Reginleif Saga

”エイナルの夢”



 気がつくとエイナルは、一寸先も見えない真っ白な霧の中に一人で立っていた。
 「ベリオン?」
声は霧に吸い込まれ、呼んでも返事は無い。
 「ベリオン、何処なんだ?」
 「お話は気に入ってくれたかね、エイナル。」
どこからともなく笑い声が響いてくる。上からのようであり、地の底からのようでもある。近いようで、遠いような、どこから響いてくるのか分からない声だった。
 「まだ行かないで! オランはそれから、どうなった? もし二人が何も言わなかったなら、どうして、シグムントが死んだ物語があるの?」
 「さあて。それは謎の謎だね。わしにはとんと分からない。過去の未来がどうなったのか、現在の過去がどうだったのか」
 「じゃあ、ひとつだけ答えて!」
声の場所を探すように、辺りをきょろきょろ見回しながら、エイナルは声を限りにして叫んだ。
 「オランは剣を捨てなかった。そしてレノーアは、あの岬から落ちてもまだ生きていて、ひとりで女の子を産んだんだ。この話は、ただの昔話じゃない――そうなんだろう?」
けれど答えは返らずに、ひときわ大きな笑い声が響き渡っただけだった。
 どこかで、小人の鳴らす高い笛の音が聞こえていた。鳥たちの羽ばたく音。
 そして唐突に、ぱちん! と指を鳴らす音がして、霧がゆっくりと晴れていった。

 エイナルは、いつのまにか自分が、沼の中に太ももまで浸かっていたことに気がついた。
 さっきまでの霧は嘘のよう、朝の光は変わらず木立の間から差し込んで、まるで夢でも見ていたような気分だった。もう少し長く眠っていたら、戻れない深みにはまり込んでいたかもしれない。
 「夢…だったのかな…。」
彼は、ぼんやりと木漏れ日の描く模様に眼を向けた。
 こんな良く晴れた日の朝に、霧が出るなんてことがあるはずもない。
 ゆうべは一晩中話を聞いていたから、森を歩いているうちに眠くなってきて、居眠りしながら沼にはまってしまったのかもしれない。
 とにかく、ここから出なければ。
 足を引き抜こうとすると、泥の中で靴が脱げてしまう。
 「わっ」
 エイナルは、すべって、両腕を泥の中に突っ込んでしまった。泥が派手に飛び散って、水の中にしりもちをついてしまう。

 「…あれ?」
 意外なほど、浅かった。
 手が何か、硬い、棒きれのようなものに触れている。
木では無い。泥にまみれた、ざらざらとした感触は朽ちた木よりも固く、真っ直ぐだった。
 エイナルは無造作にそれを掴み、両手で泥の中から引き上げた。
 木々の間から斜めに差し込む日の光が、その物を明るく照らし出す。
 左手に、柄と刃の上半分。
 右手には、刃の下半分。
 腿まで泥に浸かりながら、彼はしばし、その奇蹟を眺めていた。指でこすると錆が取れ、わずかな輝きが、木立の中に蘇った。
 鍛治屋ホブスボクスの刻んだ印は、まだ、完全には消えていない。
 夢ではない。


 そのとき彼は、風の中に聞いたような気がした。
 謳うような、小人ベリオンの声を。
 「昔話は霧の中へ。剣は英雄の子らのもとへ。
 さあ、今度はお前が聞かせておくれ。白蛇の家の息子、エイナルの物語を――。」
エイナルは耳を澄ませたが、それきり、小人の声は聞こえずに、さやさやと緑の風揺らす葉擦れの音が、静寂の中に満ちるだけ。

 だが、彼は信じた。
 小人が見せてくれた過去も、霧の中で見たものも、すべて本当にあった出来事なのだと。
泥の中から掬い上げた、折れた剣は、彼にとって、武器ではなく、霧の中で見たものが夢ではなかったことの証だった。

 かつて小人の鍛治屋によって打ち出され、異国の王が手にした竜殺しの剣。
 遠い昔、一人の若者が、霧を打ち払うために使った祖父の剣。
 そして森の中で少年エイナルが、泥の中から拾い上げた古い剣。

 物語は繋がった。
 過去から現在、そして未来へと。
 彼は剣の物語を選んだ。
 彼自身が引き継ぐものとして。
 物語はそして目覚めた、折れた剣を手にしたエイナルは、やがて、彼自身の物語を紡ぎ始めるだろう。


……

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