<本編3>

 4


 湾の奥に聳える緑の山は、季節のせいか所々が赤や黄色の鮮やかな色に変わっている。アステリアでは見かけない色だ。それ以外は以前と何も変わっていない。狭い土地にごっちゃりと建てられた密集した家々も、狭い路地も、そこを行き交う人々も。船が港に着くと、船員たちがどこからともなく、縛り上げた海賊たちを連れ出してきた。
 「おらっ、キリキリ歩け!」
港の警備兵に突き出すつもりらしい。ロードたちが眺めていると、船長が近づいてきた。
 「あんたらには世話になったな。助かったよ」
 「いえ、大したことは……」ロードは、警備兵に突き出されようとしている海賊たちに視線をやった。「それより、帰りはどうするんですか。あいつらを突き出したところで、また別の海賊が襲ってくるかもしれないし」
 「なあに、帰りは行きほど高価なシロモノは積んで行かない。物騒な積荷ならあるが」
船長がな笑みを浮かべたとき、桟橋に渡された渡し板を渡ってくる派手な軍服の男の姿が見えた。その格好には見覚えがある。確か、以前ここへ来た時、離宮まで案内役だった出迎え役だ。船長が甲板の奥の方に向かって手で合図すると、船員たちが厳重に封をされた箱を抱えてやってきた。ロードは思わず眼を凝らした。箱の中に見えているのは、確かに魔石の輝きだ。積み荷の中に隠してあったのか。
 船員たちが箱を甲板に下ろすと、派手な軍服の男は近づいて、ふたを開けて中身を確認する。片方の眉をかすかに吊り上げ、低い声で言った。
 「確かに。ご苦労だった」
船長が頷くと、船員たちは箱を抱え上げ、渡し板のほうに歩いていく。男は腰の後ろに手をやりながら、くるりとこちらを向いた。
 「航路で海賊に襲われたと聞く。貴殿らが撃退して下さったのか」
 「え、えーと…まあ…そうなるのかな」
 「すまんな、まさか沖合いの航路まで張り込まれるとは思わなかった」
 「気をつけてもらいたい。と言いたいところだが、今回は、こちらの不手際でもある」
軍服の男はぼそぼそとした声で言い、じっとロードを見つめた。前回の訪問のことを思い出しているような間。「…今回の礼もある。殿下の元にお立ち寄りいただく時間はおありか」
 「……まあ、少しなら」
 「ならばご案内いたそう。着いてこられよ」
それだけ言って、いかにも軍隊といった姿勢を正した歩調で男は船を降りていった。ロードは頭をかいた。ソランを経由するつもりであったが、ヤズミンに会う予定はなかったのだ。
 だが、まあ、あえて避けたいとか、会いたくないとかいうわけいではない。
 それに、これから行くのはフィオのところだ。もしかしたらシエラには、何か伝言したいことがあるかもしれない。



 坂道の上にある離宮の入り口に辿り着いたところで、派手な軍服の男は足を止めた。
 「ここでしばしお待ちを」
そう告げて、几帳面な一礼とともに奥へ去って行く。船で持ち込まれた荷物も一緒だ。門番もいない玄関先で、ロードたちは、手持ち無沙汰のまま辺りを見回した。
 相変わらずここは、王族の住まいにしてはこぢんまりとして、一見無用心そうに見える。だがそれでいて、不思議とどこからともなく見られているような違和感もある。何か建物自体に魔法がかけてあるのかもしれない。何しろここの主はあの、抜け目ないヤズミンなのだ。
 「ロード…さん?」
軍服の男が奥に消えて間もなく、廊下の向こうから声が響いてきた。
 「やっぱり、ロードさん!」
見覚えのある女性がスカートをたくしあげて駆け寄ってきた。シエラだ。さっきの男が呼んで来たにしてはずいぶん早い。
 「二階から見えたので降りてきてみたんです。お越しになるなんて聞いてませんでしたが」
 「おれたちもここに寄るつもりはなかったんだけど、話の流れでね。」
 「わたしたち、そこの荷物と一緒の船に乗っていたんです」
シエラは、二人の側にある箱のほうを見た。
 「それは…、殿下がアステリアから取り寄せていた荷ですね」
 「多分そうかな」
話していたとき、軍服の男が戻ってきた。シエラに気づいてうやうやしく会釈する。驚いたことにシエラも、それをごく当たり前のように受け流す。
 「お客様はこちらでご案内しますわ。荷物は、研究室のほうへ」
 「かしこまりました。」
ロードとヒルデはそれとなく視線を交わした。今まであまり意識していなかったが、この離宮でのシエラは、ヤズミンとの関係が公式なものであるかはともかく、"女主人"という立ち位置のようだ。
 ヤズミンは、いつか通されたのと同じ二階のテラスのある部屋で、白いローブの人物と話し合っていた。シエラに連れられてロードたちが入っていくと、真面目な表情が一瞬にして崩れ、お調子者のようなおどけた顔になる。
 「やあ、いらっしゃい! また会えて嬉しいよ。」
 「どうも」
挨拶しながら、ロードはヤズミンの向かいで書類をまとめている白ローブの女性のほうを伺った。名前は知らないが、なんとなく見覚えがあるところからしてシャロットの部下だろうか。特徴のある白いローブが<王立>のものであることは間違いない。アステリアの魔法使いは、ちらりとロードを一瞥しただけで何も言わず、書類を抱えてそそくさと立ち去っていく。
 「まあ座ってよ。海賊を退治して、積み荷を守ってくれたって?」
ヤズミンのほうは上機嫌で、今まで真面目な顔で話をしていた相手のことなどすっかり忘れてしまったようだった。
 「成り行きですよ。たまたま乗った客船に、ここへ送られてる荷物が積んであるなんて知らなかった」
言いながらロードは、促されるままヤズミンの脇の椅子に腰を下ろした。ヤズミンの目配せでどこからともなく菓子を盛り付けた皿や杯が運び出されてくる。毎度思うが、一体どこから人が湧いてくるのか分からない。この館には、柱の後ろに常に食べ物や飲み物を抱えた使用人が隠れているのだろうか。
 シエラはいつの間にかどこかへ消えていた。代わりに、ここまで案内してくれた派手な軍服の男が、箱をかついだ使用人たちとともに廊下を横切っていくのが見える。さっき、白ローブの魔法使いが消えていった方向だ。
 ロードの視線に気づいて、ヤズミンはちょっと肩をすくめる。
 「わが国とアステリアは、共同で魔法研究を進めることになってね。今来ているのは、その条約の栄えある第一回交換留学生さ」
 「交換…ってことは、アステリアにも誰か来ているんですか」
 「おや。何も聞いてない?」
 「聞いてるわけないですよ。」ロードは少しむっとした顔を作る。「おれは<王立>の人間じゃないですし」
 「そうだっけ」
ヤズミンはいたずらっぽい笑みを浮かべ、杯を手にとった。「ただ一つ問題がな…、我が国には魔石の鉱脈が無い。魔法使いを育成しようにも先立つのがなくてはね。というわけで、今回の積み荷の魔石はアステリアからの友好の証というか、支援物資みたいなものだ」
 「戦争の?」
 「今のところはまだ、予備物資だよ。アステリアとの条約が周辺国ーの牽制にもなっているし、周辺国にも不穏な動きは…」
そう言ってぐいと杯の中身をあおると、彼は椅子の上で足を崩し、小さく咳払いした。
 「あー、…関係者じゃないなら、こういう話は止めておいた方が?」
 「いや。これから西の方に行くんで、治安の話なら」
 「西の方に?」
シエラの声がした。振り返ると、両手に果物を盛りつけた皿を抱えたシエラが戻ってきていた。「これ、裏の庭で採れたものなんです。召し上がっていただこうと思って」言いながら、彼女はヒルデのほうに微笑みかける。
 「素敵、自分で育てているんですね! いただきます。」
 「フィオのところに行こうとしてたんです。というか、フィオの手伝いに」
ロードが言うと、シエラの表情がかすかに沈んだ。
 「シルヴェスタのあたりは、ずっと混戦状態と聞いています。だからですね?」
 「心配しなくても、森は無事らしいですよ。フィオも強いし。手伝いっていうのは、森に逃げ込んでくる避難民のこと」
 「ほう。」
ヤズミンは政治家らしい表情になって鋭く眼を光らせた。「避難民というのはどの程度なんだ? そんなに状況が酷いのか?」
 「詳しいところは行ってみないと判りませんが。おれも、人づてに聞いただけなんで…」
歯切れ悪く答えて、ロードは、慌てて杯を手にとった。シエラの視線を感じる。彼女とフィオの話をしたかったが、ヤズミンのいるここでは無理だ。
 「ヒルデさん、でしたよね」
気を利かせたのか、彼女は、ヒルデを誘うことにしたようだ。「良かったら、私の果樹園を見に来ませんか?」
 「えっ、いいんですか」
 「ええ。戦争なんかのお話は、殿方たちにお任せして。ね」
それとなくロードのほうをちらりと見やると、シエラは、ヒルデを連れて部屋を出て行った。館の裏にある彼女の"庭"へ降りるのだろう。後でヒルデを迎えに行くという口実で会いにゆけば、話が出来るはずだ。
 「ふうーむ」
ヤズミンは、手に頬を載せながら、何故か少し不機嫌そうに小さな唸り声を上げた。「彼女、やっぱり何か隠し事をしているんだな。オレには教えてくれないのに、どうやら君はそれを知っているらしい」
 「えっ?! 何のことですか」
 「例えば彼女の出身の森のこととかさ。オレたちが出会った場所だ。君はシエラの"妹"の友達なんだろう? 実は彼女とも昔からの知り合いだったりするのかな」
 「いや…フィオと出会ったのは最近のことだし」ロードは慌てて弁明する。「その頃にはもう、シエラさんはあの森にはいなかった。フィオから話を聞いて知ってたくらいで。」
言いながら、微かな疑問が浮かんできた。むしろ疑っているのはロードのほうなのだ。ヤズミンは、"賢者"のことを一体どこまで知っているのだろう。シエラが意図的に話そうとしなくても、話の端々から薄っすらと勘付いていることもあるのではないのか?
 「前から気になってたんだけど、あんた一体どうやってシエラと知り合ったんだ? そもそも、どうして王族様がふらふらシルヴェスタなんて辺境に行こうと思ったんだ?」
 「ようやく調子が出てきたな。そうそう、そのくらいのノリでやってくれたほうが、こちらとしても話しやすい」
ヤズミンは口の端を軽く釣り上げた。「目的は魔石の採取と、魔女の噂の調査だな。面白そうだったから。エベリアの時と同じさ」
 まるで観光だな、と呆れてしまう。ヤズミンがこの国の王族としてどの程度の地位なのかはいまだに良く分からないが、立場のある人間にしてはずいぶんと軽い。
 「…で? 森の奥まで入って行ったのか」
 「いいや、ほんのさわりだけさ。道に迷っていたらシエラと出会ってね。…魔女の"娘"だと名乗った。実の娘ではなく、両親と死に別れて彷徨っていたところを魔女に拾われたらしいが」
ということは、シエラもフィオと似たような境遇だったのだ。身寄りの無い子供たちを引き取り、愛情をもって育てる。それは魔女テセラの善の一面でもあった。問題はその愛が、子供たちの巣立ちを「裏切り」と見なして許さない、独占的なものであったということで。
 「驚いたよ、あんなヘンピな森の中に美人がいて…、しかも凄腕の魔法使いなのに、自分ではそれを自覚もしていなかった。いやあ、あっという間に惚れ込んでしまった。はっはっは」
 「ノロケはいいよ。それで…、彼女の"母親"には会ったのか?」
 「一度だけ。もっとも、すれ違っただけだが。」
二人の視線がそれとなく交わった。ヤズミンの表情からしてその邂逅は、あまり心地よいものではなかったらしい。
 「殺されなくて良かったな」
 「おかげさまで。彼女が逃がしてくれたお陰だ。…オレが彼女を誘拐するようにして連れ出したのは、その直後だったかな」
 (そこで失敗していたら、あんたは死んでたんだ)
杯を傾けながら、ロードは心の中で呟いた。もう一つの世界。繰り返し前の…、別の世界では、シエラが彼を選ぶことが出来なかったために、その後の悲劇へと繋がっていった。
 「あの恐ろしい母親は死んだ、と聞いている。もう一度あの森へ行ってみたい気もするのだが、それは絶対にダメだとシエラに止められてね。理由は教えてくれない。シエラの妹はずいぶん愛想が良さそうだったのに、あの子以外の魔女が嫌がってるんだろうか。なのに兄さん、あんたはどうして森に出入りが許されてるんだい?」
 「どうして、って…。」
返答に困ってしまう。
 「人の出入りを拒む森なのに、戦火に追われた避難民の受け入れなんておかしな話もあるものだ。」
 「うーんまあ、あんたを招き入れたら魔石を盗んで行かれそうだからじゃないかな…?」ロードは、苦労してそれらしい理由を考え出した。「前に一回、魔石狙いの侵入者の撃退を手伝いに行ったことがある。結構苦労してるらしい。それに、どこかの国と特別に仲良くするのはマズいってことじゃないかな。あんた王族だし。」
 「なんだい政治的な話かい。ちぇっ、つまらないな。大層な肩書きつけてても、オレなんて王族の末席の末席だっていうのに」
 「それでも、アステリアとの条約締結の立役者なんだろ?」
 「何を言ってる。実際のところは、君のお陰だろう」ヤズミンは、いかにも面白そうにくすくすと笑った。「<王立>の連中、ずいぶん君のことを買ってたからな。君と知り合ったお陰でとんとん拍子さ。運が良かったよ」
 「まさか。おれなんか――」
まさか自分に、国同士の関係に影響力を持つほどの何かがあるとも思えない。歴史の流れは…もしかしたら、ほんの少し変えてしまったかもしれないが、それでも。
 「――それより、西のほうの情勢を教えてほしい。今まで、こんなに戦争が同時多発で起きたことは無いんじゃないか? いつもなら冬には終わっていたはずだし、街道沿いは協定に守られていたはずだ。どうして、こんなことになったんだ。」
 「あー、それね。まー、端的に言うとだな。ぜんっぜん分からないんだな」
苦笑いしながら、館の主は肩をすくめてお手上げのようなポーズをとった。「気になって調べさせてはみたんだが、どこも元々火種があったところばかりだ。不思議なのは、その火種がとつぜん一斉に燃え上がったこと。ま、長い歴史の中じゃあ、そんなこともあるのかもしれないが。ただ、一つだけ引っ掛かることがあった」
 「引っ掛かる?」
 「正体不明の魔法使いの噂だ。戦場になっている地域には、どこも決まってその噂があった。"勝利をもたらす魔法使い"。名前も素性も不明だ。ただ、そいつは"鴉"と呼ばれていた」
 「……。」
つい最近、その噂を聞いたばかりだった。先日、ガトに頼まれて本を受け取りにいった、仲間の学者の元で。
 「お。その顔は、何か知ってそうだな? ん?」
 「いや…、期待されてるようなことは何も知らない。ただ、アステリアに近い辺りでも同じような噂を聞いたなと思って。」
余所者の魔法使い、"鴉"が戦場を飛び回っている、とあの学者は言っていた。ソランのあたりまで噂が聞こえているとなると、よほど広い範囲で活動しているのに違いない。脳裏に一瞬だけ、なじみの黒髪の魔法使いのことが思い浮かぶ。
 (まさかな)
あの魔法使いは今頃、北の果ての塔の中で、紙の束と格闘しているはずだ。それに、もし西の国で何かしているのなら、ハルが教えてくれないはずがない。
 「その魔法使い、何か手がかりは?」
 「さっぱり。全く正体も掴めない。が、少なくともアステリアやノルデンの魔法使いじゃなさそうだ。君も知らないってことは、君の関係者でもないんだな」
 「おれは、そんなに顔広くないですけど」
 「ははは、面白い冗談だ。」言葉の上では笑いながら、ヤズミンの目は笑っていなかった。「君なら、この世界に存在する上級魔法使い全員と顔見知りでも驚かないよ。」
 「……。」
 「ま、一応は忠告しておこう。どうもそいつは嗅ぎまわられるのが嫌いらしくてね。うちの手の者が何人か戻って来ない。首を突っ込みすぎないことだ」
 「肝に銘じておくことにするよ。」
言いながらも、ロードは、この先のどこかでその魔法使いとは関わらずにいられないという予感があった。もしその魔法使いが西方で起きている連鎖的な戦乱の拡大に関わっているのなら、必ず、どこかで出会うことになるだろうとも。



 ヤズミンとの世間話を終えた後、ロードは、記憶を辿りながら館の裏庭に出た。シエラが作っている庭園は相変わらずよく手入れされて、様々な木々や花が行儀よく生い茂っている。
 「でね。花が咲く前に、肥料を――あら」
明るい声で話していたシエラが、近づいていくロードに気づいて顔を上げた。ヒルデも振り返る。
 「もうお話は終わったんですか」
 「ああ。ここからシルヴェスタへの近道を聞いてきた」
 「直ぐに発たれるんですね」
と、シエラ。
 「明日にはね。ゆっくりしてる暇もないし」
 「そうですか。…」シエラは少し残念そうでもある。「…あの、私、森のことも呪文のことも、あの人には話していませんから。」
 「知ってる。ヤズミンはあんたが何か隠してるのは知ってるみたいだけど、それが何かは分からないと言ってた。」
 「…はい」
長い睫を伏せるシエラは、どこか迷っている様子でもあった。
 「あの。…フィオに伝えてほしいことがあるんです。私、どうしていいのか」
 「何を?」
 「殿下に、正式に申し込まれたんです。ここで暮らさないか、って。伴侶になってほしいと」
 「まあ! おめでとうございます」
ヒルデは手を叩いている。「お似合いだと思いますよ。まさか、断ったりしないんでしょう?」
 「ええ…でも…、そうするともう森には戻れないし…。」
 「フィオはもう子供じゃない」と、ロード。「一人でもシルヴェスタを守っていけるよ。それに、あいつだって家族には幸せになってもらいたいって思ってるはずだ。心配することなんて無いだろう?」
 「……。」
 「それとも、隠し事のほうを気にしてるのか? 一生を共にするなら、全部話しておきたい、とか。」
 「……そう、ですね」
シエラは、目を伏せたままゆっくりと指を組んだ。「すべては話せなくてもいい。ただ…私たちの…、あの森の魔女の役目くらいは…。」
 「それって、"創世の呪文"のことを話すってことですよね」
 「そうなってしまいますね」
 「うーん。あの人がどういう反応を示すか、だな。他人に漏らすことは無いにせよ、興味本位で森に入り浸るくらいはやりそうだし…。」
三人は、しばし考え込んだ。
 「…とりあえず、フィオに相談してみるよ。あいつが何て言うかだと思う」
 「よろしくお願いします」
シエラは軽く頭を下げる。
 けれどフィオが何を言おうとも、彼女の心は既に決まっているようにロードには思えたのだった。



 翌朝、ロードとヒルデは朝一番で館を発つことにした。玄関前には、館の主であるヤズミンが見送りに出てきていた。シエラも一緒だ。
 「それじゃ」」
 「今度はゆっくり遊びに来てくれよ。兄さんには、今回のことだけじゃなく借りが色々ある」
ヤズミンはにこやかな笑顔で言う。「いつか纏めて返させてくれよ」
 「いいですよ、そんな…。こっちこそ、泊めてくれてありがとうございます」
 「道中、気をつけてな」
 「お気をつけて」
二人に見送られて、カールム・カレレムを後にする。ここまでは順調だったが、ここからは、果たして道が通れる状態なのかも分からない。
 ヤズミンの話では、ソランの国境付近では今のところ戦火の気配はないという。国内の治安も悪くなってはいない。だが、ソランを抜けた先は情勢が変わりやすく、行ってみるまでは分からないという。
 「シルヴェスタって、この国からそう遠くはないんですよね?」
 「ああ。隣の隣くらいかな、もっとも国境がけっこう変動する地域なんだけど。道は分かってる、前にも来たことがあるし――」
言いながらロードは、ふと、それがいつのことだったのかを思い出した。奇妙な感覚だった。ソラン王国を抜けてシルヴェスタへ向かうのは、確かにこれで二度目。だが、こちらの世界では実際には存在しない、異なる時間軸だ。
 (あの時は、何が起きているのか全然判らなくて必死だったな…)
巻き戻し前の、"行き詰まりの"世界での出来事を覚えているのは今ではロードだけだ。何度も失敗した、今はもう存在しない時の"道"があったことを知っているのも。


 ソランからの道のりは決して順調ではなかったものの、思っていたほど苦労はなかった。
 いたるところに戦火の名残がある。村ひとつがまるごと焼き払われているような場所もある。これから冬に向かうというのに、戦場は拡大する一方のようで、収まる気配もない。
 「冬に戦争なんてな。バカじゃねえか」
途中で立ち寄った、辛うじて機能していた宿場町の酒場では、誰かがそんな愚痴を漏らしていた。こんな情勢では旅人も少ないのか、宿に泊まっているお客の姿はまばらだ。ソランを出る頃から、ロードは、目立たないように魔石をはめこんだ腕輪の上から腕に布を巻いていた。魔法使いが警戒されているという話は、道中のあちこちで聞けたからだ。
 「死人ばっかり増やしてどうする気なんだか。傭兵も足りてないんだろう? さっさとやめちまえばいいようなもんを」
 「まったくな。最近じゃあ人手不足で、子供まで駆り出してるらしいからねぇ」
 「ああ、ありゃあ酷いもんだな。魔力を扱う素養のある子供は根こそぎだって話で…、使い慣れてもない魔法の暴発で死ぬこともあるんだとか」
 「酷い」
聞こえてくる話に耳を傾けながら、ヒルデが呟く。「ノルデンでは、どんなに才能のある魔法使いでも十八歳までは徴兵されません」
 「それが普通だろうな。」
個人差はあれど、魔力を引き出して扱えるようになるのは大体十二歳前後、、思春期のはじまる頃だ。そこから訓練を開始したとしても、まともに使えるようになるには数年かかる。魔力の過剰な消費は生命力を削ってしまう。だから未熟な魔法使いを戦場に送れば、まず間違いなく我が身を滅ぼすことになる。"魔法使い"と呼べるほどの器を持つ人材が限られている以上、貴重な才能の持ち主をむざむざ使い潰すことは普通ならしない。
 「止められないんでしょうか? その戦い」
 「うーん…どうだろう。この辺りだと、そもそも目立った勢力は無かったと思う」
ロードは荷物から地図を取り出して、テーブルの端に広げた。
 「ソランのすぐ隣の草原は、遊牧民の領域なんだ。それと農業やってる大領主と、海沿いは猟師の集落がいくつか。たまに海賊もやるような連中だ。戦争やるほどの戦力も持ってないし、長期戦をする余裕もないはずだぞ。」
 「それじゃあ、どうして戦争が?」
 「魔法使いが参加してるからだろ」
隣のテーブルにいた男がぼそりと口を挟んだ。この辺りの住人だろうか。くたびれた服を着て、疲れ果てたような顔つきをしている。「戦争ってのはバクチと一緒さ。"あともう少しで勝てる"と思うから止められねぇんだ。今じゃどこの勢力も魔法使いを抱えてる。だからさ」
 「魔法使いなんかで変わるんですか?」
 「使い方次第だと思うけどな」ロードは、男の手元にそれとなく置かれている、使い込まれた剣に視線をやった。傭兵ではなさそうだから、この宿場町の用心棒か。「…それより、一体どこから魔法使いが現われたのかだ。どこの勢力も魔法使いがいる、だって? この辺は、魔法使いはそんなにいなかったはずだろう」
 「それがどうも、"鴉"とかいうヨソ者の魔法使いが、魔石をバラ撒いて使い方を教えたって話だ。」
 「教えた…?」
 「"知恵の鴉"だとかなんとか。そいつは、魔法の才能のありそうな人間のところに手当たり次第に現われて、魔法使いとしての才能を引き出してくれるんだとよ。なんでも、選ばれし者だけが辿り着ける楽園があるんだとか何とか」
 「……。」
ロードは眉を寄せた。"知恵の鴉"、確かそれは、ノルデンの伝承で"風の賢者"を意味するはずだ。確か以前にそう、<王室づき>の主席魔法使い、リドワンが言っていた。
 「そんな言い伝え、知りません。」
ヒルデが言う。「この辺りのお伽噺か何かですか?」
 「俺だって聞いたことも無い。あんたら、格好からして東から来たんだろ? てっきり、東のほうの言い伝えかと。」
 「全然。その"鴉"って魔法使いの噂は最近聞いたことがあるけど、魔法使いを量産してるなんて話は初めてだ。一杯奢るよ、もう少し詳しく教えてくれないか」
 「いいや、酒はもういい。飲みすぎてもな」
男は、中身が半分残ったままの手元のジョッキを奥に押しやった。仕事中の用心棒という立場上、飲みすぎるわけにはいかない――ということか。よそ者のロードたちを警戒していないのは、逆に、よそ者であることが明らかだからなのかもしれなかった。そして、"魔法使い"には見えないということも。
 「大したことは知らんよ。ただ一度だけ、その"鴉"とやらに感化された駆け出し魔法使いに会ったことはある。そいつ曰く、今あるこの世界は偽物で、間もなく真の世界による救済が、千年の時を経て訪れる…んだとか何とか。」
 「真の世界?」
 「千年の時…?」
二人は同時に疑問を口にした。男は渋い顔で頷く。
 「バカバカしい話だろう?」
 「でも、その魔法使いは信じていたんですよね。それを」
 「ああ、たぶんな。"鴉"サマに貰ったってぇ魔石を大事に持ってたよ。それを持ってれば楽園に行けるんだっつってたけど、今頃どうしてんだか。」
 「魔法使いだけが救われる楽園ってことか…。」
やはり、その"鴉"はレヴィではなさそうだ。どう誤解されたとしても、そんな奇妙な伝説の元にはなりそうにない。ちらりとヒルデのほうに視線をやると、彼女も小さく頷いた。だが、だとしたら、その魔法使いは一体何者なのだろう。


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