<本編2>

7


 シンダリアから北へ徒歩で国境を越えて街道へ出、そこから乗合馬車でさらに西へ。
 旅に馴れているロードにとっても、短期間にこれほど移動を繰り返すのは久し振りのことだ。ノルデン国内に入ると日差しの調子が変る。ここはもう、内陸の平原地帯。つい一ヶ月前に居たアステリアの辺境の海辺とは風の匂いも違っている。
 馬車を降りて大きく伸びをしたヒルデは、通りを行き交う人々の話し声に耳を傾けた。
 「この感じ…、何だか久し振りな感じ。」
 「この辺りはさすがに皆、ノルデン訛りだな。」
ノルデン南部の他の町と同じく、フラウロスの町にも城壁があった。長年、内戦を繰り返してきた土地柄ゆえだ。その内戦のうちの最後の一つが、現在のアステリアを独立国として分離させた。
 城壁に囲まれた小さな町の中には、古めかしい尖塔や、今は使われていないらしい見張り台などが聳え立っている。ヒルデが迷い無く歩いていくのを見て、ロードは不思議に思った。
 「ここ、前にも来た事あるのか?」
 「いいえ、実際には一度も。でも兄に聞いたことがあるんです。ここの通りの一番奥にある大きな図書館でよく時間を潰してた、って」
 「ふーん」
ヒルデは、先に立って歩いてゆく。「ええっと…。あっ、あれみたい」
行く手には、まるで城のような建物が聳え立っている。入り口に「フラウロス図書館・古書修復所」という看板がかかっていなかったら、ただの古城だと思って通り過ぎてしまっていただろう。かつて領主館か何かだったものを改造したのだろうか。門の脇には使われていない錆びた鉄格子の扉があり、水のない堀の上に橋がかけられている。
 その橋を渡って門を潜った先に図書館があった。外見は古い館のままなのに内装はやたらと今時風で、ちょっと面食らう。
 「貴族名鑑はどこかしら。ちょっと聞いてきますね」
ヒルデが、入り口のカウンターにいる案内係の方に駆け寄っていく。ロードのほうは壁にびっしりと並べられた本を圧倒されたように見回していた。こんなに沢山の本を並べておいて、一体、誰が読むというのだろう。
 本を手に取るでもなくぶらぶらと待っていると、しばらくしてヒルデが戻って来た。
 「お待たせしました。二階の奥だそうです」
手には書架の番号を記したメモを持っている。「ここに来てよかったですよ、五十年くらい前の分から全巻揃ってるんですって。小さな図書館だと最近の数年分しか無かったりするから」
 「…五十年も残してあるのか。」
そんな昔の貴族のことを調べる人間がいたりするだろうか。いや、それ以前に、一体どんな情熱が貴族名鑑などという本を五十年も作り続けさせたのだろう。
 優雅な曲線で作られた階段を登ると、突然、床がタイル張りになった。ドアノブは凝った作りの金属の浮き彫りのままだから違和感がある。かつては館の住人の書斎か何かだっただろう部屋の内装も、天井の梁に絡みつく植物の意匠はそのままに壁だけが無機質なペンキ塗りに変えられ、事務的に書架が並べられていた。
 「やっつけ仕事だなぁ…。」
 「何がですか?」
 「この建物。もうちょっとセンスのある改装は出来なかったんだろうか」
 「確かに。でも、本の並べ方は判りやすいですよ」
くすって笑って、ヒルデは、書架につけられた番号を視線で辿った。「ありました。ここですね」
 書架には同じくらいの分厚さ――辞書かと思うようなサイズの本が、ずらりと並べられていた。どれも同じタイトルで、ついている号数だけが違う。おまけに、何の意味があるのか、表紙はビロウド張りで、タイトル文字は金箔押しだ。
 二人は手分けして、ずしりと重たい十年前以前の本を何年分か、近くの閲覧台に乗せた。
 「調べ方を教えますね。この本は家名単位で人物名が紹介されていて、爵位の高い順に出てきます。」
 「家名…家名かぁ」そんなものは、貴族や特別な家系に所属する人しかわざわざ名乗らない。ノルデン以外の国では、滅多に使われないものだ。「…ってことは、家名の分からない奴を探すには一苦労だな」
 「そうですね」
ヒルデは苦笑した。「でも、名前だけでも絞れると思いますよ。それらしい人を見つけたら、付箋を挟んでいきましょう?」
 「やれやれ。今日中に読み終わるといいけどな…」
机に向かって、それぞれに分厚い本を捲り始める。探し出して間もなく、ロードは、本の中にヒルデの家の名前を見つけ出した。
 (ド・シャール家…へえ、一族の起源とか由来まで書いてあるんだ。…)
ヒルデも、すぐ上の兄のユルヴィも、十年前の時点では成人しておらず名鑑には載っていない。だが長兄のヴァーデのほうは、既に「家長」という堂々たる肩書きとともに名前が記されている。
 (王室付き特任補佐官、騎士団第四支部副団長…肩書きだらけだな…)
家が城の時点で薄々判ってはいたことだが、ヒルデとユルヴィの実家は、どうやらノルデンの貴族の仲でもかなり上位に位置するらしい。
 (…成程。ユルヴィが苦労するわけだ)
そんな家の年頃の娘が、家を飛び出して今はここにいる。ロードは本から視線を上げ、ちらりと目の前の少女を見やった。本人は平然としているが、もしかすると実家のほうでは大事になっていたりするかもしれない。
 「うーん…」
ヒルデが唸ったので、ロードはあわてて視線を手元に戻した。
 「なかなか見つからないですね。上位の家じゃないのかしら。ロードさん、どの辺りまで調べました?」
 「あ、えーっと…ごめん、読むのが遅くて。まだこのくらいかな」
 「そっちは十年前の部分ですよね」
 「そうだな。」
表紙の文字を確かめる。
 「こっちが十五年前です。そのイングヴィって人、十三年前には二十歳過ぎてたんですよね」
 「年齢はよく分からないけど、ジュリオよりは年上だったってレヴィは言ってたな」
 「じゃあ、このへんには載ってるはずですよね…。」
ページを捲る音だけが聞こえる時間が過ぎてゆく。時々立ち上がって背中を伸ばしたり、眼を休めるために窓の外を眺めたり。ロードたちのいる奥まった部屋までやってくる閲覧者もおらず、ただ時間だけが過ぎてゆく。
 気がつくと、部屋の中が薄暗くなり始めていた。窓の外は夕暮れの空だ。
 「そろそろ閉館ですよ」
戸締りにやってきた見回りの司書が告げる。
 「あ、すいません。すぐ出ます」
二人は慌てて席を立ち、本を元通り片付けた。結局、丸一日かけて調べても貴族名鑑にはそれらしい人物が見つけられなかった。
 「疲れたー、こんなに本読んだの生まれて初めてかもしれない」
外に出たロードは、肩を空に向かって大きく延ばした。「こんなに頑張ったのに手がかりナシ、か…。」
 「それらしい人さえ居ませんでしたね。年齢が全然違ってたりで」
 「本当は貴族じゃくて、身分を偽って演技でもしてたんだろうか」
 「それも可能性はありますけど、…もしかしたら、嫡出じゃなかったのかも」
 「嫡出?」
聞きなれない言葉だった。
 「はい。貴族名鑑に載ることができるのは正式な結婚から生まれたか、認知された子供だけです」
ヒルデは、少し眉を寄せて言いづらそうな顔をしていた。「…その、今ではもう少なくなったそうなんですが、昔のノルデンの貴族は、跡取りが中々出来ない時に妾…、つまり第二夫人を持つことがあったそうなんです」
 「それって、結婚してない奥さんってこと?」
 「そうですね。それから浮気とか…あの、身分違いの恋とか、何か理由があって結婚できない相手との間の子供とか。」
 「…なるほど。」
ロードは片手を腰に当てた。「そっち路線では調べようがないな」
 「ええ。記録にも残ってないと思います。調べるとしたら、知っている人に聞くしか。ただそれも、――望まざる子だとしたら、知っていても居なかったものとして扱われている可能性が」
 「……。」
頭上には、早出の月が輝き始めている。ロードは、しばし、その月のあたりをじっと眺めていた。
 ややあって、彼は口を開いた。
 「なら、知ってそうな人を探すしかない。ヒルデ、頼ってもいいか」
 「えっ」
 「おれにはノルデンの貴族にツテなんてない。知り合いもいない。ヒルデなら、少しは繋がりがあるだろ?」
 「え、ええ…でも…」
彼女は、困ったように口元に手をやる。が、すぐに心を決めたようだった。
 「判りました。でも、少し面倒かも…騎士団支部に行かなきゃ」
 「騎士団?」
 「この町から少し行ったところに、ノルデン騎士団の駐屯地があるんです。第四騎士団。兄のヴァーデの所属しているところです」
 「……。」
ロードの表情が固まった。ヒルデとユルヴィの長兄であるヴァーデには、以前、城に監禁された上に本気で殺されかけたことがある。
 「えっと…、ってことは、あの恐ろしいお兄さんがここの近くに居るってことなのか?」
 「多分。任務で出かけてない限りは」
なるほど。図書館の話を聞いた"兄"というのは無意識にユルヴィだと思い込んでいたが、…長兄の、ヴァーデのほうだったのか。
 ロードにとっては危険すぎる賭けだった。けれど今回はヒルデも一緒だし、まさか、駐屯地に行ったくらいでいきなり殺されたりはしないはずだ。
 (大丈夫、だよな…)
そう思いたかった。



 騎士団の駐屯地というのは、フラウロスとは目と鼻の先にあった。「フラウロス要塞」。かつてのアステリアとの戦争時代に使われたという砦で、見るからに堅牢そうな石作りの建物が郊外にどっしりと建っている。アステリアには要塞と名のつくものはないし、そもそも軍隊らしい軍隊もない。巡廻の兵士たちの組織立てられた動きを見ているだけで近づきがたい気分になる。
 (おれだけ外で待ってていいか、なんて言えないよなぁ…)
ヒルデはもう、誰かに話しかける機を伺いながら門の辺りをうろうろしている。離れて待っているだけで、胃が痛くなってくる。
 「ロードさーん」
名を呼ばれて、彼は思わずびくっとなった。
 「通してくれるみたいですよ! 行きましょうか」
 「あ、ああ…。」
奥から出てきた兵士が、うやうやしくヒルデを案内する。外を巡廻している兵士たちとは服装が違う。階級が上だからだろうか。それとも、"騎士"とかいう古めかしい称号を持っているせいだろうか。そもそもロードには、いまだに「貴族」とか「騎士」とかの階級の違いや成り立ちが良く分かっていない。
 「ヴァーデ兄さん、丁度ここにいるんですって。今は特に任務もないみたいだからお話できるみたいですよ」
実家を出るときあれだけの大立ち回りがあったというのに、ヒルデは楽観的だ。「大丈夫ですよ。ヴァーデ兄さんはカッとなりやすいけど、冷静な時は冷静です」
 「でも、ユルヴィにあんな酷いことしたんだぞ」
 「それは、…」ヒルデは、少し遠い目になる。「…兄さんには、譲れないものがあるから。」
会話が途切れた。廊下を歩く足音だけが響いている。長い長い廊下を何度も折れ曲がり、階段を登り、やがて二人は、要塞のいちばん奥深い場所にある建物の中に辿り着いていた。
 案内してきた兵士が扉の前で突然両足を揃え、驚くほど大声を張り上げた。
 「失礼いたします! お連れいたしましたッ」
中から、くぐもった声で返事がある。誰も見ていないというのに、兵士は畏まった動きで扉の脇にどいて、片手で扉を開きながらヒルデに敬礼した。
 「どうぞお通りくださいッ」
 「ありがとう。」
優雅に微笑みかけると、彼女は先に立って部屋の中に入ってゆく。恐る恐る、ロードも後に続いた。
 部屋の中は広々として明るく、そして、軍の施設という看板からは想像もつかないほどこざっぱりとしていた。絨毯にソファ、窓の外にはテラスまであり、高級ホテルの一室のようだ。思わず気を緩めそうになったのも束の間。部屋の隅から発せられた重々しい咳払いで、ロードは我に返った。
 窓際に厳しい顔つきの大男がのっそりと立っていた。思わず後退りかけたロードより早く、ヒルデが兄のほうに駆け寄っていった。
 「兄さん! お久し振りです」
 「……ああ。」
妹の笑顔に、不機嫌そのものだった男の表情が僅かに緩む。先制攻撃だ。
 (巧いな)
内心そう思いつつ、ロードはなるべく目立たないよう、そしていつでも逃げ出せるようにと、入り口近くに立ったまま小さくなっていた。
 「お元気そうでなによりです。近くまで来たので寄ってみたんですよ」
 「何を気楽なことを言っている。お前は行方知れずになっていたのだぞ? 母上はひどく心配しておいでだ」
 「判ってます。申し訳ないことをしたわ。でも、そうでもしなきゃ家を出られないじゃない? わたし、世界中を冒険してみたかったの」
 「お前――」
 「お話は後よ。訊ねたいことがあるんです」
言いながら、ヒルデは兄の口元に人差し指を突きつけた。「イングヴィという魔法使いのことを知りたいの。ノルデン貴族で、金髪の男の人。生きていれば今頃は三十半ばくらいの年。」
数秒の間。ヴァーデの表情がはっきりと判るほど大きく歪んだ。
 「…お前、どこでそんな名前を聞いてきた」
 「知ってるのか?!」
思わず声を上げたロードのほうを、ヴァーデがじろりと睨みつける。
 「貴様、また何か企んでいるのか。ユルヴィのみならず妹まで利用しようと――」
慌ててヒルデが割って入る。
 「違いますってば! これは、大事な用事なんです。お世話になった方がその魔法使いの遺族を探しているのよ。ご存知でしたら教えて頂戴」
 「遺族…?」
憤怒と猜疑しかなかったヴァーデの顔に、初めて、別の表情が現われた。「死んだというのか?」
 「ええ、十年以上も前です。事故で…、それ以上のことは聞いていないのですけれど」
 「……。」
ヴァーデは妹を引き離し、何か考え込むように窓辺に近づいて外に目をやった。長い沈黙の後、彼は、背を向けたまま低い声で呟いた。
 「…イングヴィ・ド・ラルシュ。それがお前たちが探している魔法使いの名だ。」
 「ラルシュ?」
ヒルデが驚いた様子で聞き返す。「じゃあ、その人は…」
 「そうだ。この国でも有数の大貴族の家柄だ。だが、奴は私生児として扱われた。腹違いの、正妻の子である弟が生まれたせいで」
 「兄さん、どうしてその人のことをそんなに詳しく知ってるの」
 「同じ頃に魔法学校に居たのだ。優秀な奴で、今はどこで何をしているかと思っていたが。…そうか。死んだか」
その言葉には、単なる同級生以上の響きがあるような気がした。ロードは初めて、この恐ろしい男に人間らしい情を感じていた。
 ヒルデが、そっとロードに視線で合図する。
 「あの、兄さん。ありがとう、それじゃ、わたしたちこれで…」
 「待て」
扉を出ようとしたとき、太い声が否応なく二人の足を止めさせた。
 「ヒルデ。これ以上の勝手は許さんぞ。家に戻れ!」
 「嫌よ」
振り返って、ヒルデはきっぱりと言った。「生き方を押し付けられるのは、もううんざり。無理やり連れ戻しても、わたしは何度でも家を出ますからね」
 「お前は、何を言って――」
 「ユルヴィ兄さんだって同じよ。わたしにも同じことをなさるんですか。魔法をかけて一生閉じ込めるつもり? 無理よ。扉はもう、開かれたの」
言いながら、彼女は目の前の扉を勢いよく開いた。
 「ヒルデ!」
後ろから追ってくる声にも構わずに、ロードの腕を掴んで足早に廊下を歩き出す。走らないのは、ギリギリのところで礼節を弁えたつもりなのだろうか。
 「お前に縁談が来ているのだぞ。相手は高名な――」
 「"お家の名を汚すのか、貴族の子女は年頃になったらさっさと嫁げ"でしょ。兄さんはずっと同じことしか言わない。もう聞き飽きたわ」
 (ヒルデ…)
彼女の目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。すれ違うことしか出来ないもどかしさと。家族に理解してもらえない悲しみと。


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