<本編3>

 21


 投げ出された先は、色あせた世界のどこかの村だった。寂れた農村の小路を、ロバが飼い葉を積んだ荷車をギシギシ言わせながら運んでゆく。つつましやかな小さな家々が十軒ばかり集まって、周囲は林に囲まれている。色の無い世界――人だけが存在しない小道。さっきとは全く違う場所だ。
 取り残されたのだ、と気づくまでにそう時間はかからなかった。
 魔法が発動されるその瞬間、リューナスが割り込んだのだ。そのせいで、ロードだけが空間転移が失敗した。
 「あら、あなた誰? どこから来たの」
振り返ると、ゆらゆらと黒い煙のような尾を引いた少女の姿がある。くりっとした大きな目をした、美人ではないが愛嬌のある村娘。生きた人間でないことは確かだが、<影>だとしたら妙に現実的に作られている。服のひだも、髪につけた少女らしいかざりも、頬に残るかすかなそばかすも。
 これは、誰かの鮮明な記憶から創られた存在だ。
 だとしたら一体、誰の…?
 「おれはロード…旅人みたいなもんかな。あんたの名は?」
 「あたしは、アルテ…」
快活に答えようとした少女の姿が両断され、はじけ飛ぶ。ロードはとっさに横に飛んで避けながらあたりを見回した。村の建物の影に、滲むように赤い輝きがある。素早くナイフを抜き、放つ。それが見えない壁に阻まれて弾かれる。
 後ろで、半分になった少女が半分だけの顔でにっこりと微笑みながら口を開いた。
 「おお゛ああ゛おがえりなサ…リューな…」
 「黙れ」
叩き潰すような鈍い音。少女の姿は、地面に黒い染みを残して消えている。
 「はあ、はあ」
荒い息をつきながら、リューナスが身体を引きずって現われる。
 「…余計な…ことを…」
フードは落ち、乱れたローブの下から痩せこけた頬と細い腕があらわになっている。威厳も何もなく、その人物は、思っていたよりずっと老いて見えた。
 からから、と荷車の音が響いている。
 ロバが虚空に向かって無限に足を踏み出し続けている。道が途中で消えかけているのだ。荷車の上に積まれた飼い葉が空中に飛び散って次々と消えていく。それから、荷車自体も。端から砂のように零れ落ちて崩れていく世界の中で、誰もいないのどかな村の風景の中に実体のない車輪の音だけが奇妙に響き続けている。だが、数秒のうちにその音も、やがて遠のいて消えていった。
 (世界が…消える)
 「わ、私の世界…がはっ」
息を吐き出すとともに、リューナスは口元を押さえた。さっきまで敵だったこと忘れて、ロードは思わず駆け寄った。
 「おい、大丈夫か」
 「大丈夫かだと? なぜ…」
じろりと、男がロードを睨む。ロードが、自分の胸元にある輝きを正確に見つめていることに気づいて、僅かに驚いたような顔になる。
 「なぜ…いや、お前は…何者だ。」
 「何者って…」
 「"賢者"に子は持てない。呪文と契約した時点で、肉体的にはもはや人ではなくないはずなのだ。なのに何故、存在する? それにその眼…お前のその眼の魔力は、なぜ世界の外にあって失われない?」
 「そんなこと言われても…」ロードは頭をかく。「考えたこともないよ。おれはごく普通の人間だし、ただの村人だし…特別な力もない」
 「馬鹿なことを」
 「もし、おれが存在しないはずの人間だっていうんなら、要するに、お前の知っているものは世界の全てじゃないってことだろ?」
無言のまま、男の顔が歪む。
 「そもそも、お前が知ってる時代と今の時代とで、"創世の呪文"は本当に何一つ変わらず同じままなのか?」
それは初めて思いついた疑問だった。「おれが知ってる限り、あの呪文は何度も解かれて、壊れかけて再生してる。あんたは知らないだろうけど、世界の巻き戻しだって起こった。何度も同じ道を辿って、何度も行き詰って、ようやくこの道に辿り着いた」
 「…世界が自ら、変革を起こした、とでも?」
世界の継続に必要な条件。世界の巻き戻し。ロードの存在が必要だったと、"道"の分岐点にいた別世界のハルは言った。かつての世界では生まれなかった存在が生まれたのは、世界自身が書き換えられたからかもしれない。だとしたら…
 「認めない」
激しく頭を振る。「変わらないのだ。世界は、腐って不完全なまま。だからこそ私は完璧な世界を」
 「別にお前の理想をとやかく言ったりしない。一人で作る完全な作品ってのもアリなんだろ。けど、そのために他人を巻き込むのは間違いだと思う。わざわざ人を不幸にしてまで救済してやるってのは違うよ」
 「不幸も希望も所詮は幻想だ。私は世界を創造した。世界の仕組みを。新たな"人"の在り方を。それなのに…」
指先から身体がぼろぼろと崩れてゆく。空も風景も全て消えて、その向こうにはただの暗闇が、黒一色に塗りつぶされた世界が広がっている。「私の世界…私の…身体…」震えながら、男は突然笑い出す。「ははっ、くそ。また再生に時間がかかる…まただ…だが何度でも蘇る。ここは私の世界…私の…この世界では誰も死なない」
 「……。」
 「だが、貴様はここで消える! <闇>に呑まれる。お前が何であれ、ここで終わるのだ! はは、はは」
 「………。」
ロードは眉を寄せた。それから、男の目の前にしゃがみこんだ。
 「…何だ」
 「一人でこんなものを創れるあんたは、本物の天才だと思うよ。けどさ、本当にこれでいいのか? 欲しかったのは、自分を認めてくれる世界、なんじゃないのか?」
 「!」
"鴉"と呼ばれた男の表情が歪み、ひどく苦しそうな顔になる。
 「――ま、あんたならもしかしたら、本当に元の世界よりいいものが作れるのかもしれない。けど、もし一人じゃどうにもならなくなったら、戻って来いよ」
それだけ言って立ち上がると、くるりと身を翻し、さっきロバの消えていった方向へ歩き出す。
 「何をする気だ?」
 「何って。家に帰るんだよ」
 「無駄だ、二つの世界はもう完全に離れている。世界の外は…」
おしまいまで聞かないうちに、ロードは外へと大きく一歩を踏み出した。色の無い世界の外へ。リューナスの作り上げた"もう一つの"世界の境界線を越えたとたん、思ったとおり足元ががくんとなった。落ちて行くような感覚があったのも、最初だけだ。押し寄せてくる黒一色の闇に包まれ、足元の地面も、最後の風景の欠片も消えたあとは、どこまで続くのか、どこにいるのかも分からないような<闇>の中で、どちらを向いているのかさえも判らなくなった。
 音はなく、香りも風も、身体の感覚さえもない。落ちているのか、流されているのか。自分の身体に触れて、そこに自分がいることを認識するので精一杯だ。
 (どっちに行けばいい? まだ、そう遠くないはずだ)
どんなに眼をこらしても、漆黒の中には何一つ、色も、輝きも見えない。
 (焦るな。大丈夫、まだ間に合う。どこかに…近くに、いるはずなんだ)
以前、世界の再生の瞬間の闇に呑まれかけた時は何も出来なかった。手を差し伸べて掬い上げてくれたのは、レヴィやハルだった。けれど今は、どちらも側にはいない。自分だけで自分の居る場所を知って、戻るべき道を探さなければ。
 (戻れなかったら…ハルはきっとまた泣く…)
押し寄せてくる暗がりの圧迫感に負けて閉じようとする眸を、無理やり押し開く。
 (せめて、星が見えたら…)
その時だ、視界の端に、きらりと輝くものが見えたのは。
 「あれは…!」
眼を大きく見開く。間違いない、見慣れた…見覚えのある、自分自身の星だ。瞬きながら手招きしているように見える。
 ロードは、そちらに向かって闇をかきわけた。歩いている、というより泳いでいるような感覚。近づくたびに、星の輝きが増えていく。青く不安そうに瞬く大きな星。鋭い輝きが二重になって滲んだようになっている星。独特でマイペースな白い輝き。淡く緑がかった、大きな輝きを放つ星。
 気がつくと、そこは星の海だった。
 足の下にも、頭上にも、無数の輝きが埋め尽くす。そして、自分の星は、それらの中で、周囲の全ての星々と繋がるようにして輝いていた。

 (…星は、…誰かと繋がって輝いてるんだ)

暗い水面が揺れて、丸い波紋が広がる。
 全ての人間が一つずつの星を持つことの意味。自分の星を見つけることが、"海の賢者"として認められる条件である理由。
 星々の海が割れ、眩しい光が包み込んだとき、ロードは、世界を形作る呪文の、もう一つの意味を知った。


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