<本編3>

 2


 オリーブの収穫も終わり、丘の果樹の葉は盛りを過ぎた緑に変わっている。
 季節は、秋の半ばを過ぎた頃。ポルテの港町のあたりでは魚が釣れにくくなる季節のはずだが、沖合いの温暖な気候のもとにあるマルセリョートでは、季節の移り変わりなどいっこうにお構いなしのようだった。
 「変わらないなあ、ここは」
 「何がさ」
隣で釣り糸を垂れていたニコロが顔を上げる。
 「夏みたいな雲だ。」
空を見上げながら、ロードはそう呟いた。暖かな風にそよぐヤシの木も、波の色も、一年を通して殆ど変化しない。魚の釣れ具合にも変化がないから、釣り好きのニコロには、おあつらえ向きの場所だ。
 「冬が無いってのはいいもんだ。いつでもパンツ一丁で寝られるしな。しかも誰にも咎められない。サイコーだね。」
 「まあそうだろうな。ここの人たち、基本的に薄着だから…おっと」
立ち上がって、ロードはズボンの尻についた砂を払った。視界の端に、海面に浮かび上がってくる青白い輝きが見えたのだ。ハルが戻って来たらしい。
 「行くのか?」
 「ああ。用事が済んだら、また来るよ」
赤毛の青年を後に残して、ロードは浅瀬の上を歩き出した。今日ここへ来たのは、珍しくハルのほうから呼ばれたからなのだ。西方の旅から戻った時、家に言伝が残されていた。いつも家の鍵を預けているオリーブ搾り工場のおかみさん曰く、「前にも村に来たことのある黒髪の男の子」だったらしいから、たぶん伝言を持ってきたのはレヴィだろう。
 (わざわざ伝言を頼まなくても、別の方法もあっただろうに…)
何か、直接ロードのところに伝えに来られない理由でもあったのかもしれない。それも、尋ねてみるつもりだった。



 マルセリョートの入り江に行ってみると、ちょうどハルが、人の姿に戻って波打ち際から上がって来るところだった。彼は普段、白い大きな鯨に姿を変えて海の中を回遊しながら世界を<視て>いる。最近は陸に上がってくることも多くなったが。
 髪についたしずくを払いのけると、ハルは振り返って自然な笑顔を向けた。
 「やあロード。ごめんね、待たせちゃった?」
 「ニコロと話してた。別に待ってはないよ。」
言いながら、ロードはハルの髪に絡まっている珍しい色の海草の切れ端に気が付いた。このあたりの海では見かけないものだ。ちょっとそこらを散歩してきたような顔をしているが、海の中を移動するときのハルの「ちょっとそこら」の範囲は、普通の人間が船が移動する程度をはるかに越えている。
 「…どこか、遠くまで行ってた?」
 「ちょっとだけ、東の方へね。海の底は、レヴィやフィオに行ってもらうには少し難しいから。それに今は二人とも忙しいし」
 「忙しい? 最近二人とも会ってないけど、何かあったのか?」
 「フィオは森の管理と魔法の練習。レヴィのほうの理由は、ロードも知ってるとおりだよ。ランドルフの遺産の整理をしてる」
 「ああ、あれか」
そういえば、ランドルフが死の直前まで書き溜めていた、膨大な書き物の山を調べてみると言っていた。その中に、千年前の伝説についての手がかりがあるかもしれないのだ。
 「実はランドルフの遺した書置きのことは、僕も気になっている」
砂浜に腰を下ろしながら、ハルは言う。「”海の賢者”がこの島に住み始めたのは四百年くらい前のことらしいから、それ以前だと陸のほうに住んでいたと思うんだよね。全然想像もつかない。先代のカイからは、その前の代が当時の有力者同士の争いごとに巻きこまれて、協力を拒んで殺されたって話しか聞かされていないし…」
 「殺された?!」
ロードは思わず声を上げた。「"賢者"が人間に?」
 「魔法使いだって万能じゃない。それはロードもよく知ってると思うけど」
 「いや、そりゃそうだけど…。」
殺せるか殺せないか、という問題ではない。殺そうとするだろうか――世界を形作る呪文の管理者。その命を奪うということは、下手をすれば、世界そのものを危うくすることになる。少なくとも今までに二回、ロードは、”賢者”の不在が引き起こした緊急事態を目撃している。
 だが、"賢者"の存在は、"お伽噺"になって久しい。相手がどんな役目を担っているのか知らなければ、或いは。
 「先代から何も引き継いでないって言ってたのに、ハル、意外と知ってるじゃないか」
 「僕も最近まですっかり忘れてたよ。ランドルフがいなくなったあと、百年ぶりくらいにカイのことを思い出した。その時にね。…と言っても、聞いた話は、それが唯一だ」
ハルは寂しそうに、少し遠い眼をした。「魔法の師匠だったのに、あの人とは、ほとんど話らしい話もしなかったよ。」
 「……。」
しばしの沈黙。
 「あ、ごめんね。そんな話をしたかったわけじゃないんだ。ロードを呼んだのは」
慌てて手を打ち合わせると、ハルは、ふいに明るい声を出した。「村のおじいさんの研究って今、どうなってるかと思って」
 「村の…おじいさん…?」
ロードは首をかしげた。
 「昔の石碑の解読なんかをやってる先生だよ」
 「ああ! ガト先生か。」
ようやく、ハルの話したいことが繋がった。それで、先代の海の賢者のことを思い出していたのか。
 「エベリアの城から持ってきたやつの研究だよな」
 「そうそう。千年前の”海の賢者”のことを調べているんだよね? 何か判った?」
 「今はまだ、特に何も聞いてないよ。あのエベリアの城が千年前に作られた可能性があるってことと、”叡智の鯨”をまつる祭壇みたいなものがあったらしいこと…くらいかな。その鯨っていうが、本当に”賢者”のことなのかどうかも、はっきりしない。」
 「ロードは、どう思う?」
 「どうって。」
 「この島に住み始めたのが四百年前で、その前は陸に住んでいた。ここからそう遠くない場所だったと思う。エベリアは、丁度いい場所だと思わない?」
 「うん、まあ…。あの城は”賢者”の住処って感じはしないけど…場所的にはね」
少なくとも、何らかの関係を持つゆかりある場所だったことは間違いない。問題は、当時そこに暮らしていた人たちはほぼ全滅しているということ。記録や伝承どころか、言葉すら死語になってしまっている状態で、今のところ、手がかりはエベリアの城とその周辺に残されていた石板やら遺跡やらしかない。
 「ランドルフさんの若かりし頃の書置きみたいに、何かまずいものが出てきたりしないかは気にしてるんだ。新しいこどか判ったら教えるよ」
 「うん。頼むよ。ああそれと、ロード、もう西の方に行く用事はないよね?」
 「え?」立ち去りかけたロードは、足を止めた。「…無いけど、どうしたんだ」
 「しばらくは気をつけたほうがいい。西の方は、あちこちで戦乱になってる。しかも収束せずに拡大方向だ」
ロードは眉を寄せた。季節は、これから冬。小競り合いの頻度は高くても、その多くは越冬することなく、例年、冬前にはいったん終わっていたはずだが。
 「――戦火の発端は? どこの国が仕掛けてるんだ」
 「分からない。不思議なんだ、夏の初めに同時多発的に戦いが発生して、あっという間に広がっていった。」
多分、影憑きがあちこちでまとまって出現した頃だ。あの頃はハルもレヴィも影憑きの処理のために世界中を文字通り飛び回っていた。もしかしたら、何かを見逃していたのかもしれない。
 「フィオの姉さんのいる国…ソランは?」
 「山に囲まれた国だよね? あそこはまだ、巻きこまれていないかな。逆に今は、フィオの森のあたりは少し面倒なことになってる」
 「面倒な?」
 「うん、シルヴェスタは街道沿いではないけど、森を挟んで幾つかの小国が隣接してるから…」
と、ハルはどこか遠くに視線をやった。世界中のどこでも見通す視線、”真実の眸”で現場を確認しているのに違いない。
 「さすがに森の中で戦ったりはしていない。あの森は深いし、フィオがしっかり防衛してるから、わざわざ危険を冒して軍隊が入り込んだりはしないんだ。ただ、戦火に焼け出された難民が森に逃げ込むのを防ぐことは出来ない。…フィオの性格からいってもね」
 「ふうん。そういうことか…」
ロードは、あごに手をやった。「なら、おれも手伝いに行ったほうがいいかな?」
 「そうしてもらえると有り難いけど…」
 「心配はいらないよ、最近、ちょっとはマシになってきたんだ」
彼は、腕輪をそっと撫でた。自分としては安心させるつもりで自信満々な顔をしたつもりだったのに、ハルは何故か、苦笑している。
 「いっそ君の魔法の才能が、もう少し平凡なものだったならって思うときがあるよ。他人を傷つけるような魔法の使い方じゃないからいいけどね。」
 「何、どういう意味だよそれ」
 「繊細か大胆すぎるか、両極端っていうところがねえ…」
くすくすと笑いながら、ハルは立ち上がった。
 「まあ、確かに心配は要らないよね。でも気をつけて。西にはもう、安全地帯はない」
 「覚悟しておくよ」
ロードは、真面目な顔で返した。ノルデンやアステリアの軍隊からすればお遊びのような戦場でも、怪我人は出るし、へたをすれば人も死ぬ。それに、戦う力を持たない住人たちにとっては、抗いようもない暴力であることは間違いないのだ。


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