっていった。熱を帯びた視線を避けるように、顔をかすかに伏せて。
 「ユオン…。」
急に、雨が強くなったような気がした。強く握り締めた拳から、水滴がぽたぽたと零れ落ちる。
 霞んだ町の景色の中に馬の後姿が完全に消えてしまうのを見届けると、エルムは弓を下ろした。
 「まったく」
気がつくと、すぐ後ろにリーマンが立っていた。
 「友人のことを思うのはいいが、危うく串刺しにされるところだったな。」
ぽん、と肩を叩くと、老兵は、しょうがないなというように目配せした。
 「さ、中に入って体を乾かすんだ。そして準備をしなくてはな。彼らが帰り着けば、すぐにも軍が押し寄せてくるぞ。」
 「…そう、だったな。」
ラニルスは、ちらとヴォラートのほうに目をやった。ヴォラートも、こちらを見ている。だが、視線に含まれた感情を読みとる暇もなく、彼らが互いを見交わしたのは、ほんの僅かな間のことだった。

 前庭に集まっていた人々が解散する。ある者は城へ、ある者は塔へ。ある者は兵舎へと。もう、時間はあまりない。束の間の休息を、どこで過ごすか、選択肢もほとんど無かった。
 兵舎に戻ろうとしたラニルスは、木立の影に、エリッサが立っているのを見つけた。
 「そんなところにいたのか。ずっと?」
 「ええ。」
少女は、言葉少なに言って、体の位置を少しずらした。
 葉の密に茂った樫の木はちょっとしたひさしのように枝を張り出し、その下だけは地面が乾いたままだ。
 「栄光の剣<グローリア>よ、あれは」
前置きなく、彼女は言った。
 「やはり、”フェノールの剣” か」
 「それも、行方不明になっていた剣。20年前、ファナ戦争で最後の持ち主が命を落としたあとにね。」
ずいぶん昔の話だ。当然といえば当然かもしれないが、エリッサは、シャーナフの手による剣をすべて記憶しているのかもしれなかった。
 「しかし、ユオンは何所での剣を?あいつは、ずっとフラウムヴェルにいたはずだ。おれたちが最後に会った時は、そんなもの…。」
 「誰かが与えたのよ、きっと。そして、彼がその剣に相応しいかどうかを、見届けようとしている」
 「誰かって――」
彼女は、何故か視線を逸らした。
 「その剣が、相応しい主のもとで使われているかどうかを見届けるのは、シャーナフの役目よ。フェノールの意志持つ剣は、自らが選んだ主のもとでしか、本来の力を発揮しないわ」
 「その話は知ってるよ、ただの伝説だと思ってたけど…。」
 「私たちは、新たに生まれた剣には主を探し、時には主をなくした剣を回収して、また新たな主と出会うまで、剣とともに旅することもあるわ。」
 「まさしく、今のあんたの姿だな」
 「本当にね。」
雨足は、少しずつ強くなり始めていた。前庭には、もう誰もいない。
 轟くような雷鳴が、どこからともなく聞こえてくる。天に光が走る。
 「…あいつなのか?」
 「そんな気がする。最後に会った時、あいつはこんなことを言ってたの。『剣は、力あるもののために在る。自らの滅びを望まないのなら、他を滅ぼしつくす力を得るべきだ。』」
ラニルスは、森で出会った男の、ぞっとするようにつめたい視線を思い出した。ユオンも、あの男にどこかで会ったのだろうか?
 「どう思う。ユオンは、”栄光”という名の剣に相応しいと思うか?」
 「あなたは、どう感じた?」
 「違和感を感じたよ。だから、気がついたんだ。…この戦いに勝っても負けても、栄光なんかあるものか。」
 「そう。」
エリッサは、自分の考えは言わなかった。その時間もなさそうだった。
 「私は戻るわ。あなたも、自分の役目に戻ったほうがいい」
集合を告げるラッパの音が、見張り台の上から響き渡っている。

 雨の中に消えたあと、エリッサは木を見上げ、枝に手をかけると、器用によじ登り始めた。
 建物の窓に向かって張り出した、太い枝がある。その枝からすぐそこに開いた窓があることを、下から見ていたラニルスは気がつかなかったようだ。
 「済んだのか」
窓から入ってきた少女に驚きもせず、刀匠は、無愛想なヒゲ面を僅かに向けただけだった。
 「もうじき戦いが始まるわ。今夜中に始まると思う?」
 「この雨では、今夜中に陣地を構えることすら難しい。雷の鳴っている時に、槍を持ってうろうろするわけにもいかんからな。明日の朝、雨が収まっているかどうか…だ。」
少女は、僅かに濡れた髪を払った。窓を閉ざすと、激しい雨の音が少し遠のいた。
 「ラニルスは、使い手になれそうか」
 「ええ」
躊躇無く、彼女は答えた。
 「フェノールの剣を見抜き、その意志を感じる者…。残念ね、昔のフェノールなら、彼に相応しい剣を作ってあげられるのに。」
 「昔ほど人がいなくなったそうだからな、フェノールの都も。そして…、シャーナフの目がねにかなうような使い手も、ほとんどいなくなった。…あの、20年前の大いくさのお陰で」
ハイネセンは、ひとつ浅く溜息をつき、軽くひげをしごいて、手元に目をやった。
 そこには、兵士の持ち込んだ、壊れたリングメイルが積まれている。鍛冶屋は不機嫌そうに、それらの修理をしているのだった。
 「まったく。わしを何だと思っとるのか。見かけた先から持ち込みおって」
 「イヤなら受けなきゃいいことでしょ。ヒマを持て余すことがなくて、意外に喜んでるんじゃない?」
軽く笑って、少女は椅子に腰を下ろした。側の壁には、鞘に収められた剣が静かに立ちかけられている。部屋の中には、鍛冶屋のふるう小さな槌の音が、規則正しく響いている。
 「戦になれば、また人が死ぬ。不公平よね、戦場では、勇敢なものが真っ先に死に、臆病者ばかりが最後まで生き残る。…」
高いラッパの音がもう一度、今度は長く、長く尾を引くように響き渡った。
 そして答えるように、雨の音がまたさらに激しくなった。

 まだ昼をまわって少ししか経っていないのに、外はもう、夜のように真っ暗だった。
 「全員、武装して配置につけ。今夜は相手も動けまいが、油断するな。その前に雨にやられたりしては、何にもならんからな。」
ヴォラートは兵士たちをいくつかの判に分けて配置するつもりのようだった。雨に紛れて奇襲をかけてくる可能性も、無くはないのだ。この戦いは、王を人質に取られれば、それで終わる。たった数人の敵兵でも、侵入されてはならないのだ。
 「地盤がかなり緩んでいる。急場ごしらえで作った町の城壁が、崩れてしまう可能性があるな。どうしたものか。」
 「もとより、歩兵は防げぬ壁ですゆえ。」
リーマンが口を開いた。傷は、まだ完全に癒えていない。額には粗目の包帯を巻いていたが、戦の身支度は整えている。
 「斥候によれば、ただいま平原に陣を敷く兵の半数が騎兵とのこと。その騎兵に一気に攻め込まれてはまずいと築かれた壁なのでしょうが、この雨では、町の周囲はひどいぬかるみになりましょう。雨が上がったとしても、とても馬を使える状況ではありますまい。」
 「成る程な」
ヴォラートは苦笑した。
 「ぬかるみに、馬が足をとられるよう罠でも仕掛けたほうがマシか。…だが、一度町中に入られてしまえば、騎兵も思う存分に動き回れよう。こちらには、馬は僅かしかおらぬし」
 「20頭ほどです」
即座にライナーが答える。
 「先方には、どう見ても正規の軍員とは思えない、しかし熟練と見える兵が50はいます。おそらくルーンの雇った傭兵でしょう。ホンドショーが何と言ってルーンを丸め込んだのかは、推して図るべし…ですな。」
 「フラウムヴェルに残る財宝を資金に使ったのかも知れんな。必要とあらば、国を盗ったあとの大臣の椅子でも約束するだろう。」
若い兵士たちは、緊張した面持ちでこのやり取りを聞いていた。わざと聞かせるつもりだったのかもしれなかった…意図せずしてこの戦いに巻き込まれた兵たちにも、今、自分が巻き込まれている戦がどういうものなのかを、理解させるために。
 「ご報告します!」
その時、見張り台に立っていた兵士が慌しく広間に駆け込んできた。
 「敵軍が動きました。もう、すぐそこまで迫って来ています!」
 「何?」
ヴォラートの表情が変わった。
 「この雨の中をか。」
 「はい、かなりの勢いで…。いかがしますか」
 「決まっている!」
兵士たちを見渡し、彼は怒鳴った。
 「皆、配置につけ! 戦は既に始まっているぞ。ここからは命と命のやり取りだ…決して気を抜くな!」
たちどころに命令が実行に移された。金属と剣のつばの鳴る金属音、人の足音がまじりあって、どよめきとなる。
 空気が大きく動き、火が揺れた。ラニルスは、ヴォラートの表情をたしかめる間もなく人ごみとともに広間の外へと押し出された。
 「おい、こっちだろ!」
怒鳴ったのはヘイズだ。「お前、オレと一緒の班だろ。こっちだ!」
 指差しているのは、城門の外に続く道だ。今、その道は、先の見えない雨幕によって閉ざされている。
 赤毛の若者は、兜の紐をきつく結びなおすと、思い切って雨の中に飛び出していった。ラニルスも、後に続く。
 瞬く間に耳元が雨音で一杯になった。体中が一瞬にしてびしょ濡れになってしまう。こんな天候で戦いになったら、どれが味方なのか見分けがつかないだろう。
 班の集合場所は、町外れの水車小屋の前だ。住人は城に避難して、もちろん家の中は空っぽ。雨宿り場所となっている納屋の中には、既に、同じ班の20人ばかりが集まっている。
 「ハイセンは?」
いつも一緒にいる相棒が見えないことに気がついて、ラニルスは聞いた。
 「あいつは裏門のほうだ。森からの奇襲に備える班さ。運がよければ、全然戦わずに生き残れるんだが」
と、ヘイズは肩をすくめた。
 「ずっと、びくびくしてたよ、あいつは。森から、またあの連中が来るんじゃないか、ってな。ま、どう考えたって、オレらのほうが死ぬ確率は高いんだけどな」
 「……。」
ラニルスは、奥歯を噛み締めた。
 生き残るかどうかは、運。これから何が起こるかは、誰にもはっきりとは分からない。
 「皆、揃っているか?」
荒っぽく納屋の入り口を開け、体中から水滴を垂らしながら入ってきたのは、ライナーだった。「この班の班長は、わしが務める。皆、いつで出られるよう準備しておけ。闇に乗じて攻め入ってこないとも限らぬ。雨が弱まったら、それが合図だ」
そのとき、誰もが、この雨が降り止まねばいいのにと思ったことだろう。
 城を囲む高い壁の上には、四方に見張りが立っていて、ルーン軍の動きを見守っている。その中には、目の良い弓兵エルムもいるはずだった。彼になら、どんな暗がりでも、人の動く気配が分かる。手には角笛を持ち、いつでも合図として鳴らせるよう身構えているはずだ。
 「心の準備は出来たか」
ライナーは、他の兵たちから離れ、納屋の隅に立っていたラニルスの側にやってきた。
 「ヴォラートは?」
 「先鋒隊を連れて町の入り口におる。一番危険な場所だが…そこには熟練の兵ばかりを集めている。実質、ヴォラート殿が此度の侵攻を防げるかどうかの鍵を握っておる」
 「…おれは、側に行ってはいけないんですか? 足手まといだから?」
 「そうだな」
ライナーは、ふっと溜息をついた。
 「無駄死にはさせたくないんだろう。若い連中は、仲間が敵軍にいると知って、はなっから及び腰だ。ホンドショーも、それを狙って自軍に、フラウムヴェルにいた若い兵を入れたんだろうよ。」
 「数は」
 「最終的に、敵方は200ほどになっているそうだ。そのうちの50ばかりが新兵、あと50も見覚えのある顔だと。」
 「では全部で100だな。フラウムヴェルに残った兵のほとんどが、ルーンに…いや、ホンドショーに従った、ということか。」
ちょっと驚いた顔をし、ライナーは、赤ら顔を左右に振った。
 「残りは殺されたか、投獄されたか。いずれにせよ、いまフラウムヴェルに立てこもっておるのは全て、ホンドショーの手下の者たちだということか。」
 わずか3カ月の間に、一体、何があったのだろう・
 ユオンがホンドショーに味方するルーンの軍にいることは、事実だ。だとすると、ユオンたちは、包囲される前にフラウムヴェル城から出ていたことになる。だが、それはいつのことだろう? 100人もの兵士が町を脱出すれば、目だって噂になったはずだ。
 剣のこともある。ユオンに剣を与えたのが、本当にラグナスだったとしたら、一体いつ?
 ラギは、その100人の中にいるのか。

 その時、静寂を破る戦の合図が、エルム吹く角笛の音が高らかに、闇の中に響き渡った。

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