<本編3>

 23


 レヴィとフィオが戻って来たのは、――正確にはロードの家に「やってきた」のは、それから三日ほど経った後のことだった。
 村には何も噂は流れて来ていない。けれど、国境での騒ぎが収束したことも、エベリアの焼けた町のあたりで大規模な魔法使いたちの戦闘があったことも、ノルデンの魔法使いたちの長が"お忍び"でそこへ来ていたことも、ロードたちは既に知っている。いずれそれらは、人の口を伝って聞こえてくることになるだろう。おそらくは、西の国での戦乱の収束の噂とともに。
 「土産がある」
口を開くなりそう言って、レヴィはテーブルの端に腰をかけながらポケットから茶葉の入った缶を取り出して置いた。いかにも高級そうな、蓋に金色の紋章のついた四角いブリキ缶だ。
 「…どうしたんだ、それ」
 「<王立>の院長から貰ったんだよ。返礼は何がいいかって聞かれたから、美味いお茶を奢れって言ったんだ。」
 「賄賂だー」
フィオが声を上げる。「あのあと、わざわざソレ受け取りにジャスティンまで行ったの?」
 「ぼくは貰えるもんは貰う主義だ、特に食べ物は」レヴィは自慢げに腕組みをする。「ま、あのスウェンって奴にちょっと興味もあった。ロードの素性を一発で言い当ててたしな。」
 「そういえば…そうだったっけ」
本人さえ知らなかった頃から、スウェンは、ロードが"賢者"に関わりのある存在だと考えていたのだ。
 「リドワンのジイさん曰く、あいつのご先祖サマはアステリアがノルデンから分離した当時の<王室付き>の主席魔法使いだったらしい。それまで、代々の主席魔法使いの殆どはその家系から出てたんだとさ。で、独立する時にノルデンから優秀な魔法使いをごっそり引き抜きかけたんだとか…。そりゃ対立するよな」
 「じゃあスウェンさんって元々、ノルデンの貴族の家系なのか。どおりで貴族っぽいと」
 「つうか、その魔法使いの家系から王サマも出てるんで、実質王族みたいなもんだぜ。なんでも、あの院長サマが実質の最高決定者だとか。ノルデンのほうは王サマが別にいるもんで王室"付き"だが、アステリアのほうは"王立"だろ? ま、そういうこった」
 「……。」
 「彼らは、僕らをどうするつもりなのかな?」
と、ハル。深刻そうな雰囲気は無く、のんびりとした口調だ。「成り行きとはいえ、ほとんど全部知られてしまったようなものだけど」
 「さあ。ま、どうにかしようもないだろうけどな。取り合えずは、あんまり言いふらすなってだけ言っといたよ」
僅かな沈黙。――"お伽噺"として隠れていられた時代は終わろうとしている。けれど今は、かつて"賢者"の実在が知られていた頃と違って、魔法を使えるのも、その知識があるのも、限られた存在だけではない。
 話が途切れた隙をついて、ヒルデがテーブルの上からお茶の缶を取り上げる。
 「せっかくだし、このお茶、淹れてきますね」
台所のほうに消えていく。レヴィとフィオが、ちらりと視線をそちらに向けた。
 「ロード、結局これからもヒルデと一緒に住むの?」
 「まあ…本人が嫌になったって言い出さない限りは」
途端に、ほぼ同時に、三人が口を開く。
 「言いだすわけないだろ。何言ってるんだお前は」
 「ロード、それはない」
 「ほんっと判ってないよね」
 「……なんだよ皆して」
 「まあいい。これ以上泣かされる女の子が増えないのは幸いだ。で、本題に入ると…今日ここへ来たのは、"リューナスの世界"のことだ。」
ロードは、慌てて表情を引き締めた。
 「トドメを刺した…わけじゃないんだよな?」
 「ああ。あの世界では、誰も死なないことになってるらしい。おれが脱出した時は世界が崩壊しかかってたけど…時間はかかるけど何度でも蘇る。そう言っていた」
少なくとも、リューナスはそう言っていた。崩壊してゆく世界の中で、そう信じていた。
 「じゃあ、戻ってくるってことだよね? また千年後くらいに」
 「怖いこと言うなフィオ。今回みたいなのは、もうごめんだぞ」
 「でも、前回と違って収束は早かった。被害も前回ほどではなかったし」ハルが言う。「千年前と違って魔法使いが沢山居たからだろうね。結果的に、リューナスのしたことがこの世界を変えて、彼自身を阻んだんだ。」
 「何だよそれ」
 「単純な善悪じゃないんだ、多分ね。彼のやろうとしたことの全てが正しかったわけではないけれど、全てが間違っていたわけでもないんだろう。――あいつに同意するわけじゃないけど、この世界には確かに、欠陥があるよ」
他の三人の視線を受けながら、ロードはゆっくりと顔を上げた。「世界を形作る呪文を、三人だけで支えていくのは無理だと思う」
 「…つまり、"賢者"という仕組みそのものに問題がある、と?」
 「そうだ。テセラやリューナスだけが特別だったとは思わない。力量不足で寿命を縮めたり、後継者が見つからず危機に陥ったり、責務放棄したり――そんなことは、今までにもあったんじゃないのか? 個人に世界全体の責任を背負わせるなんて、無茶だ」
 「三人で分散はしてるけどな、一応は」
頬杖をついたまま、レヴィは視線をハルのほうに投げかけた。「…向き不向きはともかく、役割によっちゃ負担が大きいのは確かだな。」
 「でもー、誰かが管理してないとだめでしょ?」
と、フィオ。「呪文の管理って、一人一つじゃない?」
 「変えられないのかな…と思って」
 「変える?」
 「呪文の書き換えは、管理者なら出来るんだよな? どうやればいいのか今は見当もつかないけど…。」
 「おいおい、まさかお前、リューナスとは違った意味での世界の破壊者になるつもりか」
 「そこまでじゃないけど…」
変わらないままであることに意味があるのなら、それでもいい。だがもし、変化しても許されるのなら、…いや、今あるこの世界そのものが既に、存続のために少しずつ変化してきた結果なのだとしたら。
 「どうする? ハル。今ならまだ間に合うが」
レヴィが尋ねる。
 「いいよ、僕は。」
ハルは、間をおかずあっさり答える。「次の代のことは、君たち三人で決めればいい。」
 「相変わらずだなー…」
 「いいんじゃない、面白そうだし。それに、まだ先の話でしょ?」
言いながら、フィオはテーブルの下から籠を取り出した。
 「それよりね。クッキー持ってきたんだ。今朝焼いたの」
ちょうど、淹れたてのお茶の、いい香りが台所のほうから流れてくる。フィオがきれいなナプキンの上に香ばしい香りのするお菓子の山を広げると、レヴィは歓声を上げてさっそく手を伸ばす。
 「世界の将来より食い気なのかよ…」
 「そりゃそうだ」
レヴィは、さも当たり前のような顔で、遠慮なくクッキーを口に放り込む。
 「なんか体に良さそうな味だなこれ。何入れたんだ」
 「香草だよ、畑に生えてるやつ」
 「ふーんハーブクッキーか。…あ、そうだ。今度、ノルデンのナントカ会議? に出ろって言われた。」
ヒルデがテーブルの上に置いたティーカップを取り上げようとしていたロードの手が止まる。
 「リドワンさんの嫌疑の件?」
 「それだ。裁判だか査問だかの最中に連れ出しただろ。その後始末」
 「忙しいな。」
 「面倒くさいったらありゃしない。ま、こっちも借りがある。少しくらいは協力してやるさ」
 「でもレヴィ、それって、ノルデンの偉い人たちみんなの晒し者じゃない〜」
フィオは眉をしかめている。「有名人になっちゃうよ」
 「今さらだと思うけどなあ」
ロードは苦笑する。
 「そもそも前回の会議から乱入してるわけだし。おれたちだって、アステリアの偉い人たちの会議に突っ込んでいったことあるだろ?」
 「そんなこと、あった?」
 「あったよ。テセラと戦う前だ。あの時、ぼくは外で待ってた」
 「そういう思い切りのいいところ、僕らの代では考えられなかったね」ハルはくすくす笑っている。「世界は変わるよ。これから、もっとね。君たちならそれが出来る。」
 「なに年寄りみたいなこと言ってるんだ。あんたには、まだまだ仕事してもらわなきゃ困るんだからな。」
 「そうだよー、あたしもまだ半人前だし」
テーブルを囲んだ賑やかな会話。笑いながら眺めていたロードは、ふと、一歩下ったところからその様子を見つめているヒルデに気が付いた。視線が合うと、彼女はお盆を抱えたまま、ちょっと微笑んだ。邪魔はしませんよ、と言っているような表情だった。けれど、会話の全てを聞いている。彼女には、何も隠す必要がない。



 全員がそれぞれの場所へ帰って行ったあと、久し振りに他に誰もいなくなった家で、ロードは、二階のベランダに立っていた。
 オリーブの木立の向こうに遠く、青い海が僅かに見えている。ハルの帰って行った方向。近いうちにまた来る、と言っていた。今まではいつもレヴィと一緒だったが、自分から陸に上がることを知ったからには、今回のようにふらりと海から現われることもあるのかもしれない。それは楽しみでもあった。
 海から吹いてくる風が通り過ぎてゆく。
 水平線を見つめていると、廊下のほうから足音が近づいて来る。
 「ここにいらしたんですね。考え事ですか?」
 「ん、まあ。」
振り返って、ロードは、ヒルデのほうを見た。「三人揃うと賑やかだろ? 食いしん坊の鴉に、おてんば兎に泣き虫の鯨。最初の頃に思ってたのとは全然違うんじゃないか」
 「ええ。子供の頃に読んだお伽噺のイメージとは全然違いますね」彼女は口元に手をやってくすくす笑う。「――でも、わたしは好きですよ。」
 「ま、おれも好きだけど」
言いながら、彼は再び視線を遠くへやった。ずっと考えていた。どうしてリューナスやテセラが呪文の管理者として選ばれたのか。世界の維持を任せるにはあまりに不安定で、身勝手で、結果的に世界を破滅に導きそうになった。
 シエラが不適格と見なされたように、必要なのは責任感だけではない。魔法使いとしての素質や才能だけでもないことは、イングヴィが証明している。
 単純な善悪ではない――能力でもない――だとしたら、一体何が選ばれる条件なのか。
 「…"風の賢者"って、わりと身勝手なものなのかもしれないな」
 「身勝手?」
 「なんとなく。ランドルフさんとリューナスとレヴィ、三人しか知らないけど…なんていうか、共通するのは"自由"だってことだなって。国や組織や立場、何のしがらみもタテマエも無いんだ。自分に正直に生きてるっていうか。それが、"賢者"の条件なのかなって」
 「あら。それじゃあ、他はどうなんですか?」
 「"森の賢者"だと、そうだなぁ…。元気っていうか、やる気があるっていうか…いつも活力に溢れてる感じ。」
 「海は?」
ヒルデの眼差しが、意味ありげに見つめている。まるで、自分は知っていますよ、と言いたげな表情だ。
 「ハルさんが言ってました。ロードさんは、自分よりもずっと優れた"賢者"になれる、って」
 「いや、おれは…」
 「わたしもそう思います。世界を変えることも、あなたなら、きっと出来る」
 「……。」
ロードは、視線を手元に向けた。
 「…次の代を継いだら、そこから時間の流れが変わる。年を取る速度は遅くなる」
 「はい」
 「同じ時間は…生きられない」
 「そうですね。」
 「それでも…」
 「いいんです。わたしが先に死ぬことを許してもらえるなら」
意を決して振り返ると、ロードは、真っ直ぐに少女を見つめた。
 「それじゃ、相談しようか? これからのこと――。」


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