<本編3>

 8


 王都レイゲンスブルグは、尖った山脈の連なりを背景にして高い城壁に囲まれた古い都だ。ノルデンの中でも北の端のほうに位置し、この季節は背景となる山々は真っ白な雪に覆われている。おまけに狭い町の中に林立する尖塔も負けじと真っ白だから、まるで町全体が背景に溶け込んでいるかのようだ。
 吐く息は白く、高い城壁のせいもあって町の中は薄暗い。リスティに借りた厚手のコートを羽織っていてもなお肌寒く感じられて、ロードはコートの襟をかきあわせた。こんな身に染み入るような寒い場所によく暮らそうと思ったものだ。
 「早く建物の中に入りたいな。で、その図書館って?」
 「案内しますよ、こっちです。…っと、その前に」ユルヴィは、いま二人の出てきた居酒屋の裏口の向かい側にある、閂のかかったゴミ捨て場の扉を指した。
 「そっちが塔に戻るときの扉です。」
 「覚えておくよ」
塔から外の世界への出口は常に台所の奥にある扉だが、戻る時の扉は、町中の使われていない場所に設定されている。
 大通りに出ると、見覚えの在る風景が広がる。以前、ランドルフの残した書き物を回収するために訪れた時、博物館との間を行き来した道だ。今日は、その通りを反対側、町の中心部に向かっていくようだ。
 「あれが王城です」
歩きながら、ユルヴィは塔の合間に見えている岩の塊のような無骨な建物を指差した。町の中でも一段高い場所にあるおかげで、見上げるような格好になる。ユルヴィの実家の持つ優美さや貴族めいた雰囲気とは無縁な、古くから在る”要塞”といった雰囲気の建物だ。かなり大きな石を複雑に組み合わせた作りで、石と石の間には全く隙間がない。
 「あの城も、この町の城壁も、建国当時からあるそうですよ。もっとも、何度か大幅な補修はしてるらしいんですが」
 「城壁があるってことは、戦争が想定されてたんだろうな」
 「そのようですね。はっきりしたことは私もあまり知らないんですが、…これから調べようとしている時代に作られたもののはずです」
王城の脇の小路を通り過ぎ、岩をくりぬいた階段を昇っていくと、目指す王立図書館があった。思っていたよりずっとこぢんまりとして、以前行った博物館と違って、民家を改造したのかと思うほどだ。古びた石づくりの玄関を潜り、受付から三歩入ると、そこはもう、資料室の扉だ。
 「…なんか、ここ、人がいなくないか?」
しんと静まり返った狭い建物の中を見回して、ロードは声を潜めて呟いた。石造りの床に狭い窓。人の気配がないせいで、中に入っても寒々として感じられる。
 「一般公開されていない場所なんですよ。限られた研究者しか立ち入りを許可されていなくて、私も入るのは初めてです。…実は昔、卒業論文の資料の閲覧申請を出したんですけどね。通りませんでした。」ユルヴィは苦笑いしている。「成績優秀者なら閲覧許可は出たらしいんですが。当時の私の成績は中の下くらいで、あまり良くなかった」
 「そんなとこに、よそ者のおれが入っていいのか?」
 「良くはないな」
唐突に、上の方から声が響く。びくっ、となって二人は頭上を見上げた。本棚の後ろから狭い階段が吹き抜けに面した二階へと続いていて、入り口とは反対側の壁の上の方から玄関が見下ろせるようになっていたのだ。そこに、長い黒いローブを纏った白髪の魔法使いが立っていた。リドワンだ。
 「…あ、えーと、お邪魔してます」
 「ふん」
老人は、鼻を鳴らして珍しく最初からロードのほうに視線をやった。「いつからノルデンに来ていた。こんなところに何の用だ」
 「いつからって、昨日からですけど」
彼は正直に答え、振り返ってユルヴィに尋ねた。「ていうか、今日って何を調べに来たんだっけ? 魔女?」
 「アルテミシア。千年前の戦争のことを…」
 「それなら地下の奥だ」
無愛想に言って、リドワンは二階の奥へと消えていく。ユルヴィはほっとしたように胸を撫で下ろした。
 「びっくりした。まさか、ここにいるなんて」
 「”限られた研究者”なら入れるんだろ? なら、居ても不思議はないと思うけどな」ロードは周囲を見回す。「地下っていうのは…ああ、そこの階段かな。行ってみよう」
 「待ってくださいよ。ここは貴重な本ばかりなので気をつけて…」
慌ててユルヴィが追いかけていく。地下に消えていく姿を白髪の魔法使いが柱の影からそれとなく伺っていたことには、彼らはまだ気づいていなかった。



 地下室は、部屋の真ん中にちいさな机が一つあるだけの狭い部屋だった。机の側に立って手を伸ばせば壁際の棚に届くくらいの大きさで、四方のほとんどが天井から床まで棚で埋め尽くされている。ユルヴィが魔法で明かりを生み出してようやく部屋全体が見渡せる。
 「ランプもないのか。」
 「火気厳禁、ってことでしょうね。ここに来るような魔法使いが、魔法で明かりをつくるくらい出来ないわけがない、ってことでしょう」
ユルヴィは棚に近づいて、つけられているラベルを慎重に読んでいく。やがて、目的のものを見つけたのか、茶色く変色した紙の束を両手でそっと取り上げた。
 「写本じゃないので、風化しかかってます。気をつけないと…」
明かりを浮かべたまま、彼は表紙の文字を指でなぞる。声がかすかに震えた。
 「…これだ。アルテミシア伝承の最も信頼できる史料の、唯一存在する原本…。卒論の時に見せてもらえなかったもの」
 「原本ってことは、千年前に書かれた?」
 「正確には、アルテミシアの死後百年ほど経ってから…それでも、彼女の生きていた時代に最も近いんです」
朽ちかけた紙を捲るユルヴィの表情は真剣で、ロードも緊張してくる。食い入るように紙の上に目を走らせているユルヴィから視線を離し、部屋の中を見回したとき、彼は、棚の上に載っている小さな石板に気が付いた。
 (これは…)
石なら、紙と違って壊すことはない。そっと手にとり、太陽石の短剣の明かりで表面を照らしてみる。
 (ラティーノ語だ。ガト先生のところで見た)
表にも裏にも、細かい字でびっしりと何か書かれている。てっきりこの文字で書かれたものは今のアステリアのあたりにしかないと思っていたから意外だった。ノルデンにもこの文字使う人々が住んでいたことがあったのか。あるいは、この辺りまで逃げてきたのか。
 「うーん」
びくっとなって、彼はあわてて石板を握ったまま振り返った。
 「どうした?」
 「やっぱり良く分からないな。アルテミシアの最期に関しては、この資料でも曖昧です。死んだとも、その後どうしたとも出てこない。かといって、生死不明ってわけでもなく…最後の戦いのあと、ノルデンの家に戻ってきたと…」
 「最期? どうして最期なんだ」
 「卒論のテーマだったので、つい」
ユルヴィは恥ずかしそうに肩をすくめた。
 「お前の実家の近くにお墓があったじゃないか。"白い丘"だっけ? あそこに埋葬されたんだろ」
 「それは確かです。でも、いつ死んだのかは誰も知らない。大抵の伝記では『戦いの後遺症で若くして亡くなった』となってますが、後遺症という記録はどこにも無いし、何年後なのかも書かれていなくて…。」話しながら、ユルヴィの口調は熱っぽくなっていく。「…ああもう。何でだろうな、卒論の時にも引っ掛かったのに、ここでもまた引っ掛かるなんて。あの頃は、魔女アルテミシアの強さの秘密を…彼女が使った魔法がどんなものだったのかを研究のテーマにしてた。生命に関わるほど魔力を消費する魔法なんて、当時はそれほど無かったはずなんだけど…」
 「ん、ちょっと待て」
ロードは石板を机の端に置いた。「千年前って、今と魔法違ってたのか?」
 「え?」
頭を抱えていたユルヴィが顔を上げる。
 「…え?」
 「……。」
数秒の沈黙、
 「えーっと、もしかして”魔法”体系が千年前に作られたものだってこと、知らなかったりします?」
 「はあ?! 初耳だぞ」
ロードは心底驚いていた。「えっ、じゃそれより前は魔法使いは居なかったのか?! けど、”創世の呪文”とか…”賢者”とか」
 「三人しかいなかったんですよ、だから」
最初の衝撃が過ぎ去ったあと、ユルヴィは、大きく深呼吸してゆっくりと話し出した。
 「魔法使いと呼べる唯一の存在、魔法を使えるたった三人の特別な人間。だから、かつて”賢者”は世界中のどこでも知られ、場所によっては崇拝の対象ですらあった、と言われています」
 「……。」
 「魔法体系の大半は、千年前の暗黒時代に、闇の軍勢に対抗すべく”知恵の鴉”によって齎されたんですよ。それがノルデンに伝わる伝承です。すいません、気がつかなくて。そこから説明しないといけなかったんですね。」
 「いや…こっちこそ、勉強してなくてごめん…」
だとしたら、今ある魔法は、昔のものに比べて洗練されているし、昔に比べて今のほうが魔法使いは多いということになる。
 (賢者しか魔法使いのいない世界…)
崇拝の対象。エベリアにあった、”海の賢者”のための祭壇。そういうことか。
 「つまり…ノルデンの魔法研究が進んでるのも、魔法使いが多いのも、最初に魔法の知識を獲得した国だったから?」
 「そうです。ノルデンから分離したアステリアに最初から魔法使いの組織があるのも、ノルデンから技術と知識を持っていったからです。」
 「…西の方じゃ魔法使いをあんまり見かけない理由が、ようやく分かったよ。」
片手を額にやり、ロードは、前髪をくしゃりとやった。
 「今更で悪い。おれはノルデンの言い伝えも、ユルヴィが研究してたアルテミシアっていう魔女のことも良く知らないんだ。何が起きたのか、もう一度説明してくれないか?」
 「ええ――ただ、大筋は、以前話したとおりですよ。救国の魔女アルテミシアは、元は貧しい町娘だったのが、魔法の才能を発揮していち早く魔法を習得し、”闇の軍勢”と戦ってこの地を守った。その後、ノルデンの建国を待つことなく死亡した、とされています。墓には以前、案内しましたよね。…”闇の軍勢”との戦いでは世界の人口の三分の一、多くの動物や植物が死に絶えたとされます」
 「なるほど。で、魔法使いのいたノルデンはなんとかなったが、エベリアのあたりの人間はその戦いでほぼ全滅したってことか」
 「そうですね」
 「”風の塔”が作られたのも、だいたい千年前。時期的に、”闇の軍勢”から色んなものを守るために作ったようだ、と」
 「おそらくは…」
 「じゃあ肝心なところを聞くけど、その”闇の軍勢”ってのは、一体何なんだ?」
ユルヴィは、手元に視線を落とした。
 「…正体は、わかりません。有力な説として知られるのは、気候変動によって発生した大規模な難民集団です。今までは、私もそれを信用していました。でも…」
 「おれには、とてもそうは思えないな」
明るく輝く太陽石の短剣を持ったまま、ロードは腕を組んだ。
 「何が起きたにしろ、それは”賢者”の手に負えないようなシロモノってことだ。でなきゃ、あんな塔を作ったり魔法の使い方を広めたりするわけがない。単なる人間同士の争いじゃなく、世界の維持、存続に関わる何かだよ。しかもそれは、世界の巻き戻しでも対応出来ないような…」
 「巻き戻し?」
 「あ、いや…」彼は口ごもった。これは、あまり知られていい情報ではない。「…必ず成功するとは言えない緊急回避的な魔法だ。二人いれば、その方法が使えるらしいんだけど」
 「ということは、まさか一人しかいなかったってことですか?」
 「かもしれない。それで、二十一代目の風の賢者の記録が曖昧なのかも」
ロードは、向きを変えて机の端にもたれかかる。考えの大筋は当たっている気がする。問題は、塔を建てた二十代目の”風の賢者”が一体いつまで存命だったのか、ということ。
 「…あの、ロード。」
 「ん?」
 「以前ランドルフ様に伺ったことがあるんですが。”賢者”になる資格には、目に見えるものと見えないものがある、とか」
 「ああ、そうだよ」
それは、巻き戻し前の世界で十分に思い知った。シエラもイングヴィも、形としては条件を満たしていたはずなのに、呪文との契約後も、”賢者”としての力を引き出せていなかった。
 「形だけ契約した場合は、呪文の管理が出来ないから…賢者が不在なのと同じ状態になる。しかも体に負担がかかるらしくて、あんまり長生きできないな」
 「適合者が最も見つかりにくいのは、”海の賢者”だとも聞きました」
 「そうらしい。海は、そもそも目に見える条件のほうが攻略できないんだとか。…って、そうか。千年前って、エベリアのあたりが一番酷くやられてるんだっけ」
 「ええ。賢者の不在、というので思いついたことがあるんです。もしも最初に居なくなったのが、”海の賢者”だったとしたら?」
 「……。」
視線を天井のほうにやったロードは、ふと、そこに強い魔石の輝きがちらちらと揺れていることに気が付いた。二階にいるリドワンだろうか。距離的には離れているはずなのに、魔石の輝きはすぐ近くに見えている。
 (…遠くの話を聞く魔法くらい、あの人なら使えそうだな)
今さらのように、警戒を解きすぎていたと思ってしまう。ここはノルデンの王都。しかも、あの油断ならない高位魔法使いのすぐお膝元なのだ。
 「ユルヴィ、続きの話は戻ってからにしないか。あと、調べたいことは?」
 「え? あー…えっと、ちょっと待ってください。メモをとります」
ユルヴィは慌てて紙の束のほうに向き直る。ロードは、頭上の輝きをじっと見つめていた。リドワンは、さっきからずっと動いていない。テーブルの端に置いていたラティーノ語の石板を取り上げると、独り言のようにつぶやいた。
 「この石板、借りて行く。問題あるなら、ここを出る前に言ってくれ」
 「え?」
 「何でもないよ。」
目配せして見せながら、ロードは石板を上着の内側に押し込んだ。
 彼は腕組みしたまま、机の端に腰をかけてユルヴィの作業が終わるのをじっと待っていた。



 それから小一時間後、二人は地下室を出た。相変わらず図書館の中には人の気配はなく、しんと静まり返っている。
 「ふん」
小さな咳払い。二階に黒い影が動く。
 「あ…」
ユルヴィがあわてて居住まいを正す。だが、魔法使いがじろりと睨んだのは、ロードのほうだった。
 「――聞き忘れていたが、”鴉”は今、どうしている?」
 「西のほうで暴れてるもう一羽の鴉を追い回してるよ。面倒なことになってきたみたいでね」
 「なるほど。」
ロードの上着の膨らみには気づいているはずなのに、リドワンは、それ以上なにも言わず、二階の奥に姿を消した。
 (やっぱり、聞いてたな…。)
迂闊だった。とはいえ、今聞いた話を、果たしてリドワンはどこまで理解しているだろう。
 「帰るか。」
 「え、ええ」
ユルヴィは良く判っていない様子で、書き写したメモを大事そうに抱えて後に続く。
 建物を出てコートを羽織りなおすと、ロードは、ちらりと後ろを振り返った。
 「どうかしました?」
 「いや。」
リドワンが何をしていたのか――それが気になっていた。それと、ここには”限られた研究者しか入れない”ということ。その一人であるリドワンは、ここにある資料の内容など、ずっと昔から知り尽くしているに違いない。それこそ、以前ランドルフの残した文章を取り戻しに行った時と同じように。だとすれば、今、ユルヴィが抱いているような疑問も、ロードが借りた石板の中身も、とっくに知っていておかしくない。
 だが、リドワンでは真相に辿り着けない。伝承はあくまで伝承だ。今のこの世界に存在する”賢者”たちと呪文との関係、そして、つい最近起きた世界の危機の真相を知っているのは、ロードたちの他に存在しない。
 「ユルヴィ。おれの予想が正しければ、たぶん”闇の軍勢”の正体は、<影憑き>だ。」
 「え?!」
 「<影>とその急所を見抜くことが出来るのは、”海の賢者”の真実の眸のほかにない。もし千年前、大量の<影憑き>が出た時に”海の賢者”が不在だったのなら、たぶん、相当苦戦したと思う。」
以前、ハルが行方をくらませていたときと同じように。
 「ロード、それは…」
 「当たってる自信はあるよ。次はエベリアだな。…レヴィが戻ってきてるといいけど」
冷たい風に凍える指先をコートの端に突っ込みながら、ロードはゆっくりと石段を降りてゆく。そう、当たっている自信はあった。それ以外に世界を危機に陥れるような事態が思いつかない。あの謎の”鴉”が<影>なのだとしたら、『千年の時を経て』という意味とも一致する。
 ただ気になるのは、その大量の<影>が一体どうやって、どこから現われたのかということ。そして、どうして<影憑き>である事実が残されず、”賢者”の中にさえ記憶されていないのかということ。そして、記録の保存のために作られたはずの塔の記録でさえ混乱しているが何故なのか、ということ――。


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