<本編2>

 1


 ふと、視線を感じて立ち止まる。
 「…?」
振り返っても、通りにはこちらを見ている者など誰もいない。いや、正確に言えば"不審な"者は誰もいない。
 ここは港町ポルテ。ロードの住む村からはほんの眼と鼻の先にある、アステリアの西の端に位置する、程よい大きさの町だ。通りの向こうに続く桟橋のほうには海から国境を越えて西の国々へ向かう定期船が停泊している。つい今朝方に到着したばかりで、西から貨物と乗客を降ろして、次の出港までしばし休息をとっているところだ。
 それらの中にいつもと違っているところは少しも無い。何もかもがいつもどおり。賑やかな港には、彼の注意を惹くものは見つからない。なのに、この違和感は一体なんだろう。
 (気のせいだよな)
無理に自分に言い聞かせながら、ロードは、船から積み下ろしされている荷のほうに向かって歩き出した。この町には知り合いも多い。その中の誰かがこちらを見ていただけのことなのだ、と。



 フィブレ村は、海から少し陸の奥に入った山の入り口に近い場所にある。その村の中でもほんの少し高くなっている丘の上、日当たりの良い海側にオリーブの樹木が整然と植えられた丘のてっぺんにロードの家はある。家の二階からは港町の向こうに水平線が見える絶好の位置だ。
 「ただいま」
玄関に入ると、笑いさざめくような声が流れ出してきた。間もなく、ぱたぱたと足音がしてヒルデが顔を出す。
 「お帰りなさい!」
腰まであるプラチナブロンドの髪――この辺りでは珍しい色だ――が揺れる。彼女は臨時の同居人で、半ば押し付けるようにしてレヴィが置いていった。ヒルデの兄のユルヴィは、そのレヴィのもと、今頃ははるか北にある「風の塔」で"助手"としてコキ使われているはずだ。
 「誰か来てるのか?」
ロードは、さっきまで話し声の聞こえていた台所の方に視線をやる。
 「サーラです。村長さんちの」
 「…ああ」
村長の孫娘の名だ。この村では唯一、ヒルデと同じくらいの年の女性。だが、既に結婚して一児の母でもある。
 台所を覗くと、ひざに赤ん坊を乗せた村長の孫娘がロードに向かってにこやかに手を振った。
 「お邪魔してまーす」
 「いつの間に仲良くなったんだ?」
 「昨日、村を見て回ってた時に」
後ろから、ヒルデがこともなげに言った。「この辺りのことは何も知らなくて、色々教えてもらってたんですよ。」
 「ノルデンのほうから来たっていうからね。こっちもお話聞けて楽しくって。」サーラも笑って言う。「あっそーだロードさん、次に旅に出るのって、いつ?」
 「今のところ決まってないけど。」
 「そ。じゃ、また近いうちに来るわね。ヒルデに村の伝統料理の作り方教えるって約束したの。今日はそろそろ帰らなきゃ」
言いながら、席を立つ。
 「もう帰っちゃうの?」
 「そろそろ家のこともしないと…」
村に来てまだ何日も経っていないはずなのに、ヒルデは同年代の女性は早くも意気投合したようだった。最初に危惧していたほど世間知らずというわけでもないし、日常の細々したことも、兄のユルヴィに比べれば問題なく出来る。このぶんなら、それほど苦労せずに彼女のいる生活に馴れることが出来そうだ。
 二人の女性たちが玄関で別れの挨拶をしているのを何となく聞き流しながら、そんなことを思っていたとき、ふと、「あの」視線を感じた。
 まただ。
 とっさに振り返って窓の外に視線をやるが、誰もいる気配はない。
 「どうしたんですか?」
玄関から戻って来たヒルデが、不思議そうな顔をしている。
 「…外、誰もいなかったよな」
 「え? ええ。」
窓に近づいて、ガラス越しにオリーブの木立の間を念入りに見回してみる。無駄だと思いつつ、どうしても確認せざるを得なかった。
 「あの…一体」
 「あー、気にしないでくれ。ちょっと気になってるだけだから。」
本当は「ちょっと」どころではないのだが。
 ここのところ、頻繁に妙な視線を感じるのだ。
 悪意や敵意を持つものでない――ただ、あまりにも近くから、しかも唐突に投げかけられる。それなのに、姿は全く見えない。最初は、レヴィのように何かに変身しているか、ハルのように実際は遠くから見ているのかとも考えた。けれどロードが感じる気配は間違いなく、すぐ近くにいる人間のものなのだ。
 台所の片付けをヒルデに任せて二階への階段を登りながら、彼は視線のことを考えていた。
 視線を感じるようになったのは春の終わりごろ。丁度、ヒルデがやって来た頃のことだ。もしかしたら、ずっと一人暮らしだったところに彼女がやって来たことで、環境が変わったせいかもしれないとも思っていた。けれどそれにしては、あまりにも頻繁に、しかも自宅の外にいても視線を感じる。
 二階の自室の部屋の窓からは、丘の周りをとりまくオリーブの茂み越しに港の向こうにある海が見渡せる。さっきまで居た港町の方角だ。
 (そういやレヴィの奴、あれから一度も来てないけど…ヒルデをどうするつもりなんだろう)
何の説明もなく家の前に置き去りにして行ったきり、鴉はちらりとも姿を見せていなかった。
 視線を窓際にある机の上に戻した時だ。
 ロードは、見覚えのないものに気が付いた。真っ白な封筒。開封済みの郵便物の山のいちばん上に目立つように、いつのまにか載せられている。
 何日も出かけている時、その間に届いた郵便物はいつもオリーブ絞り工場のおかみさんが預かってくれていて、戻って来たときにまとめて受け取っている。だが前回の遠出の後に受け取った郵便物は全部確認したはずだし、それに、その封筒には宛名も、差出人の名も書かれていない。
 封筒を手に、彼は再び階段を降りていった。
 「ヒルデ」
 「はい?」
食器を片付けていた少女が振り返る。
 「この封筒、おれの部屋に置いた? 郵便っぽいんだけど」
 「いえ、見覚えないです」
ロードは眉をよせた。彼女も知らないなら、一体この封筒は誰が持ってきたのだろう。
 「レヴィ様じゃないんですか? 知らないうちに来られてたのかも」
ありそうな話ではあった。
 「開けてみるか」
とりあえず、中身を確認しないことには始まらない。見たところ魔法がかかっている様子もない。端のほうをちぎりとって開いてみると、真っ白な封筒の中から出てきたのは、端の方のよれた四つ折のメモ書きのようなものだった。中には走り書きしたような簡易な地図に、見覚えの無い特徴的な文字が添えられている。
 「…『賢者の瞳 宝の謎を解いてください』、何だこれ?」
 「賢者の瞳?」
 「聞いた事もない。何だってこんなもの、おれのところに持ってくるんだ」
興味の無いロードとは裏腹に、ヒルデは、彼の手元の地図を覗きこんで意味深に目を輝かせている。
 「宝の地図、ってことですね。なんだか楽しそう。これ、どこなんでしょう? 山がふたつと、道みたいなものが描かれてますね」
 「さあな。っていうか、これをどうすればいいっていうんだ」
 「探しに行くに決まってるじゃないですか!」
 「えぇ?」
 「だって、『宝の謎を解いてください』なんでしょう?」
ヒルデは眼を輝かせている。「冒険の香りがしますよね」
 「……。」
そうだった。
 すっかり忘れていたが、ヒルデは、冒険に憧れて家を出たがっていたのだった。この封筒の主は、彼女がこう言い出すのが判っていて仕向けたのか。
 (ったく、姿見せないと思ったら、こんな手の込んだ真似して)
次にレヴィに会ったら、文句の一つも言ってやらねばなるまい。溜息をつきつつ、ロードは、メモ書きの場所を特定するのに必要な地図をとってくるために二階への階段を引き返していった。



 翌日、ロードはヒルデとともに村はずれの学校を訪れていた。
 "学校"とはいうものの、実際は教師役の大人は一人だけの塾のようなもので、校長も教師も雑務も兼ねている。家の一階部分が教師の自宅。二階が学校になっていて、週に三日か四日ほど、近隣の小さな村の子供たちが通ってきては最低限の読み書きを習うのだ。普段は朝から昼過ぎまで賑わう学校だったが、今日は授業はお休みの日で、普段の賑わいからすると嘘のように静まり返っている。
 「学校…なんて、あったんですね」
 「ああ、おれも小さい頃はここに通ってた。」
言いながら、ロードはドアをノックした。
 「先生? 起きてますか」
ほどなくして、中からくぐもった声で返事がある。入っていくと、カーテンを閉め切った部屋の床の上でイモムシのような塊がもぞもぞ動いていた。
 「また床で寝てたんですか、先生」
ロードは呆れ顔で手を差し伸べる。イモムシのように見えたものは、毛布に包まって床の上で眠り込んでいた男らしかった。毛布の中から白髪交じりの頭が顔を出し、手探りで枕元のめがねを探り当てると、それを鼻の上にそろそろと載せ、来客たちを見回した。
 「あー、…ロードか。それと…ええっと…そっちのお嬢さんは誰だったかな」
 「はじめまして、ヒルデ・ド・シャールと申します。ロードさんの家にお世話になっているんです」
 「あー、…そうか。」
教え子の手を借りながら床から起き上がった初老の男は、本棚の間のソファに億劫そうに腰を下ろした。
 部屋の中の壁はびっしりと本棚で埋め尽くされ、さっきまで転がっていた床の上にも読みかけの本が散らばっている。学者の部屋というよりは、まるで、古本屋にでも迷い込んだような空間だ。
 ヒルデがカーテンに手をかけようとすると、老学者はそれを止めた。
 「あー、光が入って本が焼けるといけない。このままでいいよ」
 「そうなんですね。すいません」
 「先生、いい加減、掃除したほうがいいですよ。これ」
 「うん、まあ、そのうちにな」
ガトは曖昧に答えながら口元のひげを撫で、深い皺の刻まれた目元を細めながらロードの方に視線をやった。「それで、今日は何の用事かね?」
 「これ。先生ならどこなのか判るかと思って」
取り出したのは、昨日封筒に入れられて置かれていた、あの地図だ。昨日、記憶を頼りに地図を探してみたのだが、それらしい場所を見つけられなかったのだ。
 「ふむ」
ロードから受け取ったメモ書きを広げ、めがねを押し上げながら、しばし眺める。「…ふむ。山が二つ。その間に城というと…あそこか」
 「心当たり、あるんですか」
 「もちろん。どうして判らなかったのかね? エベリアの古城だろう」
 「…エベリアの?」
それは、村から数日の距離にある街道沿いの小さな町の名前だ。
 「忘れてしまったのかね? 何度も行っているはずだが」
不思議そうな顔で言いながら、老学者は取り出した本を広げ、口絵としてつけられていた絵を指先で叩いた。「ほら。これだよ」
 驚いて、ロードは口絵をよく見直した。確かに、エベリアの名前と古城の説明が書かれている。だが――、全く、聞いた覚えもない。
 「知りませんよ。有名なんですか?」
 「もちろんだ、ああ、さては最近遠くばかり旅していたから地元のことを忘れてしまったのかな? 小さい頃に一度くらいは行ったことがあるだろうに。迷路のような城だ。」
メモを返しながら、老人の瞳がめがねの奥で意味深に輝いた。「で? "賢者の瞳"ということは、宝探しに行くのかね?」
 「知ってるんですか、それ」
 「古城の言い伝えだ。宝が隠されている、とかいう。――やれやれ」ガトは、知らないことが不思議だとでも言わんばかりに頭を振る。「皆知っている話だと思っていたのに」
 「知りませんよ。どんな話なんですか?」
 「「なんでも、"三賢者"のお伽噺に関わるお宝だそうだ。本当か嘘か、城の奥には別世界に通じる扉があるともいわれる」
 「うーん…。」
ロードは、腕組みをした。全く記憶に引っ掛かってこない。だが、ガトの話しぶりからすると、地元では一般常識な伝説らしい。
 「小さい頃に聞いた話なんて忘れてることが多いものですよ。ね、わたし、そこ見てみたいです。」
 「うーん、まあ。近くだし、観光がてら行ってみるか」
 「そうそう。たまには地元もいいものだぞ」
ロードの肩にぽんと手を置いて、老人は、そのまま廊下のほうに出て行った。
 「……。」
何か、釈然としなかった。本当に、全く覚えがないのだ。
 だがヒルデは村を出られて嬉しそうだし、確かに、久し振りに地元を回るのは良さそうだった。家に篭っていても、あの謎の視線のせいで気が滅入るばかりだ。
 (気晴らしにはなるかもしれないな)
 メモを封筒に収めながら、ロードは、またもじっと見つめてくる視線の気配を、意識の端に追い払おうとした。無視しようとすればするほど、それは直ぐ近くから、絡みつくように感じられる。けれど、きっと今だけだ。村を出て少し歩き回ればきっと、こんな妙な気分も消えるに違いない。


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