<本編3>

 19


 ずしり、と土の上に重たい一歩を踏み出すと、ヴァーデは周囲を見回した。
 「ここがエベリアか」
隣国に足を踏み入れるのは初めてだったのだろうか。辺りを見回し、小さく鼻を鳴らす。「とんでもない田舎だな。辺境ではないか。」
 「悪かったな。」
ロードは思わず言い返す。「言っとくけど、アステリアにも賑やかなとこはあるんだ。ここは西の果て。辺境なのは仕方ないだろ」
 「西の果て…ふむ。かつての…"知恵の鯨"がいたという海に近い場所、か」
リドワンは、視線を南の方角に向ける。「なるほど。」それから、視線をぐるりと辺りに巡らせる。「…アステリアの魔法使いどもも居るようだ。」
 「そういやあんた、探知の魔法が得意だったな」
頭の後ろで手を組みながらレヴィが口を開きかけた。「なら、説明するまでもないと思うが――」
 「おーい、ロードぉ、レヴィ〜」
その時、向こうからフィオが手を振りながら駆けて来るのが見えた。「お帰り! 待ってたんだよ。大変なの」
 「大変?」
 「ハルさんが、"鴉"を見失っちゃった、って。」
 「はあ? 見失うって、何で。」
 「わかんないよ。視えなくなった、って言って…それで、二人が戻って来るのを待ってたの」
フィオの後ろからやってきた白いローブの男が、黒ローブの背の高い老魔法使いを見つけてぴたりと足を止めた。
 「おやおや」
演技めいた気取った口調に、全員がそちらを振り返る。
 「ノルデンの高名な貴族家の当主殿が、このような辺境においでとは珍しい」
挨拶代わりのつもりだろうか。スウェンはそう言って大げさに肩をすくめてみせる。一方リドワンのほうも負けていない。白ローブの男の耳にある飾りを見止めて、皮肉っぽい笑みを向ける。
 「ふん、裏切り者とはいえかつては栄えある<王立>の主席を占めた一族の頭首が、今代ではこんな小僧だったとは。」
 「あらヤダ〜、今時、鎖ヨロイに大剣? 魔法使い同士の戦場にそんなの持ち込む人、初めて見た」
口に手を当てながら、こちらは本気で驚いているような口調で言うのはシャロット。
 「何だ、この冗談のような頭の女は。まさか…これがアステリアの魔法使いだとでもいうのか?」
ヴァーデは素で驚いている。
 「……。」
残るリリアとユルヴィは、気まずそうな顔でそっぽを向いている。白と黒。二つの色の魔法使いが一箇所に集う姿を見るのは初めてかもしれない、とロードは思った。二つの国に分かれたのは百年前。けれどそれ以来、ロードの知る限り、この二つの魔法使いの派閥は、常に対抗心をあらわにしてきた。
 「援軍は揃ったみたいだね」
落ち着いたハルの声が、一定の距離を置いて対峙していた白と黒の間に割って入った。リドワンの表情が僅かに強張った。初対面であっても、この場におけるハルの立ち位置が自分たちと大きく異なることは瞬時に判ったからだ
 「見失ったって?」
ロードが尋ねると、ハルは小さく頷いた。
 「正確に言うと、現在位置が把握できなくなった。城の中にいるのは間違いない。ただ、あの城の周囲だけ外からの全ての干渉が強力に妨害されている。探知の魔法も<真実の眸>も使えない。どういうわけか、少し前から守りに入ったようだ」
 「こっちが戦力整えてんのに気づいたんだろ。ビビってんじゃねーのか」
と、レヴィ。
 (本当にそうなのか?)
声には出さなかったが、ロードは心の中で思った。さっきからずっと、目尻がぴりぴりする嫌な気配を感じていた。いつしか太陽は地平線を離れ、白い半月が地平へ近づくのとは逆に、天頂へと近づきつつある。


 世界から輝きが消えたのは、その直後だった。


 「…えっ?」
フィオが慌てて辺りを見回している。
 「え、え? 何、これ」
だがロードには、何が起きたのかを理解するのに、そう時間は必要なかった。
 「レヴィ!」
振り返るのと同時に、レヴィが胸のあたりを抑えながら呻いた。
 「大丈夫か」
 「くそっ。あの野郎、丁度いい時を狙ってやがったな…!」
見上げた空の天頂付近、太陽は確かにそこにある。だが、その輝きは見えていながら見えない、影のような黒い炎へと変わっている。真昼にあるべき全ての当たり前のものが消えた――光も、熱も。辺りが闇に沈み込んでいく。
 「これは一体、何事だ?!」
城の方から駆け寄ってくるヤズミンの姿がある。後ろに、シエラも一緒だ。
 「ちょっと! 持ち場離れちゃダメでしょ」
 「ごめんなさい、でも急に空が暗くなったものだから――」
シエラが言いかけた時、どこからか、まるであざ笑うかのような鴉の鳴き声が響き渡った。驚いて空を見上げる面々の目の前に、闇の空の中に人の形が浮かび上がっていく。レヴィは大きく舌打ちする。
 「…ふざけた演出しやがって」
ロードは、眼を凝らした。空に薄っすらと描き出された姿は、確かに以前見たリューナスに良く似てたど、ほんの少し違っている。以前間近に見たのは、細身でひょろりとした印象の男だったのに、今目の前に浮かんでいるのは古風なマントのような衣装を身につけ、本物よりもずっと堂々として見える。
 『我が宴にご足労いただき感謝する、とまずは言っておこう。当代きっての魔法使いたちを集めて貰えて嬉しいよ。こちらも歓迎の準備が整ったところだ。』
 「ふん、投影の魔法か。」
ヴァーデが鼻をならす。「こいつが"魔法全書"の著者だと? とてもそうは見えない小僧だな」
 「やだー、ファッションセンス最悪ー。何あのマント」
シャロットが口元に手をやりながらぼそぼそと言う。
 「ちょ…」
容赦ない批判に、思わず口から援護の言葉が零れ出る。「話は聞いてあげたほうが…。」だが自分でも、どうしてリューナスのほうの肩をもっているのか良く分からない。
 こちらの反応など無視して、幻影は変わらぬ調子で喋り続ける。
 『約束されし楽園への扉は開かれた。――間もなく月は沈み、真なる闇は訪れる。これで、私の理論は完成される。』
 「何様のつもり? それよりレヴィ、早く太陽戻してよ」
 「判ってるよ!」
黒髪の魔法使いは乱暴に腕を振った。空中に現われた青白い文字の塊が、まるで巻物を机の上にぶちまけたように勢い良く展開されていく。
 「おお…」
震える声でリドワンが呟く。「なんという魔力…まさか…これが世界を作るという呪文、なのか?」
 「凝視しないほうがいい。」ハルが静かな口調で言った。「文字を眼でなぞって解釈するだけでも、呪文の中身を発動するのと同じことになる。並の魔法使いなら一行読んだだけで限界に達する圧縮率だ。」
 「では、そちらの仕事は彼に任せたほうが良さそうだ」
と、スウェン。彼の方は、最初から顔を背けて興味なさそうに振舞っている。「我々はどこを手伝えば?」
 「あれを片付けるまでの時間稼ぎと、近隣の人間の退避を」
と、ハルは、空に浮かぶリューナスの映像の奥のほうを指差した。そちらに視線を向けたシエラが思わず小さく悲鳴を上げる。「あんなに?!」
 城のほうから、まるで煙のように黒っぽいものが染み出して広がっていくのが見える。

 <影>だ。

 「ほほう。宴というだけあって、こいつはまた大盤振る舞いだな」
ヤズミンは珍しく、ふざけたところの一切ない表情になっている。
 「城の地下の裂け目から呼び出しているようだ。ただ、彼の目的はそこじゃない。もっと根本的な部分で――」
 「あーくそっ!」
後ろでレヴィが声を上げている。「管理者権限でバックドアが仕掛けられてやがる! つーことはあの野郎、一時的にでも呪文の管理者になってたことがあるんだな。どおりで訳知り顔で干渉してきやがるわけだ。」片手で髪の毛をかき回しながら、もう片方の手で苛々と文字をなぞる。「よし。これで塞いだぞ。おい! これ以上は干渉させねぇぞ、鴉野郎!」
見上げた空の中で、幻影のリューナスがにやりと笑う。
 『無駄だ』
 「――何だと?」
 『既に目的は果たされた。こちらの勝ちだ。お前たちはいずれ知ることになる。その古臭いガラクタが不完全で、非効率で、人の未来を縛るものだとな。』
 「そう言うアンタに何が分かるっていうのよ」
フィオが言い返す。こちらの言葉が聞こえているのか、それともたまたま会話として成立しているように聞こえるのかは分からない。ただ、今この状況においてもリューナスは、自らの優位を疑っていないように振舞っている。
 『幾千の時、幾代もの”賢者”の誰一人、世界を改良しようとはしなかった。そうする力と権限を与えられていながら、最初に作られた設計のまま、不満を抱きながらもあるがままを受け入れ、制限も制約も肯定し、己に枷を嵌め続けてきた。変わることを恐れ、変えようと努力することもなく。』
 「それが人の不死化? 楽園? あらゆる苦労から逃れられるとか何とか、夢みたいなこと言ってるんじゃないわよ。文句があるなら…」
 『私は作り直す。』
 「……!」
栗毛の少女の口元が引きつった。
 『師より託されたものを見た時、私は愕然としたものだ。あまりにも不完全で幼稚な代物だった。いっそ全て壊して作り直そうかとも考えたのだが、それは巧く行かなかった』
 「"暗黒時代"…か」
ハルは、ちらりと他の魔法使いたちの方を見る。彼らの表情は様々だった。怒り、驚き、或いは呆れ。その視線がロードと合う。ロードは、小さく首を振った。
 「前に話したときもこんな感じだったよ。自分がどれだけ凄いことをやっているか、どれだけ他の人間が馬鹿かってことをずっと言ってた。…多分、あいつは」
 「理解され難い天才故の歪み、だな」
腕を組みながら、溜息まじりにヴァーデが呟く。「”魔法全書”から読み取れるイメージのままだ。ある意味、判りやすい」
 「んで? お前らどうするんだ」
呪文から顔を上げ、レヴィが尋ねる。「全員で正面から突っ込むのはお勧めしない。あいつは空間転移が使える。一発食らうと、戻って来んのに二、三日かかることになるぜ」
 「それは僕が阻止しよう」
と、ハルが一歩前に出る。「詠唱速度はかなり早いけど、打消しだけなら少なくとも互角くらいには持ち込める。」
ロードは内心で少し驚いていた。以前のハルなら、自分から何かすると言い出すことも、場を取り仕切ることも無かったはずだ。
 「フィオは<生命の歌>で皆の支援を。レヴィは呪文を戻すことに集中して」
 「わかった! 任せて」
 「しょーがねえ。そっちは頼むぜ」
ハルが視線をやると、白と黒の魔法使いの長は、それぞれに頷いた。
 「我々も従いますよ」
 「異論は無い。」
 「じゃあ、シエラたちと同じように<影>のほうを。それなら普通の魔法使いでも倒せる。ロードは…」
長い沈黙。何を言おうとしているのかは、その表情から何となく判っていた。腰に手をやって、彼は精一杯、明るい笑顔を作った。
 「覚悟は出来てるよ。危険ならどこにいたって同じだ。
 「……本当なら、頼みたくない。でも、出来るのはたぶん、君しかいない」
そう言って、ハルはロードに顔を寄せ、ぼそぼそと何か囁いた。
 少しの間。
 空を見上げると、リューナスの幻影がこちらを見下ろしていた。視線が合う。
 『勝負だ。お前たちの守ろうとしているモノと、私の作り上げた世界と。どちらがより優れているのか』
 「そんな勝負は成立しない。こっちが乗らないからな。」
 『すぐに判る。』
姿が掻き消されるのと同時に、声ならざる咆哮が辺りに響き渡った。ギチギチという耳障りな声が四方に反響する。視線をこらしたハルが言う。
 「<影>は、街道方向と港町のほうに広がっている」
 「えっ、ちょ」
慌ててシャロットが振り返る。
 「院長。街道沿いは…」
スウェンは頷いた。
 「街道方向にはアステリア軍がまだ居るはずだな。避難させなければ。…というわけで、我々の持ち場はこちらのようだ」
 「ふん、ならばこちらは不本意ながら町のほうに行くか。」
ヴァーデが剣を抜きながら、じろりとロードのほうを睨んだ。「ドジを踏むなよ、まだ貴様に死なれては困るのだからな」
 「ロード、また、あとで!」
大柄な兄の後について、どちらかというと細身のユルヴィが小走りに歩き出す。黒いローブを翻し、リドワンが続く。
 「ヤズミン、私たちは中央の茨の柵に戻りましょう。あそこを突破させないようにしなければ」
 「わかってるよ愛しい人。君と一緒ならどんな戦場へでも」
スカートをたくしあげながら走り出すシエラを追って、ヤズミンが動き出す。
 「いい? シエラのこと、絶対守るのよ。何かあったら、アンタの国の森、ぜんぶ枯らしてやるんだから」
フィオが睨みつけると、振り返りながらヤズミンは軽くウィンクしてみせた。
 「もとよりその覚悟だよ。」
それから、華麗に一礼すると、颯爽と駆け去って行った。
 「うぇぇ、なんなのよもう。シエラったに、あんなキザったらしい男のどこが良いのよぉ〜」
フィオは舌を出しながら、苦いものでも食べたときのような顔で二人を見送っている。
 「…悪い奴じゃないとは思うんだけどなぁ」
視界の端で、既に戦いは始まってた。最初に接敵したのはアステリアの白ローブの魔法使いたちだ。空に、直線状に光の帯が描かれていく。閃光弾を打ち上げたときの輝きに似ているが、描かれる光の軌跡はもっと有機的だ。
 「急遽作った、って言ってたけど、そのわりに強力だな」
光の軌道が直線ではないぶん、避けることは難しい。光が致命傷となる<影>にとっては厄介な武器のはずだ。
 「それで? ロード、どうするの。ハルさんには何て?」
 「…うん、ちょっとね。」
彼は、ちらりとハルの方を見た。
 『今から伝える作戦は、誰にも言わないほうがいい』
さっき耳元で囁く時、ハルはそう言ったのだ。
 『"鴉"が僕らの声を拾っているかもしれないからね。これは、ばれたら終わりの"賭け"のようなものだから。』
 「こっちは何とかなる。フィオは自分のほうに集中して」
 「わかってるってば。それじゃ…」
大きく息を吸い込むと、彼女は、特徴的な旋律を持つ歌を歌い始めた。<生命の歌>、効果範囲内にある全ての生命力を高め、命を再生させる”森の賢者”特有の技。ロードも最初から聞くのは初めてだ。旋律をつけられた呪文は、少女の声とともに大きく広がっていく。生命力は、魔力を扱うごとに磨り減ってゆく。フィオの力が、魔法を使って失われたそれを回復させているのだ。
 「これでいい」
ハルが呟く。
 「空間転移の魔法は僕が抑えている。<影>はロードの連れて来てくれた魔法使いたちが何とかしてくれる。フィオの力があれば魔力切れや体力の消耗も無い。…あとは、時間との勝負だ。」
レヴィはぶつぶつ何か呟きながら呪文の上を指でなぞっている。リューナスは、今もどこかからこの光景を見ているのだろうか。三人の"賢者"と、それ以外の魔法使いたちが協力しあって城を包囲している、今のこの状況を。千年前には実現することの無かった光景だ。それでも負けないと、――いや、既に勝っているつもりなのだと、何を根拠に信じているのか。
 「じゃあ、ハル。おれも行くよ」
返事はない。だが、背を向けたままのハルがどんな表情をしているのかは判っている。
 (信じてくれたんだ。応えるさ)
この場において、自分は一番の足手まといだ。ロードはそう認識していた。魔法使いとしては半人前以下、兵士や剣士としてはそれ以前で剣も扱えない。確実に出来ることといったら、生まれつきの眼で見えざるものを視ることくらい。…それでも。
 『南側の敵が手薄になった。ロード、海側の道沿いに移動して』
既に遠ざかり、姿は見えなくなったハルの声が風に乗せて耳に届く。言われたとおり、彼は焼け落ちた町の南側に展開する戦場を大きく迂回するよう走り出した。そちらでは既にノルデンの、黒ローブの魔法使いたちが湧き出してくる<影>を食い止めようとしている。リドワンが敵の数や強さを割り出し、その指示に応じてヴァーデが攻撃を切り替えているようだった。太陽石を埋め込んだ剣の明るい輝きが、暗い空の下で弧の残像を描き出す。人間離れした速度と跳躍に、ロードは思わず足を止めて見惚れた。
 (あれは…ユルヴィが同時に魔法をかけてるのか? ユルヴィのは、風を使う魔法だから…)
レヴィと協力して戦う時と根本は同じだ。一人が動くのにあわせて、もう一人が魔法でその動きを支援する。
 (…いつの間にか、あんな使い方も覚えてたんだな)
魔法の使い方も、最初に塔に来た時とは雲泥の差だ。レヴィが懇切丁寧に教えるはずもないから、自分なりに考えて修行した結果、だろうか。
 (あいつも…頑張ってたんだ)
握り締めた手に力が篭る。
 (いつまでも、昔のままじゃない…)
最初は理論さえ知らず本能的に魔法を使っていただけだったフィオも、レヴィだって、最初に出会った時は使いこなせなかった幾つもの魔法を、今では身につけている。そしてハルも、最初の頃とはまるで違っている。
 変わらないものもあるけれど、変わり続けるものもある。
 誰もが前に向かって進もうとしている。ロードの眼に見えている世界は、リューナスがそれを愚かだと笑う世界とは違ってた。

 足元に黒い影が落ちた。

 『…ロード、下って!』
 「え?」
 はっとして見上げると、目の前に大きな黒い影が覆いかぶさって来ようとしている。死に瀕した動物に取り憑いて<影憑き>となる以前の、純粋な<影>。それが一塊になって、一つの大きな生き物の姿になろうとしている。とっさにナイフを抜くと、彼は叫んだ。
 「手を出さないでいい! このくらいなら自分で」
走りながら、影の中心に見えた赤く滲むような点めがけてナイフを放つ。身体は翼の巻き起こした風に押しやられてよろめくが、放たれたナイフのほうは風に流されることもなく、真っ直ぐに狙った位置に深々と突き刺さる。悲鳴とも違う悲鳴。大きく口を開けながら、影がぼろぼろと崩れ落ちていく。
 『大丈夫?』
 「大丈夫だよ。そんなに心配しなくていい。ハルは、フィオとレヴィのほうを守ってて」
こちらからの声が聞こえているかどうかは分からない。だが、不満そうな表情と口の動きが視えていれば、言いたいことはだいたい判るだろう。
 『…強くなったよね、ロード」
 「全然だ。それより、他の皆は?」
視線を辺りに巡らせる。
 『戦況は五分。大丈夫、他に近くに敵はいないよ。リューナスは城の真上から動いていない。そのまま走って』
 (さっきのあれは、"竜"だったな)
ハルの声を聞きながら、ロードは再び走り出した。アルテミシアの伝説にある絶滅した生き物。以前、ユルヴィの故郷の丘で像を見たことのある、ヘビに翼をくっつけたような奇妙な生き物だ。以前戦った<影人>、ハルガートが好んで変身していた姿でもある。人を恐れさせ、ひるませるには効果的な姿だ。普通の魔法使いなら驚いて反応が遅れても不思議は無い。
 (ま、おれのはナイフ投げるだけだし)

 『より正確には”思考を単純化しろ”ということだ。理想は、何も考えずに魔法を使える状態。』
スウェンの言葉が蘇ってくる。

 『ぼくの魔法の発動までの速度はテセラに追いつけなかった。けどお前なら、その”身体で覚えた”使い方なら、あいつの速度に追いつけるかもしれない』
小枝を手に語るレヴィの姿が浮かぶ。

 記憶の中の黒い瞳と目が合ったとき、ロードは、彼の言わんとしていたことの意味をはっきりと理解した。
 (そうだ…、身体は考える前に動かすことも出来る)
ハルが何故、自分にこの役を割り振ったのか、ようやくわかってきた。
 彼は言ったのだ。

 城の背後に回り、最深部への最短ルートを開いてほしい、と。

 「おそらくリューナスは、あの城の一番深い部分にある部屋を守ろうとしている。何があるかは妨害されて視えないが、彼にとって重要なもののはずだ。…でも、真っ暗闇のあの"城"の中は戦うには不利だ。壁を壊せるなら、最深部への直接の入り口を作ったほうが早い」
 「けど…おれは」
 「君なら大丈夫」
ハルは自信に満ちた眼をしていた。
 「マルセリョートでさんざん魔法の練習に付き合ったからね。大岩だって平気で砕いてただろう? 瞬間的な出力ならフィオより上かもしれない。それに今回は壊すだけなんだ。思いっきりやればいい。」
 「……。」
 「問題は、今になってもまだリューナスの正確に狙いが読めないことなんだけど…。」
リューナスがやろうとしている世界の変革がどのようなものであれ、いまあるこの世界を形作る"呪文"は三つとも、正当な管理者のもとで管理されている。"風の賢者"の管理している呪文に干渉できていたのもついさっきまでで、今は完全に遮断されているはずだ。書き換えることも壊すことも出来ない。それに、世界の"書き換え"が一人では不可能なことは、テセラの時に実証済みなのだ。
 (あいつはどうやって、自分の世界を実現するつもりなんだ?)
いくら人の肉体を捨てたとはいえ、使える魔力に上限がないとも思えない。それに、ただ自分の世界を作りたいだけなら、わざわざこの世界に干渉したり、魔石を与えて魔法の才能のある者を掘り出したりする必要もない。リューナスの本当の狙いが一体どこにあるのか、果たしてそれは城の最深部に行けば判るのか――。
 確かなことは、今、その答えに最も近い場所にいるのは、ロードだということだった。


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