14


 古都、フューレン。それが、街道沿いの城壁に取り囲まれた町につけられた名前だった。
 古びた石積みの周りには、今もう枯れた堀の跡が残されている。百年以上も前、この辺りが内戦で荒れていた時期に使われていた城砦都市だという。城壁に囲まれた町の中は入り組んだ道に、狭い土地を生かそうとしてか、やけにヒョロ高い建物ばかりが並んでいる。
 「わあ、見て。あれ、王室なんとかの人たちだよね」
馬車を降りて直ぐ、フィオが目ざとく人ごみの中に目立つローブを見つける。
 「本当だ。この町にもいるんだな」
黒いフードの二人組みは、ローブの裾を翻しながら足早に人ごみの中を過ぎていく。
 「最近じゃあ、街道沿いの町にはどこもいるよ」
馬車の脇に立って、乗客たちが降りるのを手伝っていた御者が言った。「<影憑き>が町の近くまで出てくることがあるんだ。要請があるとすぐに出て行くんだよ」
 「あの人たち、そんなに強いんですか」
 「そりゃそうだろう。何しろ<王室付き>ってだけで、魔法使いのエリートみたいな意味だからさ」
ロードは、ふとレヴィのことを思い出していた。変身などという高度な魔法を使いこなすからには、趣味や独学の魔法使いではないはずだ。否定はしていたが、彼もその<王室付き>か、関係者ではないのだろうか。だとすると、この町にも立ち寄っているかもしれない。
 「フィオ、ちょっとあの人たちがどこへ行くか確かめてみないか」
 「え? いいけど、何で?」
 「興味だよ。こっちの国の魔法使いが、どんな風なのかと思ってさ。」
黒いローブは、人ごみの中でもよく目だっていた。周囲の人が避けるせいもあって、離れていても見失うことはない。この国では、魔法使いというのはずいぶん恐れられているか、尊敬されている存在のようだ。やがて、二人組みは角を曲がって、城壁に面した塔のような建物に入っていった。入り口には警備の兵士が立っている。見上げると、そこはかつて見張り塔として使われていた場所のようだった。塔の上のほうには、青い空を背景にノルデン王国の旗がひらめいている。
 「入れてもらえそうにはないね」
 「だな。でも、この辺りは意外と見晴らしがよさそうじゃないか」
おまけに、大通りからは離れているお陰で静かだ。塔の近くなら安宿もありそうだった。
 辺りを見回し、どちらに向かおうかと思案していると、ふいに、頭上から雷のような声が降ってきた。
 「こんなところで何をしている」
 「え?」
いつのまにやって来たのだろう。すぐ後ろに、魔法使いというより戦士と呼んだほうがよさそうな大男が立っていた。黒いローブの下から、いかつい顔が覗いている。男は、ぽかんとしているロードとフィオを見比べて、ふん、と聞こえよがしに鼻を鳴らした。
 「その格好、アステリア人か。あんまりこの辺りをウロつくんじゃない」
言い捨てて、さっさと塔のほうへ向かっていく。その後ろに、もう一人、小柄な男がいた。すれ違い様、フードを上げて、目だけで軽く会釈をする。頬にそばかすの残る、知的な雰囲気の顔立ちをした若い男だ。
 長いローブの裾を引きずるようにして先に行った大男の後を追う、その若い男の姿も、やがて、塔の中へと飲み込まれていった。



 夕方、町を巡り終えて宿に戻ってきたロードたちは、一階の食堂でどこかで見たような顔とばったり出くわした。
 「あ」
 「あ、…昼間はどうも」
それは、大男の後を追いかけていたあの若い魔法使いだった。お決まりの黒いローブを脱いで普通の服装だけになった今は、ごく普通の町の住人のようにも見える。
 「えっと…いいんですか、こんなところにいて?」
 「今は非番時間なんです。それに、私はまだ実戦には出して貰えないので」
そう言って苦笑する青年の表情も、ごく普通の若者のそれだ。「きみたちも、この宿に?」
 「初めての町だし、目印の近くのほうが迷わないから」
本当は、それだけではないのだが――今は、そういうことにしておこう。
 「ああ。それで塔の近くに宿を。なるほどね」
納得した様子で、青年はトレイに載せた料理の皿を運んでゆく。ロードも、カウンターで食べ物を注文した。セルフサービスの食堂の中は閑散として、あまり繁盛している様子はない。
 ロードたちが近くのテーブルに腰を下ろすと、男は、自分から話しかけてきた。
 「私はユルヴィって言うんです。きみたちは、何処から?」
 「おれはロード、こっちはフィオ。アステリアの東の港町のほうから来たんだ」
 「へー、ずいぶん遠くから来たんですね。観光ですか?」
 「知り合いに逢いに、…かな。いいのか、<王室付き>なのに、アステリア人と話をしても」
ロードが言うと、男は愉快そうに笑った。
 「昼間、上司の言ったこと? あの人は特別だよ。アステリア人が嫌いなんだ。それに私は末席で、おまけみたいなものですからね」
まだ早い時間だというのに、既にビールで出来上がった酔っ払いの集団が食堂の隅でバカ騒ぎをしている。その大声のお陰で、こちらも気にせずに話をしていられる。会ったばかりだが、このユルヴィという若者とは気が合いそうだとロードは思った。
 「しかし驚いたよ。ノルデンにこんなに魔法使いがいるなんて。しかもアステリアの王立なんとかと真逆の雰囲気だし」
 「もともとノルデンは<影憑き>がよく出る土地柄ですから、魔法使いの需要は高いんです。北にあるぶん、日照時間が短くて、暗い谷間なんかも多いですしね。でも今は特別です。」
 「やっぱり<影憑き>が増えてるのか」
 「そうらしいです。特に街道沿いや、特定の山域に多いとか。駆除隊も出ているんですが、間に合わない。」
ジョッキを傾けながら、ロードは、これから向かおうとしているオーデンセの山と、レヴィの言った「今のお前たちに越えられるとは思えない」という言葉のことを考えていた。
 「<影付き>がどうして増えたのかは、ずっと気になってたんだ。そもそも、<影>が何処から来るのかさえ誰も知らない」
ユルヴィの視線が、不思議そうにロードを見る。
 「ロードは、そういう話がお好きなんですか?」
はっとして、彼はジョッキを下ろした。ここでユルヴィに疑われるわけにはいかない。
 「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。ただ、旅をして、何度も<影憑き>に出くわしてると、そんなことも、つい考えてしまうだけだ。」
 「なるほど。それはごもっともです。」
料理を口に運びながら、ユルヴィはちらと食堂の入り口のほうに目をやった。新たにどやどやと入ってきた数人のグループは、町に住む年寄り衆のようだった。カウンターの向こうの宿の主人に気さくに声をかけ、隅のほうの席へ向かっていく。もしかしたらこのユルヴィも、上司の目を盗んでこっそり飲みに来ているのかもしれないな、とロードは思った。
 「ご存知でしょうが、かつて世界は、ただの<闇>だった…と、昔話には言われています」
 「ああ」
 「"創世の呪文"がその闇を封じ込めて、今ある世界を作った、――その伝承が正しければ、<影>は闇が生み出すもの、つまり、世界の下に覆い隠されたはずの闇がどこかの綻びから漏れ出しているものではないのかと、中央の偉い魔法使いたちは考えてます。もっとも、今のところはただの理論に過ぎないのですが。」
 「そういう話を聞くと、何だか、この世界が突然崩壊してしまうんじゃないかって、不安に駆られるな」
 「終末論ですね? 実際、この<影憑き>の大量発生は世界が滅びつつあるせいではないかなんて、悲観的なことを言う人もいますよ。」
 「"三賢者"が助けてくれたりしないの? "創世の呪文"を持ってるんでしょ」
と、フィオ。
 「あはは、それは伝説ですよ。今は居ません」
 「今は?」
 「世界が作られたのは、少なくとも、今から六千年以上前なんです。普通に考えて、そんなに長いこと生きてるはずないですよ」
はっとして、ロードは喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
 ――代替わり。
 フィオのほうをちらりと見ると、少女も視線をこちらに向けていた。二人とも、何も言わなくても互いの言いたいことは分かっていた。今の"森の賢者"、フィオの"お母様"が賢者になって三百年しか経っていないのは、前の代の賢者から引き継いだからなのか。
 「まあ、本当のところは分からないんで、こうして、こまめに<影憑き>を倒していくしかないんですけど。」
ユルヴィは、気づいた様子もなく勢いよく料理を口に運び続けている。
 「…疑問なんだが、魔法使いっていうのは<影憑き>を見分けられるのか?」
 「いいえ? でも、光を当てれば分かりますよ。それに、<影憑き>は声が独特ですからね」
 「<影>が見えたりするような魔法は、ないのか」
 「聞いたことがないですね。」
自分の眼のことを聞いてみようかとも思ったが、止めておくことにした。アステリアでのときのように、何か仕事を手伝わされるかもしれなかったし、今は、余計な疑いを抱かれたくはなかった。
 「――ああでも、そういえば。賢者の伝説にこんなのがありましたね。千里の先も見通し、あらゆるものの真の姿を知る"真実の眸"。大昔の賢者が持っていた眼だそうです。こういう昔話、お好きですか?」
 「あたしは好き!」
 「じゃあ、機会があればまたお話しましょう。これからまた塔に戻らないといけませんので」
そう言って、彼は席を立った。いつのまにか、食器は空になっている。
 食器を戻しにカウンターへ向かうユルヴィの後姿を見ながら、ロードは、目尻に指をやっていた。
 千里の先も、あらゆるものの真の姿も見えたことはない。自分の眼に見えるのは、ただ――<影>と<光>だけだ。


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