追加シナリオ2◇雪原の誓い-1


 「雪は嫌いだ」と、妙に拗ねたような表情でレヴィは言った。
 それは海沿いの町テブリスの、海の見えるテラスでのことだった。フォークにパスタをくるくると巻いていたロードは手を止めて、思わず向かいの席のレヴィを見る。
 「…雪が積もると結構楽しいって聞くけどな」
 「そりゃ観光地の話だろ? 本気で積もったら、ただただ鬱陶しいだけだ。何もかも真っ白で。雪なんて降らなきゃいい」
テーブルの上のお茶にも手をつけず、むすっとした顔で背もたれに頬杖をついた彼は、良く晴れた青い海のほうに視線をやった。ここも季節は冬とはいえ、ほんの少し肌寒いくらいで雪など降りそうにない。港の桟橋には、大型の定期船がひっきりなしに発着している。
 レヴィを見つけたのは、偶然だった。
 村の人に頼まれた依頼をこなすため、ポルテの町からの定期船に乗り、テブリスに着いたのは今朝のこと。何年も前に一度来たきりで、地理に詳しいわけでもない。さてどちらへ行ったものかと、海岸沿いのメインストリートをぶらついていた時、人ごみの中にちらちらと光る、見覚えのある青白い輝きを見つけたのだった。魔石の光よりはるかに強い輝きを放つそれは、"創世の呪文"の一部分だった。持っている者はこの世に三人しかいない。その中で、この時期に、こんなところにいる可能性があるのは、一人だけだった。光を追いかけていくと、持ち主はすぐに見つかった。それがこの店の前。ちょうど昼食の場所を探していたロードは、レヴィに声をかけて、一緒に店に入ったのだった。
 レヴィは旅の途中だと言った。
 「何故って、そりゃそーいうもんだからさ。ワタリガラスは、冬には南へ渡るもんだろ?」
確かに、海から少し入ったあたりの湿地帯では、北からの渡り鳥が多く越冬する。今の季節なら、森に行けばレヴィがよく変身しているワタリガラスを見掛けることもある。だがそれ以上に、<旅人の扉>の力で繋げるのが一度行ったことのある場所と限られている以上、"風の賢者"は、より多くの場所を訪れておく必要があるのだ。
 「たまには塔に帰ってるのか」
 「いいや。春になったら帰るよ」
多分、何気なく聞いたそれが、この会話の始まりだったと思う。世界の破壊と再創造、あの事件からまだ半年しか経っていなかった。
 「何で春なんだ。そこまで本物の鴉を真似なくったって、お前なら一瞬で帰れるじゃないか」
 「…今の季節、塔の周りは雪だらけだぞ。面白くもなんともない。ていうか気が滅入る」
 「雪? あそこ雪積もるのか」
 「ああ。北の果てだし、山の上だし。そりゃもう、うんざりするほどな」
そして、不機嫌な顔になって語気を強めて言ったのだ。「雪は嫌いだ」と。
 一体何が琴線に触れたのだろう。昼食のパスタを前に押し黙ってしまったロードを見て、レヴィは、自分が言い過ぎていたことに気がついた。
 「…ぼくとリスティの住んでいた村は、毎年やたらと雪が積もってた。あの頃のことを思い出すから嫌いなんだ」」
 「村?」
 「風車村…。と言っても、風車が回ってるとこなんて一度も見たことがないけど。ノルデンの北のほうじゃよくある小さな農村だった。聞きたいのか? こんな話。地味でつまんないぞ。」
聞いてみたいな、とロードは答えた。ノルデンの北のほうには行ったことがないし、レヴィがどうして"風の賢者"を継ぐことになったのかも聞いてみたい。
 「…ま、いいけどさ」
椅子に真っ直ぐ座りなおしながら、彼はややぶっきらぼうな口調で話し始めた。「ことの始まりは、十三年前――じいさんが村を通りかかった時だった。」



 "風車村"は、ノルデンの北の奥地にある、山あいの小さな農村だった。
 その辺りの山岳地帯にはどこにでもある村でもあり、その中で特に貧しい村でもあった。冬の訪れは早く、春の訪れは遅い。夏でも肌寒く、山から抜き下ろす風はしばしば、作物の生長を遅らせた。その反面、どんなに収穫が少なくとも、なけなしの穀物は領主に税として持っていかれた。小麦で焼いたパンが食べられるのは豊作だった年に限られ、それ以外では、お祭りの日に焼かれる菓子くらいしか食べたことがなかった。だから、小麦粉をひくためにあるはずの風車小屋が仕事をしているのを見ることもなく、風車の羽根は物心付いた頃にはもうぼろぼろになって、まるで幽霊屋敷のようになっていた。
 そんな村で、一つ違いの姉と弟は、子供二人だけで暮らしていた。母親はとうの昔に病に倒れ、父親は出稼ぎに出かけたまま十年以上も音沙汰がない。村の大人たちはある程度は助けてくれたが、生きていくのにやっとのその村では、よその家族まで養う余裕はどこにも無かった。食べられるものは自分たちで集めるしかなかった。山で採れる山菜と木の実、それに小川で釣れる魚。
 山と山に挟まれた深い谷底の村で、遠い空を見上げながら、少年は思う。一生ここで暮らさなくてはならない理由なんか、どこにもない。村を出てどこかもっと暖かいところで暮らせばいい。そうすればきっと、お腹一杯食べられるに違いない、と。
 黒い上着を着た不思議な老人が村を訪れたのは、彼が十一歳になった年の、雪が舞い始めた頃だった。
 魔法使いだというその老人は、求人のために近隣の村を回っているところだと言った。
 「住み込みの手伝い人を探していてな。給料は出すし、衣食住は提供する。年齢は問わないが、うちは男ばかりだから女性のほうが良さそうだな」
それだけで、場所がどこだとも、期間がどれくらいだとも言わなかった。魔法使いを見ることなどない辺境の村では、魔法使いが来たというだけで大騒ぎだ。きっと人さらいだ、いや人体実験をするためだと、大人たちは眉をひそめて話し合った。だが老人のぱりっとした染み一つない上着と鍔広の帽子とは、どこか上品で、ひどく年寄りのように見えながら、背筋をしゃんと伸ばしていた。
 「あの」
村の中で、手を挙げたのは姉のリスティだけだった。「わたしでよければ。両親はいませんが、弟がいるんです。お給料はぜんぶ、弟に払ってください」
 それは嫌だと弟は抵抗した。
 「ぼく一人で村に残ってろって? 冗談だろ。一緒じゃなきゃ嫌だ」
 「でも…。前払いでいくらかでもお給料が貰えるなら、今年の冬は越せるでしょ?」
その年は夏場もほとんど雨ばかりで、近年まれに見るような凶作だった。飢え死にする者が出るのではないかと、村中の誰もが怯えていた。まして子供二人だけの家庭では、十分な備えなどあるはずもなかった。
 「ふむ、仕方が無い。それなら、お前たち二人とも来なさい。お給料も二人分ちゃんと払おう。その代わり、どちらも同じくらい働いてもらうよ。それでいいかね」
 「わかりました」
それで契約は成立、ということになった。村を出て行く二人を、村の大人たちが何を思っていたかは今となっては分からない。引きとめようとする者は誰もいなかった。皆、自分の家族が冬を越せるかどうかで頭が一杯だったのだ。
 村を出てしばらく行ったところで、魔法使いは崩れかけた古い納屋の前で足をとめた。そして、二人に扉を潜るようにと促した。
 わけもわからず扉を潜ったとたん、目の前には見知らぬ風景が広がっていた。天井の見えない巨大な空間。まるで巨木の枝の上に立っているかのような気分だった。本当の魔法というものを、初めて目にした。
 まるでお伽噺だ、と思った。
 「ここが"風の塔"、今日からお前たちが住むところだ」
老人は、そう言って、帽子を脱いだ。「そしてわしは、この塔の主――"風の賢者"ランドルフだ。」
 「賢者…様?」
その時、二人は、自分たちの雇い主が何者であるかを始めて知った。ずっと昔、もうほとんど記憶にもないような幼い頃に、両親のどちらかから聞いた昔話の中に出てくる存在なのだということを。
 その言葉の意味を考え込んでいた時、頭上から羽音が聞こえてきた。鴉が床に降り立った、と思った次の瞬間、人に姿を変えている。金髪の気取った雰囲気を持つ青年で、白いシャツに、洒落た黒ネクタイをしめている。唖然としている二人をじろじろ眺め回した挙句、青年は呆れたようにこう言った。
 「先生、またずいぶん貧相な召使を連れて帰ってきたんですね。」
 「見た目によらずしっかり者で、頑丈なのだ。それで十分だろう。イングヴィ、この子たちに新しい服と靴を持ってきなさい」
ふんと小さく鼻をならし、青年は前髪をかき上げた。
 「そういうのはマウロにやらせてくださいよ」
言うだけ言って、どこかへ去って行く。老人は溜息をついた。
 「やれやれ、あいつは気位が高くて困る。先に部屋へ案内しよう。こっちだ」
連れて行かれたのは、台所と思しき部屋のすぐ隣にある部屋で、寝台は一つだけだが、箪笥や書き物机など必要最低限の家具が置かれていた。
 「以前の使用人が住んでいた場所だ。二人で自由に使いなさい。後で必要なものは届けさせよう。仕事の説明は、マウロがしてくれるだろう」
それだけ言って、老人もまた、どこかへ去って行った。肩掛けカバン一つに詰め込んできた、簡単な着替えくらいしかない荷物を床に下ろすと、少年は窓から外を覗いた。
 外は真っ白な雪景色だった。村よりもずっと深い。
 「…どこかの山の上なんだ」
彼は呟いた。「村よりずっと北のほうだと思う」
 「そうなんだ。でも、ここは暖かいね」
 「うん」
外は一面の雪なのに、塔の中がなぜ暖かいのか、その時は分からなかった。塔のあちこちに置かれている太陽石という石のお陰だということは、後になって知った。
 隙間風が吹かず、雪下ろしをせずに済み、雪の重みで屋根が潰れることに怯えながら眠らずに済む暖かい部屋。そして、三食必ず食べられる場所。そこは、その頃の二人にとっては天国だった。たとえ仕事が辛くても、二度と故郷の村を見ることがないかもしれないと思っていても。



 「――塔には三人の"弟子"たちがいた。イングヴィ、マウロ、それにジュリオ。ジュリオはアステリア人だった。どこかの学校で魔法の勉強をしていたらしいけど、"賢者"はいると信じて、独自に伝説を辿って塔を探し当てたとかいう、冒険者みたいな奴だった。そう、今思えば、<王立>の関係者だったのかもしれないな」
そう言って、レヴィは空になっていたティーカップにお茶を注ぐ。
 「ほかの二人は?」
 「イングヴィは元はノルデンの貴族の家の出で、次男だか三男だかだったらしい。気位が高くて、じいさんの一番弟子は自分だって思い込んでた。…確かに、一番魔法の腕は凄かったよ。マウロは最古参。おっとりして良い奴なんだけど、何ていうかちょっと要領の悪い感じだったな。だからいつも雑用を押し付けられて、ぼくらと一緒に働いていた。」
給仕がやってきて、お代わりはいかがですかと尋ねる。レヴィは、お茶のお代わりだけを注文する。
 「いつもみたいに、ケーキとか頼まなくていいのか」
 「この辺のはあんまり美味しくない。パンやケーキなら断然ノルデンのほうだ。お茶はアステリアのほうが美味いんだけどな。――そうそう、ジュリオはやたらとお茶の銘柄に詳しかったんだ。で、貴族のイングヴィがノルデンのお茶もいいとか言い出して、いつも喧嘩になってたな。くっだらない喧嘩さ。お使いで買い物に行かされる時も、二人で意見が食い違ってもう大変だった」
 「食料の買出し? レヴィが?」
 「そりゃそうさ。召使いとして雇われてたんだし。…あの時は、…ぼくが継ぐなんて、思ってもいなかったんだ」
そう言って、彼は少し遠い目をした。「…そう、あの時までは」



 はじめのうち、仕事は楽ではなかった。魔法の使えない二人にとって、最初は全て手でやるしかなかったからだ。
 朝は日の出とともに起き出して食事の準備、掃除、洗濯。塔はあまりに広く、しかも様々な場所に別の場所に繋がる扉があり、道を覚えるだけで何ヶ月もかかった。間違った扉をくぐってしまい、塔を何十階も徒歩で降りるはめになったこともある。
 塔の中で、三人の魔法使いの弟子たちはめいめい好き勝手に過ごし、時々はどこかへ出かけていた。だが、出かけるのはもっぱらイングヴィとジュリオで、マウロは塔の中をせっせと掃除していることが多く、魔法の練習をしていることもあまり見かけなかった。一方で、師であるランドルフは一日のほとんどを部屋に篭りきりで、外に出る用事がある時は、弟子たちか、召使いの姉弟に依頼した。
 塔での生活に慣れてきたある日、二人は、ランドルフのもとに呼ばれた。
 「この半年よく頑張ってくれた。お前たちには、これをあげよう。手を出しなさい」
手の平の上にひとつずつ置かれたのは、小さな輝く石をはめ込んだ指輪だった。
 「その石は魔石というものだ。魔法を使うための魔力の源となる。お前たちには少しサイズが大きすぎるから、鎖を通して首にかけておくと落とさなくていいだろう。」
顔を見合わせている二人を見て、老人は微笑んだ。
 「仕事をするのに、魔法を使ったほうが楽だろう? まずは、魔法の基本を覚えなさい。わしが教えてあげよう」
それからしばらくの間、毎日何時間かは魔法講義の授業になった。読み書きすら覚束なかった子供たちにとっては、生まれて初めて受ける教育だ。文字を覚え、魔法書を読み、老魔法使いの言葉に耳を傾ける。覚えるよう言われたのは、高いところを拭き掃除するために体を浮かせるとか、雑巾を絞るとか、洗い物をしながらシーツを畳むとか、そんなこまごまとした魔法ばかりだったが、少年の頭には、最初から一つしかなかった。鳥の姿で塔の中を自在に飛びまわり、窓を擦り抜けて外へも出て行く、自由気ままな鴉の姿だった。

 "あんなふうに、いつかなりたい"

自分たちを召使いと蔑み、同じ魔法使いの弟子のマウロすら下に見ているような男だったが、自在に魔法を操る姿は彼にとってまさに憧れそのものだったのだ。たとえ疎んじられようとも、彼の視線は、いつもイングヴィを追っていた。
 ――だから、言いつけられた魔法は、ほとんど上達しなかった。
 姉のリスティは必要最低限な魔法をすぐに覚えてしまって、数ヵ月後には重たいバケツに浮遊の魔法をかけて持ち上げることくらいは出来るようになっていたのに、弟のほうは、いまだにモノを持ち上げることも出来なかった。逆に自分を持ち上げようとして、持ち上げ損ねては無様に床に激突していた。それは本当は空を飛びたい思いからだったのだが、イングヴィには呆れられ、ジュリオには大笑いされるハメになった。普段は不器用だと馬鹿にされているマウロでさえ、同情心を持ったようだった。
 「いいかい、魔法には正確なイメージが必要なんだ。慣れないうちは基本の呪文を省略せず、単語ひとつずつ声に出して唱えるほうがいいんだよ」
丸っこい朴訥な顔をした男は、のんびりと語尾を延ばすような口調で、何度もそう言った。
 「焦らないでね。焦るとボクみたいに失敗しちゃうから。ほかの事を考えながら魔法を使うとだめなんだ。初めからそうはうまくいかないよ」
マウロは、もう二十年も塔で暮らしていながら、いまだに二つの魔法を同時に使いこなすことは出来なかった。それどころか、歩きながら魔法を使うことすら難しかった。一つの思考で一杯になってしまうのだ。
 それでも少年は反論せず、神妙な顔で先輩魔法使いの言葉を聞いていた。本当は空を飛びたいのだ、などと言ったら、絶対に止められるに決まっている。それに、覚えるよう言われた魔法を練習していないことがバレたら、ここを追い出されてしまうかもしれない。彼は何をしているのか姉にも絶対に言わなかった。ただ、――姉は、薄々とは気が付いていたのかもしれない。失敗ばかりで生傷の絶えない弟のために、いつからか、治癒の魔法を覚え始めたからだ。
 魔法の本は、塔にいくらでもあった。ただ、その大半はあまりにも難しくて、読んでもちんぷんかんぷんだった。それでも、何度も読んでいるうちに、少しずつは分かるようになってきた。朝の仕事の終わった後、あるいは寝床につく前に、台所の隅や、物置や、誰にも見つからないところで必死で魔法書を読み、精神力が切れるまで練習を続けた。
 やがて彼は、"浮かす"ということのコツが分かるようになってきた。自分を浮かすことが出来るようになるのと同時に、姉と同じように重たいバケツや、子供の力では運べないような穀物袋を難なく持ち上げることが出来るようになった。それは一つの達成であると同時に、彼にとっては通過点でしかなかった。空を飛ぶには、それだけでは足りない。もっと言うなら、本当は鳥になりたかったのだ。
 ジュリオの使っている、鴉に変身する術の本を見つけたのは、浮くことを覚えてからしばらく経ってからのことだった。彼はそれをこっそり部屋に持ち帰り、枕の下に隠しておくことにした。ベッドの一つしかない部屋で、少年はハンモックを吊るして自分の寝床にしていた。枕の下に隠してあった本は、だから、下に寝ている姉からすれば丸見えだったのだろう。
 そうした興味のある魔法にばかりかまけていたせいで、暖炉に火を起こすことも、水の流れを制御して洗い物を一瞬で終わらせるような術も覚えなかった。単に才能がないのだと、魔法使いの弟子たちは思った。そもそも魔法を使いこなせるようになれるのは、ほんの一握りだけなのだ。子供のうちから練習を始めれば、ある程度までは行ける、とはいえ、ある程度より先に行けるものは稀なのだ。
 少年が、誰にも内緒のまま、いつしか塔に山積みにされている高等な魔法書に手を出すまでになっていたとことには、魔法使いの師でさえも気づいていなかったのだ。


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