17


 同じ町に二晩以上泊まるのはいつぶりだろう、とロードは思った。 
 窓から見えるのは、鉄柵と植え込みに囲まれたかつての王宮、それに、その敷地内に建てられた"王室付き"の拠点の壁だ。道具屋の店主が短剣を仕立て直してくれるのを待つ間は、特にすることもない。ナイフを磨いているロードの横で、フィオとレヴィは、ベッドの上に本を広げてああだこうだと話しあっている。
 「…で、もうちょっと力を抜く。それでいい。あとは慣れだな」
 「わかった。ちょっとやってみる」
フィオは、真剣な顔で魔法書のページを見つめながら、ぶつぶつと何か呟いている。顔を上げたレヴィは、ロードの視線に気づいた。
 「退屈そうだな。外でも回ってくればいいのに」
 「いや、…おれだけ出かけてもな」
ロードは、ちらとフィオの手元の本に視線をやる。
 「前から思ってたんだが、フィオもレヴィも、普段はあんまり唱えてる感じがしないよな? 魔法ってのは呪文を唱えるもんだと思ってたんだが…」
 「ああ、それは慣れだよ。初心者は一言一句、声に出してイメージを強化する必要があるが、慣れてくれば頭の中で言葉を組み立てるだけでいい。発声は必須条件じゃないんだ。頭で思い浮かべるほうが、実際に喋るより早いだろ」
 「まあ…。けど頭の中で浮かべるだけでいいもんなのか」
 「そう、使いたい術の実行イメージが正確に浮かぶならな。例えばロード、オレンジを食べる時はどうする。細かい動作まで全部列挙してみろよ」
 「え? そりゃ、手にとって、皮を剥いて房を取って…」
 「それを一つずつ全部唱えるのが、オレンジを食べ慣れていない初心者だ。慣れてるなら、オレンジを手に取った瞬間に、口に入れるところまでの動作が思い浮かぶんじゃないか?」
 「ふむ…確かに」
 「これ、初歩中の初歩なんだけどな」と、肘に手をやりながら笑う。
 「オレンジを食べるなら、思い浮かべる言葉は"オレンジ"、"手に取る"、"食べる"だけでいい。オレンジを相手に投げつけるなら、最後が"投げる"になるな。そういう、行動を具体的にイメージできる省略された単語の連なりを、ぼくらの世界では"思考言語"と呼んでる。新しい魔法を習得するときはまず最初に、間違いなく狙った効果を発動出来るよう、自分に合った省略の仕方を編み出して、思考言語に置き換えることが必要なんだ。最大限に効率化すれば、一切発声せずに意識の中のイメージだけで、瞬間的に発動することが出来る。ぼくの鴉への変身なんかは、その類だ。」
 「つまり、魔法書を丸暗記しただけじゃ魔法は使いこなせない…ってことか」
 「そういうこと。魔法書に書かれているのは"理論"だけだ。いわばオレンジという物体の構造や特徴だけ。食べるか投げるか、食べる場合はどうやって食べるか、自分で考えて組み立てる。食べるだけなら、皮を剥かなくても、刃物で輪切りにしてもいいしな」
ロードがちんぷんかんぷんな顔をしているのを見て、レヴィは笑いながら立ち上がった。
 「ま、お前だって無意識にやってるはずなんだ。そのナイフが使いこなせてるんだからさ。――というわけで、ちょっと休憩しに外いこうぜ。フィオはどうする?」
 「あたしは、いい。もうちょっと頑張ってみる」
 「そっか。あんま無理すんなよ、倒れない程度にな」
宿を出ると、レヴィはいつものようにポケットに手を突っ込みながら笑った。
 「思ったとおり筋はいい。それにマジメだ。数日あれば、だいぶ伸びると思う。」
 「そうなのか?」
 「間違いない。なのにフィオの師匠は、勿体無いことに、これまで何も教えてなかったみたいだ。さっきの思考言語の話だって、基礎の基礎なのに全く知らなかった。それでも無意識に魔法が使えてるんだから、すごいもんさ」
 「……。」
ロードは、かつてフィオから聞いた話を思い出した。「フィオの師匠ってのは…"森の賢者"だそうだ。」
 「らしいな。本当の娘なのか?」
 「いや。養女らしい」
 「ふぅん」
レヴィは、軽く眉間に皺を寄せ、片手をあごに当てた。
 「解せないな。普通は、弟子をとるなら後継者候補として育てるはずなんだが」
 「弟子なんてものじゃなくて、"森の賢者"は、ただ娘としてフィオを育てたかっただけなのかも」
 「才能が勿体ないけどなあ…」
ブツブツ言いながら歩いていた彼は、突然ぴたりと足を止めた。
 「…どうした?」
振り返ると同時に、甘い香りが鼻をつく。レヴィが食い入るように見つめているのは、可愛らしい赤と白のひさしの小さなパン屋だ。
 「おい、まさか…」
呆れているロードの目の前で、予想通り、レヴィは真っ直ぐカウンターに向かっていく。
 「プレーンマフィン十個持ち帰りで」
 「そんなに食うのかよ!」
思わず突っ込んでしまう。
 「ここのはプレーンがおいしい。素人は具の入っているのを買うが、オススメはプレーンだ。ラズベリージャムをつけると最高なんだぜ」
 「いや、そんなこと今真顔で説明されても困る。」
 「信用しないなら一つ食ってみろ。ドライフルーツ入りと比べると雲泥の差だぞ?」
 「何の話だよ!」
その声を聞きつけて、奥のショーケース前にいた若い男が、はっと顔を上げた。
 「あれ…きみは」
 「ん?」
見覚えのある顔だ、と思った。数秒眺めていたロードは、頬のあたりに見えているそばかすで、ようやく思い出した。
 「…ユルヴィ?」
 「ああ、やっぱりそうだ、ロードですよね!」
分からなかったのも無理はない。額には大きなガーゼが貼り付けられていて、目尻は腫れたままだ。
 「良かった、無事…とはいかないが、もう動けるようになったんだな」
 「ええ。そちらも元気そうで良かった。あの後、一度も会わなかったものですから」
 「ああ…急ぎの旅で…。今日は宿で留守番だが、あんたがこの町に来てるって聞いたらフィオも喜ぶと思う。今度は、こっちの町の警備に?」
 「いえ。私は戦列から外されてしまいました。」
そう言って、ユルヴィは頭をかく。「我々は二人一組で動くんですが、この間のあれで、組んでた上司が…しばらく復帰できなさそうなんです。それで、休みをもらったんで家に戻ってきたんですよ」
 「この町に住んでるのか」
 「ええ、っていうか下宿なんですけどね。私はここの支部で教育を受けていたので。」
話しながら、店を出る。
 「ところで、そちらが、逢いに行くと言ってた知り合いの方ですか」
ロードは、一瞬ぽかんとして――すぐに思い出す。そういえば、初めて会った時に"知り合いに来た"と言ったような気もする。
 「ああ、えっと。そうそう。こいつはレヴィ。その、この辺には詳しいんだ」
 「それでここのマフィンを? プレーンを選ぶあたりがツウですよね」
 「だろ? やっぱそうだよな。ミントもいいが、イマイチお茶とは合わない」
 「わかります、わかります」
 「ほら見ろ」
賛同者を得たことで、なぜか得意げな顔をロードのほうに向ける。ロードは、ひとつ溜息をついて額に手を当てた。
 「……わかったよ。そういうことにしとく。」
 「んで? "王室付き"は相変わらず街道沿いの各町に張り込んでんのか」
早速紙袋からマフィンをひとつ取り出しながら、レヴィは無造作に尋ねる。ユルヴィのほうも、黒ローブを着ていないせいか、相手はただの子供と思っているからなのか、気楽に答える。
 「ええ、ただ、上の人の話では、アステリアとの国境沿いを強化するつもりだとか」
 「何でまた。街道の封鎖は解けたんだろ。」
ユルヴィは苦笑して答える。
 「フューレンの件が大きかったんじゃないですか。それに、妙な噂があるんですよ。アステリアの"王立"の連中が国境に近い農場で<影憑き>を生み出す実験をしてた、とかなんとか」
 「な…」
カウンターの向こうのマフィンを眺めていたロードは、思わず声を上げた。
 「どっから出た、その噂」
 「さあ、詳しいことは知りません。私も信じられませんよ、ただアステリアとの国境にやたらと<影憑き>が出たのも、アステリアに近い場所にだけ見たことも無いような協力な<影憑き>が出たのも事実です。」ユルヴィは真剣な顔だ。「人為的なものを感じる、という意見には賛同しますね」
 「……。」
説明しようにも、説明して信用してもらえるかどうか分からない。ロードは途方に暮れた。その横では、レヴィがいつの間にか二つ目に手を出して、たっぷりジャムを塗ってかぶりついている。
 「ああ、そうだ。そういえば、あの時、ロードたちもフューレンにいたんでしたよね。城壁の上で何か物凄い光が放たれたのを、見ていませんか」
どきりとする。
 「え? いや…」
 「ですか…ですよね。私も気絶してて、よく覚えていないんです。ただ、町全体を包み込むほどの魔法を誰かが使ったことは間違いないんです。我々の仲間では、とてもそこまでの光量は扱えない。どんな魔石を使ったのか…そして誰だったのか…。」
 「ものすっごい魔法使いか、ものすっごくレアな魔石を持ってる奴でもいたんじゃないかなー」
ロードは、思わずレヴィのほうを睨んだ。その光の発生源は、知らん振りをして指についたジャムを舐めている。
 「そいつを突き止めて、どうするつもりだ?」
 「この国の腕の立つ魔法使いは、ほとんど知られています。我々の知らない魔法使いがいるのなら、そりゃ、知りたいじゃないですか。」
力を込めて言ったあと、はっとして、ユルヴィは慌てて肩の力を抜いた。
 「っと。ロードにこんな話をしてもしょうがないですね。すいません。…では、私はこれで」
誤魔化すように照れ笑いをして、足早に立ち去っていく。その後姿を見送るレヴィの表情は、いつの間にか醒めたような、外見年齢には不相応ないつもの顔に戻っていた。
 「"三賢者"のこと、本当にこの国でも知られてないんだな」
 「ああ。ただのお伽噺のままのほうがいい。ぼくらは、国の興亡にも人間の歴史にも関わらない。関わってはいけない」
 「故意に知られないようにしてるのか」
 「それもある。それ以外には――単に忘れ去られてしまったというのもある」
彼は、宿のほうに向かってゆっくりと歩き出す。
 「"賢者"の役目は、世界を修復・維持し続けること。各賢者が受け継ぐ特殊な能力も、"創世の呪文"から供給される魔力も、そのためのものだ。ただ、それは通常の人間が扱い得る上限を遥かに超えている。特定の国や組織が知れば、誰かが悪用したい誘惑にかられるのは容易に想像がつく。」
 「てことは、いつも<影憑き>が出たときはバレないように力を貸してるのか? 今回みたいに」
 「いや…今回は」
隣を歩くレヴィの表情が、微かに歪んだ。「…身内の不始末だからな」
 「え?」
雑踏にかき消されて、小さな声はよく聞こえなかった。聞き返そうとしたときには、レヴィは歩調を速め、宿の前までたどり着いていた。



 部屋に戻ってみると、フィオが頭を押さえてベッドの上に伸びていた。枕元には魔法書が散乱している。
 「無理するなって言ったのに」
呆れたように言って、レヴィはマフィンの袋を差し出した。
 「ほれ。甘いもんでも食って休め」
 「うー…ありがと…」
ロードは、開かれたままの本を取り上げてみる。文字は読める。が、何を書いているのはさっぱり理解出来ない。この意味不明な文章のつながりから、どうやったら魔法の具体的なイメージに繋がるのだろう。
 「あ、おいしいこれ」
 「だろ? なのにロードときたら…」
 「あーもう。またその話か!」
むすっとして、彼は部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
 「さっき、それ買うとき店でユルヴィに会ったぞ。」
ぱっと少女の表情が明るくなる。
 「ほんと?! 元気だった?」
 「ああ。この町に住んでるらしい。狭い町だし、また逢えるかもな」
言いながら、本をサイドテーブルに置く。「で、これ、何の魔法を練習してたんだ」
 「治癒の魔法よ。レヴィに勧められたから。役に立つかなーって思って」
マフィンを頬張りながら、フィオは首を傾げる。「見れば分かるでしょ」
 「…おれにはさっぱり分からん」
 「あと、そっちが炎系の魔法」
 「一気にぜんぶやろうとしても巧くいかないぞ。似たイメージの魔法を連続して習得していったほうが効率がいいんだ」
レヴィのほうは、いつの間にか取り出したプレッツェルをベッドの端に並べている。さっきマフィンを二つも食べたあとなのに、まだ足りないのか。ロードは呆れて、突っ込む気力もなくしてしまった。
 「あたし本当は、空飛ぶ呪文覚えたいんだけどなー」
 「そいつは後回しだな。空間座標の認識にはコツがいる。まず、自分の力を安定させる方法を身につけないと、浮かんだとたん吹っ飛んでいくことになるぜ。ま、基礎からコツコツと、ってやつだ。」
 「コツコツやったら、空飛べるようになる?」
 「勿論。やって出来ない魔法はないさ」
 「じゃあ頑張る!」
それを見て笑っているレヴィは、見た目とは裏腹に、まるで兄弟子のようだ。ロードは、改めて目の前の少年を眺めやった。どう見てもレヴィは、十四、五歳にしか見えない。普段は自然と同年代のようなつもりで話してしまうのだが、本来は、ずっと年下のはずだ。
 そう思ったとき、レヴィの語った言葉が蘇ってきた。

 『――十二年ほど前の話をしよう。"風の塔"には一人の老人と、その手足となる三羽の大鴉がいた。』

 (…まさかな)
見た目どおりの年齢なら、覚えているはずのない話だ。十二年前、その出来事が起きたとき、――彼は一体、幾つだったのだろう?



 町は既に寝静まり、建物はすべて闇に沈んでいる。どこかの客室から聞こえてくる微かなイビキ、外では野犬が吼えている。
 浅い眠りの中にいたロードは、隣のベッドが軋むかすかな音で眼を覚ました。上着を取り上げ、足音を忍ばせてドアのほうへ近づいていく微かな気配。ドアが閉ざされた後、ロードは起き上がって隣を見た。レヴィがいない。こんな夜中に、何処へ行くのだろう。
 街灯は灯されていなかったが、足元は明るかった。よく晴れた空には満月に近い月が出ている。夏が近づきつつあるというのに息が白いのは、それだけ北に来たということなのか。ロードは上着をかきあわせながら、先を行くレヴィの後を追った。
 レヴィは向かっていたのは、岩の上に突き出すように作られたかつての見張り台跡だった。町の端にある少し小高い場所に作られていて、町と、町の外に広がる平原を一望できる、今は展望台として、格好の観光スポットになっている場所だ。昼間はひっきりなしに人が訪れていたこの場所も、さすがに真夜中は誰もいない。
 見張り台の上に辿りついた彼は、白い息を吐いて草原を一望すると、上着のポケットから何かを取り出した。月明かりに金文字の刻まれた四角い輪郭が浮かび上がる。角の擦り切れた小さな本だ。
 「こんな夜中に隠れて自主勉強か?」
はっとなったレヴィが振り返り、次の瞬間、ばつの悪そうな表情になる。ロードは、思わずにやりとした。
 「…つけて来たのか。ちぇっ、背後を取られるのは何度経験しても慣れないよ」
 「それ、魔法書だろ? フィオに渡してたやつに似てる」
 「ああ。あっちは初心者向けで、こっちはちょいと上級だけどな」
 「コソコソやらなくてもいいのにさ」
 「こういうのは、集中力が大事だからな。あと、気分。見てたいならいいけど、邪魔すんなよ」
そう言って、レヴィは最初に見ていた草原のほうに向き直って本を広げた。ロードのほうは、少し離れた場所に腰を下ろした。
 綺麗な月夜だ。
 岩山から見下ろす平原には何もなく、月明かりを受けて銀色に輝く一面の草原が波のように穏やかに揺れている。岩山は、まるで海に浮かぶ一つの船のようだ。見ている前で、レヴィは空中に向かって何か唱え、指先で空間をなぞる。それからぶつぶつ言い、本を覗き込んでは、また、同じ動作を繰り返す。何をやっているのかは全く分からない。ただ、ロードにも、それがとても大事なことなのだと分かる。レヴィは真剣そのもので、いつしか額には汗の粒が光るようになっていた。何か呟くたびに、胸のあたりの青白い輝きが明滅した。――心臓の鼓動のように。魔石とは違う、それは、彼の体の中にあり、分かちがたく結びついている"何か"だ。
 どのくらい時間が過ぎただろう。
 「もう、そのくらいにしといたほうがいいんじゃないか?」
流石に疲れた様子のレヴィが塔の壁にもたれかかるのと同時に、ロードはゆっくりと腰を上げた。月の光は角度を変え、風が出てきた。
 「レヴィ、お前が何のためにこの町に来たのかは分かってるつもりだ。けど、お前は何も話してくれていない。どうして、そこまでする? この先の道は、そんなに厳しそうなのか? フューレンで奴らの言っていた"魔女"っていうのは、もしかして…」
 「……。」
沈黙は、肯定だ。レヴィは汗を拭い、空を見上げる。
 「…今のぼくでは、勝つことは出来ない」
ぼそりと、呟いたその口調は、初めて聞く声だった。
 「空間を操る魔法、それがぼくの特性だ。今のところ攻撃に使う手段はない。おまけに相手はこの世界で最強の魔法使いの一人だからな。見つかってからは、どうすれば生きて帰れるのか、そればっかり考えてたよ」
 「追ってくる…のか」
 「多分な。"間に合う"といいんだが」
ちらりと手元に目をやった。それが、今やっている何かの魔法の習得の話だと、ロードにも分かった。
 「フィオには言うなよ」
 「分かってる。っていうか、もっと早く言えよ、そういうこと。何でも自分で抱え込むな」
 「そっちこそ。何でも首つっこんで死にかける癖どうにかしたほうがいいぜ」
ロードは、むっとして言い返す。
 「……好きで死にかけてるわけじゃ」
 「ふふ」
ふいに、レヴィは声を立てて笑った。何の前触れもなく見せたそれは、いつもの小ばかにしたような表情とは違う素直な笑顔だった。
 一瞬言葉に詰まったロードの脇を、ふわりと黒い上着が翻り、通り過ぎていく。
 「レヴィ!」
振り返って、ロードは尋ねた。
 「お前もしかして、…おれと年、同じくらいだったりするのか?」
ポケットに手を突っ込んだまま、レヴィが顔を上げる。
 「はぁ? んなわけないだろ、ぼくのほうが年上だぞ。ったく」
 「……。」
風が駆け抜けて、足元の影が石畳の上に長く伸びている。
 歩き出そうとした彼はふと、目尻にちりちりとするものを感じて目尻に指をやった。
 この感覚は、前にも、あった。
 振り返ると、草原がざわめき、風の中で大きく波打っていた。
 (――近くまで来ているのか)
嵐の予感がした。



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