<本編2>

 11


 夜が明ける。

 とりあえず泊まった町の小さな宿で目を覚ましたロードは、窓の外の緑に覆われた禿山を見上げて、夢がまだ終わっていないことを確かめた。昨日、日暮れまでの間に確認できたことは、ここが間違いなくカールム・カレレムだということだけだった。
 宿を出たロードは、再び坂の上の離宮に来ていた。昨日と全く同じで、そこは廃墟のままだ。通り過ぎようとした住人を捕まえて、少しでも情報を得ようと試みる。
 「すいません。あの、ここって王族の人が住む離宮ですよね?」
 「そうだけど」
肩に荷物を担いだ白髪の男は、ロードの装いを遠慮なくじろじろと見やる。「異国人か? こんな何もない町に来るとは物好きだね」
 「ここってヤズミン…殿下の住んでるとこじゃなかったですか」
 「ヤズミン?」
男は首をかしげた。
 「違うかもしれませんが、確か…国王様の"はとこ"だとか」
 「ああー、あの魔法使いの? その方なら七年だか八年だか前にお亡くなりだよ」
 「亡くなった?!」
 「どこかの魔法使いに暗殺されただか、そんな噂だったがねえ。」
言葉が出てこなかった。ヤズミンと会話したのは、つい昨日のはずだ。なのにここでは、はるか以前に死んでいることになっている。
 (…まさか、未来を見ているなんてことは無い、よな)
ロードの表情を見て、男は怪訝そうな顔になる。慌てて、ロードは誤魔化した。
 「昔の話しか聞いたことがなくて。えーっと、…そういえば、ここってアステリアの船は来ます?」
 「アステリア? どこだい、それは」
 (知らないのか)
ますます分からない。定期船がなくなったとしても、かつて取引していたことくらい覚えていそうなものなのに。
 「あの…それじゃ、あそこの山に木が生えたのは、いつなんですか」
 「山? あそこは王領だ。伐っちゃ植え、の繰り返しだ。いつだって木は生えとる」
うさんくさそうな視線が、ますます強まった。「妙な人だな。寝ぼけとるんじゃなかろうか」そう言い残して、男は、ロードをちらちら見ながら港のほうに向かって通り過ぎて行く。その反応も無理も無い。剥げた部分のない山を見上げながら、ロードは、しばし考え込んでいた。
 (アステリアへの定期船がないとなると、ここから陸路で帰るのは面倒だな)
世界が変化する直前、近くにはレヴィもいた。けれど一晩経っても彼は現われず、呪文の欠片の輝きも見当たらない。ヒルデも、シャロットも。ということは、この奇妙な世界に飛ばされたのは、自分だけなのかもしれない。
 だが世界に何が起きているにせよ、今いる"この世界"でも"創世の呪文"は存在するはずだ。だとすれば、その管理者である"賢者"は必ずどこかにいる。
 未知の片隅で地図を広げ、ロードは、街道の位置を確かめた。
 (近いのは、シルヴェスタだ)
"森の賢者"の住まう森。西方の果てにある森は、今いるソランからはそう遠くない。フィオに会うことが出来れば、何が起きているのかくらい判るはずだと思った。



 シルヴェスタへ向かう道を通るのは初めてではない。その道は記憶にある限り、以前来た時と大して変わっていなかった。
 行く手には、深い森が見えはじめている。周辺のどこの国にも所属しない広大な森。迂闊に踏み込めば迷って出られなくなりそうな場所だが、ロードには、どこを目指せばいいのか大体の検討がついていた。木々の向こうにぼんやりと、強い青白い輝きが視えているからだ。それが、三つに分割された世界を形作る"創世の呪文"の輝きだ。
 だがそこでも、予想もしなかった風景が待っていた。歩き出してすぐ、突然、森が途切れたのだ。
 「…えっ」
思わず足を止める。行く手には、焼け焦げた木々の跡が続き、地面は溶けてガラスのようになっている。忘れもしない、これは一年前にシルヴェスタで見た風景。確かあれは、テセラとレヴィが戦った時の跡だった。
 (何で、まだあるんだ…? フィオが修復したはずなのに)
草も木も生えていないむき出しの地面はしばらく続き、やがて再び森へと続いている。どういうことなのだろう。
 そのとき、どこからともなく少女の鋭い声が飛んできた。
 「止まりなさい」
聞き馴れた声。ロードは、言われたとおり足を止める。木立の間から、栗色のふわふわした髪を持つ少女が一人、腰に手を当ててこちらを睨みつけながら姿を現した。
 「この先は立ち入り禁止! 帰らないと酷い目にあうわよ」
 「…フィオ」
 「へっ」
少女は、きょとんとした顔になる。「何で、あたしの名前」
 間違いない。
 姿も、声も、フィオそのものだ。違うのは、彼女の中に呪文の欠片の輝きがないこと。胸の辺りに見えている輝きは普通の魔石のもの、――最初に出会った時に身につけていた、あの石だ。
 「何でお前、"創世の呪文"を持ってないんだ? ていうか、おれのこと…分からないのか」
 「え、え??」
フィオは、慌てた様子であとすさる。「何、あんた。呪文って…何で知ってるのよ。あたし、あんたなんて知らないわよ」
 (知らない…?)
ロードは真剣な表情で、思わず一歩、踏み出した。「"賢者"は? 今の"森の賢者"は誰なんだ。ここは、どうして修復されてない?」
 「やだ…何なのこいつ! シエラ! 変な奴がきたーっ」
 (シエラ…?)
子リスのように身を翻し、森の奥へ逃げてゆく少女の後ろを、ロードは慌てて追いかけた。何かが記憶の中で繋がったのだ。
 ずっと忘れていた。
 以前、フィオが森での暮らしを話してくれたとき、確かにその名前を口にしていたのに。
 (シエラっていうのは、…居なくなったフィオの姉さんのことか!)
いつの間にか居なくなった年上の魔女だ、と彼女は言っていた。テセラに殺されてしまったと思っていた。でももし、彼女が生き延びていたとしたら。
 先を走る少女の姿が緑の奥に消えた。
 少し遅れて茂みを飛び越えたロードの目の前に、見覚えのある小さな広場が広がった。シルヴェスタの森の奥にある魔女の家。側には、呪文の輝きを隠した大樹が立っている。フィオが駆け寄ったのは、小屋の前にある畑にしゃがみこんで作物の手入れをしていた女性だ。
 「きゃあっ、追いかけてきたっ」
ロードに気づいたフィオが悲鳴を上げて、保護者の後ろに隠れる。振り返ったのは、――間違いない。ソランの離宮でヤズミンとともにいた、あの、しっとりとした雰囲気の女性。そして、その胸元には、見覚えのある呪文の欠片の明滅する輝きがある。
 「賢者…あんただったのか、…シエラ」
 「誰なんです? あなた」
フィオを背後に庇いながら、シエラは警戒の眼差しを向けてくる。「どうして、私の名前を」
 「おれは…ロード。…えっと、説明が難しいな。どう言えば良いのか」
ロードは頭をかいた。「たぶん…別の世界から飛ばされてきたんだと思う。それか、世界が変わってしまったのか、どっちなのか分からないんだけど」
 「…何を言ってるんです?」
 「つまりおれは、こことよく似た、少しだけ違う世界から来たんだよ。そっちの世界であんたたちと会ってる。こんなこと、普通の魔法じゃ起こり得ない。だから"賢者"の力を借りたくて、ここへ来たんだ」
シエラの表情は硬いままだ。が、完全な警戒から半信半疑くらいに変わったことは間違いない。
 「証拠はあるんですか? あなたが、"賢者"を知っているという」
 「ある、といえば…あるかな。あんたの管理してる呪文があるのは、そこの上だろ?」
ロードが大樹の上を指すと、シエラではなくフィオの表情が変わった。
 「三人とも、居場所は知ってるよ。"風の賢者"がいるのは、青い森の奥の塔。"海の賢者"はマルセリョートの岩礁地帯の奥の島。"森の賢者"になる条件は生命の歌を歌えること。だろ?」
 「……。」
シエラは、じっとロードを見つめたままだ。「あなたは誰にそれを聞いたんですか」
 「誰って…レヴィかな?」
 「レヴィさん?」
 「知ってるのか」
 「ええ…たまに…、お使いで来ます…けど」
少しほっとした。それなら、きっと他の知り合いも、この世界のどこかに存在するに違いない。
 シエラは傍らの籠を拾い上げると、畑から出てロードのほうに近づいてくる。
 「まだ状況はよくわかりませんが、あなたは嘘をついてるわけじゃないようです。お話を伺います」
 「助かるよ」
小屋のほうに歩き出すシエラのスカートの裾を掴みながら、フィオがちらちらロードのほうに視線をやる。見たところ、彼女の年齢はロードの知っている元の世界のフィオと同じくらいだ。だが、表情や雰囲気がどこか幼い。年相応、と言うべきか。保護者とずっと一緒にいるせいだろうか。
 シエラは、丸木で作った小屋の中に入っていく。
 「どうぞ、こちらへ」
中には見覚えのある風景が広がっている。手の込んだ編み模様の入った足ふきマット、壁にかかる手製のタペストリ、レースのテーブルクロス。束ねて吊り下げられたハーブに至るまで、ロードの知っている世界と全く同じだ。
 「同じだな…」
 「何が?」
と、フィオ。
 「おれのほうの世界とだよ。本当にここが別の世界なのかどうか、ときどき確証が持てなくなる」
 「お座りになってください。お茶をいれますから」
シエラは奥の台所のほうに消えていく。ロードが座ると、隣の椅子にフィオがちょこんと腰を下ろした。
 「ロードっていったっけ。ね、どこの国の人なの?」
 「アステリアの西の方。アステリアって国は、こっちでもあるんだよな?」
 「聞いたことはあるよ。」
 「フィオ、お前、森から出たことは?」
 「んー、ない。」
やっぱりそうだ。この世界のフィオは旅を知らない。ロードの知っているフィオは、保護者を失って一人旅に出た後のフィオだ。初めて会ったのは、村の近くの森の中だった。幼く感じるのはそのせいなのか。
 「なんか不思議ー、会ったことない人なのに、あたしやシエラのこと知ってるんだあ。ねっ、てことは、お母様のことも知ってるの?」
 「え?」
どきりとする。
 「いや、まあ…知ってるっていうか…会ったことくらいは」
 「やっぱりそうなんだー! じゃあさっ、どんな人だか知ってるよね? どんな人だった? あたし、あんまり覚えてなくて」
 「……覚えて無い?」
 「フィオ」
台所のほうから、テセラが戻って来る。厳しい表情だ。「少し外に出ていなさい。」
 「えー、何でー」
 「難しいお話になるかもしれないからよ。あなたが茶々を入れちゃ話が進まないでしょう。あとで時間を上げるから、先に二人だけで話をさせて頂戴」
 「んー、わかったー…」
ふくれっつらを作りながらも、フィオは、言われたとおり表へ出てゆく。ひとつ小さく溜息をついて、シエラは湯気の立っているティーポットとカップを机の上に並べた。
 「…どういうことなんだ? テセラのことを覚えて無いって。テセラは、先代の…」
 「母が亡くなったのは八年ほど前でした。あの子は、まだ六歳かそこらで」
言いながら、彼女はロードの向かいの席にゆっくりと腰を下ろす。「ロードさんの知っている世界は、そうではないということですよね」
 「ああ。テセラが死んだのは去年だ。八年前? あんたの年齢が合わない。呪文の管理者を継承すると、年を取るのが遅くなるはずだろ」
 「そこまで知っているんですね」
シエラの表情からは、警戒が完全に消えていた。机の上に両手を置いて、彼女は視線を落とした。
 「…継承が不完全なんです。いえ、むしろ継承は出来ていないのかもしれない。私はただの間に合わせの擬似管理者です。相性が悪いのか、条件の一部が満たし切れていないのか…。だから加齢も止まりませんし、"生命の歌"も使えない」
 「それで、外の森があの状態のままなのか」
 「そうです。あれは、母と"風の賢者"戦った痕。フィオは、…そのことを知りません」
シエラの口調から、彼女が敢えてそのことをフィオに知らせずに隠してきたことが伺えた。だから今も、彼女は、その話を聞かせないためにフィオを外にやったのだ。
 「シエラ、あんたヤズミンって人を知ってるか」
 「ええ…ソランから来た方ですね」
 「その人とは、どういう関係だったんだ?」
ぶしつけだとは思いながら、聞いてみた。本当ならシエラは、今頃はソランにいるはずだったのだ。
 「彼は私を外の世界へ誘ってくれた方です。でも…死にました。この森で、母とランドルフ様が戦う少し前に」
 「ここで?」
 「私がいけなかったの。彼の誘いを断りきれず、森を出る決心もつかず、中途半端な気持ちのままずっと引きずっていたから。そのせいで…彼は」彼女は目を伏せた。「きっとこれは罰なんです。自分の我侭で人を死なせてしまった私には、"賢者"の資格なんてありませんから」
 「……。」
青白い輝きが心細げに明滅する。
 呪文の欠片を持ちながら、彼女は正式な"創世の呪文"の管理者にはなりきれていない。本体の呪文も、不安定な状態にあるはずだ。
 (テセラと戦ったのがランドルフさん――ヤズミンは死んでいて――賢者の継承も違う…。少しずつ歴史がズレている――?)
同じ人物が存在する、少しだけ結果の違う世界。元の世界に戻る方法があるのか。そもそもここは、一体どういう世界なのか。
 「ここがおれの知ってる世界じゃないってことは良く判ったよ。元の世界に戻る方法を探さないと…。シエラ、あんた心当たりは?」
 「…ごめんなさい」
 「だよな。他の賢者には…会いにいけるのかな。ハルなら何か知ってるかもしれない」
 「それは"海の賢者"の名前ですね。会ったことは在りませんが、人嫌いで難しい方と聞いてます」
 「人嫌い?」
どこかで聞いた評価だ。
 「でも、"風の塔"からなら時々様子見のお使いが来ます。"風の賢者"のほうが見込みがあるかもしれませんよ。しばらくここでお待ちになっていては?」
 「そうさせてもらえるなら…。」
言いながら、ロードはかすかな不安を覚えた。こちら側の世界でも、存在する人物は変わらない。だとすると、こちら側の世界の自分は一体どうなっているのだろう。まさか、もう一人の自分と出くわすなんてことは無いのだろか?



 ロードは小屋の入り口に積まれた丸太に腰を下ろして、森の風景を眺めていた。
 目の前の大樹の上には見慣れた"創世の呪文"の輝きがあり、側には、何度か訪れたことのあるフィオの家が立っている。森の雰囲気は何一つ変わっておらず、ここが、少し前まで認識していた世界とは別の場所だという実感が湧いてこない。
 シエラはフィオは、畑のほうで作物の取入れをしているようだった。畑はよく手入れされて、ソランで見たあの庭園を思い起こさせる。
 (そういえば、あっちの世界のほうのシエラはどうしてソランにいたんだろう)
こちらのシエラも、ヤズミンとは知り合いだったようだ。ただし、ヤズミンの誘いには乗らなかった。一緒に森を出ることなく、――その結果、ヤズミンは死んでしまった。おそらくソランとアステリアの間の定期船が存在しなくなっていたのも、ヤズミンが死んでその後が変わってしまったせいだ。
 (あっちは、シエラがヤズミンと一緒に森を去った世界…。こっちは、残った世界、か)
足元の地面に視線を落としたまま、ロードは考え込んでいる。
 (違いは、それだけなのか?)
 「あ、レヴィだ!」
畑のほうから声が聞こえてきた。はっとして、彼は顔を上げる。
 「え? ぼくの知り合い?」
 「…だと思うんですけど。待っててもらったんです」
だが、シエラと話しているのは、聞き覚えの無い低い声だ。畑の前に立っている後姿も、どう見てもロードの知っているレヴィとは違う。
 立ち上がって、よく見ようと近づいていったとき、背の高い若い男が振り返ってこちらを見た。
 黒髪に、黒い瞳。
 見覚えがあるようでいて、一度も見たことが無い。
 「――まさか」
何が起きているのかを理解したロードは思わず息を呑んだ。「お前、…普通に成長してる?」
 「はあ?」
馴染みのある小ばかにしたような表情、片手をポケットに突っ込む仕草。
 その男は、間違いなくレヴィ本人だった。
 ――ただし、実際の年齢通りの姿をしたレヴィだが。


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