9


 次の日、朝からフィオは機嫌が悪かった。鴉が居なくなってしまったからだ。
 港での騒動のあと宿に戻ってみると、部屋がもぬけの殻になっていたのだ。昨夜、窓を開け放したまま宿を飛び出して行ったせいだ。朝になっても鴉は戻って来ず、友達のように思い始めていたフィオには、よほどショックだったようだ。
 「なんなのよ、一言お礼くらい言っていけばいいのに!」
 「鴉は、お礼なんて言えないだろ」ロードは苦笑する。「元気になって良かったじゃないか。もともと渡り鳥だし、今頃は故郷に向けて旅を再開してるんじゃないか」
 「でもー…」
頬を膨らませるフィオをなだめながら宿を出ようとしたとき、ロードの目の前に白い人影が立ちふさがった。
 「あ」
彼は思わず声を上げた。立っていたのは、昨夜のあの、特徴的な耳飾の若い魔法使いだったからだ。
 「港でここだと聞いてね。間に合ったようだ」
 「えっと…何の用ですか? おれたち、もう村に戻るとこなんですが」
男は小さく肩をすくめた。
 「時間は取らせないよ。聞けば君が"なんでも屋"だそうなので、ひとつ頼まれてくれないかと思って」
ローブの下から差し出されたのは、一通の分厚い手紙の封筒だった。封は厳重に蜜蝋で施されている。
 「これをジャスティンの町の本部に届けてくれないか。<王立>のスウェンからの依頼だと言えば、通じるはずだ。報酬の半分は、前金で支払おう。」
 「でも、こんな重要そうな書類…」
 「中身はただの報告書だ。一刻も早く届けたいが、今は定期船が止まってしまっているからな」
男はちらりと港のほうに視線を向けた。「大丈夫、紛失しても問題ない。複製は、追って陸路でも送る予定だ。ただ、近頃は<影憑き>が街道にも出るようになって、郵便物の遅延はしょっちゅうだからね」
 「そうなんですか。…分かりました」
断る理由はない。あまり気が進まなかったが、ロードはそれを、前金だというやけに重たい包みと一緒に受け取った。
 「それと君…ロード君、だったかな? 何でも、<影憑き>を見分けられるという噂なのだが、それは本当なのか」
 「ええ。何でだかは知りませんけどね」
 「……。」
男の視線が妙に絡み付いてくる。疑っているのか、あるいは何か値踏みでもしているのか。居心地が悪くなってきた頃、フィオが、肘でつっついた。
 「ロード、早く行こうよ。」
 「あ、ああ…」
男の側を通り過ぎようとしたとき、ロードは、男の手元にある大きな石の嵌めこまれた指輪に気がついた。石が強い輝きを放って見える。魔石のもつ力は、ロードの眼には輝きの強弱として映る。こんな強い力の石を扱えるからには、この男はかなりの魔法の使い手なのだ。
 「そういえば、王立魔道…なんとかっていうところは、伝承なんかにも詳しいんですか? たとえば、"三賢者"の話とか」
 「賢者?」
男の表情は、ほとんど動かなかった。「…それは伝説だ。いつの時代の話かも分からない、実在したのかどうかも」
 「ですよね」
誤魔化すように笑って、ロードはフィオの後を追った。



 港町から運よく相乗り馬車に乗ることができたお陰で、ジャスティンまでの旅は、順調に進んだ。
 その馬車便は定期船が出なくなったせいで路頭に迷った旅人たちを、とりあえず陸路で目的地近くまで送るために仕立てられたものだったが、乗り合わせた旅人たちの話では、順調だったのはたまたまのようだ。<影憑き>の被害に逢っている港は、ポルテだけではないらしい。この辺り一体の海沿いの村や町すべて、安全に船を海に出せなくなってしまったという。
 途中に通過した町では、旅人たちのもたらす情報が次々と入ってきていた。
 西の森の異変と、西へ向かう大街道の閉鎖。
 北のノルデン王国で大規模な<影憑き>討伐隊が組まれたこと。
 頃を同じくして、アステリア王国も魔法使いから成る調査隊を、特に<影憑き>が多く目撃されている差し向けたこと。
 インクの染みが白い紙の上に広がるように、ゆっくりと、<影>の影響が広がってゆく。恐怖と、閉塞感と。それとともに人々は、何かが起きようとしていることに気づき始めている。けれど、もしかしたら誰一人、その本当の理由をまだ知らないのだ。
 ジャスティンの中心部にある停車場で、ロードたちは馬車を降りた。そこは交通の基点となる場所で、あちこちから集まった旅人たちでごった返している。今までに通過してきた町の何倍もある通りが町の中心を十字に横切っている。まずはスウェンから渡された封筒を届けに行かなくてはならないが、彼の言っていた”本部”は、この町の中心部に近い場所にあるはずだ。
 「ちょっと待ってー」
後ろから、人ごみに四苦八苦するフィオの声が聞こえてくる。振り返ると、人ごみの向こうに取り残されそうになっている少女が見えた。
 「ちゃんと前見てないと転ぶぞ。」
 「そうじゃないの! 人が多すぎて、真っ直ぐ歩けないのよ」
彼女は言い訳がましくそんなことを言いながら、もみくしゃにされた髪の毛を撫で付けている。
 「なんなの? この町。人は一杯だしうるさいし、地面は石だし、建物が大きすぎて空が見えないじゃない」
 「そりゃそうさ。ここはアステリアの第二都市、っていうか実質の首都みたいなもんだからな。ここらじゃ一番の大都会だ」
 「…都会」
 「ま、西のほうにはこんなデカい町ないだろうな」
笑って歩き出そうとしたロードは、はっとして足を止めた。今、何かが視界を過ぎった。
 振り返ると、人ごみ中に消えてゆこうとしている女の後姿が見えた。金髪に、赤い唇。身体にぴったりと張り付くような真っ黒い服を着ていた。喪服ような真っ黒な…
 「どうしたの?」
 「…いや」
気のせい、のはずだ。以前に会ったことがあるはずはない。それに、もしそうだとしたら、その女がこんなところにいるはずはない。



 目的地は、広場から一本通りを入ったところにすぐに見つかった。柱の上には金文字で「王立魔道研究院」という看板が掲げられ、太い柱の間を、真っ白な石で作られた階段が頭上の門に向かって続いている。フィオはそれを、ぽかんとして見上げている。
 「…なにこれ、おっきい。」
ロードは、思わず噴出した。
 「完全にお上りさんだな、その反応」
 「何よ、ロードはこういうの見たことあるの?!」
 「旅をしてれば、このくらいの建物はたまには見るよ」
 「むー…」
フィオは口を尖らせながら、ロードの後ろに続いた。それにしても、この建物はどこもかしこも真っ白だ。入り口だけではなく、建物の中の廊下も、壁も、天井も。磨き上げられた床のせいだけではなく、行き交う白ローブを纏った人々の身につけた魔石の輝きのせいで、ロードは眼がちかちかしてきた。魔石の持つ力は、輝きの強さとなって現れる。ここにいる人々の持っている魔石は、精製済みの強い力を持つものばかりということだ。
 「魔法使いばっかりだね」
 「そりゃ、そういう施設だから。…っと、すいません」
通りかかった白ローブの一人に話しかけて用件を伝える。
 「スウェンさんからの報告書? わかりました、こちらへ…」
通された先は、応接間のようだった。ふかふかのソファで待つことしばし。廊下に、ぱたぱたと足音が響いたかと思うと、勢いよくドアが開いた。
 「おまたせしましたぁー!」
それは、あまりに予想外の登場だった。白いローブをぶわりと広げながら現れたその人物は、くるりと一回転して向かいのソファに腰を下ろす。激しい動きで、額の真上で髪をひとつに縛るリボンが生き物のようにぴょんぴょん跳ねた。服こそここの魔法使いたちと揃いの白いローブだが、頭につけたカラフルな飾りのせいで、まるっきり場違いにも見える。その格好と言動のせいか、見た目だけでは年齢は分からない。
 「あ、私はシャロットです。はじめましてー。これが報告書ですよね? ちょっと待っててくださいね。すぐ中身確認しますから〜」
明るい笑顔を湛えたまま、シャロットと名乗った女性は目の前の机に置かれていた封筒を取り上げ、蜜蝋を確認してから、袖口から出したナイフでそれを剥がした。
 「…ふむふむ。東の港のほうの調査は難航してるんですね〜。あ、ここにあなたたちのことも書いてありますね。協力していただいてありがとうございます〜」
 「いえ、それは成り行きなので…」
 「ん」
紙を捲っていたシャロットの手が、ぴたりと止まった。顔を上げ、じっとロードを見つめる。
 「<影憑き>が見分けられるんですか?」
 「え… あ、いや…まあ。」
 「助かりますッ」
勢い良く立ち上がると、シャロットは机越しに目の前のロードの腕を掴んだ。「待ってたんですよーそういうの! いやー助かるなあ〜ほんと!」
 「は? え?」
 「丁度困ってる案件があるんです。お願いします! 一晩でいいんで、その眼、貸してください! 賃金はお支払いしますから〜!」
面倒なことになってきたな、と思いながら、ロードは視線を宙に彷徨わせた。
 (これは…あのスウェンって奴に嵌められたのか…?)
だが、シャロットは切羽詰まったような潤んだ目でこちらを見ている。
 「ダメでしょうか…急ぎの旅ですか?」
 「いや、そんなに急ぎってわけじゃ…ただ、どういう案件か分からないんで…」
 「だぁいじょうぶです! 戦闘とかあるわけじゃないんでっ」片方の手の人差し指をぴっと立て、もう片手を腰に当てながら、彼女は胸を張った。「ここの近くの農場で、最近、夜な夜な<影憑き>が出る事件が発生しているんです。牛とか、馬とか。ただ、死んだばかりの家畜が<影憑き>になってしまうので、見た目では区別つきません」
 「…まさか、家畜のより分けをしろっていうんじゃ」
 「違いますよぉ。そんなの光当てれば分かりますもん。問題は、昼間のうちにいつの間にか殺された家畜が、その日の晩には<影憑き>になってる、ってことなんです。」
はっとして、フィオが口元に手を当てる。
 「…<影憑き>になる瞬間を見ていろってこと?」
 「正っ解!」
シャロットは満面の笑みを浮かべた。
 「家畜殺しの犯人がまだ捕まってないのも問題っちゃー問題なのですが、ウチの研究院としては、<影憑き>がどうやって生まれているのか突き止められればオッケーなのです!」
 「わかったよ、そういうことなら」
ロードは頷いた。自分も、それには興味がある。「どうすればいい?」
 「うはっ、ありがとうございます! それでは、早速ですが、事件の起きている農場まで案内しますねぇえ! 準備してきまーっす」
周囲に花でも咲きそうな動作で飛び跳ねるように部屋を出て行くシャロットを見送りながら、ロードは一瞬、間違った返事をしてしまったかと心配になった。
 「なんか… ここ、イメージしてたのと違うね」
 「ああ、でも、…たぶん、あの人だけだと思うぞ。おかしいの…」
どこか遠くで、時を告げる鐘の音が響いている。冷静に考えてみると、ここで<王立>に恩を売るのは悪いことではないかもしれない、とロードは思い始めていた。何と言っても、相手は王国付きの公的な研究機関なのだ。それに、探している”賢者”について、この町で何か情報が手に入るとすれば、ここが一番可能性が高い。
 あるいは、何も情報が手に入らない可能性も――高いのだが。


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