<本編2>

 23


 一息ついて、目の前の青い海を眺める。きらめく穏やかな波、朝の光。日はまだ、水平線からそう遠くない場所にある。
 ロードがいるのは、マルセリョートの入り江の斜面の上だった。魔法の練習のためにやって来たのだ。ここなら、どれだけ失敗しようが、何をしようが、人目について噂になることもない。足もとには、 さっきまでさんざん練習に使っていた丈夫なヤシの実が転がっている。フィオがハルに魔法の使い方を教わっていたときと同じように、今は、レヴィに自宅の地下室と島の洞窟の奥の扉が繋がれている。
 最初の頃はうまくイメージが湧かず何度も失敗していたが、ここ数日は、なんとか「物を浮かせる」と「投げる」くらいは出来るようになった。そして、不用意に大きすぎる物体を動かすことも、飛ばしすぎることも少なくなった。
 斜面を滑り降りると、ちょうど海から上がってきたハルとばったり会う。
 「なんだ、もう帰るの?」
髪の水滴を落としながら、ハルが残念そうに笑う。
 「オリーブの獲り入れ手伝わないと。…終わったらまた練習しに来るから」
 「元気だねえ。疲れない?」
 「別に。やってることは荷物運びくらいだし」
摘み取り作業は、村人が総出で行われる。お年寄りや女性たちは実の摘み取り、力のある男性や若者はオリーブの詰まったかごを背負って村の工場に運ぶ。けれど、普段から旅で荷物を背負っているロードにしてみれば、そのくらいし大して疲れる作業でもない。
 「そうじゃないよ。」ハルは笑う。
 「え?」
 「魔法。ここのところ、毎日ずっと練習してるよね? 次の日、頭が痛くなったりはしない?」
 「…うん、今のところは無いな」
ロードは自分の手元に視線をやった。そこには、青い魔石をはめ込んであるほうの腕輪がある。いつものナイフと腕輪の組み合わせは、家に置いてきた。
 「大した魔法は使ってないと思うし。最近は少し馴れてきた。」
 「じゃあ、ちょっと試してみようか」
そう言って、ハルは海の方を振り返った。波間から、小さな氷の塊が浮かび上がってくる。海水を一部凍らせて取り上げたのだ。
 「ロード、あれ狙ってみて」
 「狙うって言っても…」
彼は周囲を見回した。「投げられるものが何も無いんだけど」
 「何もない時は、どうすればいいと思う?」
 「どうって」
 「魔法の使い方は、人それぞれだ。同じ結果を実現するために取れる方法は、幾つもある。たとえば"とてつもなく高い場所にあるヤシの実を取りたい"と思ったとき。レヴィのような魔法使いなら、自分を浮かせるだろう。フィオなら杖に乗って飛ぶ。僕は氷の刃で実を切り落とす。でも、木を切り倒してもいいし、木を揺らしてもいいし、自分の肉体を強化してよじ登ってもいい。――自分の得意な魔法。方法。答えは一つじゃない。自分なりの方法を編み出すこと、それも大切な修行の一つだよ。」
 「……。」
ロードは、ちらりと崖のほうに目をやった。
 「…じゃあ」
ひと呼吸おいて、すぐ側にある崖の斜面に視線をやる。岩を掴むイメージ。そして――放り投げる。
 ぼきっ、と音がした。
 「あ…」
大きな影が落ちる。
 次の瞬間、頭上を飛び越えた大岩が氷の塊を上から押しつぶし、派手な水しぶきを上げて海中の沈んでいくのが見えた。
 「……。」
 「あー、やっぱりまだダメかー…。」
溜息をつきながら、ロードは岩の抉れた崖の方に視線をやった。「ごめん、ハル、だいぶ削れた」
 「直しておくから大丈夫。ま、最初の頃よりはマシになったと思うよ。」海中に落ちた岩を引き上げて元の場所にくっつけながら、ハルは冷静に返す。「どうもロードは、元々形のあるモノの操作は得意だけど、即席で物体を作るのは苦手みたいだね。」
 「ハルみたいには行かないか」
 「僕は、物体を作り出すほうが元々の特性だからね。むしろ動かすっていうほうが、おまけみたいなものだ」
波がきらめく。再び、海面の上に氷の塊が現われた。ただし、今度は一つではなく、一気に数十だ。
 「今度はこれを使って、的を狙ってみよう。沖の島の手前に、岩が突き出してるだろう。あれを狙ってみて」
 「それなら簡単だ」
右手を握り締め、実際にその氷の塊を「手にする」イメージを描く。そして、軽く助走をつけて、遠くに見えている島に向かって放り投げる仕草。波の上に浮かんでいた塊が一斉に動き出し、島の一点に収束していく。
 「うし、これは巧くいった」
 「へえー…なかなかの命中率だね…」
ハルは、島のほうに視線をやって少し驚いた表情になっている。「ナイフ投げで鍛えたお陰か。ロードには、こっちの使い方のほうが向いてるのかな。」
 「なんだかノルデンの魔法使いみたいで、あんまり好きな使い方じゃないけど」
 「少なくとも、防御よりは攻撃向きの力だね。」
言ってから、小さく笑って付け足す。「でもきっと、使い方次第だ。」
 「………。」
 「不安かい?」
 「いや――」
いまこうして、ハルと魔法の練習をしているということ自体が何だか不思議な気分だった。別世界に飛ばされるようなことがなければ、きっと一生、魔法を練習しようとか、制御できるようになろうとか思わなかった。自分が持っている力も認識しないままだった。今持っている、腕輪にはめ込まれた青い魔石を手にすることも――
 「あ、そうだ。あの手紙…結局なんだったんだろ」
 「手紙?」
 「おれの部屋に、封筒に入れて置いていったやつ。『賢者の瞳 宝の謎を解いてください』って。…もう一人のハルが置いていったのかな? やっぱり」
 「宝かぁ…ロードのことじゃない?」
 「おれ?」
 「僕が書いたんならそうだと思うよ。だって、僕の宝物なんて、君くらいだもの」
 「…な」
思わず視線を上げると、隣でハルが微笑んでいる。ロードは真っ赤になった。
 「そういう顔やめろよな! ていうか、あんたは"世界が大事"とか、そっちじゃないとダメだろ」
 「照れてる?」
 「照れてない! もういい、帰るから。じゃ!」
慌てて目を逸らすと、ロードは、大急ぎで扉のある、崖の洞窟に向かって歩き出した。
 途中で振り返ると、ハルは、まだこちらを見ていた。その表情の向こうに、もう一つの世界で見た無表情な顔が、一瞬だけ重なる。
 (笑ってて欲しいと思った)
暗い洞窟の奥にある扉に、手をかける。
 (あんな顔、もう、して欲しくない。今のままで…。)
潮の香りが遠のいてゆく。扉を潜ると、そこは自宅の薄暗い地下室の中だ。雑多なものを詰め込んだ箱や、ロードの子供の頃のものが仕舞いこまれている。
 一度閉じた扉を開きなおすと、今度は、普通に家の廊下が現われた。台所のほうから賑やかな声が聞こえてくる。ヒルデが、サーラと一緒になって村人全員分の食事を作っているらしい。窓の外では村人たちが、オリーブを入れるかごを手に、今日も仕事を始めようとしている。
 当たり前の日常、見慣れた光景。
 それが沢山の"失敗"の繰り返しと選択の果てにあるということを、今のロードは知っていた。


*****


 それから時が流れ、――いつしか、季節は夏の終わりにさしかかっていた。
 オリーブの収穫が終盤に差し掛かる頃、ロードは久し振りに"風の塔"を訪れていた。
 海沿いの比較的温暖な村のあたりとは違い、北の果ての山間にある塔のあたりは既に秋の気配が深まり、遠い山々には早くも白い霜が降りている。薪を入れた小さな持ち運びの火鉢を部屋の隅に置いて、ランドルフは、寝台でクッションにもたれながら半身を起こしていた。ここのところ殆ど床を離れず、食事も摂らなくなったとはレヴィから聞いていたが、実際に目の前にすると、衰弱ぶりは明らかだった。木の枝のようにやせ細った手を毛布の上に置いて老人は、白い眉の下からこちらを見ていた。ロードが椅子に腰を下ろすのを待って、口を開く。
 「すまんな。わざわざ呼び立てて」
 「いえ…、どうしたんですか。おれを呼ぶなんて」
ランドルフが会いたいと言っている、と、今朝レヴィがやって来たのだ。それで、仕事をヒルデに任せてレヴィに連れられてやって来た。部屋にはランドルフとロードしかいない。
 「レヴィに聞いた。次の"海の賢者"になるそうだな」
 「え、あ…いや」じっと見つめられて、ロードは思わず口ごもった。「…まだ、決まったわけじゃないです。もっと向いてる人がいるかもしれない。ただ、ハルが辞めたくなったら、いつでも代れるようにって…。」
 「わしは、君なら適任だと思う」
皺に埋もれた薄い緑の目が優しく細められた。生命の火が消えようという間際でも、その目だけは、以前と変わらぬ輝きを持っている。
 「自分の"星"を見つけられる者はそう多くは無い。一生をかけても見つけられぬ者もいる――君は、"星"を見つけたとき、なにを考えていた?」"
 「何、って…うーん…」
ロードは、腕組みをして考え込んだ。「…ハルに笑ってて欲しいって…、ことかな?」
 ランドルフは微笑むと、小さく頷いて目を閉じた。
 「"海"は、三賢者の中で最も後継者の見つかりにくい難儀な座なのだ。代々の"海"の賢者は、後継者を探すのに苦労してきた。ただ世界を一周すれば済む"風"などは、最も条件の簡単な座だ。」
 「それはハルにも聞きましたけど…」
 「自分の"星"とは、生きる目的や自分の意味のようなものだ。判っている者には大したこともないが、判らない者にはどれだけ説明しても理解出来ない。マルセリョートも元々は、"海の賢者"が後継者候補をまとめて送り込む場所だった。"星見の島"というのが元々の名だ。空気の澄んだ海の上で、夜空を見上げやすく静かな場所――何年も篭って空を眺め続けるための。今はもう、そんな意味も忘れ去られてしまったが。」
 「……。」
部屋の隅で、火鉢がぱちぱちと音を立てている。
 「ロードくん、"創世の呪文"を管理する者はなぜ、三人いると思う?」
 「え? えーと…一人じゃ寂しいから?」
 「そうだな。それも一つの答えだ。人の一生は百年にも満たない。誰もが皆、先に逝ってしまう。――だが、それは一番の理由ではない。」
 一人で管理しきれないから、とか。世界の再生は、一人では出来ない」
 「確かに一人ではな。だが、二人いれば出来る。そうだろう?」
 「…はい」
 「三人でなくてはいけない理由がある。三元定理だ。三者が共に影響しあう時、最も効率的に相乗効果を発揮する。一人の時の何倍もの力を出せる。――わしは一度も、そんな関係は築けなかったが。」
声が掠れていく。老人は、静かに大きく息を吸い込むと、体に篭っていた力を抜いて、もたれかかっていたクッションに体を預けた。静けさとともに、窓を叩く風の音が室内に響く。
 「君たちなら問題ない。君たち三人であれば。…安心して次の五百年を任せてゆける。」
消え入りそうな声を、ロードは、どこか遠くから聞いているような気持ちでいた。五百年先のことなど想像もつかない。五百年どころか、たった一年先のことさえ分からないのだ。そもそも、魔法さえろくに使えない今の自分が、レヴィやフィオやハルのように、まともな"賢者"になれるかどうかも分からない。不安を感じると、世界は闇のように思えてくる。けれど、一人ではないと思いなおすとき、その世界は光に照らされる。
 その光の中のはるか遠くから、"時"の交差点で聞いた言葉が聞こえてくるような気がした。

 "ここから先の未来を頼むよ、…ロード"





 五百年を生きた魔法使いがこの世を去ったのは、それから数日後のこと。
 世界の一つの時代が、終わろうとしていた。

triad theōria - main scenario 2/了


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