<本編2>

 13


 リスティの話ではレヴィは夜には戻って来るという話だったのに、結局その日は彼は姿を見せなかった。
 そして翌日、彼女は、困った様子でロードのところにやってきた。
 「塔のほうで面倒が起きたみたいで、レヴィ一人じゃ手が回らないらしいの。今日一日、お留守番していてもらえないでしょうか」
 「面倒?」
 「マウロさんが何か、失敗したみたいで…。あ、マウロさんっていうのは、わたしたちより前から塔で働いていた方です。使用人と…魔法使いの弟子の中間みたいな方ですね」
その名前も、以前レヴィから聞いた覚えがあった。ただ、探し人の依頼には入っていなかった。塔の近所の出身で、素性がわかりやすかったからだろう。
 「失敗って魔法?」
 「ええ、多分…それ以外の失敗も、たまにありますけれど…」
言いよどむ雰囲気からして、そのマウロという人物があまり要領の良くない使用人だということは薄々感じられた。そういう人物が魔法を覚えてしまうと、かえって悲惨なことになる。
 リスティは、ロードに家の鍵を預けて塔へ出かけていった。空間を繋ぐ扉は完全に閉ざされてしまったので、こちらから塔の様子を伺いに行くことは出来ない。
 一人になってしまうと、特にすることもなかった。シュルテンの町は昨日ひととおり見て回っていたし、元居た世界と違っているとはっきり判ったのは、広場の噴水くらいだ。
 (あの噴水は何で、こっち側にだけあるんだろう…いや、逆かな? 何で向こうには無かったんだ)
些細な違い。けれどもしかしたら、そんな"違い"は、まだ気づいていないだけで他にもあるのかもしれなかった。
 間違い探しのような別世界。
 あまりにも似すぎているせいか、危機感すら湧いてこなかった。
 (焦っても仕方ない。ハルに会いに行って、相談してみるしかない。…それでダメだったら…どうしようもない…)
広場に面したキオスクで新聞と地図、それに軽食を買うと、ロードは、レヴィたちの家に戻って通りに面した日当たりの良い場所に椅子を置いて新聞を広げた。新聞なんてものは、ノルデンに来た時くらいしか手にしない。アステリアでは一ヶ月ごとに嵩張る雑誌のようなものが本屋の入り口に積まれるだけだし、それ以外の国では、印刷物が定期的に流通するようなしくみがない。ニュースが毎日手ごろに読める媒体で売られているような国はノルデンくらいのものだ。
 (ふーん…こっちの世界のノルデンは今、アステリアと戦争をやってるのか)
お互いの国境線を越えての本格的な紛争は数十年ぶりだと、記事には書かれている。だとすると、これまでの歴史はロードの知っている世界のものと大して違わないか、ほぼ同じということになる。記事の中には、ノルデンの主席法使いであるリドワンの顔写真も載せられていた。いかめしい、貴族然とした見覚えのある顔。

 "<影憑き>の大量発生。原因は本当にアステリアか?"
 "隣国との戦争より国内の<影憑き>の問題を解決せよとの指摘も"

紙面に踊る見出しを眺めているうちに、ロードはふと、気が付いた。
 (…もしかしてこれ、あの時、おれたちが介入していなかった場合の出来事なのか?)
一年ほど前、古都フューレンでノルデン軍の会議が行われていたとき、ロードはレヴィとフィオを入れた三人で進軍を阻止する行動に出たのだった。リドワンと出会ったのも、そこでだった。こちらの世界ではロードは二人と知り合いではなく、レヴィも"賢者"の力を継いでいない。進軍阻止は起こらず、――おそらく、そのままアステリアとノルデンは開戦した。
 (ってことは…。この世界の「今」は、いつなんだ?)
新聞をめくると、「開戦から約一年」という文字が目に留まった。
 (同じ時間? こっちの世界の、同じ日付に飛んだ、ってことなのか)
考え込んでいたとき、手元に、影が落ちた。
 「あ」
顔を上げると、覗き込んでいた若い男と視線が合う。
 ユルヴィだ。
 ロードのほうは彼が誰なのか知っているが、相手のほうは、ロードを知らない。昨日、レヴィと一緒にいるところを見たくらいで。
 「えっと…。リスティさんは、居ないのかな」
 「レヴィの手伝いに行ってる。一日留守番しててくれって頼まれてるんだけど」
言いながら、ロードは、ユルヴィの黒いトーガに目をやった。<王室付き>、この国の正規の魔法使いの制服。初めて会った時のユルヴィが着ていたものだ。元の世界では、ロードたちと出会った時、<王室付き>を辞めてそれを脱いでしまったのだが。
 「…ああ、これ? 気にしないで、今は非番だから」
ロードの視線に気づいて、ユルヴィは、あわててトーガを脱いだ。「今日の仕事は終わってる。サボリじゃない。」
 「ちょうど新聞で戦争の話を読んでたところなんでね。戦線に出なくていいのか?」
 「私はまだ、実戦には出してもらえないんですよ」
そう言って苦笑する。そばかすの残る頬、真面目そうだがどことなく気弱そうな雰囲気。こちらのユルヴィもやはり、ロードの知るユルヴィ"そのまま"だ。
 「入ってくれば? 一日ひなたぼっこしてるのも退屈なんだ。そのうちリスティさんが戻って来るかもしれない」
誘ってみると、ユルヴィは意外にあっさりそれに応じた。興味津々といった雰囲気だった。
 「君、アステリア人だよね。レヴィ君の友達?」
 「まあそんなとこかな。…あ、そうか、今は"敵国人"になるのか。<王室付き>が話してちゃマズいとか?」
 「まさか。民間人には関係ない話です」
丸めた黒い制服を小脇に抱え、青年は、困ったように笑みを作る。「それとも、君、アステリアの<王立>に所属してたりする?」
 「いいや。だったらこんなところでのんびり留守番なんてやってない」
 「ですよね。」
他愛も無い雑談をしながら、ロードは、ユルヴィはどうしてここへ来たのだろうと考えていた。レヴィと友達、というわけでもなさそうな気がする。昨日は確か、ここでリスティと話していた。そして、今日も最初に尋ねたのは――。
 「…もしかして、リスティさんのことが好きだったりする?」
 「えっ」
ユルヴィの顔が、見る見る間に赤くなっていく。「えっ…いや、あの」
 (あー……)
あまりにも判り安すぎる反応だった。(レヴィ…"気がある"とかじゃなくて、これは…)
 「リッ、リスティさんには言わないで下さいね?!」
 「いや言わないけど、…言わないけどもうバレてると思う…。」
 「ええーっ」
 「……はあ」
新聞を畳みながら、ロードは溜息まじりに視線をそらした。「まあ判るよ、優しいし、料理とか上手いし。でもなー、そっかー、…ユルヴィ、リスティさんのこと好きだったんだー」
 「えっ、え? いや、待ってください。私、まだ名乗ってませんけど」
 「知ってるよ前から。レヴィともそれなりの付き合いだし」正確には、元いた世界での付き合い、だが。「でも、あんたノルデンの貴族だろ? 家も城だし。庶民と付き合うなんて言ったら、反対されるに決まってる」
 「……。」
ユルヴィの表情が、瞬時にして真面目なものに変わる。
 「それは…、判って…ます。」
膝の上で握り締めたこぶしが、かすかに震える。
 「彼女が迷惑に思ってることも知ってます。でも…どうしても諦め切れなくて。いけないことでしょうか?」 
 「いけなくはないと思うけど、思ってるだけじゃ駄目だ。今いる道が望む場所に繋がってないのなら、行くか降りるかはどこかで決めなきゃいけない。だろ?」
 「………。」
ユルヴィは、押し黙ったまま俯いている。言い返すこともなく、ただ、じっと自分の内側を見つめている。
 (こっちのユルヴィは、まだ…迷ってる最中なんだな)
ロードも黙っていた。何も言わなくても、きっと彼はいつか、ロードの知るもう一人の彼と同じ結論に辿り着くはずだと思っていたから。



 夜明け前、話し声で目を覚ました。
 カーテンの向こうには薄明の空がある。二人の帰りを待っているうちに、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。薄暗い中を手探りで起き上がって廊下に出ると、階下の方からレヴィとリスティの話し声が聞こえてきた。
 「そう…、でも、もういいんじゃない? あの人たちは…あっ」
足音に気づいてリスティが顔を上げた。向き合っているレヴィの頬には、殴られたような痣が出来ている。治癒の魔法で手当てしていたのだ。
 「どうしたんだよ、それ」
 「別に、ちょっとぶつけただけだ」
 「家事しててそんなになるかよ。塔で何が――」言いかけて、ロードは気が付いた。「…殴られたのか?」
 「……。」
気まずい沈黙が落ちる。
 だからレヴィは、リスティを塔に行かせたくないのか。
 「誰なんだ? あのイングヴィって人?」
 「ま、今回はそうかな。」
 「レヴィ!」
 「大体の事情は知ってるよ、こいつは」
赤く腫れた頬を撫でながら、彼は、不敵ににやりと笑った。「今更、"賢者"がお伽噺とは違うものだって話をしたところで、驚きはしないさ」
 「でも…」
 「雇い主の悪口は言わないほうがいいってんだろ。判ってるって。」
心配そうなリスティの手を払いのけ、レヴィは、階段の前に立っているロードの方に近づいて来た。
 「お前、これから"海の賢者"のところに行くつもりなんだろ」
 「ああ」
 「道案内は?」
 「問題ない。おれの出身地のほうだし、…マルセリョートまで海を渡る船さえあれば」
 「そか。」
彼は疑いもしない表情で笑うと、振り返って姉の方を見た、
 「リスティ、悪ぃ。最低限でいい、しばらく塔の連中の面倒見てて貰えないか? せめてそこまで、こいつを送って行きたい」
 「ええ、それは勿論――でも」
 「それで最後にするよ。戻ってきたら、この仕事は辞める。塔の連中とは縁を切るつもりだ。別の町に行こう。塔の繋がってない、普通の家を買うか借りるかするんだ。」
リスティの眼が、大きく見開かれる。
 「レヴィ、…あなた…」
 「ま、休暇を切り出しただけでこのザマだ。退職金は、出るかどうか判んねーけどな」
彼は、強い眼差しできっぱりと言った。
 「誰かに命令されて飛ぶのはもう、ウンザリだ。ぼくは連中のお使いをこなすために魔法を覚えたわけじゃない」
リスティは何も言わなかった。ただ、黙ってスカートを翻し、二階のほうへ上がっていく。その後姿を、レヴィは視線で追いかけていた。
 「いいのか? おれはお前みたいに飛べないし、普通に乗合馬車で行くと一ヶ月以上かかる。その間、リスティさんを一人にすることになる」
 「大丈夫だろー、ユルヴィとかいうクソ真面目そうな奴もいるし。あ、この町から引っ越したらあいつ、どうするんだろうな」
 「レヴィ…」
 「気にすんな、こっちの話だ。ぼくはリスティが幸せになってくれれば何だって構わない。そのためなら、何でもするさ」
気づいていたのだ。ユルヴィのことも、それに対するリスティの思いも。
 「ふふっ、妙だな。お前と会ったのは数日前なのに、なんか、ずーっと前から知ってるような気がする」
 「ああ。おれも、お前が前から知ってるほうのレヴィに思えてきた。」
 「いいな。そっちのぼくが羨ましいよ。ぼくには、友達なんてものは――」
言いかけて、言葉を切る。
 「――準備できたら、出発だ」
 「……ああ」
何故だろう、そっくりだと思っていた別世界の二人のレヴィの間に、その時初めて違和感を覚えた。姿と声を除けばほとんど同じに見えるのに、何かが決定的に違う。それが何なのか、その時のロードには判らなかったのだが。


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