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 のんびりとした牛の声の響く中に、ガラガラと車輪の音が通り過ぎていく。
 シャロットの手配した馬車が向かったのは、町の郊外に広がる牧草地だった。幾つかの大農場が隣接するそこは、都市部で毎日消費される、新鮮な牛乳や卵の供給源だ。
 「広いでしょう。牛や馬は、ここに放し飼いなんです。」
額の上の明るい色のリボンを揺らしながら、シャロットはにこにこと笑っている。
 「で、毎日、二十頭くらいが殺されてるんですよね〜〜、毎回違うやり方で。」
 「…それって、それだけでも大事件じゃないんですか」
 「はいー。でも放牧をやめるわけにはいかないし、広いし、ほんのちょっと目を離した隙に死んでるらしいんですよねー。部外者がウロついてるのを見たって人もいないし、ほんと謎な事件なんです。」
 「何かの魔法じゃない?」
と、フィオ。
 「その可能性もあるので、ウチの研究員も協力してるんですー。」
 「で、その殺された動物が、<影憑き>に?」
 「ええ」
シャロットは、馬車の外に視線をやる。ちょうど、数人の農夫が荷車に何かを載せようとしているところだった。布をかけたそれははっきりとは見えなかったが、周囲の芝生が赤く染まっていることで、察しはつく。
 「今日も、また一頭やられたみたいですねえ〜。」
 「どうするんですか、あれ」
 「<影憑き>にしないためには、即日解体か、焼却処分が望ましいんですがー」と、溜息をつく。「手が回りませんし、今のところ見つけたものは穴に放り込んで土をかけてるだけですね〜。あ、足とかは切りますよ。万一<影憑き>になっても動けないようにー。」
 「…ヤな作業ね。それ」
フィオが横を向いて呟く。
 「つまり、夕方までに発見されなかった死体が、<影憑き>に?」
 「そういうことです〜。」
馬車が小さな門をくぐり、小屋の前で止まった。そこは、酪農家の離れのようだった。近くには厩舎があり、牛たちの鳴き声が聞こえてくる。
 「ここですねー」
小屋の入り口にいた、白ローブの数人の男たちが振り返り、黙って軽く会釈する。ロードは、少し驚いた。この女性のほうが、いかにも魔法使いといった見た目の彼らより立場が上なのか。シャロットは、笑顔のまま男たちに話しかける。
 「今日のサンプルは、届きましたか〜?」
 「ええ、牛が一頭と、馬二頭です。裏庭に設置しました」
 「はーい、どうもありがとう〜。ロード君、フィオちゃん、こっちだってー」
そう言って、スキップでもするかのような足取りで先へ進んでいく。ロードたちは、白ローブたちの不思議そうな視線を受けながら、急いで後を追った。小屋の前を通るとき、農場には不似合いな、薬品のような香りが鼻をついた。
 裏庭と言っていたのは、厩舎の裏手にある、柵で囲まれた場所だった。芝生の上に、麻布をかけられた死骸が三つ並んでいる。血の滲み具合からして、布の下は凄惨な状況になっていそうだ。
 「これを見張るんですか」
 「はい〜。心配しなくても、小屋の二階から見えますよ。寒空の下で待たなくていいです!」
 「<影憑き>にならなかったら、…どうするの?」
フィオは周囲を見回す。「ここ、近くに家とかあるよ」
 「それが、不思議と気にせずなっちゃうんです」
シャロットは、笑顔を崩さない。
 「だいじょうぶですよ〜、いざなっちゃったら、すぐ始末はつけます。そのために、さっきの研究員たちがいるんでー」
戦えるということだ、とロードは思った。それも実績があるからこその自信。確かにここなら、光を遮るような障害物はない。ポルテの港のように、水に阻まれて苦戦することもないはずだ。
 だが、予想外の出来事は、どこでも起こりうる。



 そんなわけで、その日、小屋に張り込んで日暮れを待つことになった。特にすることもなく、ロードは、これからのことをぼんやりと考えていた。
 ちらりと見ると、シャロットはのんびりココアなど飲みながら、手元の書類を眺めている。その額に揺れているリボン。よく見ると、襟足のあたりは三つあみにされて、別の色のリボンが結ばれている。我慢出来なくなって、ロードは口を開いた。
 「その、…一つ聞いてもいいですか」
 「ん? 何でしょう」
 「その頭の、なんていうか」
シャロットの顔が明るくなった。
 「気づいてくれた?! あはっ、これ、可愛いでしょ!」
 「…ええ、まあ」
 「この職場、服装とか厳しくてねえ、毎日おんなじ真っ白の着てろって言われんで、もう飽きちゃってー。それで、規則にない頭だけでも色つけてオシャレしたかったんですよぉ」
きゃっきゃっと少女のようにはしゃいだ声を上げて、身を乗り出す。
 「フィオちゃんにもつけてあげよっかー予備のあるんだよぉ」
 「え、…あ、あたしは、いい」
珍しく、フィオが気圧されている。
 「そーおー? 可愛いと思うんだけどなーうふふ」
聞いてはいけないことだったようだ。慌てて、ロードは話題を変えた。
 「あ、あと、もう一つ、マジメな話で聞きたいことが…」
 「はーい、何でしょう」
 「<影>って、何処から来るんですか?」
シャロットは、目をしばたかせる。
 「どういうこと?」
 「いや、<影憑き>になるのは、<影>が取り憑いたからですよね。その<影>って、そもそも何処から来るんだろうって。」
 「んーんー、それ難しい問題なんですよ。実はまだ良く分かっていなくってー。あ、でもこれナイショね」
いたずらっぽく笑った笑みが吸い込まれるように消えて、シャロットは、ふいに真顔になっていた。
 「世界の始まりには<影>しか無かった、っていう考え方があってね。<影>とは"虚無"、つまり世界や命を"有"とするならばその反対になる存在じゃないかっていうのが、今の説なんですよ。ただ、今あるこの世界がどうやって始まったかなんて知ってる人いないですし、世界の始まりに虚無しかなかったとして、その一部だけ残っているのか、一度は"有"に変換されて元に戻ってしまったのか、なんとも言えないんですよね〜」
 「……世界の始まりの神話なら、聞いたことがありますが」
 「"創世の呪文"とか"三賢者"? あれはお伽噺ですよー?」茶化すように行ってから、「…ってことになってます。」と、付け足す。
 「"なってます"?」
 「そういう"伝統"とか"伝承"の類は、ノルデン王国に任せとけー、っていうのがウチの方針なんですよ。ホラ、うち新興国家じゃないですか〜。革新と革命。あはっ、ウチもともとノルデンの王室づき魔法院に対抗して作られたような組織ですし、ノルデンの得意なものにいちいち反抗したがるんですよ〜」
よく分からなくてフィオは首をかしげているが、ロードには、少しだけ事情が分かってきた。
 北にあるノルデン王国は、建国千年を迎えようという、小さいながらも大陸最古参の王国だ。対するアステリアは、ほんの十年ほど前にようやく政権が安定したばかりの新米国家に過ぎない。国や国境を越えて旅をしていれば、興味はなくても、それぞれの国の事情や隣接する国との関係が、少しは分かるようになる。それでスェンは、賢者について尋ねたときにあんな反応をしたのだな、と今更のように思った。
 だが、…北のノルデン王国が、"三賢者"のような伝説を真実として捉えているかもしれない、というのは重要な情報だ。
 「でももし、本当に賢者がいて、呪文もまだあったら?」
と、フィオ。
 「もし、…その人たちに何かあって、そのせいで、<影憑き>が出てくるようになったんだとしたら?」
 「その時はー、そうですねぇ。んー、…どうしましょうかねえー。」
お伽噺だと思っているからか、シャロットは、あまり真剣に捉えてはいないようだ。だが、ロードは、ずっとその可能性を考え続けていた。
 "賢者"と呼ばれる存在は、確かにいる。
 だが、そのうちの二人は突然姿を消した。"海の賢者"の棲家に現れた二人の男女は人間ではなく、影が人の形をとったような姿をしていて、…<影憑き>とともに現れた。偶然とは思えない。
 考えているうちにいつしか日は傾いていた。小屋に明かりが灯された。外で馬車の音がして、さらに何人かが、小屋に入ってきたような気配がある。
 「死体を捜しに行ってた仲間が帰って来たみたいですねー」
と、窓の外を見つめたままシャロットが言う。口調は昼間と変わっていないのに、眼差しは鋭く、隙が無い。
 「ほかのは処分したはずですから、何か起きるとすればここのはずです〜」
 「今夜に限って、ってことは?」
 「確率は低いですねー。今までのところ、家畜が殺された夜はほぼ必ず、<影憑き>が出ているので〜。」
それなら、手を抜くわけにはいかない。ロードは口をつぐみ、シャロットと一緒になって窓の外を監視することにした。


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