追加シナリオ2◇雪原の誓い-3


 降り始めた雪は見る間に吹雪となり、ほんの一瞬で山々と森を白一色に染め上げていった。塔の周りには大人の背丈ほどの雪が積もり、一階の窓の外は完全に雪の壁だ。太陽石のぬくもりだけでは足りず、台所や一部の部屋では、暖炉で薪を燃やしていた。その、ぱちぱちとはぜる音が、静まり返った空間に響いている。
 暖炉の前にひざまづき、薪を継ぎ足して火の様子を確かめていたリスティは、顔を上げて、窓枠に白く張り付いた雪を見上げた。
 「さすがにこれだけ積もると、ちょっと寒いわねえ」
 「…ああ」
レヴィは暖炉の側のソファに腰掛けたまま、顔も上げずに相槌を打つ。視線は手元の本に固定されている。
 「どう? こっちの暮らし」
 「どうってことない。リスティこそ、ぼくがいなくて寂しくて泣いてんじゃないの」
 「そんなわけないでしょ? 何言ってんの」
立ち上がりながら、ちょっと相手をこづく真似をしたが、レヴィが反応しないのに気づいて拳を留めた。
 「…辛くない? 魔法の修行」
 「べつに」
頬杖をついているのとは反対側の手で、魔法書のページを捲る。「隠れてこそこそやんなくていいから、楽になった。」
 「…そう。ならいいけど」
レヴィはそれとなく視線を上げ、スカートについた灰を払って、窓のほうへ近づいていく姉の後姿を追った。別々の部屋に暮らすようになって、一日の大半をランドルフと過ごすようになってから、リスティと接する時間は急速に減っていった。話したいことは山ほどあるような気がするのに、いざ顔を合わせると、何も話すことが出てこない。 あれから、他の三人の弟子たちとも、ほとんど口を利いていない。露骨に避けられるか(主にイングヴィ)、顔を合わせても視線を逸らすか(大抵はジュリオ)、へらへら笑ってとりとめもない話を振ってくるか(ほぼマウロ)――だ。"風の賢者"の後継者にはなれなかった今、彼等がどうするかは、彼等自身の判断に任せるとランドルフは言った。ここに残るも、出て行くも自由だ、というのだ。塔から外へ繋がる扉は、最後に繋げられたシュルテンに固定されたままだった。ランドルフが"風の賢者"の力を失って新しい扉を繋ぐことが出来なくなり、次世代のレヴィは、まだ正式に"風の賢者"を継ぐのに必要な条件を満たせていなかったからだ。



 「条件というのは、旅をすることだ。」
部屋を移って本格的に後継者講義を受け始めた初日、ランドルフは、そう切り出した。
 「もう知っているだろうが、"賢者"は全部で三人いる。他の二人、"森の賢者"、"海の賢者"の住まう場所を訪れ、これらを実線で結び、またここへ戻ってくる。既に作られた<扉>を潜るなど、魔法で空間移動してはいけない。」
 「魔法で変身して飛んでいくのもダメ?」
 「それは問題ない。"連続した空間として移動する"ということが大事なのだ。そうでなければ、その場所の絶対座標を体感することが出来んからな」
地図を前にして、レヴィは、世界がどれだけ広かったのかを知った。その広い世界の端と端に、目指すべき場所があった。
 「遠いなー…」
 「なに。渡り鳥の翼なら二週間もあれば辿り着ける。お前は最初にそれを覚えたのだ。あとは、身を守るすべを覚えれば良いだけだ」
そう言って、ランドルフは髭をしごいた。
 「"創世の呪文"の管理者になるということは、人に膨大な魔力と長寿を齎す。わしは、その力で五百年を生きてきた。だが呪文との接続が切れた今、自然のままの時間を生きている。――このわしに、どのくらいの時間が残されているかは分からんが、お前には、出来る限りのことを教えよう。」
 「……。」
魔力と長寿。あるいは他者を凌駕する絶対的な力。それは、争ってでも欲しいと思うに相応しいものだった。三人の魔法使いの弟子たちが目指していたもののことを、その時はじめて知った。けれどそれは、レヴィが過去に一度も望んだことのないものだった。



 「ぼくは大人になれない」
 「えっ?」
窓辺に立っていたリスティが振り返る。パチパチと音を立てて燃える暖炉の火が、明るく部屋の中を照らし出していた。
 「"創世の呪文"の一部を持ってる間は、寿命が延びるってじいさん言ってた。十年で、だいたい一歳くらいしか年とらないって。だから、…ぼくは、五十年経っても、まだガキのままだ」
 「そんなこと。人間は外見じゃなくて中身よ。それに、背は伸びるんじゃないかしら? レヴィ、この一年で十センチくらい背が伸びたでしょ。つまみ食いばっかりしてるお陰かしらね?」
 「それは関係ないだろ」
むすっとした顔になった弟を見て、リスティが笑う。立ち上がって並べば、今はレヴィのほうが身長が高いのは分かっている。――今だけは。
 「…リスティ、ごめんな」
 「何が?」
 「いつか塔を出て、町に戻って一緒に暮らせたらって話してたのに、ぼくは一緒に行けなさそうだ」
笑顔が消えていく。視線を落とした彼女は、ややあって、気丈に、もう一度笑顔を作り直した。
 「そんなこと気にしなくていいのに。わたしは、ずっとここにいるわよ。」
 「でも、――」
 「わたしがいなけりゃ、誰があんたの上着を洗うの?」
断固とした口調だった。
 「ずっとここにいる。心配しなくても、あんたとずっと一緒よ。たった一人の家族なんだから」
 「…リスティ」
心の奥底では、きっとそれを望んでいたに違いない。けれど何処かで、リスティにだけは、ごく普通の幸せな人生を歩んで欲しいとも思っていた。
 空を飛んでみたいという一つの夢を叶えると同時に、もう一つの夢を永遠に失った。
 同じ時間を生きることは、もう出来ない。



 ジュリオが血相を変えて飛び込んで来たのは、それから何日か経った日のことだった。
 荒っぽくドアをノックする音が響いたかと思うと、どうぞという返事も待たず、珍しく髪を振り乱したジュリオが急ぎ足でランドルフの前まで歩いてきた。
 「先生…大変です。他の"賢者"のもとへ通じる扉が消えました」
ちょうどレヴィに講義をしていたランドルフは、本を置いて眉を寄せた。
 「どちらの扉だ?」
 「両方です。昨日までは確かに通じていました――」
塔には、他の二人の賢者の居場所に通じている一方通行の扉が存在した。ランドルフ自身が他の"賢者"たちと会う用事に使うことが殆どだったが、弟子たちがお使いのために潜ることもあった。その扉が力を失ったということは、接続先が物理的に消えたことを意味する。
 扉は、塔の中ほどにある何処からも通じていない回廊の先にあった。空を飛ぶか、上の回廊からロープでも垂らさなければたどり着けない場所だ。並んでいる二つの扉を開き、その向こうに壁しかないことを確かめたランドルフは、難しい顔でしばらく考え込んでいた。
 「先生」
 「…恐れていたことが起きてしまったのかもしれん」そう言って、塔の上を見上げた。「イングヴィとマウロも呼んで来なさい。話がある」
全員が揃うと、ランドルフは、弟子たちを見回してこう言った。
 「"海の賢者"に、何か良くないことが起きた。昨夜のことだ」
小さなざわめきが年長の三人の間を伝播していく。
 「確かなのですか?」
 「確かでは無い。何も分からんのだ。わしはもう、"創世の呪文"とは繋がっていない」
ゆるりと視線がレヴィのほうに向けられる。彼は慌てて、視線を足元に下げながら小さく首を振った。
 「…ぼくには、何も」
 「では、少なくとも"海の賢者"の守っていた呪文には、異変はないのだろう。今のところは」
 「"森の賢者"ですか?」
イングヴィは、最初からレヴィのことなど眼中にないようで、ランドルフのほうだけを見ている。
 「…何かあったとすれば、おそらくそうだろう。だが、今のところ、"扉"が同時に消えた以外には何も分からない。」
 「くそっ、継承の隙をついてきやがったんだ。魔女め」
 「イングヴィ。確かなことは分からんと言っている」
 「しかし! それ以外に可能性がありますか?!」
拳を握り締め、青年は吐き捨てるように言った。魔女と呼ばれているのが"森の賢者"であることは、ここ最近知ったことだ。今いる三人の賢者のうち、一人は女性なのだ。
 「…まずは、何が起きたのかを知らねばならん。イングヴィ、マルセリョートには行ったことがあったな?」
 「ええ。」
 「ではお前はマルセリョートへ向かい、速やかに状況を確かめてくるのだ。ジュリオ、お前はシルヴェスタへ。ただしいいな、二人とも、もし最悪の事態になっていた場合、テセラとは絶対に戦ってはならんぞ。」
 「分かっていますよ。"賢者"を相手にして生き残れるとは思っていませんからね」
とジュリオは額に垂れたくるりと巻いた前髪をかきあげる。その横で、マウロは、押し黙ったまま汗びっしょりになっている。ランドルフは、ようやくその様子に気が付いた。
 「マウロ。どうした」
 「嫌な…予感がするんです。先生、今朝、塔の前に熊がいたんで」
 「熊? 冬眠に入れなかったやつが彷徨っているのではないか」
 「違うんです。びっくりして思わず魔法を放ったのに、ちっとも怖がらないで、こっちに向かってきて…」
恐怖のためか、はあ、はあと荒い息をつきながら、彼は胸元を掴んでいる。
 「は、どうせ丸っこいお前がうまそうな獲物にでも見えたんだろうよ」
イングヴィは取り合わず、ちらりとレヴィを見て、小さく鼻を鳴らした。
 「…とっとと行って、見て帰ってきますよ。吹雪にでも遭うんじゃなければ、この季節でも、そう手間取りはしないでしょう」
 「気をつけるんだぞ」
 「ええ」
慣れた様子でするりと鴉に姿を変えると、イングヴィは、塔の何処かへ飛び去っていく。数秒遅れて、ジュリオのほうも姿を変えて飛び立った。こちらは白鳥の姿だ。一方でマウロは、まだぶつぶつ言っている。
 「あれは…あれは熊なんかじゃなかった…あれは…何か…違うもの」
一度ひとつの思考に入ってしまったら、そこから抜け出せないのがマウロの癖だ。ランドルフは、困った顔をして弟子の肩に手をやった。
 「少し暖かいものでも飲んで、落ち着きなさい。もしまだいるようなら、わしが追い払ってやろう」
レヴィは、塔の上を見上げた。太陽石に照らされた塔の内部は明るかったが、外は雪雲のせいで薄暗く、縦長の切れ込みのような窓の外は、真昼だというのに夜のようだった。じっと立っていると、じんわり足元から冷えてくるような気がする。
 二人が塔を出たその日の夜、山には強い風が吹きつけた。乾いた風が窓を叩く音で夜中に目を覚ました時、レヴィは、自分がぐっしょりと汗に濡れていることに気がついた。嫌な予感がした。何故なのかは分からないが、何か決定的な失敗を犯してしまったような、そんな予感があった。



 久し振りによく晴れた朝だった。
 何日も続いた嵐の後で、窓の雪は硬く凍り付いて、雪原はガラス状に輝いている。上着を羽織って食堂に行くと、リスティが朝食を準備していた。
 「おはよう、リスティ」
 「おはよう。今、お茶淹れるわね」
そう言って、リスティは台所のほうへ消えていく。テーブルの上に並んでいる食器は三組だけ。イングヴィとジュリオがいないせいだ。ランドルフは、このところ朝が少し遅く、時間通りに朝食をとるのはレヴィとマウロの二人だけ。そのマウロも、今朝は姿が見えない。
 「マウロは寝坊?」
 「さあ。ドアは閉まってたみたい。昨夜、夜中に何かしていたみたいだから、そのせいかも」
 「ふうん」
まさか今になって魔法の特訓でもないだろう。
 そう思いつつ、スコーンをひとつつまみあげ、口に入れながら何気なしに窓の外に目をやった時、彼は、雪に赤いぽちりとした染みがあることに気が付いた。じっと見つめていると、それは、何かの形をとり始める。人の形…。思わず口からスコーンを取り落とし、彼は勢い良く立ち上がってガラス窓に張り付いた。心臓がどきどきいっている。まさか。まさかそんな。
 「…リスティ」
 「ん?」
声は、すぐ後ろにある。
 「こっちに来るな。」
 「え? 何が?」
 「いいから、向こう向いてろ!」
自分でもびっくりするほどの声で怒鳴って、レヴィは窓の外に向かって素早く呪文を唱えた。周囲の雪をかき集めて、雪の上の染みを覆い隠すためだ。廊下で、ドアの開く音がした。
 「何事だ、朝から」
叫び声を聞きつけて、ランドルフが出てきたのだ。食堂までやってきた老人は、窓に背を向けて俯いているレヴィと、困惑した表情のリスティとを見比べる。
 「すいません、レヴィが急に…、一体どうしたっていうの」
レヴィは無言のまま、強張った表情で視線を外に向けた。その先を追って、雪の上に残る僅かな染みに気づいたランドルフの表情が変わっていく。
 「…マウロだと思います」
レヴィは、小さく呟いた。ランドルフは額に手をやる。
 「まさか――、一体何が…。」
ただの熊のはずがない。いくらマウロでも、ただの獣相手にやられるはずがなかった。
 それから間もなくして、塔の周りには<影憑き>が頻繁に出るようになった。
 それは死に瀕しているか、死んで間もない獣の躯に<影>が取り付いて動かす、普通の生き物とは全く別の存在だった。ギチギチと不気味な声をたてながら森を徘徊する闇の生き物たちに取り囲まれ、日が暮れた後は、誰も塔から出ることが出来なくなった。
 そして、イングヴィとジュリオは帰ってこないまま、季節は巡り、また、冬がやって来た。



 積もった雪の感触を足の裏で確かめながら、灰色の空を見上げて白い息を吐く。コートのポケットに突っ込んでいても、指の先が冷たい。雪は止んでいたが、雲行きからして、またすぐにも降りだしそうな雰囲気だった。太陽の姿は、どこにもない。
 外に出るのはほぼ二週間ぶりだ。
 こころのところ、ずっと塔の中に篭りきりで、久し振りに外に出てみたかったのだ。だが、結局外も大して変わりはしない。何があるか分からないため塔を離れることは許されておらず、せいぜいが塔の周りをぐるりと一周する程度だ。
 「レヴィ、そんな遠くまで行っちゃだめでしょ? 戻りなさい」
塔の上、食堂あたりの窓からリスティが呼んでいる。
 「平気だよ。まだ昼間なんだから」
叫び返して、レヴィは雪の上を滑る様に歩いていく。足が雪に沈んでしまわないよう、浮遊の呪文を使って雪の表面に触れるか触れないかくらいの場所を歩いているため、足跡はほとんど残らない。完全に地面から浮くよりも、足の裏は地面に付けながら体重の重みを一部だけ相殺するほうが魔力の消費が少なく、長時間魔法を使っていられる。
 塔の周りの雪の上には、様々な獣たちの足跡が、点々と残されている。兎、熊、あるいは鹿。
 「…また増えたな」
彼は、顔をゆがめて白い息とともに呟いた。森に出没する<影憑き>の数は、減るどころか増え続けている。ここのところは昼間でも、日の翳っている時には塔の側まで来るものがいる。塔の窓から魔法で狙ってみたこともあるが、命中させることは出来ても、致命傷は与えられなかった。そもそも、たとえ目の前にいる<影憑き>すべてを倒したとしても根本的な解決にならない、とランドルフには言われていた。
 「<影憑き>は、獣の躯に<影>が宿って生まれる。たとえ宿った器を破壊したところで、<影>を逃がせばまた別の器に宿るだけのこと。<影>自体を倒さねば意味がない。そして、<影>の心臓を見抜くことが出来るのは、"海の賢者"の持つ眼だけなのだ」
 「じゃあ、"海の賢者"を探さないと、<影憑き>は倒せないってこと?」
 「その通りだ。偶然に<影>の心臓を破壊することは出来るかもしれんが、奴らのそれは、我々命あるものと違い、場所が決まっておらんからな」
この頃には、ランドルフはもう杖に頼らずには歩くことが出来なくなっていた。一日のほとんどを椅子に座って過ごし、時々、咳をした。ゆるやかだった時計の針の動きが世界の流れと一致した結果、以前の何倍もの速度で老化が始まっているのだ。
 マウロの死。イングヴィとジュリオの消息は不明。
 レヴィの魔法はめざましい上達を見せていたが、ランドルフは、彼が塔を出ることはまだ許さなかった。まともに修行を始めてから、まだ一年と少し。身を守る術を出来るだけ覚えてからでなければ旅には出られない。飛べるのは塔の中と、塔の周囲の狭い空だけ。いつになったら自由に空を飛べるのだろう。いつになったら、自分で行きたい場所を決められるのだろう。――
 雪の上に佇んで、ぼんやりと空を見上げていた彼は、その時、雲の合間に黒い染みのようなものが広がっていくのに気がついた。ゆっくりと広がりながら近づいて来るそれは、人の形をしていた。染みのように見えたものは、スカートだ。長いケープを風にひらめかせながら、女が空から降りてくる。
 女は、ぽかんとしているレヴィの目の前で、音もなくふわりと雪の上に降り立った。
 「こんにちは、坊や。ランドルフはいるかしら?」
本能的に、嫌な感じだと思った。日が翳ってきたせいか、風にたなびく濃い色のロングスカートが闇色に見える。
 「…誰だ、あんた」
じりじりと塔のほうへ後退りながら、レヴィは女から視線を離さなかった。
 「私? 私はランドルフの古い知り合いよ。そんなに怖がらなくてもいいのに」
くすくすと笑いながら、女が手を伸ばそうとしたその時、塔のほうから大音声でランドルフの声が響いてきた。
 「下がりなさい、レヴィ!」
振り返ると、塔の窓辺にランドルフが、身を乗り出さんばかりにしていた。隣にいるリスティが必死で支えている。顔を真っ赤にして、そんなふうに取り乱すランドルフの姿を見たのは、この時だけだった。
 「ああ、いたいた。お久し振りね、まだ生きてたの?」
 「何をしに――何をしに来た」
 「何って。確かめによ?」そう言って、女は首をかしげる。「確かに"賢者"の力は消えたはずなのに、三人とも違ったじゃない? だからどうしてなのかしらって。もしかしたらまだ継承者が決まっていないのかもって思って来てみたのよ。」
はっとして、レヴィは顔を上げた。
 「…三人?」
女の暗い色をした眸は、何の罪過も感じていない様子で、不思議そうにレヴィを見下ろす。
 「まさか、イングヴィやジュリオも…?」
 「名前は知らないわ。黒い鳥と、白い鳥…」
 「殺したのか?!」
女は眉をひそめ、怪訝そうにレヴィを見下ろしている。レヴィのほうは、その瞬間、怒りに駆られて女に対して使った全ての呪文が一瞬にして打ち消されたことを知った。逆に、レヴィのほうが動けなくなっていた。拘束の術だ。
 冷たい手が伸びてレヴィの顎をつかむと、濃い色をした眸が覗き込んでくる。
 「今の術…まさか…」
 「レヴィ!」
ランドルフの叫び声が響く。殺される、とレヴィは思った。手も足も出ない。
 だが、突然、女は笑い出した。
 「こんな可愛らしい雛鳥だったのね! あらまあ。そういうこと」
 「テセラ、貴様――」
ちらりと塔のほうを振り返って、女は何の邪悪も感じさせない純粋な笑みを浮かべた。
 「大丈夫よ。私、子供は殺さないから。」
そう言いながら、レヴィの頭を撫でる。
 「坊や、もうちょっと大きくなったら遊んであげるわね」
 「……っ」
女がふわりと浮かび上がるのと同時に、拘束が解けた。雪の上にどさっと座り込む。助かったのだ。いや、――見逃された。殺す価値もない存在として。
 恐怖が過ぎ去ったとたん、怒りと悔しさが込み上げてきて目の前が真っ白になる。イングヴィもジュリオも殺されてしまった。待っていても、もう…誰も塔には戻ってこない。
 「レヴィ」
肩に手を置かれて顔を上げると、リスティに支えられるようにして、ランドルフが立っていた。頬を熱いものが流れ落ち、彼は、老人の黒いコートの裾にすがり付いて声を上げて泣いた。ただただ、悔しかった。そして情けなかった。
 もっと強くなりたい。自由に空を飛べるくらい強く。
 今は届かなくても、いつか、果てしない青い空の向こうへ飛んでいけるように。いつか、本当の自由を手に入れる。――必ず。


 ――固く誓ったその日から、繰り返し季節は巡り、何度も雪を見た。
 無力な子供が大人になるまでの時間が必要だった。彼が外の世界へ飛び出すのは、それから、十年を越える歳月が流れた後のことだ。

雪原の誓い/了.


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