<本編3>

 1


 どうやら道を間違えたらしい、と気が付いた時にはもう遅かった。何となくまずそうな気配はあったのだが、まだ主戦場は遠いから大丈夫なはずと思い聞かせて突っ込んでしまったのだ。目的地に近くなると、そういうこともある。
 目の前では今、馬に乗った数十人の甲冑姿の騎士たちが全力でぶつかり合い、武器を交えている真っ最中だった。血なまぐさい土煙がもうもうと立ち上がり、鉛製の球体が頭上を飛び交っている。掲げられた旗印からして、ここいらを領地とする小領主同士のよくある小競り合いらしかった。魔法使いも数人混じっているらしく、球体があっちへいったりこっちへいったり、明らかに物理法則を無視して跳ね回っている。これが見世物なら拍手喝采ものなのだが、当たればただでは済まないサイズの鉛球は、敵陣に攻撃を加えようと猛スピードで動いている。
 「まいったな。さっさと終わってくれるといいんだけど…」
藪の中に身を隠しながら、ロードはうんざりしたように戦場を眺めていた。小国・小勢力に別れ、常に争いあっている群雄割拠の西の地方では、こうした小競り合いは日常茶飯事だ。街道沿いは協定によって守られていることが多いが、少しでも枝道に逸れようものなら何時どこで戦火に巻き込まれるか分からない。
 「噂には聞いていましたけど、西の方の戦いって…その、随分、野蛮なんですね。」同じように隠れて様子を伺っているヒルデの評は、辛らつだ。「戦い方も、武器や甲冑もばらばらじゃないですか。おまけに指揮官の姿が見えません。統制が取れていない…これ、本当に戦争なんですか?」
 「まあ、ノルデンの騎士団と比べればね」
ロードは苦笑する。「見たところ、いま戦ってるのは大きな国同士じゃなくて、このへんのちょっとしたお金持ち同士だよ。そういう連中は手勢が足りない時には、そのへんの傭兵や盗賊まがいを雇ってきて味方の数を増やすこともあるらしい。」
 「ちょっとしたお金持ち同士で、こんな無様な戦争ごっこをするなんて意味がわかりません。」
 「中の悪い隣人同士が殴りあう、その延長線上。話し合いで解決しないこともあるんだろ、多分」
木陰から様子を伺いながら、彼は、少しずつ前進を試みた。だが、どう頑張っても森を出て、合戦場のど真ん中を突っ切らなければ目的地に行けそうにない。そして目的地は、…真っ直ぐに目の前、もうそこに見えているのだった。
 「あの家ですよね」
と、ヒルデ。「ガト先生に頼まれたのって」
 「ああ、多分。先生の研究仲間の学者の住んでる家――やれやれ、簡単な依頼のはずだったのに、まさか家のまん前がこんなことになってるとは」
そう、簡単な依頼のはずだった。ロードの住む村からはほんの十日ほどの距離にある山の裾野の一軒屋を尋ねて研究用の本を借りてくる。お使いのようなものだ。それがまさか、戦場を突っ切る決死行に変わろうとは。
 「どうします? 夜を待ちますか?」
この辺りの小競り合いは、まず間違いなく夜には終わる。戦場を照らし出す道具も、その力を持つ魔法使いもいないからだ。
 「そうだな。けど、その前に、ちょっと試してみたいことがある」
ロードは、左腕にはめた腕輪に視線をやった。以前の、ナイフを投げるときに使っていた透明な魔石をはめこんだ腕輪ではない。最近になって身につけ始めた、"賢者の眸"と呼ばれる青い色の魔石をはめこんだもので、以前のものより引き出せる魔力の上限値が高い。最初の頃は出力の加減に手間取ってうまく使えなかったが、かなり練習したお陰で、ここ最近は少しずつ狙ったとおりの効果が出せるようになってきている。目の前の戦況は一進一退、魔法使いも騎士も入り混じっての混戦状態だ。失敗しても誤魔化せる。実験するなら、こんな場所のほうがいい。
 木陰から身を乗り出すようにして、彼は意識を目の前の戦場に集中させた。魔法を使うのに、特別な呪文は必要ない。頭の中で具体的なイメージを組み立てて、それに合わせて魔力を引き出すだけだ。ロードの場合はそれを、体の動きで覚えていた。
 (掴んで…止める)
ナイフを掴んで、ゆっくりと振りかぶる場面をイメージする。宙を飛び交っていた鉛球がぴたりと止まった。
 (投げる)
止まった球体が、勢いよくロードのイメージした方向に飛んでいく。戦場のほうから悲鳴が上がった。
 「よし、出来た」
 「ロードさん!? 一体何してるんですか!」
 「何って。巧くいったはず…」
言いかけて、はっとした。集中が切れるとともに、大騒ぎの喧騒が耳に届いたのだ。さっきまで戦っていた騎士たちも、魔法使いたちも、皆大慌てで走り回っている。原因はすぐにわかった。吹っ飛ばされたのはロードの狙っていた鉛球だけではなく、その場にいた全員の武器だったのだ。
 「な、一体何が・毛・・」
 「戦ってた人たちの剣や槍がとつぜん舞い上がって、球に釣られて森の奥に散歩に出ちゃったんですよ!」
ヒルデは笑いを堪えるのに精一杯だ。「もう、また失敗したんですか? この間も同じことしたでしょう。お皿を浮かせようとして、家中の食器を――」
 「あああ、その話は忘れてくれ。思い出したくもない…」
お陰で、浮かんだお皿を割らないように一枚、一枚、手でつかんでは、そろそろと机の上に積み重ねていく、神経の磨り減るような作業をするハメになったのだ。
 「えーと…ま、結果的には成功なんじゃないかな。ほら、誰もいなくなったんだし」
そのとおりだった。
 両陣営とも、吹っ飛ばされた自分の武器を探しに大慌てで森の中へ駆け込んでいってしまった。あとには怪我人や非戦闘員が、呆然と佇んでいるばかり。それも、どうしてこんなことになったのかがわからず大混乱の真っ最中だった。まさか誰も、通りすがりの見習い魔法使いの"失敗"のせいだとは、誰も思わないだろう。
 「今のうちに」
ロードたちは、もう誰も戦っていない戦場の真ん中を大急ぎで横切って、目指す石造りの家を目指した。山の麓の森に一軒だけぽつんと立っている、奇妙な螺旋階段を持つその家が今回の旅の目的地。村に住む学者・ガトの古くからの友人で、研究仲間だという人物の棲家なのだった。



 ノックしても返事はなかったが、ドアに鍵はかかっていなかった。
 「すみませーん。ラディルさん?」
やけに声が反響する。家の中は真っ暗で、人の気配もない。一歩踏み込んだ瞬間、足元が抜けて、ロードは勢いよく尻餅をついた。
 「大丈夫ですか?」
 「ああ。ここ、階段になってるみたいだ。気をつけて」
入り口を入ったところの床は一段下っていた。吹き抜けの天井は二階に繋がっているようだが、二階のほうも真っ暗で、物音ひとつしない。
 「ラディル先生? いないんですか?」
声が空しく響いている。
 「お留守でしょうか。家の目の前で合戦なんてしてたから、避難されたとか」
 「いいや、それは無いな」
ロードは、壁を覆う大きな本棚のほうに顔を向けた。ガトの家と同じように、そこにはびっしりと本が詰め込まれている。よく見ると、溢れたぶんは床の上にも直接積み上げられていて、窓際の大きな書斎机の周囲など足の踏み場もない。机の上には、紙とインクが置かれたままになっている。
 「ガト先生が言うには、こういう類の人間ってのは自分の命より蔵書が大事らしいよ。たとえ家に火をつけられても本を抱えて留まるものだとか」
 「そう…なんですか」
 「だから多分、どこかに隠れてるだけだと思う。ラディル博士いないですかー? ガト先生に言われて本を借りに来たんですけど。いないなら、勝手に探して持って行きますけどー」
声を上げながら本棚に手をかけたとき、足の下の方から、くぐもった声が上がった。
 「勝手に触るな!」
ロードは、足元を見下ろした。声はそこから聞こえてきたのだ。足元の床が、揺れている。
 「ぬぬ、あかん…ぬぬ」
彼がひょいと足をどかすと、床がいきおいよく開いて、中から小柄な老人が飛び出してきた。
 「わっ、開いた」
 「そんなところにいらしたんですね」
ヒルデが面白そうな顔をしている。
 床下の隠れ場所から這い出してきた老人は、濃い色のチョッキについたほこりを払いながら、憮然とした顔でロードの手元を睨む。彼は視線の意味を察して、無造作に取り上げた本を元の場所に戻した。
 「ガト先生に言われて来たんですけど。本を借りて来るようにと」
ロードが繰り返すと、ラディルは、ふんと鼻を鳴らしてチョッキのポケットから煙管を取り出した。
 「なんじゃい、あのジジイのとこの使いだったのか。あのハゲは元気にやっとるのか」
 「お陰様で。最近はラティーノ語の石碑だか何だかの解読で忙しいみたいですよ。」
 「ほーう楽しそうにやっとるじゃあないか。アステリアは小競り合いもなくて良かろう。ったく、こっち側と来たら、バカどもがしょっちゅう大騒ぎよ」
器用に片手で火打石を打ち、たばこに火をつけると、老人は大きく煙を吸って吐き出した。「で? 奴は何を借りたいと」
 「ラティーノ語の辞書と研究書、らしいです。メモは…ここに」
 「貸せ」
ロードの差し出したメモを窓から差し込む僅かな光に翳して視線を走らせた老人は、わずかに眉を寄せた。「…ハゲジジィ、一体何事に足ィ突っ込んだ?」
 「何事、って?」
 「ふん、わざわざ、わしのところまで借りに来させるだけのことはある。こんな本が必要ってぇことは、さぞかし面白いネタを見つけたらしいな。ちょいと待ってろ」
老人は、煙草をふかしながらどこかへ歩いてゆく。小柄な姿は、積み上げられた本と本棚の密林の奥にすぐに見えなくなってしまったが、どこかで床板の軋むような音がするところを見ると、目的の本のありかに向かって移動している最中らしかった。
 「あの、…ここにはお一人で?」
ヒルデの問いかけに、遠くの方から声が返ってくる。
 「今はな。半年もすりゃぁ、人は増える。弟子どもが戻ってくるんでな」
 「半年…」
 「冬さ。この森の奥にゃ幾つか遺跡がある。若い連中は、夏の間はそこに寝泊りしとるよ」
 「危なくないんですか。さっきだって、外で…きゃっ」
閃光が走った。少し遅れて、鈍い爆発音とともに家の壁がびりびりと揺れる。
 「はっ、爆破の呪文でも使ったかね。あんな戦争ごっこに命かけるこたぁないのによくやるもんだ。」
さっき武器を取り上げたばかりなのに、とロードは舌打ちした。休戦状態は一時間と持たなかったようだ。もうあと何時間かで日も暮れそうだというのに、まったく「よくやるもんだ」。ラディルと同じ感想しか出てこない。
 「ほれ、こいつだ」
どこからともなく戻って来たラディルは、ロードの手元に、数冊のちいさな革表紙の本を差し出した。
 「ずいぶん…小さい、ですね」
 「そのぶん、字も小さいぞ」
大きく煙を吸い込んで、老学者はふうっと息をついた。「ところでお前さん、魔法使いかね」
 「え?」
 「その腕につけてんの、魔石だろ」
ロードは、慌てて腕輪を押さえた。
 「いや、これは…まあ、そうですけど…魔法は…」
 「ふん、見習いか、飾りのつもりか。何でもいいが、西の方じゃ魔法使いは好かれとらん。隠しておいたほうがいいぞ」
 「好かれていないって?」
 「魔法使いといやあ、戦争に参加しとる連中の代名詞みたいなもんだからな。」
言いながら、窓に近づいて外の様子を伺う。「あーあ、火の手が上がっとるな。ま、こっちは風上だから万一のことがあっても燃えやしねぇが。」
 「……。」
 「何、半分は冗談じゃい、そんな顔すんな。ま、西の人間はアステリアやノルデンほど魔法使いを見慣れとらんからな、警戒される。それと魔石は高価なもんだから狙われやすいぞ。気をつけとけ」
 「それは…判ってます」
 「ならいいが。」
意味深な笑みを浮かべて、老学者は、とってつけたように呟いた。「…最近じゃあ、何やら"鴉"だかいう余所者の魔法使いが戦場をかき回し取るらしいから、余計にな。」
 (え?)
鈍い振動音に掻き消され、よく聞こえなかったが、老人は、確かに"鴉"と言ったような気がした。
 日が暮れるまでに決着をつけるつもりなのか、突発的な中断で失った時間の分も戦い尽くすつもりなのか、外から聞こえてくる音は絶えない。ラディルは煙草をふかし終えると、名残惜しそうにたぎこの火を消して、再び床を押し開けた。
 「まだ何日かは続きそうだ。わしはまた下に潜るとしよう。…お前さんらは? どうするかね」
 「おれたちはこのままお暇(いとま)します。日が暮れれば収まるだろうし」
 「なら、気ィつけてな。ガトのジジィに、さっさと論文を送って寄越せといっといてくれ」
床板がぱたんと小さな音をたてて閉まると、薄暗い部屋の中からは人の気配は消えてしまった。わざわざ隠れるのは面倒ごとに巻き込まれたくないからというより、地下にいたほうが静かで落ち着くから、なのだろうか。ロードとヒルデは、顔を見合わせた。
 「今回の旅の用事って、これだけですよね」
 「ああ。あとは村に戻るだけだな。」
楽勝、と普段なら言うところだったが、そう簡単でないだろうということは、既に想像がついていた。
 ここのところ、西の国では戦争が多い。
 元々小競り合いの多い地域ではあったが、最近はさらに酷い。連鎖的に争いが起こり、街道もあちこちが寸断されている状態。長距離馬車などの定期便も途絶えたままだ。安定して国の体裁を保てている地域すら、数えるほどしかない。そのうちの一つが、少し前にヒルデやレヴィとともに訪れたソラン王国だった。なぜここ最近になって急に政情不安な地域が増えたのかは、頻繁に旅をしているロードにも判らなかった。
 ただ、気になっていることが一つある。

 ――西の国の戦場ではどこでも、「どこからともなく現われる余所者の魔法使い」が魔法を扱う力を与えてくれる、という、半ば伝説めいた噂が流れていたことだった。


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