Reginleif Saga

”エイナルの夢”



 霧の銀幕からすべての登場人物が消えてしまっても、エイナルはまだ、ぼんやりとその場所に座り込んでいた。
 「さあ、どうかね。まだ聞きたいかね? さて、どの人物のお話をしよう。竜退治がお嫌なら、シグムントとレノーアの恋の物語はいかがかね? それとも、オランとシグムントの短い友情の物語かね。裏切りと絶望の物語かね」
 「剣の話がいいな」
と、彼は、考え込むようなそぶりを見せながら呟いた。彼が顔を上げるとき、首に下げた銀細工が揺れた。
 「ねえ、あの人、どこかで見たことがあるような気がするんだ。レノーアって言ったっけ。…会ったことはないけど、知っているような気がする。」
 「ほう。」
 「それに、オラン…あの人は、僕の家の人たちそっくりだ。どうしてなんだろう」
 「いずれ分るさ。そうさね、剣の話が聞きたい、というのなら。」
小人はぱちん、と指を鳴らした。指輪が光る。
 とたんに霧は渦巻きはじめ、目の前に洞窟が現れた。沼のほとりにある、灰色岩のちいさな空洞が、いつのまにか、奥行きのある、大きな穴になっていたのだ。

 入り口には木で出来た不恰好な扉がつけられ、松で出来た煙突からは、白い煙がもくもくと立ち昇っている。扉の前には、鍛治屋のしるしの金床と、ホブスボクスを表す双頭の蜥蜴を描いた看板が、ぶらりぶらりと揺れている。
 草を踏む音がして、二人の男が現れた。
沼の水に姿が映る。馬を引いて歩いてゆくのは、さっき木陰から覗いていた若い男。それと金髪のオランだった。
男は異国風の立派なマントをつけているが、武器は持たない。いかめしい顔つきだったが、まだ、どこか幼さを残すほどの若さだ。逞しい腕のオランに比べれば、か弱そうにさえ見えた。

 「オランは道案内さ。客人は、すでに一度、竜とまみえて剣と部下を無くしてしまった。竜の炎はひどく熱くて、なみの鉄では蝋のように溶かされてしまう。うろこは鋼のように固く、どんな刃も通さない。そこで、竜を退治できる剣を求めて、小人の噂のある、この森へやって来た」
エイナルの見ている前で、二人は、身を屈めながら洞窟の中へと入っていった。
 しばらくして、小人がひとり、表へ出てきた。何を言っているのかは聞こえないが、ひっきりなしに喋っている。これが、お話で聞く双頭の小人ホブスボクスなのだと、エイナルは思った。
 神経質そうにまくしたてたかと思ったら、とろんとした目つきで、何かを呟く。しまいにはオランが怒鳴りつけて、小人を黙らせた。
 横からシグムントが近づいて、何かを差し出す。宝石か、あるいは黄金か…。小人の目つきが変わった。
「小人は、黄金が大好き」
ベリオンは、くっくっくっと笑った。
 「馬鹿な竜ほどじゃあないがね。きらきら輝く宝石も大好き。人間のご夫人がたほどじゃあないがね。さあ、ホブスボクスは剣を打つよ。法外な値段だ、予想もしなかったほどの高額な報酬だ、気を良くした小人が打つよ、一世一代の大仕事だ」
霧が渦巻き、汗を流して剣を打ち出す小人を映し出した。ひっきりなしに喋りながら、右手はハンマーを振り上げて、赤く燃える鉄を打ち据える。熱い鋼が冷たい水に浸けられるたび、白い蒸気が激しく立ち上った。

 エイナルは、足元にある泥沼の水が、いつの間にか澄んだ泉に変わっていることに気がついた。剣が打たれたその頃、この沼は、まだ美しい水を湛える場所だったのだ。
 「…そして剣は出来上がった。」
霧が巻いて、鋭く輝く鋼の剣を映し出す。エイナルは、目をこらしてその刃を見つめた。
 白く波打つ紋の中には月と日の光が封じ込められ、柄には鍛治屋の紋章が。
 今はもういない神々の名を刻んだ神秘の文字を刻んだ刃を、小人の鍛治屋は惚れ惚れと眺めた。
 「彼はその剣を、一世一代の名作だと自慢した」
ホブスボクスは、受け取りにやって来たシグムントに向かって、何やら得意げに喋り続けている。シグムントの後ろには、今回は、二人の若者が立っていた。
 片方はオランだ。だが、もう一人は?

 見たことのない顔だった。不機嫌そうな顔をして、横目でじろじろとシグムントの手元を見つめている。
 嫌な視線だ。
 剣をねめつけるような、その視線には、ひどく暗い感情が込められているような気がした。
 「あれは、誰?」
 「コレールさ。次の長になる男だよ」
小人が言うや否や、霧の中に、その男の姿が、はっきりと映し出された。暗く燃える緑の瞳、野心に満ちたその瞳は、嵐にゆらぐ森の色のように、ざわついていた。
 体格は、オランとそう変わらない。だが、オランのような研ぎ澄まされた精悍さは、感じられなかった。

 エイナルはふと、この男が、あの美しいレノーアの婚約者なのだということに気がついた。
 レノーアは、本当に、この男を愛しているだろうか?
 「聞きたいかね、彼のことを」
小人がぱちん、と指を鳴らした。
 「レノーアとコレールと、シグムント。三人の若者の物語。レノーアは、宝石のように美しく、黄金よりも輝いた、愛らしい娘。シグムントが今までこなしてきた、数々の冒険でも見たことがないほどに。コレールはただの田舎者。おさ長の親戚の中で唯一レノーアと年が釣り合った、ただそれだけの婚約者。
 かたやシグムント自身は、幾多の武勇譚を持つ見目麗しい異国の王。国と莫大な財産を持つ身だ。彼が好意を抱いてくれれば、娘のほうも、憎からず思うだろうよ」
 「でも、婚約していたんでしょう。」
 「そうさ、彼女は既に約束されていた。だが、燃え上がる若い思いの前で、親同士の決めた結婚相手に、何の意味があるだろう?」
突然、霧の中から花畑が現れた。
 白いクローヴァーの花が咲き乱れる原に、ひとり、乙女が立っている。銀色の髪が泡だつようになびいて、風さえもきらめきを放つようだった。
 (…シグムント様)
彼女は、ふわりと顔を上げ、柔らかく微笑む。
その微笑は、かつてオランに向けたものと同じようでありながら、もっと優しく、もっと暖かく、言葉に出来ない思いに満ち溢れていた。
 足音を忍ばせて近づこうとしていた男は、はっと息を呑み、足をとめ、しばし娘の美しさに見とれた。
 (相変わらず、悪戯がお好きなのですね。)
 (申し訳ない。何か思いに耽っておいでだったので、邪魔をしないようにと思ったのですが)
二人は近づきすぎず、触れ合うことも無い。遠くから見れば、未婚の男女が取るにふさわしい距離を置いて、礼儀正しく話し合っているように思えただろう。

 だが、離れていても、その眼差しは強く絡みあい、決して互いから反れることは無いのだった。
 「二人が恋仲になっていることを知っている者は、少なかった。それほど慎重だったからな。そう、彼女が打ち明けたのはオランだけだ。だがコレールも、薄々と気付き始めていた。」
霧は、クローヴァーの野に立つ二人の姿を、遠くから睨み据えるコレールの姿を映し出す。そして、オランも。
 (オラン兄様…)
霧が、声だけを呼び覚ます。
 (これ以上、あいつに近づくな。コレールがどんな思いをしているのか、分かっているのか?)
 (ええ、分かっています。でも、止められないの。)
霧の中からゆっくりと、向かい合う男と女、二つの影が浮かび上がった。
 (…お前は、残酷なことをしているんだぞ。シグムントにも、コレールにも。竜を倒したら、あいつは国へ帰るだろう。お前はどうする。あいつについて行くのか、年老いた長をたった一人にして?)
 (出来ません)
両手で顔を覆うレノーアから目をそむけるように、オランは彼女に背を向けた。
  (分かっているなら、もう二度とあいつと二人きりになるんじゃない。)
泣きじゃくる娘を暗い部屋の中にひとり置いて、男は部屋を出て行く。
 彼は、そのまま、苦悩の表情で壁に拳をたたきつけた。
三人のうち、誰が幸せを諦めなければならない。そして、誰かを犠牲にしたならば、残る二人も終わらない苦しみを味わうことになる。
 オランの悩みが、エイナルにも伝わってくるような気がした。
 「オランは、シグムントのことが好きだったんだね。本当は、レノーアだけじゃなく、シグムントにも幸せになってもらいたかったんだ」
 「ほう、どうしてそう思うね」
 「…何となく、だけど。」
もしも自分がオランなら、きっと、そう願う。
 自分なら、あの、暗い目をしたコレールのことを好きにはなれないだろう。エイナルは、そう思った。

 「だが、長の血筋には、もうレノーア一人しか残されていない。年老いた長の願いは、孫娘が土地の男と結婚して家に残り、跡継ぎの男の子を産んでくれることだった。
 シグムントは、竜を倒したら国へ帰る。もちろん、帰らなくてはならない。彼は王なのだからね。国では、大勢の人々が彼の帰りを待っている。いちど行ってしまったら、もう戻れるかどうかは分からない、遠い遠い国だ。シグムントだって、それは分かっている。レノーアを国へ連れていくことは残酷なことだ。
 レノーア自身にとっても、祖父や友人たちと別れることは辛い。さりとて、愛してもいない暗い瞳の婚約者と一緒になっても、彼女は幸せにはなれないだろう。
 残酷だね。実に残酷だ。運命はいつだって、そうして人を弄ぶ…」

 「だけど、」
と、エイナルは思わず言った。その言葉が、口をついて出た。
 「運命なんてものは、抗ってみなくちゃ分からないだろ。」
 「ほう!」
小人は、嬉しそうに笑った。あまりに嬉しそうに笑ったため、足に巻いた湿布が外れて落ちてしまいそうになったほどだった。
 「運命を切り開く。人間はいつだって、そうやって言うもんだ。まるで時を支配しているのは自分たちだとでもいわんばかり、傲慢に、だが、わしらには羨ましいほど力強く、短い一生を生きていく。彼も言ったもんだ。そう、シグムントもね。
 聞きたいかね? 彼が何と言ったか、聞きたいかね? そら」
 小人はエイナルの返答を聞かないうちに、指を鳴らし、場面を切り替えた。
 映し出されたのは、薄暗い森の中に佇む、二人の若者の後ろ姿だ。
 (頼みがある、オラン)
低く、切り出したシグムントの声は覚悟に満ちて、野原でレノーアに話しかけた時とは、全く違っていた。
 (レノーアの…。あの人のことで)
振り返ったオランの顔の驚き。彼が何を聞いたのか、シグムントが何を囁いたのかは、エイナルには分からなかった。
 (正気なのか! お前!)
掴みかからんばかりにつめよって、怒鳴ったオランの顔は、色を変えている。
 ――彼は、異国の王を親しい者のように、「お前」と呼んだ。
 エイナルは、そのことに気づきながら、口をつぐんでいた。
 (何故、ここへ来た。お前さえ来なければ、レノーアはコレールと…)
 (すまない、だが)
シグムントの声が一段、高くなる。
 (私と出会っていなかったら、彼女は本当に幸せになれていただろうか?)
 (お前なら幸せに出来るというのか?)
オランの声も高くなる。
 (全力で――。)
 (それでは駄目だ。必ず、すると言え。でなければ協力出来ない)
 (オラン、俺は…)
 (明日、お前は竜の巣穴へ行く。これが最後だ。必ず戻れ。生きて戻れなければ、レノーアは…)
オランの言葉が途切れ、二人の姿を霧が包み込む。

 代わりに、その向こうから緑の草原が浮かび上がってきた。
さざめくような、乙女の笑い。飛び立つ鳥たちの羽ばたき、青い春の空。
 (ねえ聞いて。あの方はね、船に乗るのよ。青い海の彼方を、船に乗ってどこまでも。幾つもの島をめぐり、たくさんの国を回り、旅をする――…)
眼差しを空に向けたレノーアの手元には、クローヴァーで編んだ花飾りがある。
 (私も…一緒に行きたい。あの海の向こうに、見知らぬ国がある。)
空を霧が包み込み、どこからともなく陰鬱な声が響き渡る。
 それは、コレールの声だ。
 (殺してやる、殺してやる)
 (レノーア、お前は俺のものだ。ずっと昔からそうだった、なのに、後から現れてお前を奪うだと? 酷い、何て酷い奴なんだ。あいつは、レノーアを遠くに連れて行く…。)
 (あいつが竜を倒せば、おさ長はあいつを婿に相応しいと思うかもしれない。俺が、俺が竜を倒せば。それが出来れば…)
 彼の暗い呟きを飲み込むように、戦の始まりを告げる鐘が猛々しく響き渡る。

 赤い炎、竜の唸り声。打ち合わされる、剣と、鋼のように硬い鱗の音。
 霧は戦いの情景を映し出していた。
 お伽草子で見るような、勇壮な戦の一枚絵。首をもたげ炎を吐き出す竜に向かい、盾と剣を翳し勇敢に挑む二人の男。岩と土は黒く焦げ、木々は炎に包まれている。
 今はもう、見ることの出来ない太古の世界。
 「竜の巣穴に攻め込んだのさ。半年かけて、ようやく見つけ、追い詰めた。」
エイナルは顔を上げて、語りだした小人のほうを見つめた。
 「シグムントは戦った。親友オランも一緒だった。だがコレールは、途中で傷ついて倒れてしまった。シグムントが庇わなかったら、おそらく命も無かっただろう。それでも彼は、決して心を許すことはしなかったが。
竜の咆哮が途切れた時、町で祈りながら待っていた人々は、おそるおそる家の外に出て、どちらが勝ったんだろう、と、いぶかしんだ。
誰ひとり、様子を見に行こうとはしなかった。怖かったのだろうな。誰かが見に行っていれば、話は違っていたかもしれないが。
…その時、何が起こっていたと思う。シグムントは死んだ。誰が殺したと思う?」
ベリオンは意地悪く微笑んで、エイナルの目を覗き込んだ。
 まるで、目の前の場面にのめり込み過ぎたエイナルを、現実の世界へ引き戻そうとするかのようだった。
 彼は思い出した。
 …これは、もう終わってしまった、結末のある物語なのだ。
 過去は変えられない。シグムントは、竜を殺して自らも死ぬ。裏切りによって、…そして、王を慕っていた娘も。
 運命は変えられない。たとえ、その時、その場所を、繰り返し眺めることは出来ても。
 エイナルは、はっとした。
 「…まさか、死ぬの? あの人も」
王を慕っていた娘とは、美しい銀髪の娘、レノーアのこと…。
 「さて、それはどうかな。見てみるかね。続きのお話を」
小人がぱちん、と指を鳴らすと、霧がゆっくりと回り始め、その場面を映し出した。


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